大野裕

ページ名:大野裕

2004年6月から雅子夫人の適応障害治療を担当している、元慶応大学保健管理センター教授(~2011年5月)にして国立精神・神経医療研究センター認知行動療法センター所長(2011年6月~)である大野裕(ゆたか)氏のこと。
雅子夫人とのべったり度合いから、スレ住民からは「せんせぇ」といった表現をされることも多い。創価学会を支持母体とする公明新聞 2009/9/24で取り上げられており、せんべい疑惑も根強い。

参照:【東宮職医師団】、【医師団見解】、【携帯電話

目次

大野裕と出会う前の雅子[]

雅子夫人が引きこもり祭祀公務拒否状態になってからの治療状況については、皇室医務主管からろくな発表もされない、「東宮職医師団」という謎の団体名が出されるだけで長いこと詳細不明であった。そこからスレでは「医師団ひとり]」や「名もなき医師団」といった表現も生まれていた。大野医師と出会う以前の雅子は、医師とのコミュニケーションもままならず、処方されたアメリカの薬に不信感を抱き、なんとアメリカ大使館にまで電話するという、ホンモノのお気違いぶりを発揮していたとのこと。

『週刊新潮』2007年1月4・11日新年特大号<特集かくも色濃い「皇室の憂愁」>記事
pp.30-31より引用
 その後、同年夏に大野裕・慶応大学教授が、雅子妃の主治医となり、
「それまでは、雅子妃ご自身が医師を探し、コミュニケーションがうまくはかれなくなれば、相談をやめてしまう、というようなことが続いていました。医師から処方されたアメリカの薬に不信感を抱き、アメリカ大使館に自ら電話を入れて効能を聞くということもあったそうです。しかし、大野教授が主治医になってからは、そういうこともなくなり、大野教授が“適応障害”と診断し、雅子妃と大野教授の意向によって、06年の8月にはオランダ静養も敢行されました。この直前、7月に那須での静養がありましたが、那須から帰京した際、オランダ静養を許可してもらったことに対するお礼も兼ねて挨拶に行かれればよかったと思いますが、ご夫妻はそれもされなかった。両陛下は寂しかったと思いますよ」(宮内庁関係者)


雅子実妹・池田礼子夫妻と「皇室のラスプーチン」大野裕の関係、2006年8月オランダ静養[]

大野裕・慶応大学医学部教授を雅子に紹介したのは礼節姉妹の片割れ池田礼子であるとのこと。礼子の夫・祐久氏はNYで弁護士をしていた時期に大野氏と親しくなり、礼子が大野氏を雅子に紹介する形で2004年6月からの治療が始まったと、『週刊新潮』2006年8月17・24日夏季特大号記事になり、新潮同号で大野氏は「皇室のラスプーチン」といった表現まで冠されている。

大野医師が雅子の主治医になってからはよほど相性が良かったようであるが、当初は完全に名前を伏せた形。そこから約2年が経過した2006年7月28日オランダ静養出発に当たってついに雅子主治医としてこの大野氏の名が明らかにされた。

ttp://www.sankei.co.jp/news/060728/sha048.htm
雅子さま治療兼ね、皇太子ご一家がオランダでご静養へ
 皇太子ご一家が雅子さまの治療を兼ね、8月17日から31日までオランダで静養されることが28日午前の閣議で報告された。
 ご一家は17日に民間機で出発し、同日アムステルダム経由でアペルドールン市に到着。29日まで同地の離宮に滞在される。ご一家を招待したベアトリックス女王、アレキサンダー皇太子らと懇談、30日にアムステルダムをたち、31日に帰国される。
 随員は11人で、平成16年6月から雅子さまの治療を担当している大野裕・慶応大保健管理センター教授も同行する。
 アペルドールンは、アムステルダムの東約80キロにある市で、人口約16万人。天皇、皇后両陛下も平成12年5月に訪問されている。
(07/28 10:40)
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060728-00000039-kyodo-soci
8月17日から静養 皇太子家のオランダ日程
皇太子ご一家のオランダでの静養の日程が、8月17日から31日までと決まり、28日の閣議で報告された。
宮内庁東宮職によると、皇太子ご一家は8月17日に民間機で成田を出発、オランダのアムステルダムを経て、車で東部のアペルドールン市に入る。同市内のオランダ王室の関連施設に滞在する。
現地ではオランダのベアトリックス女王など王室関係者との懇談の場もあり、同月30日にアムステルダムを経て31日に成田に帰国する。
また東宮職は、2004年6月から雅子さまの「適応障害」の治療を担当している主治医の慶応大保健管理センターの大野裕教授(精神科)を「現地での治療に役立たせたい」として、同行させることも明らかにした。(共同通信) - 7月28日10時50分更新


オランダ静養旅行に治療のため同行したはずの大野医師だが、皇太子一家滞在先のオランダ王室離宮古城には控えず、末綱東宮侍従長を含む11名の随行員と皇宮警察官は全員近接するホテルに滞在、大野医師も土日はラフな恰好でロビーなどでリラックスしていたとのこと。そしてオランダ静養を最後まで見届けることなく氏は途中で「治療の目処がついた」と帰国してしまう。実はこのオランダ行きの前から大野医師については三重県四日市市で講演予定が入っており、所謂ダブルブッキング状態が講演先HPで明らかになっていて「この講演どうするんだ??」と多くのスレ住民が疑問に思っていたのだが、あっさり帰国という形でそのダブルブッキングは解消された。
「治療の目処がついた」からこそあっさりオランダから帰国したはずの大野医師であるが、その治療の成果はというと、相変わらずの引きこもり祭祀公務拒否状態に変化がない。せいぜいが10月26-27日京都奈良一泊公務が実現したぐらいだが、ほとんど観光旅行とでもいうレベルである。勤労奉仕団へのご会釈も2007年1月12日に一度だけ実現したが、それは直前にドイツ訪問可能性があるかも!という報道があったタイミングで、それ以降は欠席に戻っている。

2006年8月東宮一家のオランダ静養に同行した大野裕、同月26日に三重県四日市市での講演ダブルブッキング[]

Part562-360 名前:可愛い奥様 :2006/08/04(金) 22:43:26 ID:FEGMhB5w
石段のO野さん、8月26日に三重県で講演予定。
最近うpされているんだけれどねえ。まさか、名義貸しして
実際は同行せず、静養延長の許可だけだすってか?

ttp://www.pref.mie.jp/TOPICS/2006080035.htm (注:Webarchive記録にリンクします)


Part599-30可愛い奥様sage :2006/08/31(木) 13:45:52 ID:ter0yvgl
>>20 ▲ 東宮静養内容

23日 東宮職より発表(以下現地時間)
    18日 馬車庫での様子が報道陣に公開。
    19日~21日 ヘット・アウデ・ロー城内や付近で静養。
         散策・堀のカモに餌を与える・乗馬・サイクリング、愛子はフラフープ。
    22日午前 夫妻でアペルドールンに隣接の「ロイヤルフォレスト」と呼ばれる
         王室所有の広大な森林を車や徒歩で散策。
    22日午後 一家でアペルドールン市の南約30キロのアーネム市の「ブルヘルス動物園」を来訪

http://www.pref.mie.jp/TOPICS/2006080035.htm (注:Webarchive記録にリンクします)
http://www.city.yokkaichi.mie.jp/koho/200607/2nd/life_mini_01.htm (注:Webarchive記録にリンクします)
h ttp://www.pref.mie.jp/TOPICS/200608003510.pdf(ポスター) (注:現在内容削除済み)
    26日 15:00~17:00(日本時間) 四日市市総合会館8階視聴覚室
         こころのバリアフリー研修会(無料) 内容/あなたもわたしも、もしかして「うつ」?

30日 野村一成東宮大夫の記者会見
    23日 滞在のヘット・アウデ・ロー城に、小和田夫妻、スイス在住・渋谷節子夫妻招き夕食。
    24日 一家で動物園へ 
    25日 マウリッツハウス美術館を訪問、ベアトリックス女王と夫妻で絵画鑑賞
         夫妻でハーグの国際司法裁判所/平和急見学
         その間愛子は小和田夫妻宅で過ごす
         夫妻で小和田宅訪問
    28日 ベアトリックス女王主催夕食会。アレキサンダー皇太子一家、ベルギー/フィリップ皇太子一家、
         ルクセンブルク/アンリ大公夫妻、東宮一家
    31日 午後帰国

『週刊新潮』2006年8月17・24日夏季特大号<「雅子さま」を陰で操る「皇室のラスプーチン」──「突然のオランダ静養」「御所と小和田家にできた壁」すべてはこの医師が「元凶」だった!>堀端七海署名記事[]

『週刊新潮』2006年8月17・24日夏季特大号pp.28-32より全文引用
 雅子妃のオランダ静養は、突然、決まった。それがどういう経緯で決定されたのかは一切、明かされていないが、一人の精神科医の名前が浮上した。この人物が、雅子妃の行動に大きな影響を与えている。宮中の意思決定の慣例を度外視して、小和田ファミリーと精神科医がことを進めていく。皇室のラスプーチン――。異例ずくめの静養の内幕を暴く。
 
 「そういえば」と、宮内庁OBは、2年前に辞めた「平成の魔女」の話を引き合いに出す。両陛下のそばには、侍医や看護師のほかに専任の薬剤師もいる。その女性薬剤師は20年以上仕え、侍医もこの人を通さないと薬の在り処さえも分からなかった。宮内庁病院から「御所で必要」と勝手に薬を持ち出すなど、周囲の評判は芳しくなかったものの、両陛下の信任は篤かったという。果物などをブレンドした特製のジュースを両陛下のために調合していたが、そのレシピは誰にも見せなかった。定年は60歳だが、特例として1年延長になった時、周囲からも不満の声も漏れたが、「ご意向」が尊重された。薬剤師の部屋は、薬品のビンや調合器具、フラスコのような容器などが雑然と置かれ、さながら魔法の薬を調合する、中世の「魔女の部屋」を髣髴させるものだったという。このOBは、
「宮内庁の事務方は、医者や薬剤師などの専門家に対して、意見を差し挟めない。皇室の方に信頼されている人なら、尚更ですよ。こうしたテクノクラートの独走るを抑えるために、セカンドオピニオンの体制を作るとか、人事権を使って人を周到に配置するとかの配慮が必要ではないか」
 と体験を踏まえて語るのである。
 ロシア革命のきっかけを作ったと言われるラスプーチン。この怪僧は皇太子の病を祈祷で治し、ニコライ二世の信任を得て、宮廷内で権勢を振るい、そこから皇室崩壊が始まったと言われる。側近による独断専行は時に体制を危うくする。
            *                  *
 ヘット・アウデ・ロー。(補足:2006年)8月17日から31日までのオランダ静養で皇太子一家が滞在する館の名だ。首都アムステルダムの東方約80キロ、車で約90分の人口約16万人の町アペルドールンにある。緑が多く、「町全体が公演のよう」と形容され、オランダ王室と深い関わりがあるヘット・ロー宮殿があることから
「ロイヤル・シティ」とも言われる。
 館はこの宮殿に隣接している。14世紀の建物を改造したもので、中世のお城の面影を残しており、水堀がめぐらされている。ベアトリックス女王のロッジとして、秋の狩猟シーズンには鹿狩りのために数回使われるほか、周囲から完全に遮断されているので、賓客の静養を兼ねた宿泊によく利用される。天皇陛下が皇太子時代の79年と、00年の公式訪問の際にはご夫妻で逗留され、堀には天皇陛下が寄贈したコイが放たれており、皇室とも縁がある場所だ。
 今回の雅子妃の滞在では、プライバシーが保たれる静かな環境での静養ということで、お付きの人数も「絞った」(宮内庁)という。飛行機はファーストクラスを利用されるが、お手元金と言われる「内廷費」から出され、末綱隆東宮侍従長、侍従、女官ら職員の分は宮内庁経費となる。それに、今回こうした職員のほか、二人の民間人が随行する。一人はヘアドレッサーの女性。両陛下の海外訪問などにもこうした係の民間女性は同行するので、特別のことではない。だが、もう一人、付け加えられた名前を見て、「えっ、と驚きました」と宮内庁詰め記者は語るのである。

