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やましろ しんご 山城 新伍 | |||||
本名 | 渡辺 安治 わたなべ やすじ | ||||
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生年月日 | 1938年11月10日(84歳) | ||||
出生地 | 日本の旗 日本・京都府京都市 | ||||
職業 | 俳優 | ||||
ジャンル | 映画、テレビドラマ、CM、映画評論 | ||||
活動期間 | 1957年 - 現在 | ||||
配偶者 | なし | ||||
公式サイト | (株)オフィス・タッチ 山城新伍プロフィール | ||||
主な作品 | |||||
映画:仁義なき戦いシリーズ、不良番長シリーズ、桃太郎侍、白馬童子 | |||||
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山城 新伍(やましろ しんご、1938年11月10日 - )は、京都府京都市出身の俳優、映画評論家、映画監督、タレント。本名:渡辺 安治(わたなべやすじ)。 血液型O型。京都府立山城高等学校卒業。父は医師で母は看護師。女優の花園ひろみは元夫人で、女優の南夕花は長女。
東映 → 沢井プロダクション → (株)サイプロダクション → (株)プロダクションノータイトル → (株)オフィス・タッチ
時代劇スターにあこがれエキストラをやる。東映ニューフェイス第4期でデビュー。 同期には曽根晴美、室田日出男、佐久間良子、花園ひろみ、山口洋子など。テレビドラマ「白馬童子」で子供たちの人気者となる。子供向けの時代劇だったが、都会的で端正な顔立ちのスマートな青年で、白馬に跨り忍者のような白装束の衣装が似合い、立ち回りの切れもよかったため大人にも大人気を博した。
当時は映画の全盛期であり、テレビは黎明期だったので映画会社はテレビを軽視し、ドラマには無名の俳優ばかりが出演していたが、東映の俳優による公開野球大会が行われたとき無名若手俳優の山城新伍が登場すると並居る大スター以上の拍手が客席から沸き起こり、映画会社は初めてテレビの影響力の大きさを認識し、テレビを脅威と感じるようになった。また当時映画監督や俳優にはテレビの仕事をする監督や役者は二流だという認識があったので、嫉妬からいわれのないイジメを数知れず受け、長年俳優として低迷することとなった。映画では脇役が多かった。
60年代に入ると黒澤明や勝新太郎の座頭市などの影のあるリアルな時代劇に人気が集まり、脳天気な白塗りの東映時代劇の人気がなくなった。 このころから若手監督の深作欣二と交友を深め二枚目からアクの強い個性派にイメージチェンジを図り、東映ヤクザ映画で再び頭角を現すようになった。 そのジャンルを選ばぬ姿勢を評して「ミスター・プログラムピクチャー」と呼ばれた。その後活躍の舞台をテレビに移し、その辛らつでいながら温かみのある語り口からバラエティ番組でもいかんなくその個性を発揮し、機転の良さとコメディー・センスと関西弁の話術で、司会やパネラーとして活躍し、2時間ドラマでは主演作を多く持った。
1970年代初期、3年ほど干されていた時期があるが、吉田豪によるインタビューによると「海外で銃を買って帰ったため」だという。
本人はテレビ出身のコンプレックスが強く、映画への想いは熱い。俳優・タレント活動以外にも、映画評論、映画監督もこなしている。監督としては、にっかつロマンポルノのヒット作『女猫』(めねこ)、『双子座の女』のほか、『せんせい』、『やくざ道入門』、『本日またまた休診なり』、『ファミリー』といった作品がある。
若山富三郎に気に入られ、その影響を受けて、俳優仲間、特に映画『仁義なき戦い』での共演者を中心に面倒見のいいところがあり、仲間たちのバラエティ進出をフォローしていた向きがある。認めないうちは非常に厳しいが、いったん認めると重用するところがある。
また映画評論では、1979年10月から2002年3月までサンテレビで放送された『火曜洋画劇場』で司会をし、低予算のためB級映画が放送されることが多かったが、そんな中でも「アクションはC級で・・・」など歯に衣着せぬも映画愛にあふれる言葉で映画の批評を行っていた。
