マジャル人のカルパチア山脈越え

ページ名:マジャル人のカルパチア山脈越え

 【質問】
   マジャル人のカルパチア山脈越えについて教えてください.

 【回答】
 9世紀初めにはマジャル人 magyarok は,ドニエストル川とドニエプル川とに挟まれた,エテルケズと呼ばれる土地に住んでいた.
 このころ彼らは7つの部族から成っており,その連合体は宗教指導者(ケンデ)と軍事指導者(ジュラ)によって率いられていた.
 9世紀終わりごろ,彼らはエテルケズから移動して,カルパチア山脈を2~3箇所で越え,カルパチア盆地に入った.
 そのとき彼らを率いていたのがケンデのクルサーン Kurszán (???~904)とジュラのアールパード Árpád (850/855~907)だった.
 彼らははじめティサ川左岸のトランシルヴァニア地方に拠点を置いたが,後にブダ周辺に拠点を移し,ニェーク,メジェル,キュルト・ジャルマト,タリャーン,イェーネ,ケール,ケスィの7つの部族の内,そのうち有力な5部族がブダペシュトに定住した.

 そして,彼らがこの地を征服したとされている895年がハンガリー建国の年となっているが,実はあまり根拠のない数字らしい.
 というのもこれは,1880年代にハンガリー建国千年祭が準備される中で決定されたものだからだ.
 まあ,紀元節のようなものであろう.

 その7つの部族長の中に「タシュ」という名も見えるのだが,編者は浅学にして他の部族長の名前を全て調べ出すことはかなわなかった.

 【参考ページ】
南塚信吾『図説 ハンガリーの歴史』(河出書房新社,2012), p.7-10
http://hexagon.inri.client.jp/floora4F_ha/a4fha402.html
http://www.szagami.com/topics/history.htm

 

【ぐんじさんぎょう】,2016/05/05 20:00
を加筆改修

 7人の族長名は諸説ありまして・・年代記によって書かれている名前が異なるのです.
https://en.wikipedia.org/wiki/Seven_chieftains_of_the_Magyars

 ブダペストの英雄広場の像はアノニムスのゲスタ・ウンガロルムに登場する7人が基本のようですが,アールモシュ(Álmos)が息子のアールパード(Árpád)になっています.
 他の6人は以下のとおり.
 フーバ(Huba).・ タシュ(Tas)・エロード(Elod)・コンド(Kond)・オンド(ond)・テーテーニ(Tétény)

ギシュクラ in mixi,2016年04月24日

▼ なお,アールパードにより率いられ,カルパチア盆地に征服定住したマジャル人たちは,7つの部族からの連合体だったと言われていますが,実際にはマジャル人以外の部族も含まれていたようです.

しい坊 : 世界史板,2001/11/03
青文字:加筆改修部分