主治医は「認知療法」の権威
 静養とはいえ、一家の海外訪問は閣議に報告される。閣議報告前日の(補足:2006年)7月27日、宮内庁で野村一成東宮大夫による事前レクチャーが行われた。そこで配られた海外渡航に伴う人事発令のペーパーに、その名前は記されていた。「大野裕」。「適応障害」の雅子妃殿下の主治医の名前である。
「二重の意味で驚きだった」
 とその時居合わせた例の記者が解説する。一つは、主治医の精神科医が海外まで同行することの意味についてだ。回復基調にあるとされる妃殿下だが、医者の付き添いが必要なほど病状は良くないのか、という疑念とともに、「静養」と言いながら実態は「治療」ではないのかということだ。さらにもう一つの驚きは、
「実は記者の間では、主治医が大野裕慶応大学教授であることは知られていましたが、林田英樹前東宮大夫は公式には一切認めず、常に東宮職医師団という匿名で押し通した。この期に及んで、なぜ公文書に名前を入れたのかということでした」(同)
 ベテラン記者からすかさずこうした点への質問が出たが、野村大夫、「えー、うー」と数十秒も言葉を失い、「医師団が環境を変えることが治療に役立つ、という見解を出していましたから」と的外れの答え方をするなど、答えに窮した感じだったという。
「適応障害」と初めて病名が公表された04年7月末、さらに昨年(補足:2005年)12月の妃殿下誕生日に発表された文書はいずれも「東宮職医師団」の見解とされ、大野教授の名は一切出ていない。小西富夫東宮侍医長は外科が専門で、他の侍医にも精神科医はいない。そのため、侍医長たる小西氏であっても、発表のタイミング、表現などについての意見は述べるが、大野教授の「見解」に口出しは出来ないという。そこに雅子妃の治療をめぐる問題がある。
 彼は一体、どんな人物なのか。現職は慶応大学保健管理センター教授で三田や日吉などの同大キャンパスで教職員や学生の心のケアを担当している。愛媛県出身の56歳。慶大医学部卒業後、米国コーネル大、ペンシルバニア大学に留学。その際に、うつ病治療法の「認知療法」創始者のペンシルバニア大精神科、アーロン・T・ベック教授に学び、日本に同療法を紹介、日本認知療法学会設立の立役者となった。慶応大学医学部関係者はこう語る。
「非常に評判が良い先生ですよ。精神を病むと、医師を前に泣き出す人が多いのですが、先生は、黙ってすっとティッシュを差し出してくれる。話をよく聞いてくれて、ああしろこうしとと指示することもない」
 患者からの信頼も厚く、夜の10時、11時に電話しても必ず相談に乗ってくれるという。学内新聞で趣味の欄に「妻と映画鑑賞」と書くほどの愛妻家で、
「雅子さまの主治医をしていることは口外しませんし、ましてや自慢するようなこともまったくありません」(同)
 ここでポイントとなるのが「認知療法」だ。雅子妃が、どのような治療を受けているのかは一切明らかにされていないのである。
 精神科医の町田静夫氏によれば、
「認知療法は、米国のうつ病治療では当たり前の治療法になっています。うつ病患者特有の『認知のゆがみ』を、カウンセリングを通じて突き止め、排除していく治療法です」
「認知のゆがみ」というのは、オール・オア・ナッシングの考え方や、自分を卑小化し、一つの思考パターンに捉われてしまい、現実が見えなくなってしまう、あるいは、わずかな失敗で自分はダメな人間と思い込み、ますます落ち込み、現実から極度にかけ離れて悲観的になってしまう――。このように現実から乖離した考えのことを言うのだそうだ。その「ゆがみ」を突き止める方法は、患者と医師とが仮説を設定し、会話を通じて「自分のこと、ダメだと思っているけど、違うんだよね」などと話を進め、原因を追究していくのだという。
 大野教授を知る同じ精神科系の研究者は、
「うつ病患者に対してズバッと診断し、薬をすぐ処方する医師が多いが、大野先生は全く逆で、患者の話を実に根気よく聞きます。その間に患者の性格的特徴を的確につかむんです。また患者が先生と話しているうちに患者自らが自分の考えの間違いに気付く、という具合に患者コントロールが非常に巧みです」
 と、大野教授のカウンセリング能力を高く評価する。
 そうした有能な医師の氏名をことさら隠しておくことにどんな意味があるのか。これまで皇室の医療スタッフについては、昭和天皇の病気の時も、今上陛下の前立腺がんの手術に際しても、さらには秋篠宮紀子妃の懐妊でも、いずれも主治医の名前は公表され、本人の記者会見も行われた。

東宮職の独断専行
 宮内庁詰め記者は語る。
「公人中の公人である天皇陛下はじめ皇族方のお体を、どこの誰が見守り、どんな症状で、どんな治療をしているかを、プライバシーに触れない範囲で主治医が発表することは優れて公に属することですよ。国民は誰がどんな治療をしているかを知ることによって安心する。東宮妃のケースはこうした前例を全くないがしろにしています」
 担当記者は、これまで再三、主治医の会見を求めてきたが、黙殺されたという。
 治療や病状の情報が少ないだけに、雅子妃殿下のディズニーランド上野動物園訪問などがことさら取り上げられ、「遊びは出来るのに公務はなぜ出来ないのか」「我儘だ」などといった批判も逆に出ている状態だ。
 そもそも、何故、大野教授が主治医に選ばれたのか、その経緯すら発表されていない。宮内庁幹部でさえ、「大野医師がなぜ東宮妃の主治医になったか、良く分かりません」という有様である。
 宮内庁には、皇室の医事全体を統括する皇室医務主管がいる。現在、そのポストには、金澤一郎国立精神・神経センター総長が4年前から就任している。皇后陛下が93年に言葉が出なくなった時の主治医で、心療内科の権威である。医療テクノクラートとしての発言は、宮内庁長官といえども一目置かざるを得ないだけに、人事なども含め結果的に主管の権限も強まる。しかしその金澤主管でさえ、「大野医師の東宮妃主治医就任」のプロセスでは蚊帳の外だった。
 それが、今回の取材で、大野教授が就任した経緯がほぼ判明した。主治医となったのは、04年6月である。雅子妃殿下が帯状疱疹で公務を休む、と宮内庁が発表したのは、その半年前の03年12月12日。当時の林田英樹東宮大夫は、「十分に体調が回復されるまで、ご公務を取り止められる」と説明、その期間を「来年(補足:2004年)の春ごろまで」とした。当然医者の診断と見通しに基づいた発言だ。しかし、妃殿下は一向に回復の兆しはなく、年が明けた3月25日から、愛子さま、母親の小和田優美子さんとともに長野県・軽井沢の小和田家の別荘に1カ月籠った。東宮職関係者は「その前後が、妃殿下の病状は最悪だった」と語るが、回復時期の見立ては全く間違っていた。当時の担当医が処方する外国製の精神安定剤などについて、妃殿下自ら製造国の在日本大使館に薬の効能を確認するよう求めるほど、治療に当たった当時の主治医に対し不信感を露にする異常事態が続いていたという。
 そんな最中に現れたのが大野教授だった。大野教授の知人が打ち明ける。
「大野先生は、妃殿下の妹・礼子さんのご主人と親しい関係です。ご主人が米国ニューヨーク市で弁護士をしていた時に知り合ったそうです。それで大野教授と同じ慶応出身の礼子さんが、妃殿下に紹介した」
 別の知人は、こう話す。
「ある日、大野先生のもとに東宮職から会いたい旨の電話があったそうです。2回ほど東宮御所で妃殿下と面談し、その後、大野先生に直接、雅子さまから主治医をお願いしたいという電話があって決まったようです」
 妃殿下にとってはまさに「ホワイト・ナイト」に映ったのかもしれない。これまで皇室の典医と言えば、明治以降、東京帝大―東大医学部出身者のみが名を連ね、不文律のようになっていた。それが私大出の医師が選ばれたことは、皇室の医療体制の転換点といえる。なにしろ、こんな見方もある。前出の町田医師は話す。
「東大の精神療法はそれほを評価されていない。臨床は東大では無理と言われています。その点、慶応は臨床に関しては評価が高い。エスカレーターで大学まで上がるので、医学部もおおらかな雰囲気があり、そうした人間関係が治療にも影響しているかもしれません。ガリ勉タイプは、精神科医には向かないんです」
 主治医の決定過程に長官はじめ金澤医務主管ら宮内庁中枢は関わっておらず、いわば小和田ファミリーの推薦で決まった形だ。こうした東宮職の独断専行は主治医選びだけに留まらない。実は、今回のオランダ行きに関しても、
「事前に経緯も含めて、御所のお耳には達していなかったようですよ」
 と、御所詰めの職員は打ち明けるのだ。
「天皇皇后両陛下は、ご一家のオランダ行きには驚かれたようですが、主治医が判断し、治療のプラスになるならと……。賛成とか、反対ということではなく、ただ静かに受け止められたということであったと思います」
 両陛下も、突然の決定に戸惑われた感じだったというのである。
 ベアトリックス女王からの招待は、約1年前に外交ルートを通じて、東宮職に直接届けられていた。
「女王も、王配殿下(夫君)がかつてうつ病にかかったことで、その種の病気に対する大変さをご存じで、皇太子さまや雅子さまへの気配りがあったのではないでしょうか」
 と宮内庁関係者は推測するのだが、両陛下が親密な女王に相談した形跡は全くなかった。野村東宮大夫は、
「(オランダにいる妃殿下の両親の)小和田ご夫妻のことと今回の女王陛下のご招待は全く関係ありませんから」
 と、やけに強く否定していたという。しかし、今年4月に就任した野村東宮大夫は外務省OBで、かつて雅子妃殿下の父・小和田恒氏がソ連の日本大使館で一等書記官を務めていた頃に、三等書記官として仕えたことがあり、極めて近い関係にある。主治医の選定といい、オランダでの静養といい、小和田ファミリーの主導でことが進められているとの推測は十分成り立つだろう。確かに何故オランダか、ということはハッキリしないが、皇太子一家が滞在中に小和田夫妻と会うことだけは間違いない。

衰退する菊栄親睦会
 昭和時代の皇室を知る宮内庁関係者は心配する。
「天皇陛下が東宮ご一家の海外訪問のような重要なことで、事前に相談を受けなかったなどということは、かつては考えられなかった。陛下は皇室の家長というお立場でしょう。皇室のご意思決定のプロセスが歪んできている」
 妃殿下は、大野教授に直接、携帯電話をかけて相談することがよくあるという。「医師と患者」の信頼関係は十分あるようだ。ただ、雅子妃の立場に対する配慮も必要ではないかとの声もある。宮内庁関係者は、
「医者が患者本位に治療を行うのは当然。ただ、皇太子妃というお立場があり、皇室の様々なしがらみも理解したうえでしてもらわねば困る。皇室の何たるかを十分知り尽くしているとは言えない。いわば皇室の素人が、オーソライズされていない立場で、主治医とはいえ妃殿下、さらには東宮全体の行動を左右するような振る舞いはいかがなものかと思う」
 と、テクノクラートの独走を憂える。ことに、今回のご静養では、皇太子殿下も2週間にわたって同行する。天皇代行でもある皇太子が、それだけの期間、国を空けることに問題はないのだろうか。しかし、そうした議論もなされず、オランダ滞在は一気に決められたのである。
 これに対して、本誌は大野教授に反論を聞こうとインタビューを申し込んだが、
「医師としての専門的治療などへの影響を考慮し、私がマスコミに直接に対応することは控えさせていただきます」と書いた断りの文書をファクシミリで送ってきた。情報公開が一切されない中、治療という大義名分があるにせよ、主治医の助言が優先されて、雅子妃の行動が決められることに問題はないのか。
 旧皇族らが名を連ねる菊栄親睦会のメンバーの一人は、
「昭和天皇がご訪問されたとき、お車にビンを投げつけて手荒い歓迎をした国になぜわざわざ行かれるのか、わからない」
 と、憮然として言う。
 ここに一枚の写真がある。昭和天皇、香淳皇后を最前列に、若き日の両陛下はじめ各皇族方も含め100人近くの集合写真だ。関係者は、
「これは昭和47年の菊栄親睦会の集まりです。皇族も元皇族も親戚ですから、和やかに歓談しました。でも今はね……」
 と言葉を濁すのだ。今年も7月11日に同会が開かれたが、出席者はこの4分の1に過ぎなかったという。
 この関係者は変容ぶりを嘆いて言う。
小和田ご夫妻は外国にいることもあり、欠席もありますが、秋篠宮妃紀子さまのご両親はこうした席にはよくお顔を出されますね。天皇家と血縁のある旧皇族や元皇族とは違う立場の方のほうが、最近はご熱心のようです。この写真には皇后さまのお父上の正田英三郎さんが写っていないんです。皇太子妃の父親という立場を常に意識してしゃしゃり出ることはしなかった。立派なお方でした。いずれにしても菊栄親睦会に出席できる方が着実に減って、会自体が衰退していることは事実です」
 紀子さまのご出産はもう間もなくだが、仮に男児誕生ということになれば、さらにご実家の川嶋家の存在は大きなものになっていくだろう。小和田家と川嶋家――。天皇家の人々の外国訪問そのものが国家的行事を受け止められた時期もあったが、いまや皇室においても一般庶民と同じように気軽に外国滞在する時代を迎えている。その善し悪しはおくとして、この三十数年間の菊栄親睦会の変遷を見ると、皇室が確実に変質してきていることを実感する。

