0054 食堂の応援に来た若いシェフの話

ページ名:0054 食堂の応援に来た若いシェフの話

 ウチの店はミシュランで星を貰える程度には有名で、そして人気があると自負している。
 オーナーシェフは勉強家で、彼と彼に目を掛けられたシェフは、月に三、四日勉強のためにどちらかへと出かけていく。
 それは繁忙期でも例外なく、他のスタッフからしたら困ったことだ。しかし、それが新たな料理の創作に活かされているので、誰も文句は言えなかった。なんなら勉強会と言うのに強い憧れを抱いていたぐらいだ。

 それが、この極度に忙しいクリスマスの時期に、僕の肩が叩かれた。
 イブから四日間とのこと。こんなピンポイントに忙しい時期にナンだよと思ったが、あの憧れの勉強会に行けるのである。そんなことはどうでもいいだろう?
「店の方は我々に任せて、勉強して来てください」
 後輩達がいい感じに送り出してくれたが、先輩やオーナーはややニタニタしていた。

 さて、伝えられた場所は、何故か田舎の中学校である。
 オーナーに、本当にここで大丈夫かと言えば、「多くの人が学ぶに値する学校だよ」と答える。何が何やらである。

 前日の仕事は早めに上がらせてもらって、荷造りするとすぐに新幹線に乗る。
 車中、下調べをする。
 私立稜邦中学校で検索するが、それらしい情報は殆どない。
 何か隠されている気がする。確かに、オーナーが隠していたぐらいだからそんな秘密クラブみたいなものがあるのかも知れない。

 到着は夜遅くても問題ないらしい。宿も向こう持ちとのことだ。
 自動車教習所や新人社員の研修所のような所だったら嫌だなと言う気持ちが、急に沸いて出てきた。
 駅を降りると、山の上の方に、煌々と光る大きな建物が並んでいるのが見えた。
 駅前よりも幹線道路沿いが栄えているタイプの街なのだろうか? 色々と考えつつ、タクシーに乗り込み、"学校"へと行く。
 運転手に、紹介状があるかどうか訊かれた。
「あるけど、ないと不味いの?」
「あぁ、あるなら大丈夫だよ」
 それっきり話は途切れてしまった。無愛想な運転手だ。

 車が徐々に山へと近づいていく。坂を登ると門があり守衛室がある。
 タクシーは引き返し、僕は紹介状と身分証明書を見せる。そしてあれこれ手続きが済ませた。
 地図を渡され、「このカードで立ち入れるのは、学食のここと、購買はこのカードで精算できる。あとこの宿舎だけね。他はあんまり見て回らない方がいい」とやや脅しに近い事を言われる。そして学食という言葉に何か、変なモノを感じた。
 目の前に広がるのは間違いなく中学校であるからだ。

 同じ敷地内に、様々な近代的な建屋が建っている。奥の方には映画のセットのようなものさえも見える。
 宿舎と呼ばれる建物はちょっとしたホテルの出で立ちをしている。
 一流のホテルを思わせるロビーには、高級なソファーが並び、上等なスーツを着たガタイのいい男や、一目で賢そうと言うような人が歓談していた。
 ふと、ある高級店のオーナーシェフを見かけた。面識があるので挨拶すると、「おお、君が応援に来たのか。せいぜい頑張るといい」と言い、そして、その場にいた人を紹介してくれた。
 剣菱銀行の取締役や、オクスフォードの名誉教授、"鐵池さん"の下でお手伝いをしていると言う人、最後の人がちょっとよく分からなかったが、身のこなしはただ者ではない感じであったし、他の面々が立派な人だったので、僕の知らない世界なのだろうと納得させた。
「明日は朝から忙しいから、私は失礼するよ」
 と彼はその場を立った。
 僕が追いかけて「ここは何の施設なんですか?」と聞くと、「中学校だよ。明日になればわかる」と言うだけである。

 ロビーでは、完全に自分だけ場違いな所にいる気がしていた。しかし、廊下で割と庶民的な人ともすれ違うので、少しだけ安心する。相変わらず、ただ流されるだけの状態なのに。

 翌朝四時、指定された場所に出向くと、黒服の人に紹介状を見せて、そして名札を渡される。
「忙しい時期に来てもらって本当にごめんねぇ」
 太っちょのオバサンが頭を下げて、そしてその場を仕切り始めた。
 見渡せば、他にも高級店有名店の人が来ている。テレビで見た事のある顔もいる。ジャンルは和洋中に捕らわれず、パティシエ、パン職人、創作料理家、老舗洋食屋の跡取り、ラーメン屋の店主まで様々な人種で溢れる。
 厨房も、食堂も本当に学食であり、そして、そこから始まるディスカッションは、本当に食堂のそれであった。
 しかし、指示される料理はどれも一流で、極上のモーニングとランチであった。
 確かに、ホテルで出会った面々を見ると、確かにそれもあり得るなとは思った。
 なるほど、ここは一流の人間が集まる秘密会議の場所なのだろう。そして、そのために僕は駆り出されたのだろう。腕試しの場だ。頑張ろう!

