0016 俊子が楓に謝りに行く

ページ名:0016 俊子が楓に謝りに行く

 喫茶店に勤め始めて、不快なことはクラスメートの冷やかしと、なんとも俗物的な店主とのぎこちない会話ぐらいか。
 可愛い衣装も悪くない。クリーニング代は店主持ちだし、着替えの制服は違うデザインで用意されていた――と言うか、誰の所為か知らないが種類は増え続けている。

 冷静に考えると怖いことだが、バイタリティとか潜在的体力とかそういうものは十四歳の少女なので、割と無尽蔵に思えるほど働ける。
 他に仕事がないからというのもあるけれど、予定が入らなければ、週五日仕事に出ているのだ。開店前に来て学校が始まれば学校に行き、学校が終われば店に出る。土曜日は出て、"中学生だから遊びたいでしょう"と言う理由で日曜日はお休み。月曜日は店の定休日だ。
 転生前の自分なら、学校の後の仕事など考えたくもないだろう。

 今日も今日とて、店に出る。
 すると、見慣れない中学生が来ていた。制服は近所の公立中学である。
 水を置いて、「ご注文はお決まりですか?」と言うと、もじもじしているので何かと思ったが、「どうかしました?」と割と冷たい口調で聞いてみると「こちらに来ると、山の学校の生徒に逢えると聞きまして」なんて言われてしまった。
「私がそうだけど?」

 他の客は、大体コーヒー一杯でのうのうと過ごしているので、構わず向かい側に座った。
「楓って人知ってますか?」
 あの人がそもそも人なのか狐なのかと言う問題はさておき、知らないとは言えないだろう。
「信じられないと思いますけど、私、あの人の子孫です」
 これは驚いた。この非現実的な話を、学校外で聞くとは思わなかった。
 しかし、どうだろう。昔からあの姿で変わっていないとして、たかだか十三、四歳かそこらの年齢――楓の見た目的にはもう少し若いのだけど――子作りしたロリコンがいると言う事で、ちょっと、これは一大事件ではないかと思った。
 そんな表情を読まれたのか、この少女にぴしゃりと言われた。
「あ、今、ちょっと気持ち悪いとか思いませんでした?」
「すみません……」
 素直に謝ると、「いいですよ、もう百三十年ぐらい前の話ですし」と作り笑いをした。
「マジかよ……」
「貴方本当に、あの学校の生徒なんですか?」
「日が浅いので……」
 この子の緊張が解けるのが早いか、やや高圧的な印象を受けた。
「それで、そのご先祖様に何か用があるんですか?」
「それが……」
 再び緊張モードに戻ったのだ。
 まどろっこしいが、少しずつ話をかみ砕くと、"先日割と酷いことを言ってしまったので、代わりに謝ってくれ"と言う事らしい。
「それなら尚更本人の前で謝った方がいいですよ? 行きにくいなら私がついていきますし」
 と言うのが、あまりにも常識的な解答である。
 彼女は少し残念な顔をして、もういいやと言う雰囲気になった。
「ちょっと考えてみてくださいよ。自分が同じ立場だったらどう思います? 面倒くさいことは、面倒くさいまま放置していると、もっと面倒くさくなりますよ? 悪くなると分かっている事は必ず悪くなるんです。良くなると分かっている事が頻繁にキャンセルになるのと同じぐらいの頻度で起こりますよ。放置していて良くなるなんて希望は捨てるんです」
「だからこうしてお願いしてるんじゃないですか?」
 うんざりした顔をしているが、私は一歩も引くつもりはない。
「あなたがもう三十か四十かの人間なら、まぁ面倒くさいから引き受けてもいいですけどね、まだ中学生でしょう? それなら絶対やった方がいい。大したことないって分かるから。
 このチャンスを逃すと、次、また同じような場面になったとき、もっと謝りづらくなるよ。そうして、謝れない大人になってしまうんだから。
 謝ったら死ぬ病ってのは、こうやって生まれるモノなの。
 だから、絶対に謝りに行った方がいい」
「あのおばあちゃんも、もっと真面目に説教してくれる人だったらよかったのに……」
 彼女は観念したような顔をしていた。

 店長に早上がりする許可を得ると、制服に着替えて表に出る。
「本当に生徒だったんですね」
 決断の緊張と、不決断の弛緩でぎこちない顔になっている彼女に私は笑いかける。
「ただの耳年増だと思ってたんですか?」

「そういえば、名前聞いてませんでしたね?」
 私の名前は名札に書いてあったので名乗らないでいたら、「東谷山俊子です。俊子でいいです。ちさとさんは本名ですか?」と変な尋ねられ方をした。これには笑う。
「源氏名使うような仕事じゃないから!」

「それにしても、なんで態々私なんかに? だって、校門の前にいれば誰か通りかかるでしょう?」
「あ、校門の前で様子を伺っていると、必ず職質受けるんです。それがこの街のルールですので」
 なんだ、その狂ったルールは……と思ったが、中学校の前をうろうろしていたら普通職質案件だな。多分、理由は別だろうけど。

 そんな話をしていると、楓たちの家はすぐだ。
「なんじゃ?」
 インターホンから若干不機嫌で、そして若干柿臭そうな楓の声が聞こえた。
「また飲んでいるんですか……貴方の可愛い子孫が謝りに来てるんですよ」
「お、おう」
 煮え切らない返事に「勝手に上がりますよ」と答えて、俊子の手を引っ張っていった。
 玄関に到達すると楓がもじもじしていた。
 こんな雰囲気の彼女を見るのは初めてだ。

 すすっと現われた羊子が耳打ちをする。
「楓さん、子孫相手だとデレるんです」
 なんか、途端に面倒くさい気分になった。

 二人を玄関に放置し、羊子の招きで奥へ行く。
「何飲む?」と冷蔵庫まで連れて行かれて、そして先の一件から投げやりになった私は、調子に乗ってトラピストビールを選んだりした。
「まぁ、ほかっておけば分かるから」
 羊子とななみと一緒にカウチポテト族になりながらその時を待っていた。

「だ、か、ら、あ、な、た、は!」
 俊子の大声が聞こえる。
「何も分かってない!」
 何かが破局したのは分かる。
「あー! クソ! だから、ここに来るの嫌だったんだよー!」

 楓がとぼとぼ戻ってくる。
「それで謝ってもらったんですか?」
「一応な」
 ななみが放り投げたビールをぱっとキャッチすると、吹き出すのも構わず缶を開けた。
「掃除よろしくねー」

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