『AERA』2007年4月9日号<信頼厚いホームドクターとの閉じた世界 雅子さまと主治医>記事[]

pp.26-28より全文引用
 天皇皇后両陛下と秋篠宮ご一家は3月末、相次いで栃木県の御料牧場へ到着。微笑みながら土地の人たちにこたえる姿が一斉に報じられた。皇太子ご一家の姿はそこにはなかったが、
「雅子さまはとてもお元気そうで安心しました。吹雪のなかでも満面の笑みを浮かべ楽しそうでした」
 3月16日から20日まで長野県内のスキー場に滞在した皇太子ご一家を目撃したスキー客は語る。17日のことで、耳がちぎれそうなほど気温が下がり、大半のスキーヤーが引き揚げてしまった午後3時ごろ、皇太子ご夫妻がゲレンデに。入念にストレッチをした後、ご夫妻は上級者用コースにつながる高速リフトに乗り、愛子さまはキッズゲレンデで、バランスをとったり転んだりの練習をしていたという。

頻出する「お医者様
 宮内庁の野村一成東宮大夫も23日の会見で、「担当医」が静養後にカウンセリングした結果として、
「2年前のスキー静養では長距離の移動でご静養先で体調を大きく崩されたが、今回はさほど疲れは出ず、2年前より体力もつき自信を深められたのでは」
 との見解を示したと述べた。このように野村大夫や前任の林田英樹大夫が雅子さまの静養や公務の出欠について説明する際、必ず引用されてきたのが、「担当医」や「医師団」の言葉である。
 彼らへのご夫妻の信頼がいかに厚いかは、皇太子ご夫妻の「言葉」からもうかがえる。雅子さまは05年の誕生日の感想として「お医者様をはじめ、まわりの方々からのお力添えをいただきながら、少しずつ公務に復帰していけますよう、心身の快復に努めていきたいと存じます」、06年には「お医者様のご指導の下、公務を含め、活動の幅を少しずつ広げてまいることができました」と綴った。皇太子さまも07年の誕生日の会見では雅子さまについて、「お医者様が、個々の活動の後に疲れが残ることがあると指摘」し、「お医者様のご指導の下、公務であるかどうかを問わずに更に活動の幅を広げてい」くことが大切だと述べている。
 では「お医者様」とは誰なのか。宮内庁に今回、取材をしたところ、大野裕・慶応大学保健管理センター教授が雅子さまの担当医であることを認めた。ということは「お医者様」も大野医師を指すと思われる。
 このような回りくどい表現をするのには理由がある。大野医師は04年6月に雅子さまの担当医になり、「適応障害」という診断を下したが当初は名も伏せられ、06年8月の[[オランダ静養|オランダ静養]を前に随行者リストに載るという形で名が明かされて以後も、記者会見を開いたことがない。
 また公の職であれば「東宮職御用掛」を拝命すべきであるがそれもなく、いわば雅子さまのプライベートドクターなのだ。東宮職には侍医長はじめ、外科や内科を専門とする正式な侍医がいるが、いまや雅子さまの「主治医」格だ。

「治療」と「公務」の間で
 就任の経緯については妹の池田礼子さんの紹介と報じられたこともあったが、はっきりしたことは不明だ。東大出身者が占める侍医の中でも慶応大学出身であることは異例といってもよく、さらに陛下や三笠宮寛仁さまのがん、秋篠宮紀子さまの部分前置胎盤を公表してきた皇室としてはその存在が表立たないことも異例といえよう。
 大野医師は、一体どんな人なのだろう。
「いわゆる『権威』を感じさせない人ですね。ユーモアのセンスもお持ちで、話しているだけで気持ちが楽になるような『癒やし系』です。患者さんもうち解けやすいのではないでしょうか」
 と彼を知る医師は言う。
 1950年、愛媛県生まれ。精神医療の新しい流れである「認知療法」の創始者である米国の精神科医アーロン・T・ベック氏に師事し、現在は日本認知療法学会の理事長となっている。著書や講演も数多い。研究だけでなく臨床にも熱心で、患者の相談にも携帯で応じるなどこまめな対応をしているという。
 ただ雅子さまについては、個人の治療を優先させることが、公務の現場に混乱を与えるケースが間々ある。体調の波がある雅子さまが[[ドタキャン|直前に出席を取りやめたり]、逆に急に出席が決まったり。東宮職幹部も記者に変更の理由や出欠の基準を質問され、説明に窮する場面が多いという。
 その最たるものが、05年2月、長野県で行われたスペシャルオリンピック冬季世界大会の出席取りやめだ。決まったのは出発の1時間前。雅子さまの体調が「長距離の移動に耐えられない」との判断を医師が下したからだという。その直前、ご一家は長野県のさらに奥地にある奥志賀高原へスキー静養に出かけている。その「疲れ」もキャンセルの理由になった。
 このような状況をふまえ、大野医師の雅子さまへの関与を厳しく批判するのは、陛下の学友で共同通信の記者として長年にわたり皇室を間近にみてきた橋本明さんだ。

マサコズ・ワールド
 大野医師は05年12月に「東宮職医師団の見解」という文書を発表しているが、その中で「今後の公務は、育児など家庭で果たす役割や、ライフワークになる活動、研究とバランスをとり、選べるよう、東宮職で検討してほしい」とした。さらに「妃殿下は、皇族としてのご自分の役割や皇室の将来を真剣に考えていらっしゃいます」ともあった。「注文をつけたり、気持ちを代弁したり、医師の領域を超え東宮侍従の領域に踏み込んでいる」というのだ。
「本来、天皇家の医師は金澤一郎・皇室医務主管が統括し、情報を共有しなければならないのに、大野医師の情報が全く入らない。少なくとも『見解』が発表された時点で、金澤・皇室医務主管も羽毛田信吾・宮内庁長官も雅子さまにお目通りさえ許されていなかった。これは大問題です」
 今の状態を岩井克己・朝日新聞編集委員は「文藝春秋」07年3月号で「医師が雅子妃の論理のなかにつかり込んでしまい、いわば『マサコズ・ワールド』の住人になってしまっている」と評した。
 橋本さんはその背景には、雅子さまの性格もあると指摘する。
「これまで東宮大夫はいずれも10年、20年といった長期奉職でしたが、雅子さまの結婚後は現在の野村大夫まで5人を数え、東宮侍従長もひんぱんに代わっている。雅子さまは、人に心を開くことがあまり得意でない一方で、信頼が置けると判断した人にはとことん信をおく。いまは、それが大野医師なのでしょう」
 加えて雅子さまは愛子さまの写真を公開するにあたり、「愛子のプライバシー」を気遣うなど、人権への意識がたかく、それは身体のことも例外ではない。結婚当初は女性の生理的周期を医師に報告することを拒み、結婚して数年たっても子宝に恵まれないことを両陛下が案じても「私たちだけで解決しますから」と距離を置こうとする傾向があったという。
 愛子さまの出産にあたった東京大学の堤治教授ら医師団とはよい関係だったが、堤教授は研究費の不正処理をめぐる問題から宮内庁御用掛を退いてしまう。そんな不幸な経緯もあった。

「産業医」を敬遠し
 雅子さまがどのような治療を受けているかは、カウンセリングと補助的な薬物療法、気分転換といった以上は明かされてはいない。ただ、大野医師の専門分野である認知療法がなされている可能性は高い。「自分はだめだ」「~できない」といった「認知の歪み」を正すことに焦点を絞り、適応障害、うつ病などの症状を改善していく療法だ。この分野に詳しい丹野義彦東京大学教授によればこの療法には
・短期で効果を上げられる
・明確に症状がよくなる
・治療者によるばらつきが少ない
 といった利点がある。初期の段階で綿密な医療計画を立てることが多く、臨床の場では「行動療法」と組み合わせることが多いという。行動療法とは、「~すると落ち込む」という思い込みを正すため、少しずつ段階を踏んで行動実験し、克服していく療法だ。
 静養に入ってから雅子さまが務めてきた美術展や音楽会の鑑賞などの単発的な公務は、行動療法の一環と解釈できるかもしれない。
 雅子さまの静養も4年目に入った。大野医師は05年12月の「見解」の中でアメリカ精神医学会の診断分類の定義を引用し、通常6カ月程度で解決するとされる適応障害も「慢性のストレス因子などが原因となっている場合には長期間続くことがありうる」とし、雅子さまは後者だと推測している。
 が、原宿カウンセリングセンターの臨床心理士・信田さよ子所長は「治療構造」自体に問題があるとみる。精神疾患に苦しむ会社員が会社に情報が漏れるのを恐れて「産業医」を敬遠し、街場のクリニックに駆け込むのに似た構図だというのだ。
「大野医師は医師として、皇太子妃とプライベートの雅子さまを分離して考えているようですが、皇太子という立場上、それでは公務に支障が生じて宮内庁との関係がこじれてしまう。一方雅子さまにとって大野医師は宮内庁からの『駆け込みの場』。二者関係に閉ざされてしまい、あまり望ましくないかたちでバランスがとれてしまっている。それで治療が長期化しているのかもしれません」

大野医師からの返事
 大野医師には同情の声も上がっている。精神科医の春日武彦さんは「彼女ほど難しい患者はいないでしょう」と言う。
「医者が患者に対してイニシアティブを取りにくい。呼び名だって『妃殿下』と呼ばなくてはならないでしょう。患者によっては砕けた言葉遣いで、関係性を築いていく必要があるのに、また彼女にしてみれば、不満や愚痴を言うことに抵抗があるでしょう。誰かに会話を聞かれたりする可能性がゼロとは言い切れませんしね」
 こうした事情を鑑み、
「雅子さまは大野医師に本当に心を許してはいないのではないか。そうでなければ、もっと治療の効果が上がっているはずです」
 と推測するのだ。
 大野医師はこうした意見をどう受け止めているのか。本人に直接取材を申し込んだが、
「医師の立場からは答えかねる」
 との返事だった。

開き直り療法[]

2004年6月から雅子夫人の適応障害治療を担当している大野裕医師のもとで、雅子夫人が実践していると思われる治療法のこと。
大野氏は講演活動やNHKのTV出演、執筆活動など幅広く活躍しているが、その著書に『こころをほぐす小さな「開き直り」術―幸せをつかむ20のヒント』主婦の友社 (2005/06)]というものがある。
「歌会始をサボったその同じ日に皇居で乗馬事件」に代表される同日シリーズ・翌日シリーズのような振る舞いは、恐らく開き直っているからこそできるのだとしか普通の人間には思われず、これは担当医大野氏の提唱しているフレーズにもぴたりと合致している。

