0029 ナオが綾夏の秘書になった顛末

ページ名:0029 ナオが綾夏の秘書になった顛末

 当校は、フロント企業と形容すると、流石に綾夏に怒られるが、実質フロント企業みたいな性格の企業を有している。
 学校の存続のために、やや法に抵触するような仕事をする会社もあれば、純粋に学校が生み出す"価値"を"地獄のルール"に則った方法で社会に還元する企業もある。

「あのね、お宅ね、社長でしょ? 従業人だって十人や二十人じゃないでしょ? なんで、そんなにマイクロマネジメントしたがるの?
 経営者なんだから、管理なんかせずに経営しなさい。
 そんなにマネジメントしたいなら、もう一度課長クラスをやればいいじゃない」
 綾夏が説教しているのは、学校の支配下にある、さる企業のトップである。
 ボイスチェンジャーで声を変えて、説教をしているのだ。

 誤解を恐れず言えば、社員がサボっていても、利益が出る仕組みを作るのが経営者の仕事だ。勿論、本当にサボっている従業員がいるなら、その社員を減らせば、その分利益が出る。だが、それはもうマネジメントの問題である。
 プログラマがCPUの配線一つ一つに口を出す必要はないし、地質学者が岩石を構成する物質の反応機構を詳らかにする必要はない。
 サボる社員を監視する仕組みのために、全員の効率が一律に落ちるのであれば、サボってる社員の一人や二人を放置しておいたほうが、全体としてはマシである。それに、そういう社員が本当にダメな人間であるなら、自ずと成果に繋がってくるわけで、そうなった時に自然退場して貰うのがあるべき姿である。本来の成果主義は、サボる社員をあぶり出す為に、雑務を増やして評価する事ではなく、現実に成果を出さない人間を退場させる事である。
 経営者の個人的な道徳観に叶う人間を見つける事ではない。
 自分の良心を発揮させたいなら、自分が何処かで稼いだ金でボランティアをするべきなのだ。
 他罰的な経営者という奴は、大抵、その影響力を人に対して行使したいだけの人間なのだ。純粋に経営を楽しめる人間以外は、普通に会社の駒になってる方が、自分も他人も幸せであるとさえ言える。

 部屋は購買部のある建物の一角。普通の事務机と普通の椅子。部屋には小さな絵画が飾ってあり、それと花瓶に花が生けてある以外は飾り気がなかった。
「取締役会に根回ししますか?」
 "美人秘書"の一之沢が語りかける。
「チャンスはあげないと」
 綾夏は、椅子に座ったまま伸びをした。
「甘いですね。そのうち、寝首搔かれますよ」
 すらりとして、高級なスーツを着こなしている彼女は、過去の傷を引きずっていた。
「人間不信だねぇ」
「裏切られて、殺されかけもしたら、嫌でもこうなりますよ」
 それを聞いて、綾夏は口元を隠しながら含み笑いをした。


 一之沢ナオは、かつて、一流商社に勤めていた。
 都心のかなり重厚な高層ビルに通うだけで、自分は特別な人間だと思うことが出来た。
「自分は天才だと思ってましたね。何やっても上手くいく。思った通りに事が進むってね」
 実際、予算が五百億円を超えるまでジェットコースターのような営業をしていた。

 陥穽は、二千億円クラスのプロジェクトを任されたところにあった。
「自惚れもあったから、敵も多かったね。小娘がナニ大きな顔しているんだってね」
 プロジェクトに絡み、事業部長が不正会計をしていたのを察知した。
「気付いた時は、本当に悔しかった。いざという時は、この私も捨て駒の一つなのかってね」
 同期に、凄く使えないクセに、さる銀行のエライさんの御子息と言うだけで、会社に居場所のある男がいた事を思い出す。
「あの頃、妙に勝ち誇った顔してたんだよね……今思い出しても、殴ってやりたくなる」

 一人で戦うことを決意したその日、怪しい男と接触する。
「甲弩先生、自己紹介で社会科教師だって言うから、本当に笑っちゃったよ。あんな口の上手い中学校の教員がいるかってね」
 彼は、口車に乗せるのが実に上手かった。
 乗せられたナオは、あらゆる証拠を、彼の言うとおりに集めた。
 どういう方法で手に入れたのか、役員クラスのアカウントとパスコードを教えてくれたり、そのアクセスログの消し方まで指南してくれた。
「彼女は間違いなく、スパイの素質があるよ」
 甲弩は、ナオをそう評価している。

「結論から言えば、私って、大きな手の上で踊らされていただけなんだけどね」
 プロジェクトの成否は、綾夏の息の掛かった会社の利害に直結する問題であった。
 綾夏は、甲弩や荒事担当の生徒を使って、一之沢を内部告発者に仕立て上げた訳である。
「まさか殺すオプションもあるとは思わなかったよ」
 陰ながら警護していた友加里は笑い事のように話す。
 これに対して、ナオは学校側の人間に対する疑いを捨て切れていないらしい。
「命の恩人だから、差し引きゼロと思ってる」
 と言うナオは、やはり根に持っているようである。

「これからどうする? 子会社に出向してそこそこの給料で、おもんない仕事したい?」
「悪意しかない……給料と、面白い仕事の保証があるなら、中学生だろうと、異世界人だろうと雇われてもいいけど」
 登場した中学生相手に、勝ち気で語るナオ。だが、綾夏も引くことを知らない。ナメられたら殺すと言う世界だ。
「仕事が面白いかどうかは、貴方が決める事だしね。給料は今の倍出してもいい」
「正気?」
 商社で鳴らした腕であるが、しかし、それでも自分は若輩者だという意識もあったのだ。
「貴方なら、それぐらい働けるでしょう?」
「働く量を決めるのは貴方じゃない?」
 常に評価に晒されていた数年を思う。
「あら、思ってたよりも総合商社ってナメてるのね? 何処まで働くか決めるのは自分でしょう? 私は成果さえ出して貰えれば、仕事中昼寝しててもいいと思うんだけど」
「ポテンシャルのある舞台を用意できる自信があるみたいに言うじゃない」
「私を誰だと思ってるの?」
「私からしたら、生意気なガキだけど?」
「じゃぁ、そのガキが何を拾ってくるか、賭けをしない? 不満があるなら、配下の商社で課長級のポストを約束しましょう。大丈夫、年商4兆円はくだらないところだよ。勿論、新しい身分も与えるから、出世を阻むものはない。
 ポストなりの退職金の用意するから、そこでも面白くないなら、さっさと見限って損はないのだけど」
 綾夏が、相手が飲みそうなギリギリの条件での妥結を求めず、一気に進める所まで話を進めてしまうのは、そういう姑息なことが通用する相手ではないと見込んだからである。
「ガキの大風呂敷じゃあるまいし」
「明日学校に来てくれるなら、雇用契約者を二通用意しておく。これでも信じないなら……その時は、縁がないと諦めるわ」

 ナオは一通目の書類にサインし、そして、一ヶ月後に二通目の書類にサインする事はなかった。
 その一ヶ月、どんな仕事をさせられたかは、また別の話である。

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