パンノ二ア定住当時のマジャル人

ページ名:パンノ二ア定住当時のマジャル人

 【質問】
 パンノ二ア定住当時のマジャル人が,コーカソイドだったのかモンゴロイドだったのか,その中間ないし混血だったのかは,当時のマジャル人の骨格や(頭髪や骨から採取される)DNAで判らないのでしょうか?

【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋 : 世界史板,2001/10/31
青文字:加筆改修部分

 【回答】
 DNA鑑定は今では多分やっているのでしょうねぇ.
 僕の留学していた時代には,専ら当時の墓から出てきた骨格の形質人類学的評価しかありませんでしたが....

 僕が習った範囲では(今は変わっている可能性もありますが)マジャル族の墳墓を調べた結果では,高貴な人々の骨はシノイド(sinoid) で,平民の骨格はエウロポイド (europoid) だったそうです.
 つまり,支配階級がモンゴロイド(それも漢民族に近い)で,住民の多数派は(すでに当時においてさえ)白人だったようです.

 ユーラシア大陸の人種分布を見ると,単純化して言えば,東に行けば行くほど黄色人種度が増し,西に行けば行くほど白人種度が増しています.
 この人種の遺伝子の大海は余りにも広大なために,民族移動があっても,マクロ的に見ると,その地域の人種の遺伝子に呑み込まれてしまっているようです.
 ですから,ウラルの辺りからハンガリー人の先祖が西方に移動を始めた時には,ハンガリーに入ってから初めて白人化したのではなく,その時その時に滞在していた地域の人種に同化しつつ移動していったと考えた方がいいかもしれませんね.
 マクロ的に民族移動のアニメを作ってイメージ化してみると,人種というハードはそのまま,その人種のハードの上を言語というソフトだけが滑って移動していると見たほうが,実態に合っているのではないかと考えています.

しい坊 : 世界史板,2001/10/31 & 11/03
青文字:加筆改修部分


 

 【質問】
 ありがとうございます.
 平民は先住のスラヴ人に限らず,マジャル人を含めてですよね?

【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋 : 世界史板,2001/11/01
青文字:加筆改修部分

 【回答】
 ...と言うか,この墓の発掘の場合はマジャル人の墓のみのことだと思います.
 つまりマジャル人の平民 (?) の人種構成です.
 先住民族のスラブ人とマジャル人の場合は,集落とか副葬品等から区別できるはずですから.
(もっとも考古学も僕の専門ではありませんので,記憶違いという可能性もありえますが.)

 ハンガリー人の場合は最初から騎馬民族としてカルパチア盆地に侵入してきたということがわかっているために,民族史観としてもハンガリー人の先住性を主張する必要もなく(cf. ルーマニア人のダキア=ローマ史観),民族的利害が関っていないこともあり,ハンガリーの考古学は比較的客観的だと考えてもいいと思います.
 実力的にも敦煌発掘のシュテイン・アウレール(サー・オーレル・スタイン卿)やチベット潜入のセーケイ人,ケーレシュ=チョマ・シャーンドル(アレクサンダー・チョマ)等を輩出しているわけですから....

 なお,カルパチア盆地に征服定住したマジャル人の人口と,すでにカルパチア盆地に定住していたスラヴ人の人口に関しても諸説あります.
 僕の記憶では征服定住したハンガリー人の数は13万人~30万人程度だったようで,当時はカルパチア盆地には専ら(どこの国家にも所属しない)スラブ人(の農民と牧畜民)が居住していたものの,その人口は意外と少なかったのではないかと想像されております.
 何しろ後からやってきたマジャル人がスラヴ語化されずに,先住民たちがハンガリー語化されてしまったこともありますし....

 ちなみに,謎と言えば,19世紀末はまだペシュト・ブダの住民の圧倒的多数はドイツ人で,ドイツ語が母語だったのに,20世紀になるとドイツ語を母語とするブダペストの住民はほとんど消滅してしまっていたことです.
 ドイツ人の方が先進民族ですから,通常は彼らがハンガリー人に同化するとは考えにくいのですが,約半世紀程の極めて短い間に言語的にはドイツ語を母語とする住民は(ブダペストにおいては)全く消えてしまっています.

しい坊 : 世界史板,2001/11/02
青文字:加筆改修部分