地方公務に同行する大野裕[]

朝日新聞ベテラン皇室記者・岩井克己氏からマサコズ・ワールドの住民とまで称される始末で、患者の信頼を獲得しているのは結構なことだが、患者の好きなことをさせるばかりでいつまでたっても現実的な治療につながらないのはいかがなものかというのがスレでの大方の見方である。
講演活動やNHKのTV出演、執筆活動など幅広く活躍している大野氏であるが、その著書に『こころをほぐす小さな「開き直り」術―幸せをつかむ20のヒント』主婦の友社 (2005/06)というものがある。現在の雅子夫人はまさにこの開き直り療法を実践しまくっているのではと考えられている。

2007年6月1-2日の長野県行啓には「雅子さま担当医師」が同行したとマスコミ記事で報じられた。

http://megalodon.jp/?url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070601ic06.htm&date=20070601125938 ttp://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070601ic06.htm
皇太子ご夫妻、「みどりの愛護のつどい」出席のため長野へ](当日魚拓キャッシュ)
 皇太子さまは1日、「全国みどりの愛護のつどい」出席のため、皇太子妃雅子さまと一緒に、JRで長野県に向かわれた。
 ご夫妻はこの日午後に同県安曇野市入りし、2日に国営アルプスあづみの公園で行われるつどいに出席して記念植樹などを行い、同夜、帰京される。雅子さまの担当医師が同行する。
 適応障害で長期静養が続く雅子さまが皇太子さまと一緒に泊まりがけで地方の式典に出席されるのは、2003年11月に静岡県で行われた「全国障害者スポーツ大会」への出席以来3年6か月ぶり、泊まりがけの地方公務としては昨年10月に正倉院展視察で奈良県などを訪問されて以来7か月ぶりとなる。
(2007年6月1日12時38分 読売新聞)
 http://megalodon.jp/?url=http://headlines.yahoo.co.jp/hl%3fa%3d20070601-00000142-jij-soci&date=20070601212333 ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070601-00000142-jij-soci
皇太子ご夫妻、知事から県の概要説明受ける=長野](当日魚拓キャッシュ)
6月1日18時2分配信 時事通信
 「第18回全国『みどりの愛護』のつどい」出席などのため、長野県入りした皇太子ご夫妻は1日午後、宿泊先の安曇野市内のホテルで、村井仁知事から県の概要について説明を受けられた。
 皇太子さまはこの後、同市内にあるジュースなどの飲料工場を視察したが、雅子さまは体調を考慮して欠席した。宮内庁によると、雅子さまはこの間、側近とともにホテルの庭を散策したという。2日午前にはそろって式典に出席する予定。
 雅子さまは東宮侍従を通じ、「『みどりの愛護のつどい』への出席のための地方訪問は久しぶりですが、きょうは道中、多くの方々に温かく迎えていただいたことを大変ありがたく思っております」と感想を寄せた。
 これに先立ち、ご夫妻は午後2時ごろ、JR松本駅から車で宿泊先へ。駅頭では市民ら約900人が日の丸の小旗を振って出迎えた。「雅子さま」と声を上げる女性に、白いスーツ姿の雅子さまは笑顔で手を振って応えた。
最終更新:6月1日20時2分
 http://megalodon.jp/?url=http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/koushitsu/news/20070603k0000m040042000c.html&date=20070603010510 ttp://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/koushitsu/news/20070603k0000m040042000c.html
皇太子ご夫妻:長野・こども病院を視察し帰京](当日魚拓キャッシュ)
 第18回全国「みどりの愛護」のつどい出席のため長野県安曇野市を訪れていた皇太子ご夫妻は2日、式典後、同県立こども病院(宮坂勝之院長)を視察して帰京した。
 ご夫妻は、新生児病棟や、難病などで長期間入院している子供たちの病室を訪ねた。雅子さまは「好きなものは何ですか」「おいくつ」などとやさしく子供たちに話しかけ、いたわった。
 宮内庁によると、雅子さまは徐々に回復しているが、完全に公務に復帰するのには時間がかかるという。今回の長野県訪問では、1日の清涼飲料メーカーの工場視察や、2日の全国「みどりの愛護」のつどい関係者らとの昼食会の出席を見合わせた。また、雅子さまの治療を担当している医師も同行し、体調管理に努めた。
毎日新聞 2007年6月2日 19時44分 (最終更新時間 6月2日 23時33分)


医師の付き添いを必要とする人間が病院視察公務をするのは実にナンセンスであるし(重篤な疾患を抱える子供を専門に扱う当病院における雅子の「おやつ」発言もスレ住民で問題視されている)、「雅子さまはこの(皇太子がジュース工場見学している)間、側近とともにホテルの庭を散策した」という微妙な表現も気にかかるところである。単なる随員・女官となら一緒にいるのが当たり前であり、態々文字化までして報じる価値はゼロだからである。
6月2日午後長野県立こども病院視察においても現場に大野医師が同行し、氏が雅子の後ろから覗き込む動作をしている姿が当日ニュース映像に残されている。

 http://megalodon.jp/?url=http://headlines.yahoo.co.jp/hl%3fa%3d20070603-00000010-maip-soci.view-000&date=20070603103515 ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070603-00000010-maip-soci.view-000
皇太子ご夫妻 長野・こども病院を視察し帰京](翌日魚拓キャッシュ)
6月3日9時45分配信 毎日新聞
長野県立こども病院を視察し、新生児病棟のGCU(継続保育室)で説明を受けられる皇太子ご夫妻=2日午後3時23分(代表撮影)(毎日新聞)
最終更新:6月3日9時45分
 

2007年6月2日大野医師も同行し後ろからしきりと覗き込んでいることが分かる、下段雅子のすぐ左後ろの白髪の男性は村井仁長野県知事


「雅子妃と大野医師の間には誰も入れない」「大野医師の意見には誰も逆らうことができない」といった雑誌続報記事が出てきていることから、大野医師のますますのラスプーチン化と雅子夫人との仲を勘繰られても仕方ない状況が続いているが、『サンデー毎日』2007年7月1日号が≪内幕スクープ雅子さまの「主治医」が詐欺事件で警視庁に聴取されていた!本誌青木英一署名記事≫と、何と北朝鮮NGO詐欺事件をかかわりがあるとまで報じており、男女の仲を勘繰る程度のおちゃらけレベルには到底収まっていないのが大野氏の現在である(後述)。

雅子と大野裕、ほぼ逢引状態そのべったり親密な関係[]

現在静養絶賛続行中である雅子夫人の容態については「東宮職医師団」から文書が発表されているものの、宮内庁からは公式なものとして認められておらず、2009年度分(2010年2月発表)まで当該文書が宮内庁HPに掲載されることもなかった。このような公的には何ら発表もない不明瞭で曖昧な関係を続けていた彼ら(の一方は一応最高の公人たる皇族の一人・皇太子妃である)について、その仲を勘繰り揶揄するスレ住民奥様も少なくなかった。
そんな中、2007年12月に全国誌『週刊新潮』『AERA』が、大野医師について相次いでこんな記事を発表した。

『週刊新潮』2007年12月20日号<雅子さま「主治医説明」を拒むプライバシーの壁> p.31より引用
 周知の通り、雅子さまの治療には、東宮職の医師ではなく、臨床精神医学が専門の大野裕・慶応大学教授が主治医を務めている。
 同教授は、慶大医学部卒後、米国コーネル大学、ペンシルバニア大学に留学。その歳に、うつ病治療法の「認知療法」創始者アーロン・T・ベック教授に師事し、日本に同療法を紹介した。いわば第一人者である。
 05年12月の医師団の見解では、雅子さまの「適応障害」という診断は、アメリカ精神医学会のマニュアルに基づいて行ったことを明らかにした。むろん、「適応障害」と診断したのは大野裕教授である。
「大野さんは、昨年8月のオランダ静養や、今年の長野、徳島訪問にも同行。雅子さまの信頼も厚く、日頃携帯電話で連絡を取り合い、相談を受けています」
 と、宮内庁担当記者。
 東宮職医師団は、雅子さまの治療に関しては、すべて大野教授の指示に従い、公務の出欠の可否を判断するのも同教授である。大野教授が、雅子さまの病状を最もよく知っているわけだ。
 それだけに、宮内庁担当記者が、主治医である大野教授の会見を求めるのも当然である。ところが、
「宮内記者会でも、これまで再三、大野教授の会見を東宮職に要望してきました。今回の誕生日(注:2007/12/9雅子誕生日のこと)でも同様ですが、しかし東宮職からは拒否されました」
 と、先の宮内庁担当記者は言うのである。
『AERAアエラ』2007年12月31日・2008年1月7日合併増大号 <雅子さまへ20の質問状>
具体的に治療をしていますか(質問3、p.24より引用)
 宮内庁関係者は言う。
「雅子さまは夜型。朝7時に散歩に出かける皇太子さまと生活のスタイルが違う。朝食もご一緒ではない日が多いようです」
 愛子さまに幼稚園まで付き添うのは、ほとんど養育係というのが実態のようだ。
 雅子さまの担当医は慶応大学保健管理センターの大野裕教授。週に1度のペースで東宮御所を訪れ、雅子さまと向き合っているとされる。ときには日付が変わるまで話し込む日もあるという
 
悠仁さまのご誕生どう感じていますか(質問14、p.26より引用)
 天皇一家に誕生した41年ぶりの男子・悠仁さま。雅子さまは06年の誕生日の所感でこう述べた。
「愛子にも可愛らしいいとこが新たにできましたこともうれしく、今後のお健やかなご成長を心よりお祈りしております。
 関係者によれば紀子さまの第3子ご懐妊で、雅子さまは心理的に不安定な時期もあった。担当医の大野教授と明け方まで話し合ったこともあったという。
『週刊現代』2008年6月28日号<ご成婚から15年皇太子48歳、雅子さま44歳「それぞれの孤独」>記事 p.30より引用
「雅子妃は、機嫌が悪いと女官が声をかけても、いきなり無言でドアを『バタン!』と閉じて部屋に籠もってしまう。… ・・中略・・
「…また雅子妃は、主治医の大野裕先生(慶応大学教授)を深く信頼しています。大野さんは雅子妃の妹さんの紹介ということもあり、雅子妃が特に心を許している。携帯電話を使って話し込み、さまざまな“人生相談”を持ちかけている。それがときには深夜1時、2時になることもあるんです」(前出・宮内庁関係者)


精神科医と患者が異性である場合、依存心が恋愛感情に発展しやすい傾向が多々あり、その距離を適切に保つのが精神科における治療では必須である。異性の精神科医・その患者が診療時間外で接触を持つのは業界ではタブーであり、携帯電話それも深夜まで個人的に連絡を取り合うという行為は、両者の距離感を大いに誤っている危険性がある。まして「夜型」の不規則な生活リズムを身に付けてしまっている雅子夫人についてはその改善も必要であり、「日付が変わるまで話し込む・明け方まで話し合う」などは全く不適切であるとしか言いようがない。
雅子夫人との不明瞭な関係から、その仲を勘繰る書き込みが絶えなかった大野氏であるが、「日頃携帯電話で連絡を取り合う・日付が変わるまで話し込む・明け方まで話し合う」というマトモな精神科医にあるまじきべったり度合いが記事になってしまったことで、ついに「せんせぇ」という別呼称が定着するに至っている。

参考画像:2007年10月26日 6月の長野県公務に続いて徳島県公務にも大野裕医師が同行この当時にはハートマーク♡まで描き込まれて完全に揶揄されてた状態


「無報酬」で治療していると友納尚子が主張する大野裕、平成21年(2009年)4月21日決算行政監視委員会第一分科会にて風岡典之宮内庁次長が「必要な経費については公費をもって負担をしている」と答弁[]

文藝春秋』2007年10月号では元女湯盗撮カメラマンにしてフリージャーナリストを肩書きとする友納尚子が、なんと大野氏は無報酬でその治療に当たっているという記事を書いている。

