0031 稜邦中学校と転生者の歴史や概要

ページ名:0031 稜邦中学校と転生者の歴史や概要

 稜邦中学校は、多くの意味で特殊な学校だ。
 以下抜粋。


 転生者と呼ばれる特殊能力を持つ人物が集い、中学生という体裁を保つために学校を運営している。
 世界に陰ながら影響を及ぼしていながら、目立った行動は何一つ起こさないでいる。
 創立して百四十年近い。正確な年号が分からないのは、彼女らの活動について正確な史料がないからである。
 1870年代後期から1880年代初頭に四人の転生者が現われ、いかなる交渉、或いは脅迫によるものか、成山町(当時は成瀬村)北部の広い敷地を得て、共同生活のための施設を建設するに至る。
 敢えて明確な年を見つけるとすると、1899年の高等女学校令の公布後、稜邦高等女学校として開校した事になっている。
 このとき既に政府から特別な扱いを受けていた模様である。文部省、内務省、陸海軍から人員が派遣されている。
 近年に於いても、校長は文科省からの出向者である。

 高等女学校になる前から、政府は転生者への働きかけを行っているが、良い返事はないようだ。
 この立場は、今に至っても同じである。

 戦時中に協力を依頼した事は確かだが、彼女らが戦闘に直接参加したという証拠は見つかっていない。
 当時、一学年で一個師団の働きができるとも言われ、中立を条件に利敵行為をしなかったと言う可能性はある。
 何にしても、当時の史料は殆ど残されていないと考えられる。

 GHQが彼女らのテクノロジーに興味を持っていたのは、ほぼ確実だと言えるが、彼女らが米軍に協力したと言う証拠もない。
 占領下、アメリカ人、イギリス人が教師をしていた事は確かめられているが、年を追うごとにその割合は減っていった。
 我々の調査の範囲では、学校と米国とのパイプは未だ健在ではあるようだ。

 転生者は12歳から15歳を自称するが、年ごとに一年、二年、三年と進級し、翌年は一年生として入学式まで行われる。そのため、便宜上の誕生年が三年ごとに設定される。
 転生者は、平均すると二年に三人のペースで増えているが、ばらつきは大きい。今年あった最新の転生は実に四年ぶりであった。

 転生者は常に何らかの特殊能力があり、多くの場合、格闘戦に非常に長けているか、科学技術の開発に特化している。その他、経済や政治に特化したタイプも確認されているが、具体的事象に関しては、アンタッチャブルな領域となっている。
 これに関連して、能力を活かした仕事に就くことにより、概ね経済的に恵まれている。
 そうした事情により、殆どの生徒は独立した生活を営んでいる。これが対外的にはお嬢様学校の体裁を整える事に資している。

 本校が女子中学である事からも分かるように、男性の転生者は今まで一人も確認されていない。
 勿論、転生者が稜邦中学校周辺に発生する事の、確たる根拠がない以上、別の場所で発生している可能性を否定しない。しかし、現状そのような報告は噂程度でさえも確認されていない。

 成山町の住民は、閉鎖的ではないが、百四十年の蓄積故、本校生徒に対して積極的な関係を持たないように心がけている。
 但し、本校の地元経済に対する影響は決して少なくない為、その関わりは複雑である。

 現在、あらゆる主要国が彼女らへの接触を相互に監視している状態であり、表向きには公式チャンネルによる接触に限定されている。
 公式チャンネルとは、鐵池政治塾と剣菱商事第一部第一課、東谷山家のみである。
 鐵池政治塾に関しては、秘匿事項が多く語ることが出来ない。
 一般的に剣菱商事は、剣菱財閥を発端としているとされるが、剣菱家はほぼ架空の存在であり、中学校の購買部門である中功商会の傘下にあると言ってよい。
 また、地元の東谷山家も新政地所(旧:東谷山新政商店)のオーナーであり、学校の土地は新政地所からの永久貸与と言う形になっている。学校と浅からぬ関係であるのは間違いない。

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