 それからはもう、野火のように仕事に駆り立てられる。
 全く違うジャンルの料理の仕込みや下ごしらえを教わりながらこなし、そしてその過程で様々な気づきがある。面白いぞ! ここ!
 ビュッフェ方式の朝食が用意され、宿舎で見かけた面々――昨日の教授の顔も見える。他にも偉そうな人もいると思えば、警備員や購買の店員、見るからに荒事やってるだろうと言う人々も入ってきて、徐々にカオスになっていく。

 昼近くに応援――と言うか、遅番の人が投入され、そしてお客さんが入ってくる。
 こんな上等な料理が格安で食べられるので、それはもう活況である。
 仕事に追い立てられ、ゆっくりできないが、しかし、料理の手は抜けないのだ。

 しばしば耳にした学校のチャイムが、昼前に穏やかに鳴った。すると、今までの人々が消え、そして本当に女子中学生達が現われた。
 クリスマスだけに、それらしい凝った料理が売れていく。忙しい!

 それから、少し落ち着くと、この場を仕切っているさっきのオバサンが挨拶をして回っている。
 聞けば、今日のメニューを全部一人で考えたという。
 感嘆の声を上げれば、「レギュラーメニューもあるしそんなに大変じゃないのよぉ」と豪快に笑った。
 メニューの数が多いのもそうだが、会席料理や、職人の握る寿司、しっかりしたフランス料理、本格的な中華料理や手打ち蕎麦もあれば、一般的な定食、ラーメン、パスタ、ハンバーガー、ブリトーと何でもアリな状態である。どういう頭をしているんだ、この人。
 中学生の生徒の昼休みが終わると、また学校職員が現わた。そしてそれも姿を消すと昼の部は終了した。

 まかないを食べつつ、他の料理人達と話をする。
 勉強になる話ばかりだ。雑談も面白い。皆、"ウマイ"を作ると言う使命感に突き動かされている。
 食事が終わり、後片付けも終わると、夜の仕込みをしつつ、勉強会があちこちで始まる。
 自分のジャンルから離れていると思しき面々が集まる。如何にも板前と言う人が、分子ガストロノミーについて熱心にメモを取っていたし、イタリアンのシェフが中華料理からヒントを得ようとしていたりと、分野がかなり横断的である。
 僕も、その板前の人に魚の捌き方、扱い方についてあれこれ教えって貰ったりした。
 六三四さんとの歓談もまた、勉強になることだらけである。わざわざ、そういう話をしているのか、そういう話ばかりをする人なのかは分からないが、楽しい事に変わりはない。

 夜は、厨房を挟んで隣側にあるレストランも開く。
 レストランは、あの中学生と彼女たちに誘われた人だけが入れるらしい。
 なんだ、それ? と言う疑問は、もう、あまりにも多すぎて逆に気にならない。
 学食の方には、職員が現われる。思ったよりも人が多い。
 レストラン側では、普通の女子中学生のような黄色い笑い声がしていると思えば、奥では難しい話をしていそうだ。

 翌日も同じように仕事と勉強に駆り立てられて、この学校がなんなのかと言う問題は耳に入らない。
 流石に土日となると人は少なくなるが、しかしそれでも、そして、空いた時間は勉強に充てられるし、不思議な光景が心に染み渡ってくる。

 最終日ともなると、少し余裕が出てきて、中学生のことが気になる。
 可愛い子だらけだ。普通のと言うには雰囲気が独特であるが、しかし、見た目は普通の中学生である。
 六三四さんに、「ここはナンなのか?」と聞くと、「中学校だよ? 中学校がメインで、他はオマケ」なんて答えられる。
「何処までいっていいのか知らないけど、ここの子たちは、みんな特殊な子でね。何かあると凄く困るから、過保護にしてるの」
 と、相変わらずの朗らかな表情で笑う。
「私をここに連れてきた人がいうにはね、昔、ウジの沸いた肉を出した所為で、酷い目に遭った軍艦があってねぇ。そういうのご免でじゃない!?
 だから、胃袋を掴むしかないのよねぇ」
 何か、とてつもなく怖いものが傍にあるような気がした。

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