文藝春秋』2007年10月号<雅子妃が祭祀に復帰する日>友納尚子

pp.208-209より引用
 雅子妃の治療はご家族と主治医、東宮職の連携で支えられえている。雅子妃のご体調やお気持ちを主治医の大野裕慶大教授(精神科)がお聞きして、医師の立場から判断する。それを東宮職に伝えて余裕をもったスケジュールの組み立てを行う。こうした三位一体は、時にkっ宮内庁のなかで孤立化しているかのように映ることがあるが、まずは雅子妃のご病気を治す体制づくりこそが皇室の将来につながるという信念を、取材の中で感じる。
 宮内記者会はこれまで再三にわたり、主治医の記者会見を求めている。昨年(注:原文では昨年=2006年とあるが、これは一昨年2005年12月9日に発表された文書を指しているのではないかと思われる)、文書では「適応障害」の概要と治療方針について説明されたが、雅子妃の宮中祭祀の欠席や、治療が長引いていることに対して、直接説明をしてほしいという要望である。会見をさせないのは雅子妃の意向ではないかという声すらある。
 実は大野医師は、かつて産婦人科の主治医であった堤治東大教授のように、宮内庁病院や「東宮職御用掛」といった肩書きはなく、無報酬だといわれる。
「大野医師は、最初から肩書きがないことを問題にしていないようです。治療当初、妃殿下は大野医師にも心をひらかれるまで時間がかかったといわれています。閉ざされた心を開いていただくためにも、一人の医師として患者さんを診ているというスタンスが何より必要だったのではないでしょうか」(宮内庁関係者)


当『文藝春秋』は他にもツッコミどころが満載なので、入手できたら是非通しで一読されたい。皇族が宮内庁的肩書きの全く無い個人的つながりのある医師に治療担当させること自体異様であるのみならず、「金さえもらってなけりゃクリーンなんだろ?」と言いたげな「無報酬」主張は、却って大野氏のバックにある胡散臭さを倍増させているだけであろう。
2009年4月の国会・決算行政監視委員会において、津村啓介議員の質問に対し、風岡典之宮内庁次長が「必要な経費については公費をもって負担をしている」とのらりくらり答弁をしている。友納主張が当てにならないことを感じさせる言い回しである。

Part1919-194奥様発掘、衆議院会議録(スクロールして一番下の方)
第171回国会 決算行政監視委員会第一分科会 第2号
平成二十一年四月二十一日(火曜日)  午後二時開議
 
○津村(啓介)分科員 長官、もう結構です。ありがとうございました。
 宮内庁の方にお伺いをいたします。
 関連したような質問なんですけれども、現在、雅子様の治療に当たられている方で大野さんという慶応大学の先生がいらっしゃると思いますが、この方の役割、それから宮内庁における職制上の位置づけについて、そして給与の出どころも含めて教えてください。
○風岡(典之、宮内庁次長)政府参考人 大野医師につきましては、皇太子妃殿下の担当医師として、二〇〇四年六月から、東宮側が委託をするという形で、東宮職の他の医師とともに治療に当たっているところであります。特に公的な肩書を持ってということではありません。必要な経費については公費をもって負担をしている、こういうところであります。
○津村分科員 わかりました。時間もないので、今後の質問にゆだねていきたいと思います。
 もう一つ、一昨年の陛下の御発言を受けて以降も愛子様の参内回数が必ずしもふえていないのではないかという指摘があります。これはふえているんですか、それともふえていないんでしょうか。
○風岡政府参考人 この一年間の愛子内親王殿下の御参内の回数につきましては、内々の御参内というようなものもありますので、具体的な回数については、私どもとしても数字を必ずしも十分につかんでいるところではありません。しかしながら、少なくとも前の一年間と同程度の回数ぐらいは御参内をされているというように理解をしております。
○津村分科員 宮内庁のよくないところだと私は思うんですが、さっきの皇統の問題にしてもこの問題にしても、問題があるということだけ言っておいて、その後それをどう対応したのかということを言わない、あるいは問題が解決されましたよということで国民を安心させない、さんざん不安材料だけは出てきているわけですよ。
 ですから、ここは、ふえたのかふえていないのか。あの御発言があって、普通に考えれば、ではこれからふやしていきましょうという話になるわけですけれども、そうなったのか、なっていないのかをお聞きしています。同じだったということであれば、何にも変わっていないということですね。
○風岡政府参考人 御発言がありました以降、愛子内親王殿下の御参内というものも、いろいろな機会があったと思いますが、数字自身は正確な数字を把握しているわけではありませんけれども、昨年の一年間ということで見ると、それと同程度の御参内があったというふうに私どもとしては承知をしているところであります。
○津村分科員 御発言後ふえたかどうかを端的に聞いているんです。
○風岡政府参考人 先ほども申し上げましたように、御参内については、内々の御参内、そういうものもありますので、私どもが必ずしも……(津村分科員「時間がないので、イエスかノーかで聞いているんです」と呼ぶ)済みません。そういうことがありますので、数字自身を正確に把握しているわけではありませんので、昨年程度のものがあったということで御理解いただきたいと思います。
○津村分科員 余り誠実に答えていただけないので、また次回以降の質問で考えさせていただきます。宮内庁はもう結構です。ありがとうございました。


大野裕と雅子夫人の蜜月の破局?2009年12月雅子誕生日病状見解文書を巡って[]

只の主治医と患者という関係にしては精神医学の常識では考えられない親密接触を持っていた二人であるが、さっぱり好転の兆しを見せない雅子の「病状」について、いつまでも治せない大野医師はヤブだろとか、病状が変わらないならセカンドオピニオンを求めるのが常識ではないかという見方も多かった。
また年々の雅子誕生日に公表される「東宮職医師団見解文書」も相当へんてこりんなもので、まともな医師が作成したとは信じがたいというのがスレ住民奥様方のもっぱらの感想であった(【医師団見解】参照)。

さすがにこのような状況は精神医学界に身を置く大野氏にとって自身の信用問題になると考えたのか、病状見解文書を巡ってどうも雅子と大野医師二人の仲が不穏になりだした動きがあると、『女性セブン』2010年10月7日号<皇太子妃雅子さま・皇太子さまも動かれた主治医と決定的亀裂>に書かれている。

Part1902-446奥様まとめ

2004年6月頃大野氏が雅子サマの私的担当医に。最初の頃は非常に緊密。週に一度は東宮御所で面会、話込んで日付が変わることも。携帯電話でのホットラインもあった。
2009年11月頃詳しい内容を発表したい大野氏と、プライバシーを公開するのは嫌だという雅子サマが対立する。この頃から大野氏の治療をほとんど受けなくなる(文書発表の3か月前から対立と記述)。
東宮職医師団】参照。
2009年12月9日雅子サマ誕生日。意見対立したまま文書作成できず。何度も発表延期。二人が対立したまま、と東宮職員から聞いた徳仁サマが間に入り、一旦和解。
2010年2月5日雅子の誕生日から約3ヶ月遅れで医師団文書発表。だがこの文書発表後、大野の治療を全く受けなくなった。健康状態を数回電話で話した程度。


大野と雅子の不和を“東宮職員から聞いた”徳仁が、それを取り成すという書かれ方までされている。食卓すら共にしない徳仁雅子夫妻が東宮御所内別居状態になっていることを窺わせる一節があることも興味深い。
当女性セブン記事に対しては発売の翌週金曜、野村一成東宮大夫定例会見において否定発表されてはいるが、宮内庁HP「皇室関連報道について」ページでは、徳仁による【賀陽さん】怒鳴りつけ記事と同様、動きが見られないのが現在である。

http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/100925/imp1009250701001-n1.htm
【皇室ウイークリー】(151)愛子さまが運動会練習にご参加 「雅子さまと主治医に亀裂」の真相は…
2010.9.25 07:00
 宮内庁の野村一成東宮大夫は24日の定例記者会見で、皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまが、発熱などで体調不良だった先週までの状態から全快し、10月に学習院初等科(東京都新宿区)で開かれる運動会の練習に「前向きに参加されている」ことを明らかにした。
 宮内庁関係者によると、これに伴って学校にいる時間も長くなり、今週は下校時間が正午を大きく回られたこともあったという。
 同じ会見で野村東宮大夫は、「雅子さまと愛子さま『母子セラピー計画』」と題する週刊文春9月30日号の記事について、「まったくの誤報であり、遺憾だ」とするファクスを22日に編集部に送付したことを明らかにした。
 記事は、雅子さまの主治医・大野裕慶応大教授が、小児科医と連携して母子一体でケアし、「付き添い登校」解消などを目指す新たな計画を始めるとするもの。
野村東宮大夫は大野医師と直接この記事について話し合ったことを明らかにし、記事のような動きは全くないとした。同誌は「取材内容は事実であると確認している」とコメントしている。
 加えて、雅子さまと大野医師の関係に亀裂が入り、最近では順調にカウンセリングが行われていないとする別の週刊誌の記事についても「カウンセリングはしっかり行われている」と否定した。


2010年3月5日に公式発表されてしまった「愛子不登校」問題について、学習院との話し合いに「雅子さまの主治医も大半は出席」しているなる記述があり、当問題も含め、雅子と大野の関係がどのようなものに変化するか注目である。

http://www.toonippo.co.jp/tokushuu/danmen/danmen2010/0723.html
2010年7月23日(金)
■断面2010
愛子さま不登校問題/「良い兆候」も展望見えず
・・前略・・
 東宮職と学習院は定期的に意見交換を継続中だ。雅子さまの主治医も大半は出席。1学期末には皇太子ご夫妻も加わり、東宮御所での自習や夏休みの過ごし方などが話し合われた。「多くの人と触れ合えば、通学にも良い影響が出るはず」(東宮職)と、夏休みは外出友人を呼ぶ機会を増やす予定だ。
・・後略・・
(共同通信社)


大野裕と北朝鮮NGOレインボーブリッジ・ゆかいな仲間たちにまつわる科研費詐欺事件について[]

『サンデー毎日』2007年7月1日号<雅子さまの「主治医」が詐欺事件で警視庁に聴取されていた!(当誌青木英一記者署名記事)>中吊り

中吊り拡大画像赤い部分に「北朝鮮NGO」の文字


まず、一般的な科研費詐欺の手口を解説。
・補助金交付の権限を持つ厚労省技官・中村健二被告と「協力者」である共同研究者と、北朝鮮NGOレインボーブリッジ・小坂博幸被告の不正なやり取り。
→研究者から小坂被告に連絡
→小坂が研究者に架空請求書を送る
→(注:記事に記載はないが、これを基に研究者に国から補助金が支給される)
→研究者が虹橋・小坂の口座に振り込む
→小坂が中村の口座に振り込む。その金は遊興費に。

・騙し取った補助金は3,000万円以上だが、東京地検が起訴事実として認定したのは600万円足らず。
・事件の「協力者」として起訴状に実名で起訴された人は二人いるが、その人たちより一連の不正なやりとりの回数が多かったのは大野裕氏と事件関係者は証言。
・雅子妃の個人的な主治医であり、皇室にかかわっていることで大野裕氏事情聴取の事実が「封印」されたという論調。
・記者が大野氏に取材。警視庁の事情聴取を受けたことは大野氏本人も認めた。
・大野氏の発言「やりとりはありませんし(小坂被告の)関係者とは、会ったことも電話で話したこともありません」「私は全く知らなかったことで、事件になって驚きました」
・大野案件は詐欺50件のうち20件。大野は質問に「記憶にありません」を繰り返す。

起訴されたのは600万円分だけだが、実際騙し取られてるのは3,000万以上で、その半分以上が大野の仕込み(とみられている)的表現。
記事では「協力者」という表現を使っているが、内容はなかなかどうして、主犯格的扱いw
2007年11月14日東京地裁にて、補助金詐取の厚労技官(中村)に実刑、NGO代表(小坂)には猶予付き判決が下されている。