プロ野球は阪神タイガースのファンであり、かつては年1回サンテレビのプロ野球中継『サンテレビボックス席』にゲストとして呼ばれていた。
浜村淳、元阪神タイガース監督吉田義男は高校の先輩、釜本邦茂、毎日放送アナウンサー野村啓司は高校の後輩である。高校では、ラグビー部に入っていた。
元夫人の花園ひろみと車で湖に突っ込み、「結婚してくれないとこのまま死ぬ!」と迫った話はテレビで何度も言っている。それだけ花園を深く愛し、それに自信を持っているが、女性関係にゆるい部分もあり、花園とは結婚と離婚を2回ずつしている。「僕の家族は山城教だ」と家族の結束に強い自信を持っていたが、娘から女性誌を介して絶縁状を突きつけられたことがある。
1990年代まではテレビ番組の司会やクイズ番組のパネラーとして活躍し、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』で共演した逸見政孝とは、同じ関西出身であった事や番組出演がきっかけで親友となり、彼の葬儀では「春になったら一緒に憎まれ口を叩きながら(『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』の特番での)司会をやりたかったのに、残念なものだ」と弔辞を読み涙した。また日曜19時枠で『クイズ・マネーイズマネー』の司会を務め、同番組が終了して暫く経った後、当時裏番組であった『クイズ!!ひらめきパスワード』で2代目司会を務めるという珍現象もあった。
かつて島田紳助とは『新伍&紳助のあぶない話』で共に司会を務め、バラエティ番組で共演するほど仲が良かったが、後に関係が悪化する。その後は2002年10月の『開運!なんでも鑑定団』で共演している。
超C調なバカキャラ(『不良番長』シリーズなど)から無口で職人肌の男(『付き馬屋おえん』など)まで、演じる役の幅は広く、どの役でも圧倒的な存在感を見せている。
2005年12月25日、『いつみても波瀾万丈』(日本テレビ系)に出演。糖尿病を患っていたことを告白。また、鶴田浩二、若山富三郎、菅原文太、里見浩太朗、逸見政孝とのエピソードについて語った。糖尿病を患ってからは痩せ、テレビ番組の露出を控えている。
2006年某週刊誌のインタビューを受け、風貌は頬はこけ、髪は白く薄くなり、まるで別人のような風貌であった。周りからは心身ともに心配されているという。事実、自分の力だけでは階段を上れないほどであるという。また週刊女性によると「食べこぼし徘徊の日々」のタイトルで深夜に徘徊して自動販売機に大声で話しかけているという記事が掲載された。この記事に対し山城自身がテレビに出演し否定をした。
2007年5月6日、朝日新聞日曜版で写真入りで近況が伝えられる。糖尿病はコントロールできているとのことで、容色もふっくらとして良さそうで、現場復帰への意欲を述べていた。医師をしていた父も重度の糖尿病で亡くなったとのことで、糖尿病は「遺伝」だとコメントしている。
関西弁(時おり標準語になることもある)で物事をはっきりとテレビでも言う性格で知られているため、敵対する者も多く、やしきたかじんは「山城は嫌いや」と言って憚らない(以前『新伍のわがまま大好き』などでも共演していた)。山城自身は彼を評価しており、『たかじんnoばぁー』の出演を熱望したが、しばらく断られていた(後に共演するが、その後も「俺は好きになれん」と言われていた)。某有名女性フリーアナウンサー(現在は引退)には強硬に肉体関係を迫ったため、番組内で共演した時も露骨に嫌な顔をされていた。
(『古畑任三郎』に出演し、三谷も山城の回のエンディングは敬意を払ったもので、相互の評価は悪いものではなかったが、NHK大河ドラマ『新選組!』については時代劇俳優として決定的に受け入れられるものではなかった。また、この発言のときは映画の完成発表のときでもあり、彼一流のアドバルーンであった側面もある)
芸能の歴史と部落差別問題について詳しく、著作もある。
その後も同居していたが、2001年以降は一人暮らし。
現在は自宅療養中であり、2007年夏以降に復帰という方向で動いているらしいが詳細は不明。
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