ハンガリー建国1000周年

ページ名:ハンガリー建国1000周年

 【質問】

 西暦2000年はハンガリー建国1000周年?

 【回答】
 正確には,“ハンガリー建国”一千周年ではなく,“ハンガリー王国成立”一千周年ですね.

 西洋社会では「王」(rex) という称号は勝手に名乗れず,ローマ法王からその称号を授けられる必要があるわけです.
(だから,ヨーロッパには未だに君主国なのに王国ではなく大公国とか公国とかがあるわけですね.
 歴史的な日本語の用法に従えば,これらはすべて「王」となります).

 で,ハンガリー公国のイシュトヴァーン公(イシュトヴァーン,すなわちラテン名ステパノは霊名であり,本名はヴァイクと称した)が,めでたくローマ法王から王冠を授けられて,教会法上めでたく「王国」に格上げされたイシュトヴァーン公の戴冠式が行われたのが,(第一千年紀である)9世紀の紀元1000年12月25日の水曜日(長保2年11月21日)または(第二千年紀である)10世紀の紀元1001年1月1日の水曜日(長保2年11月28日)だったわけです.
(要するに1週間しか違わないのですが,世紀としては1世紀,千年紀としては1千年紀の差になるわけです (^^;)).
 だから正確には“王制一千周年”なのかな?

 で,日本の外務省なんかは1995年にハンガリーで“征服定住 (honfogalalás) 一千百年祭”を祝ったのを「ハンガリー建国一千百年祭」と訳してしまったものだから,2000年になってまたまた「ハンガリー建国一千年祭」となって(しかも百年も若くなってしまっている!)困ったわけです.
 実際にはハンガリー人は紀元895年以前からカルパチア盆地(領土が現在のように3分の1になる以前の歴史的ハンガリー)に侵入を始めていたらしく,最初のハンガリー人がカルパチア盆地に登場した年については諸説があり,ラースロー・ジュラなどという考古学者は,騎馬民族のフン族が建国したフンニア王国滅亡後,ハンガリー人の征服定住以前に,ここにアヴァリア王国を建国したやはり騎馬民族のアヴァル人も,ハンガリー人と同系のマジャル人であったのではないかという“二重征服定住説”を唱えています.

 とりあえず,紀元895年から1920年のトリアノン条約までのハンガリーの領土(カルパチア盆地全域)を“歴史的ハンガリー”と呼びます.

しい坊 : 世界史板,2001/09/27
青文字:加筆改修部分