Part909-819・823に関連情報レス番まとめ在り。


ttp://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20070403AT1G0202702042007.html
厚労省技官ら再逮捕、科研費詐取容疑・警視庁
厚生労働省が支給する厚生労働科学研究費補助金(科研費)の詐取事件で、警視庁捜査二課は2日、同費支給対象の別の研究でも約175万円をだまし取ったとして、同省技官で元埼玉県保健医療部長、中村健二(49)、非政府組織(NGO)「レインボーブリッヂ」代表代行、小坂博幸(54)=いずれも詐欺罪で起訴=の両被告を詐欺容疑で再逮捕した。両容疑者は容疑を認めているという。
調べによると、中村容疑者は鹿児島県保健福祉部長だった2001、02年度に「国立精神・神経センター精神保健研究所」(東京都小平市)の所長を主任研究者とし、科研費の支給対象となった「自殺と防止対策の実態に関する研究」に協力者として参加。
小坂容疑者と共謀し、同容疑者が経営する医薬品販売会社「マルクインターナショナル」からコピー用紙を購入したなどと装い、受け取った研究費約270万円のうち余剰金計約175万円をだまし取った疑い。(07:00)

http://www.asahi.com/national/update/0925/TKY200709250431.html(魚拓)
着服金は「第2の財布」 厚労省技官、罪状認める
2007年09月25日23時10分
 厚生労働省の補助金をめぐる詐欺事件の初公判が25日、東京地裁(村上博信裁判長)であり、詐欺などの罪に問われた同省技官中村健二被告(49)=起訴休職中=は交付された補助金の余剰金を返還せずに約590万円をだまし取ったとする起訴事実を認めた。
共犯に問われたNGO「レインボーブリッヂ」代表代行小坂博幸被告(54)も、着服を隠すために架空の領収書を中村被告に渡すなどしたと認めた。
 検察側は冒頭陳述で、中村被告は97年に小坂被告が経営する会社名義で文房具などの架空の領収書などを受け取り、補助金を全額使ったと報告して研究費の一部を着服したと指摘。
その後も自ら研究者となったり知人に研究にかかわってもらったりして繰り返しだまし取ったと説明した。
 被告人質問で中村被告は「第二の財布として部下との飲みや仕事関係のつきあいなど公費の出ない部分に全額を使った。申し訳ないと思っている」と述べた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071114-00000316-yom-soci(魚拓)
補助金詐取の厚労技官に実刑、NGO代表には猶予付き判決
11月14日23時27分配信 読売新聞
 厚生労働省の補助金をだまし取ったとして、詐欺罪などに問われた同省技官、中村健二被告(49)(休職中)ら2人の判決が14日、東京地裁であった。
 村上博信裁判長は、中村被告に懲役2年、共犯のNGO「レインボーブリッヂ」代表代行、小坂博幸被告(54)に懲役1年6月、執行猶予4年をそれぞれ言い渡した。
 判決によると、中村被告らは、2001~04年度に厚労省の補助金対象となった研究で、小坂被告が実質経営する会社から文房具などの備品を購入して研究費を使い切ったように装い、補助金計約590万円をだまし取るなどした。
最終更新:11月14日23時27分

http://www.ncnp.go.jp/nimh/keikaku/report/pdf/jisatsu_13-5.pdf
H13年度(2001年) 自殺防止対策の対象および方法の明確化に関する研究
研究協力者 立森 久照(国立精神・神経センター精神保健研究所)
        竹島 正(国立精神・神経センター精神保健研究所)
        石川 俊男(国立精神・神経センター国府台病院)
        宇田 英典(鹿児島県伊集院保健所)
       大野 裕(慶應義塾大学保健管理センター)
        斎藤 征司(秋田県医師会自殺予防プロジェクト)
        三宅 由子(国立精神・神経センター精神保健研究所)
主任研究者 堺 宣道(国立精神・神経センター精神保健研究所)

 調べによると、中村容疑者は鹿児島県保健福祉部長だった2001、02年度に「国立精神・神経センター精神保健研究所」(東京都小平市)の所長を主任研究者とし、科研費の支給対象となった「自殺と防止対策の実態に関する研究」に協力者として参加。

大野せんせぇFAQ「せんせぇは結婚してるの?」 A.愛妻家ということです[]

『週刊新潮』2006年8月17・24日夏季特大号<「雅子さま」を陰で操る「皇室のラスプーチン」──「突然のオランダ静養」「御所と小和田家にできた壁」すべてはこの医師が「元凶」だった!>堀端七海署名記事
p.30より引用
 彼は一体、どんな人物なのか。現職は慶応大学保健管理センター教授で三田や日吉などの同大キャンパスで教職員や学生の心のケアを担当している。愛媛県出身の56歳。慶大医学部卒業後、米国コーネル大、ペンシルバニア大学に留学。その際に、うつ病治療法の「認知療法」創始者のペンシルバニア大精神科、アーロン・T・ベック教授に学び、日本に同療法を紹介、日本認知療法学会設立の立役者となった。慶応大学医学部関係者はこう語る。
「非常に評判が良い先生ですよ。精神を病むと、医師を前に泣き出す人が多いのですが、先生は、黙ってすっとティッシュを差し出してくれる。話をよく聞いてくれて、ああしろこうしとと指示することもない」
 患者からの信頼も厚く、夜の10時、11時に電話しても必ず相談に乗ってくれるという。学内新聞で趣味の欄に「妻と映画鑑賞」と書くほどの愛妻家で、
「雅子さまの主治医をしていることは口外しませんし、ましてや自慢するようなこともまったくありません」(同)


Part1080-430 可愛い奥様 sage 2007/12/21(金) 14:24:31 ID:4ZuNHtPp0
>>417
ご結婚なさってますよ。

441 可愛い奥様 sage 2007/12/21(金) 14:32:16 ID:4ZuNHtPp0
>>437
大学時代の情報。病院で診察してましたし、講義ももってました。
普通に結婚してご家庭があると認識してました。独身だって話はなかった。
(女子学生は割りとそういうことに食いついて噂しますから)
宗教の話はしたことないから知りません。

Part1081-832 可愛い奥様 sage 2007/12/22(土) 17:03:17 ID:/Ff821fz0
せんせぇは今日、仙台でお仕事でした。
かなりソフトな感じ。犬を飼ってるって言ってた。
M子のために日帰りかなw

結婚していて、尚且つ犬も飼っているようです。

『女性自身』2009/728号<適応障害「治療は失敗」の陛下ご学友批判に 主治医大野裕医師(58)が“ご快復は着実”本紙に反論!>掲載愛犬ゴールデンレトリーバーを散歩させるTシャツ姿の大野裕画像


大野裕と池田礼子夫・祐久とのつながりは雑誌記事で既出であるが、渋谷節子にも大野裕と接点が??[]

Part1937-151 可愛い奥様 sage 2010/11/02(火) 16:57:37 ID:CTgr4P3N0
大野さんは礼子さんの夫の友人という触れ込みで、宮内庁の管轄じゃないね。
大野さんとどんな治療をしようが、何のクスリを飲もうが、
雅子さんは宮内庁の侍医とは話しをしないし、宮内庁病院での健康診断は拒否しつづけてる。

大野さんが雅子さんのお遊びにお墨付きを与え、その代わりにいくつかの
「お願い」をしている、ってこと?そしてそれを徳仁さんは認めて
アンタッチャブルになってる?

159 可愛い奥様 sage 2010/11/02(火) 17:04:05 ID:7SHAMotq0
>>151
大野は節子とコラボで東大の双子研で双子の精神疾患の何チャラみたいな研究した事もあり
大野はかなりダークで気持ち悪い存在だと思う

『週刊新潮』<2012年1月5・12日新年特大号<雅子さまに御された「東宮」のラスプーチン>[]

  • pp.24-27より全文引用

皇太子妃のご病状を独善的に隠蔽! 天皇陛下」の深まるご心痛! 皇族のご関係にわだかまり!
「心の重い年でした」。さる12月23日、78歳になられた天皇陛下のご感想だ。御心には、震災のみならずお身内の事柄も去来されたことだろう。8年にわたる「ご不例」から好転しない皇太子妃と、傍らに控える「東宮のラスプーチン」。皇室はいま、未曽有の危機にある。
 
 今回の天皇誕生日では、気管支肺炎を患われて11月に入院された陛下のご体調を考慮し、祝賀行事は異例ずくめの進行となった。
「朝の宮中祭祀は、陛下に替わって掌典次長が執り行いました。また、少しでも陛下がお休みになれる時間を増やすため、祝賀や3回にわたる茶会の時間もそれぞれ分刻みで割り、全体で例年より30分ほど短縮されたのです。その間、陛下は御所で1時間ほど休憩されました」(宮内庁担当記者)
 加えて、事前に行われる予定だった質疑応答を含む記者会見の取り止めについては、宮内庁はあくまで「今回限りの特例措置」だと説明した。が、ご体調如何によらず、例年繰り返される東宮ご一家に関する質問に陛下がお心を痛めておられることについては前号でもお伝えしたとおりである。
 なかでも、雅子妃のご病状やお振る舞いについて陛下が大いに憂慮なさっているのは、2010年の会見でご家族について尋ねられた際に、
<皇太子一家の現状については、皇太子妃が病気ですので、お答えすることは差し控えたく思います>
 というお答えをなさったことからも窺える。
 皇室評論家の渡辺みどり・文化学園大学教授が言う。
「陛下にとって主たるお疲れの原因は何かと考えていくと、やはり東宮ご一家の問題が思い浮かぶのではないでしょうか。記者会見でさまざまなお考えを巡らされながら、一問ずつお答えになるのは大変な集中力を要しますし、また頭が痛くなるような事柄なのだと、お察しするに余りあります」
 雅子妃が療養に入られてから、すでに8年が過ぎ去った。周知の通り、ご病状は一進一退し、毎年お誕生日に発表される東宮職医師団の見解も「ご体調には依然波がある」と繰り返されるばかり。何より肝心の症状についていまだ具体的な説明がなされないまま、今日に至っているのだ。
 長引く治療の中心にいるのは、04年6月から雅子妃の「主治医」を務めている国立精神・神経医療研究センターの大野裕医師(61)である。
「もともとは同センターの総長でもあった金澤一郎・皇室医務主管が、国内における『認知療法』の第一人者である大野先生を呼び寄せたのでした」
 とは、さる宮内庁関係者である。
「大野先生は『適応障害』と診断された妃殿下の治療は、以降ひとえに先生の手に委ねられてきました。かねてより妃殿下が東宮侍医や宮内庁病院と折り合いがよくなかったこともあり、大野先生は“部外”にありながら唯一無二の精神的支柱となり、揺るぎない信頼を確立したのです」
 ごく初期においては、まだ打ち解けられないご様子だったが、大野医師が根気強くお気持ちを和らげ、ほどなく雅子妃は種々のお悩みを口にされ始めたという。
「先生は、しばしば携帯電話で直接、妃殿下の相談を受けていました。こうして全幅のご信頼を得たことで、妃殿下の治療については以降、東宮侍医らは大野先生の指示を仰がねばならなくなり、ご公務の出欠可否の判断も、先生の裁量によるものとなりました」(同)

