0050 ちさとが面倒くさい客を追い返した上で鐵池羊子に解説される

　面倒くさい客は面倒くさい客で、色々考えさせられるものだ。
　いつものように、喫茶店で給仕をしていると、思想が大いに偏りっていそうなオバサンに「貴方中学生でしょ！」と突然詰められた。
　どうも、中学生が勤労しているのは正しくないと言う思想を持っているらしい。

　貴方の中の想定される日本は、貧乏な子なんていなくて、理想通りに勉学に勤しむべしと思っているのかも知れないけど、そうとは限らないんですよ。
　自分ではどうにもならずに不幸な子がいるんですよ。まぁ、私は理解ある大人と友達に囲まれて幸せですけどね。

　貴方は、私は判断力がないから、不幸を幸せと錯覚しているとでも言いたいのでしょうが、不幸も幸福も、結局は本人が判断すべき事じゃないですか？
　自分の気に入らない生き方だから不幸だというのは、高慢すぎやしませんかね？
　しかも、自分の気に入らないって理由を、勝手に社会的正義に仕立て上げるんでしょ？

　貴方は、世界の複雑さを許容する事の出来ない程度に、頭の悪い人だから、こう考えるのでしょう？
　世の中をずっとずっと単純化して、嫌いなモノと好きなモノの二つに分けて、それぞれをラベリングして、その属性をまとまったものと信じてしまう。
　その方がずっと楽だからね。複雑なことは考えずに、ただ、嫌いなモノは社会的不正義で、道徳的悪として怒っていれば、人生に真摯に取り組んでいる気になれる。
　そういうのが習い性になると、部分的に正しい、部分的に間違っていると言うのを考える事が出来なくなってしまう。

　人間必ず何処かが偏っていて、何処かが間違っていて当たり前じゃないですか？
　むしろ、自分自身は一番中心の一番正しい位置にいて、何も間違った判断はしないと思い混んでいる人こそ危ないでしょう。
　誰が、そして何が自分の絶対性を保証してくれるって言うんですか？

　そもそも、私から仕事を奪ったところで、私の経済的な問題は何も解決しないじゃないですか？
　身体障害者を見世物小屋から追い出した人は、じゃぁ、身体障害者の食い扶持を用意してくれたの？　って話じゃないですかね。
　貴方方は、社会の端っこの例外的なものを否定してしまえば、社会的な安定とか社会に対する想定とかをずっと単純で簡単にできると思っているかも知れないけれど、問題を否定したところで、問題は消えてなくなりませんよ。
　貴方がやりたいのは、私を不幸から救いたいのではなく、私に私が不幸であると言う事を認めさせたいだけ。
　そして不幸であると認めたら、不幸の原因はみんな自分の無能か怠惰の所為だと決めつける。、そして、そういう不適切な人間は、自分の見えないところでちっちゃくなっていればいいとね。でも、私も一人の人間である以上、貴方と同様に自由があるんですよ。私以外のあらゆる親のない子も、他の不幸な人々も。

　何故、貴方が、そんな風に人を抑圧したいか、貴方は気付いていないだろうから教えてあげる。
　何の落ち度もなく災厄に見舞われると言う事は、自分もそういう目に遭う可能性がある。これはもう絶対的にそうであるはず。でも、それに恐怖して、その恐怖から目をそらすために、災厄に何らかの理由を持たせて、その人の落ち度なのだと決めつける。そして、自分はそんな落ち度はないから絶対に安全だと思い混むの。
　そういう、藁にもすがる思いで、自分は安全だと自分に言い聞かせるために、必死で人の落ち度を探して叩くの。
　そうもしないと、不安に潰されてしまう。

　結局、貴方は社会に何かがしたいのではなくて、自身の内的な問題に向き合えない愚かで可哀想な人なのね。

　そんなようなことを言って追い払った。
　この時、羊子ちゃんがいたから、ちょっと意識していたかも知れない。

　羊子ちゃんは「最上段から言うねぇ」と笑い、続ける。

　社会効率を考えるなら、人間の自由は制限されるべきだし、自由が大切なら、そこに掛かるコストを受け入れなければならない。
　愚鈍で醜悪な人間ほど、自分の自由の拡大と、他人が発生させるコストの削減ばかり気にする。全くトレードオフな話なのに、自分の都合しか考えない。
　交通事故を減らしたければ、職業ドライバー以外は運転を制限すべきだし、健康保険による支出を減らしたければ飲酒も喫煙も禁止して、運動を義務づければいいだけ。死ぬリスクを冒してでも風になる自由も、不健康になってでも気持ちよくなる自由も全部奪ってしまおうって考え方ね。交通事故も病気もそれは確かに避けたい不幸だろうけど、それが他の自由の制限をしていい十分な理由になるかどうかだね。
　健康で長生きするタイプの幸せがあれば、好きなモノを好きなだけ食べてさっさと死んじゃう幸せもあるじゃない？　沢山幸せがあって、どこが完璧なポイントなのかもわからないのに、何故、一つのロールモデルだけが完璧な幸せだって言えるの？
　確かに、国を維持成長させていく立場としては、単一の嗜好で単一の問題を抱え、単一の人生を歩んでくれた方が嬉しいもの。
　安い労働者として使われつつ、結婚して子供を増やせ、他のことは考えるなってね。
　でも、人間そんなに単純じゃないでしょ？　だから、私は暗殺されたの。

　次はもっと上手くやれるかなって思ってるけどね。

　例えばさ、今は、毎日お風呂に入るのが普通で、一週間もお風呂に入らないなってあり得ないって言われるけど、でも、そういう価値観って割と最近作られたりするんだよね。
　お風呂に入らない自由ってのを、今主張しようって人はまずいないじゃない。それは、公衆衛生の問題に関して、不自由が受肉したというのかな。
　考えてみて。世の中は本当に自由になっているのかってね。昔は臭い人だらけだったけど、今、体臭に満ち満ちて歩いてたら、ちょっとした騒動じゃない。
　過去になかったのに、たった半世紀ちょっとで、社会的に正しいと言う事が身について、そしてそれを守らせることに自主的に参加している。国家が強制してもいないのに、国家や社会にとって便利な結果となっているよね。

　うーん、もっと最近の事を考えよう。
　携帯電話を持てる自由って言えば、自由が広がったように思えるけど、いつでも時間的に拘束されるようになった。
　それが今度はスマホだよ？　やれることが増えたという事は、やらなきゃいけない事が増えたようなもの。
　そうやって、人は生産性をギリギリまで追い詰めるようになってしまったわ。
　しかも、当時は必要のなかったそういうものに対する出費まで増えちゃってさ。

　それもこれも、不幸である事に対する恐怖に駆り立てられている。一般的でなければ不幸であるってね。
　私としては、そういうのを利用するのが仕事なんだけどね。

　確かに、色んな面で自由になった物事は多いけど、それだけ見て、世の中の動きが、全て制限から自由に進んでいるって考えるのはちょっと危険じゃないかしら。あくまで、市井の人を貫くならね。
　私はその原理を利用する側の人間になりたいかな。

　こういう話を聞いて、本当に独裁者だったんだなと、少し怖くなった。