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テンプレート:記事名の制約テンプレート:JIS2004出﨑 統(でざき おさむ、1943年11月18日 - )は、日本のアニメ監督、演出家、脚本家。東京都品川区生まれ。別名に「崎枕」「さきまくら」「斉九洋」「松戸完」「矢吹徹」「多井雲」「松戸館」など。『あんなぷる』所属。
アニメ監督、演出家の出﨑哲は実兄。
テレビアニメの草創期より制作現場に入り、26歳で『あしたのジョー』の監督格に抜擢。『エースをねらえ!』『はじめ人間ギャートルズ』『ベルサイユのばら』など、1970年代の名作テレビアニメの数々が代表作にあげられるが、60歳を過ぎてからも現役監督として新作を世に送り出し続けている。
「出﨑調」などと呼ばれる、止め絵や、フラッシュバックなどを多用した独特の劇画調、大胆な原作の解釈・再構成による演出で知られる。また原作にないオリジナルストーリーを多く入れることでも知られる。一方で、『家なき子』『雪の女王』などに見られる繊細な人間心理の描写に定評があり、こうした高い演出力や構成力などで手がけている作品の殆んどがマンガや小説を原作としたものにもかかわらず「原作ものでありながら原作と同様の面白さ、時には原作を上回る」という高い評価を得ている事から宮崎駿や富野由悠季同様にアニメ界の巨匠の一人とされている。
監督としての意思を貫くため、監督する作品のほとんどでは大半の話数の絵コンテを自ら手がけている。これは、作品における絵コンテの重要性を、他の監督以上に考えているためである、と本人は語っている。当初、漫画家志望であったことも影響している。また自身が監督した作品は押井守、庵野秀明、細田守、白倉伸一郎、金子修介、石井克人といった多くのクリエイターに影響を与えている。特に『エースをねらえ! 劇場版』は、押井がそのビデオを何度も何度も繰り返し見ることによって演出方法などを研究し「アニメを映画にする方法を学んだ」といい、石井は自身のベスト1の映画と語っている。また石井は1999年の「キネマ旬報」の「特別企画・映画人が選んだオールタイム日本映画ベスト100」の中で、「今世紀最高の映像作家は出﨑氏だと言い切れる」とも発言している。細田はこの映画が公開された1979年(富野由悠季の『機動戦士ガンダム』の放送開始や宮崎駿の『ルパン三世 カリオストロの城』の公開などがあった)について「アニメはこの年に作られたものだけを見てればいいんじゃないか」という発言をしている。白倉は同作品について「一時期『劇場版エースをねらえ!』を見まくってたんですよ。何回も見てるのに見終えたらもの凄く励まされるというか、ホント何度も見てんのに(笑)」と言い、またスタジオジブリの代表取締役である鈴木敏夫もこの作品を高く評価しており、彼が「アニメージュ」の編集長だったころに宮崎駿と高畑勲の作品ばかり特集してしまってその他の作品が二の次になってしまったことを反省し、周囲の反対を押しきって1987年1月号にこの作品を大特集した。お笑い芸人の伊集院光は好きなアニメ作品に『ガンバの冒険』、『元祖天才バカボン』、『あしたのジョー2』を挙げている。彼は特に『ガンバの冒険』を絶賛しており、DVDで全話一気に鑑賞した後に見た夢で「夢にノロイがでてきてマジで怖かった」と話すほど同作に思い入れがあると発言。後にこれらの作品がすべて出﨑が関係した事を知り出崎の演出などの努力を絶賛している。
相性がいいのか、代表作に挙げられるものには杉野昭夫がキャラクターデザインを務める作品が多い。それ以外の場合でも『ガンバの冒険』や『元祖天才バカボン』や『ルパン三世_バイバイ・リバティー・危機一発!』など、評価の高い作品がないわけではないが、アニメファンの間では「出崎作品の作画といえば杉野」というイメージが強い。なお絵コンテなどから、「本人はさほど絵がうまいわけではない」と思われがちだが、絵の巧さで虫プロのアニメーター採用試験(応募500人中、採用は3人)を突破しており、絵もかなり巧い。また『あしたのジョー』14話では自ら原画も描いている。
時としては小動物のキャラが主役のアニメも担当する。
少年期よりの漫画好き、映画好きが高じ、東京都立北園高等学校在学中の1959年頃より貸本漫画家としてデビュー。しかし本人曰く「一応プロのつもりだったが挫折」し、一旦漫画から足を洗って1962年に同校を卒業すると東芝に就職した。
ところが翌1963年、正月から放送開始した初の本格的テレビアニメ『鉄腕アトム』に刺激を受け、東芝を退社して虫プロダクションに入社。アトムの作画スタッフを経て、やがて演出を任されるようになる。
のちに杉井ギサブローの設立した株式会社アートフレッシュに兄の出﨑哲とともに参加、その後1968年にはフリーに。この間も虫プロ作品の演出のほか、漫画の才を生かして『悟空の大冒険』の漫画版の連載を漫画雑誌「COM」にて務めたりもした。
1970年、『あしたのジョー』で初めてチーフ・ディレクターを務める。1972年、マッドハウスの設立に参加。1980年10月、長年コンビを組む杉野昭夫らとあんなぷるを設立。1980年代半ばには日米合作アニメの制作にも携わった。1997年には、杉野との共著を原作とする完全オリジナル作『白鯨伝説』をアニメ化した。2000年代には『AIR』や『CLANNAD』などの所謂ギャルゲー作品の映画版監督なども務めている。
出﨑が編み出した演出手法は後のアニメ作品にも多大な影響を与えた。以下その一例を紹介する。
止め絵手書き風の陰影をつけた絵を動かさない(もしくはパンニング)ショットで、その風景を印象づける手法。元は予算面から総作画枚数に制約を受けた状況下で動きを強調する演出手法として編み出されたが、あえて動きのあるシーンでも用いることもある。回想シーンや、決めシーン、CM前などでよく使われる。アニメ業界用語でハーモニーと呼ばれ(アニメファンの間では「(画面が)ほとばしる」とも呼ばれる)、デジタルアニメが主流になった今でも根強く使われている手法である。画面分割映画などでも用いられる手法で、画面を上下、左右などに分割し、2名以上の登場人物の表情を同時に映し出す。陰影ほかのアニメーションでも人物や物体の描画には明部と暗部で色を塗り分けることはあるが、出﨑の場合は暗部に特に暗い色を用いて陰影を強調することが多い。透過光セル撮影時に、光を線状、帯状、円状などで表現する手法。透過光を強調した上で、一部分をセルが見えなくなるほど暗くすることも多い(セル現像で用いる手法のため、本来デジタルアニメでは原理的に出来ないが、擬似的に再現している)。血や吐瀉物も透過光で表現される(グロテスクさを抑えるため)。これについては、ファンは親しみを込めてネタにしている。中には視聴者の配慮のためにこれを真似るアニメーターもいる。マルチのピン送り撮影台を段状に据え、焦点をずらして撮影することで画面に奥行きを持たせる。現在は一般的に用いられる手法だが、出﨑が導入した当初は撮影監督などから苦情が絶えなかったという。入射光画面に光が差し込んだように見せる手法。映画『イージー・ライダー』にヒントを得て導入された。繰り返しショット観客に印象付けたい重要なショットを繰り返し挿入する。止め絵の応用基本的には止め絵と一緒だが違うところはキャラクターの目や口を微妙に動かす部分である。テンプレート:Anime-people-stub
es:Osamu Dezakiit:Osamu Dezaki
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