情報遮断の秘密主義
 大野医師はいわば“後ろ盾”として控え、雅子妃の強いご意向もあって、その治療やご病状に関する性格な情報は、完全にベールに覆われてしまった。通常であれば、医師が患者のプライバシーに配慮するのは当然である。が、「公人中の公人」ともいえる雅子妃の“カルテ”は、隠せばそれでよし、といった性質のものではなかろう。
 こうしたことから、皇室に取り入って権勢を振るい、ついにはロシア帝国を崩壊へと導くきっかけとなってしまった怪僧になぞらえ、大野医師を「東宮のラスプーチン」などと呼ぶ向きもあるのだ。
 先の関係者が続ける。
「大野先生は、主治医でありながらこれまで一度も会見を開いたことがないほど、情報遮断を徹底して秘密主義を貫いてきました。これは何もメディアに対してだけではありません。当初から距離のあった東宮侍医はもちろん、金澤主管の耳にすら、妃殿下の直近のご病状は伝わってこなくなった。これは取りも直さず、小町恭士東宮大夫を筆頭とする東宮職幹部が、調整役として全く機能していないことを意味します。
 皇室医務主管とは、その名の通り陛下と皇族方についての医療を統括する総責任者である。そうした地位にある金澤氏でさえ、長らく病に苦しまれている東宮家のお妃のご様子を把握できていないのだとすれば、由々しき事態に他ならない。
「以前から金澤さんは、ことある毎に『大野さんは僕を避けているんだ』とこぼしていました。妃殿下は、ご自身の情報が外部に漏れることを極端にお嫌いになる。とりわけ、御所の両陛下に詳しい症状を知られることがお気に染まないのです。金澤さんはもともと93年、皇后陛下が突然倒れられて言葉を失う状態に陥られた際、主治医としてご快復に尽力してきた人物。02年から現職に就いており、御所からの信頼が大変厚い医師ですが、妃殿下からすれば、『両陛下の手先』としか映らないのでしょう」(同)
 雅子妃と二人三脚で金澤主管を隅に追いやった格好の大野医師に、その“手法”について尋ねたところ、
「お話は東宮職に聞いてください」
 一方で、当初は怪僧に擬せられた主治医と患者との間柄は7年半という歳月の移ろいにともない、徐々に変容していったという。
 さる東宮職関係者によれば、
「大野先生が診察を始めた当初は、妃殿下もことのほか不安定な状態にあり、ちょっとしたやり取りの際にも苛立ちやお怒りの気持ちを見せられることもあったといいます」
 実際に、こんな出来事があった。診察が始まる直前の04年5月、皇太子さまが「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあったことも事実です」と、宮内庁との間に軋轢があることを窺わせる、いわゆる「人格否定発言」をされた時のことである。
 宮内庁側は発言のご真意について、皇太子さまに直接お伺いしようと試みたが、その際、雅子妃が当時の林田英樹東宮大夫に、
<それなら、私は皇太子妃を辞めます
 と電話口で言い放たれた。この“事件”については、これまでも度々報じられているが、これには続きがあった。
「電話を終えられた妃殿下は、お傍にいらっしゃった皇太子殿下と言葉を交わされたのですが、その中で『はっきり申し上げておきましたよ』と、笑い声とともに仰ったのです」(同)
 意を決して発せられたお言葉だけあって、あるいはお気持ちがいつになく高揚されていたのかもしれない。いずれにせよ、「先生がそうした『波』を上手く受け止めたのは良かった。ところが、治療の方策として『お好きなことだけなさればよいのです』という趣旨のアドバイスをしてしまったのです」(同)
 
“分岐点”で主客転倒
 そのことで大野医師は次第に治療者としてのイニシアチブを失っていき、患者と一体化してしまったというのだ。いきおい、診療のスタイルも変わってしまい、
ご用事があるたび、妃殿下の側からお電話をされ、先生を呼び出すといったパターンが続き、医師が診察プランを立てる通常の形が成り立たなくなっていきました。お二人の関係が決定的に悪化したのは2009年。医師団見解を出すにあたり、大野先生がご病状に踏み込んだ内容の発表を行おうとしたところ、妃殿下の激しいお怒りを買ってしまったことが“分岐点”でした。以来、先生の側からは妃殿下にあれこれ申し上げにくくなり、いわばご機嫌を伺うような間柄になってしまったのです」(同)
 換言すれば、医師が患者のコントロール下で振り回されている「主客転倒」の状態といえよう。ラスプーチンは、いつしかイエスマンに成り下がってしまったのだという。
 振り返れば、93年のご成婚から最初にご懐妊の兆候があった99年までの6年間、雅子妃にひとかたならぬ「ご期待」が掛けられていたことは想像に難くない。ある侍従職OBが、こう明かすのだ。
「その当時は、しばしば東宮側の医師をひそかに御所へとお招きし、妃殿下のご体調について説明を受けることがありました。幹部職も同席し、その内容はもちろん両陛下のお耳にも届いていました」
 御所が一丸となって、東宮家のお世継ぎを心待ちになさっていたことが窺えるエピソードだ。強い期待はともすれば受ける側にとって「プレッシャー」となり得るものの、雅子妃におかれてはそうした“ご事情”を十分に勘案なさった上で皇室に入る選択をされたはずだった。が、ご懐妊を経て、皇室のしきたりとご自分の思いとの“乖離”をますます強くお感じになった雅子妃は、徐々にご体調を崩されていった、とされている。

お付添いは「あてこすり」
 さきに本誌は、ご病状が「適応障害」には当たらず、他罰的感情をその特徴とする「ディスチミア症候群」ではないかと報じた。事実、そうしたお振る舞いは長期療養に入られる2003年以前、さらに言えばご成婚直後から見受けられたという。さる東宮職OBによれば、
「ご懐妊の兆しが見える数年前、東宮ご夫妻が揃ってある地方都市を視察されたことがありました。土地の産業や地域の過疎化などについて、県や市の幹部と意見交換し、食事をともにされたのですが、後日、妃殿下は『ああいう集まりには、もう二度と出席したいとは思いません』と仰せになったのです」
 このOBが当時、耳を疑ったのは言うまでもない。
「つまりは、現在のご自分とお暮らしとは直接に関係がないことだというようなご趣旨だったのですが、皇族のお立場というものについて、根本的にご理解が異なっているのではないか、という違和感を強く覚えたことを記憶しています」
 さらに現在、「他罰的感情」の集大成ともいえるのは、晩秋まで断続的に続けられていた愛子さまへのお付添い登下校であるという。先の東宮職関係者によれば、ここには、学習院への痛烈な「あてこすり」が見て取れるという。
9月に行われた愛子さまの校外学習に妃殿下が同行された件は、世間でも物議を醸しました。そのため、妃殿下は徐々にお付添いを控えられるようになりましたが、これまでのお振る舞いには“娘にあれだけのこと(不登校の原因となった乱暴行為)をしておいてどうするのか”という抗議の意が込められています。妃殿下はその点、どうしても学習院に非を認めさせたいのでしょう」
 御所との間に広まった長くて深い亀裂のおかげで、こうしたお振る舞いもご理解を得られぬまま、コミュニケーション不足がもたらした結果として形をとどめていくのだ。91年から8年間、皇室医務主管兼侍医長を務めてきた池永達雄・宮内庁病院元院長は、
「単なる官公庁の縦割りという仕組みだけでなく、御所の中には、お仕えしている持ち場の話を漏らしてはならない、また他家のことに口出ししてはならないといった風潮がありました。現在の東宮職においても、例えば妃殿下のご病状について治療方針を侍従職とやり取りするなど、おそらくは難しいことでしょう」
 と伝統ある職場ならではの事情を振り返りつつ、東宮職と大野医師との“不調和”についても、
「現在の東宮侍医長がご苦労なさっているところなのでしょうね」
 そう推し量る。とはいえ、事態はもはや雅子妃お一人の問題ではない。皇室全体を揺るがす未曽有の危機といっても過言ではなく、この期に及んで縄張り意識を持ち出している場合ではないのだが、
「妃殿下は現在、御所への参内、つまりは両陛下にお会いすること自体がストレスであるというコンディションにあります。かといって、セカンドオピニオンなど得られる状況にもない。先に進まれようにも、八方塞がりなのです」(前出・東宮職関係者)
 大野医師が、ラスプーチンであればまだよかったのかもしれない。雅子妃に御されて追従者となった今、彼には「神通力」など望むべくもない。治療せぬご病気は、周囲をも飲み込んで悲劇を生みつつあるのだ。

2013年4月末オランダ新国王即位式に際して、雅子オランダ行きの回答を引き延ばしまくり大混乱。結局回答締め切りを大幅に過ぎまくった4月19日金曜閣議で最終決定、大野裕も同行することに[]

ttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20130419/k10014028901000.html
皇太子ご夫妻 オランダ公式訪問正式決定
4月19日 9時0分
皇太子ご夫妻がオランダの新しい国王の即位式に出席するため、今月28日からオランダを公式訪問されることが閣議で正式に決まりました。
雅子さまの外国への公式訪問は11年ぶりです。
これは19日朝の閣議で了解されたもので、皇太子ご夫妻はオランダ王室の招待を受けて、今月28日から来月3日までの6日間の日程でオランダを公式訪問されます。
雅子さまが外国を公式訪問するのは、平成14年にニュージーランドとオーストラリアを親善訪問して以来11年ぶりで、療養生活に入られて以降では初めてになります。
ご夫妻は今月28日に政府専用機で羽田空港を出発してオランダの首都アムステルダムに入り、現地時間の30日午後、オランダの新しい国王に即位するウィレム・アレキサンダー皇太子の即位式に出席したあと、王宮で行われるレセプションなどに臨まれる予定です。
この前日にベアトリックス女王の主催で開かれる晩さん会や、30日の夜に開かれる王室主催の夕食会など、即位式の前後に予定されている関連行事については、皇太子さまは出席され、雅子さまは体への負担や体調を考慮して慎重に判断されるということです。
ご夫妻はオランダ王室をはじめ各国の王族らと親交を深め、来月3日に帰国されます。
療養中の雅子さまの出席についてはぎりぎりまで検討が続けられましたが、訪問は可能だとする医師団の最終的な判断を受けて、皇太子さまと雅子さまが話し合って決められ、17日の午後、天皇皇后両陛下やオランダ側に正式に伝えられました。
今回の訪問は雅子さまに配慮して全体的にゆるやかな日程が組まれ、体調について相談できるよう侍医に加えて雅子さまの主治医も同行することになっています。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130419-OYT1T00370.htm
オランダ訪問の皇太子ご夫妻、ゆるやかな日程に
 皇太子ご夫妻が28日から来月3日までの日程でオランダを公式訪問されることが、19日の閣議で了解された。
 雅子さまにとって10年4か月ぶりの外国公式訪問で、体調や負担を考慮してゆるやかな日程が組まれた。
 宮内庁によると、ご夫妻は28日に政府専用機で東京・羽田を出発。30日に首都アムステルダムで行われる新国王の即位式と王室主催レセプションに参列される。29日の晩餐会ばんさんかいや、30日夜の水上行事と夕食会には皇太子さまは出席されるが、雅子さまの出欠は医師と相談しながら慎重に検討されている。今回の訪問には、雅子さまの主治医で国立精神・神経医療研究センター認知行動療法センター長の大野裕医師も随行する。
(2013年4月19日10時23分 読売新聞)

http://mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20130419k0000e040155000c.html
雅子さま:オランダ公式訪問が正式決定 28日出発
毎日新聞 2013年04月19日 10時36分(最終更新 04月19日 11時36分)
 皇太子ご夫妻がオランダのウィレム・アレクサンダー皇太子の新国王即位式に出席するため、同国を公式訪問することが19日の閣議で了解された。雅子さまの11年ぶりの外国公式訪問が正式に決まった。
 宮内庁によると、ご夫妻は28日午後に政府専用機で羽田空港を出発。30日にアムステルダムで行われる即位式と王室主催のレセプションにご夫妻で出席する。退位するベアトリックス女王が主催する29日の晩さん会や30日のアイ湾での水上行事などには皇太子さまは出席の予定だが、雅子さまは体調を見ながら出欠を決めるという。5月3日に帰国する。
 準備時間を長めに設けるなど余裕のある日程を組んだといい、主治医の大野裕氏も同行する態勢を取る。【真鍋光之、長谷川豊】

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130419/imp13041910320001-n1.htm
皇太子ご夫妻のオランダご訪問が正式決定 28日から5月3日まで
2013.4.19 10:30
 30日に行われるオランダ新国王即位式出席のため、皇太子ご夫妻が28日から5月3日までの日程でオランダを訪問されることが、19日の閣議で了解され、正式に決まった。宮内庁は、9年余りにわたって病気療養中の皇太子妃雅子さまのため、行事ご出席への準備期間などに余裕を持たせた日程になっていると説明。雅子さまは中心的な行事以外については、可能な場合に限って皇太子さまと一緒に出席されるとしている。
 雅子さまが外国を訪問するのは、静養のためご一家で同国に滞在された平成18年8月以来。公式訪問としては、ご夫妻でニュージーランド、オーストラリアを訪問された14年12月以来約11年ぶりとなられる。
 宮内庁によると、ご夫妻は28日午後に政府専用機で羽田空港を出発し、同日中にアムステルダムにご到着。30日午後、新教会で開かれるウィレム・アレクサンダー皇太子の新国王即位式と、王宮での王室主催のレセプションにそろって出席される。
 皇太子さまは29日夜のベアトリックス女王主催の晩(ばん)餐(さん)会、30日夜の王室主催の夕食会など、これ以外の行事にも臨まれる。雅子さまも国内での一部の公務と同様に、事前の体調などを勘案してこれらにも出席を検討される方針で、宮内庁は「オランダ側には、きちんと準備できるタイミングで雅子さまのご出欠を伝えたい」と説明している。
 井上暁東宮侍医長のほか、雅子さまの適応障害の治療を担当する東宮職医師団の精神科医・大野裕氏も随行する。

雅子と大野裕のべったりぶりを再度蒸し返し、『週刊新潮』2013年5月2・9号<雅子妃オランダご訪問 宮内庁も訝しむ 随行医との近すぎる「距離」>[]

  • 『週刊新潮』2013年5月2・9号<雅子妃オランダご訪問 宮内庁も訝しむ 随行医との近すぎる「距離」>中吊り

Part2567-196 可愛い奥様 sage 2013/04/24(水) 08:11:02.92 ID:cQ6N3HkL0
文春読んだ
大野医師と雅子さまの距離が近すぎって香山リカさえ批判してるのが笑えた
オランダ行をNHKにスクープされて園遊会後の発表予定がダメになって
宮内庁が慌てて園遊会前に発表したとか奥様方の推理通りって感じ
オランダでは日本より報道が凄いことになってるらしい
王族が泊まるホテルの二番目のスイートが予約してあったから
前々から雅子さんが行くのは決められてたのではとか

ざっと読んで記憶に残ったのはこれぐらい


209 可愛い奥様 sage 2013/04/24(水) 08:22:29.36 ID:lScEGGtu0
文春は結構辛辣な内容
政府専用機を安倍さん用とナルマサ用に分けたためにさらに民間機を2機チャーターして安倍さんとナルマサで使うんだってさ
ナルマサなんて一般客と同じ飛行機で充分だっつーの
あと嫌いな女ランキング1位和田アキ子400何票で2位谷亮子100何票って間が開きすぎw
雅子が入ってたのに削除されたんだろうかw
そういえば林真理子も入ってなかったような

230 可愛い奥様 sage 2013/04/24(水) 08:38:21.71 ID:hIGQX/aT0
文春、新潮を立ち読みしてきました。
どちらもGJです!

文春
発表を遅らせたのは雅子と大野のどちらか、または二人。
雅子は大野に頼りすぎ。同行は不要、治療には妨げ。
ホテルは先に予約されていた、最初から雅子が行く気だった。
政府専用機でお里帰り、と批判されかねない。

新潮
2000年ころの話で、皇后からのアドバイスを雅子は叱責されたと思いショックで行事欠席。
それが心の傷になったと主張。
しかし周囲にいた人に取材したところ、そんな事実はなかったとのこと。


238 可愛い奥様 sage 2013/04/24(水) 08:42:08.81 ID:Zf6lRSan0
127 名前:可愛い奥様@避難所生活[sage] 投稿日:2013/04/24(水) 08:39:29 ID:Rr/xwCXU [6/6]
文春、ほかの記事いいんですよ。
安倍総理の政府専用機の件もちゃんと載っててね。本当にスレの奥様たち凄いです。
どうやら安倍総理が政府専用機を馬鹿夫婦のために一機さし出したとはっきり
書いてあります。
このとき安倍総理はロシアのプーチン大統領とのモスクワの会見に臨む大切な仕事だそうですね。
で、安倍さんたち割り食う食うwww
どうやら差し出した専用機の代わりに民間機を一機わざわざチャーターしたそうです。
首相周辺では怒りの声が漏れ聞こえてるそうでwwww


481 可愛い奥様 sage 2013/04/24(水) 11:49:14.08 ID:Zf6lRSan0
レポ主様、ありがとうございます
625 名前:朝まで名無しさん[sage] 投稿日:2013/04/24(水) 10:48:28.85 ID:eJg3KUHD
週刊文春
皇太子夫妻のオランダ訪問の発表が園遊会中に行われたが
当初は園遊会後にやるはずだった会見が早まったのは
先にNHKが速報で伝えたためだった。
そのため会見も後手後手にまわった。
各メディアは久々の訪問に人員を割いて取材の準備をしている。
オランダでも注目。
返事の遅れについては風岡長官も異例の苦言を呈したが、
これは日露首脳会談の予定もあったため。
今回は二台飛ばすべき政府専用機はオランダとロシアに分けられ
民間機を一台づつつけて飛ばすという異例な事態になった。
首相周辺からは怒りの声も。
これで小和田の家族に会えば政府専用機で里帰りという批判も出うる。
返事をここまで遅らせたのも雅子と大野の相談のため、
小町はオランダに駐在経験もありプロトコルを知っている。
返事が遅れるのなら欠席を伝えるのが常識だが。
東宮侍医長も同行するのに大野医師もついて行くのは
病気が好転していることにはならない。
また医師と患者が近すぎるのは正常な判断を失うことになるだろう。
宿泊ホテルは各国の王室も泊まるので部屋の取り合いになっているが
日本は2番目に高いグレードの部屋を予約した。
それだけ早くから準備をしていたことになる。
実り多き海外行啓になるのを祈るばかりである。
で〆


581 可愛い奥様 sage 2013/04/24(水) 14:16:49.33 ID:o7CwGxPR0
新潮と文春読みました。
内容はレポしてくださった奥様がいるので割愛して感想を。

新潮~ここでは既出だが、今回のオランダから雅子に疑問を持った人にはピッタリの導入書。
流産、人格否定、などの単語だけなんとなく知っている人に実際はこうだったんだと丁寧に教えてくれる。
ベルギーで飲酒し流産、所作やしきたりについての説明を叱責ととったなど、雅子の人格障害っぷりと責任転嫁がこれでもかと紹介されている。
比較して皇后陛下と紀子様のまともさも。
よく知らないけど「雅子様だけいじめられておかわいそう」の人にこそ勧めたい。

文春~雅子と主治医大野のグダグダっぷりや、今回のオランダ行きがどれだけイレギュラー尽くしで多方面に迷惑をかけているか時系列を説明してくれている。
大野との関係はその不自然さから、不倫のみでなく中島の占い師のような胡散臭さもうかがえる。
誰が見ても「この主治医では悪くなりこそすれよくならない」との感想を持つだろう。
それかさらに一歩踏み込んで「精神の病という隠れ蓑のためこの医者とズブズブなのか?」と疑問を持つか。
仕事を仕事と思ってない雅子の異様さがよくわかる。
今回のオランダ行きの経緯を知らない人や、日々仕事を追われるサラリーマンにオススメ。

どちらにせよ「皇室はまとも。異常な事態の原因は雅子。皇太子は何をしてる、小和田一族は変」が浮き彫りになるものでした。

2013年4月28日~5月3日雅子のオランダ行きに同行する大野裕[]

2013年4月30日(現地時間)<皇太子さま、新国王誕生祝う水上パレードに参加>TBS5月1日ニュース連結画像
オランダ新国王水上パレードには徳仁一人ぼっち参加、即位式会場教会前では雅子の主治医・大野裕が待機、当夜には在蘭邦人との面会があるが雅子はこちらも欠席予定
参考ようつべ:雅子さま、王宮主催のレセプションにも出席 tbsnewsi ttp://www.youtube.com/watch?v=oWSbQl-ILIU 

2017年秋、雅子が大野裕医師を「卒業」との女性誌記事[]

Part3309-756 可愛い奥様 sage 2018/02/23(金) 14:09:32.45 ID:xvtaNNG70
豚ギリ失礼
週刊女性3/6号簡単レポします。詳細は本文を
「雅子さま皇太子さまへサプライズ外交公務同伴
2/14皇太子さまとコンサートへ」

・ワインレッドで服の色合わせ
・もともとナル一人の予定を雅子サプライズ出席
・コンサート後、エストニアの外務次官、ラトビアの在日大使と熱心にお話し
・バルト三国は07年に両陛下が訪問、親交を深めた国々
・雅子出席は重要な皇室外交の一環
・2/1付で東宮女官増員、元大手自動車メーカー秘書の森川真理子氏(57)
・雅子の公務増加に備えてと見られる
・2/9外務省地球規模課題審議官の進講受ける
・かねてから国際的な環境破壊や人権侵害に関心を寄せてきた雅子
・昨年秋から主治医の大野とほとんど連絡取らず
・大野からの卒業は、皇太子をもっと支えたいという意志が感じられる

1ページながら重要情報あり
大野クビなら今治療してるのは誰?
新女官は何者で何のためか?
しっかし、重要な皇室外交()ならドタ出じゃなく最初から予定に書けっつーの


765 可愛い奥様 sage 2018/02/23(金) 14:38:20.74 ID:yDvDr+ucO
>>756
(・_・)エッ......?去年の東宮職医師団の見解誰のなの?


766 可愛い奥様 sage 2018/02/23(金) 14:38:47.09 ID:xvtaNNG70
>>756
書名間違えました

×週刊女性
○女性自身

大野裕せんせぇ関係スネーク集[]

スネーク】参照のこと。

雅子が妹の名前を借りて予約をして大野裕せんせぇとお食事?[]

Part1356-416 可愛い奥様 sage 2008/10/22(水) 19:52:25 ID:u7QSWAfq0
もうすぐ某妃殿下が妹の名前を借りて男性と会食。

438 可愛い奥様 sage 2008/10/22(水) 20:22:34 ID:u7QSWAfq0
まさこといもうとのなまえでよやく
→まさことだんせいでかいしょく

866 可愛い奥様 sage 2008/10/23(木) 09:49:55 ID:SHf2vp4y0
昨夜雅子さんは大野Dr.とお食事されてました。
治療の一環にしても凄いですね。

オカルト板書き込み:抗てんかん薬トピラマート、承認前から、大野裕医師ピンチ[]

  • オカルト板:【皇太子夫妻にまつわる怖い話】第百三十六話より

713 本当にあった怖い名無し sage 2010/03/15(月) 07:02:48 ID:mo8X8n850
Topiramate wa shounin mae kara fukuyo.
Y.O. roken shisou de kiki, ima wa hanareteiru.
kane ga iru.
Nihongo denai PC karade sumimasen!

715 本当にあった怖い名無し sage 2010/03/15(月) 07:12:54 ID:vgDywpZ20
713を ひらがなに してみました。

とぴらまて は しょうにん まえ から ふくよ。
Y.O.ろけん しそう で きき、いま は はなれている。
かね が いる。
にほんご でない pcからで すみません!

R子さんまで大野に診てもらってどうするんだよ[]

  • ニュース議論板:【雅子妃】皇室における東宮問題を語りつくす【小和田家】★71より

753 朝まで名無しさん sage 2013/10/15(火) 21:42:08.87 ID:yrI90PWx
R子さんまで大野に診てもらってどうするんだよ
ちゃんとした病院に行けよ
なんで東宮御所に治療のために通うんだよ

主治医はベンゾを作っている製薬会社からお金貰っているようだね。[]

  • メンタルヘルス板:ベンゾジアゼピン系薬物からの離脱その41より

992 優しい名無しさん sage 2014/05/07(水) 11:44:43.45 ID:b7lW+EP5
>>990
師長でそのレベルの知識と偏見だとそりゃ日本のレベルはやはり欧米に比べて糞だね。
皇太子の嫁がサボり?麻薬まがいの薬飲まされて副作用、後遺症に耐えながら国を背負った公務なんてできる超人いるとおもう?
食事と睡眠を良質にすれば治る?
それは薬飲んでないナチュラルで鬱状態の人だけに通用する論理。
まず薬害を軽く見過ぎ
薬害で脳にダメージを受けるとそんな理論や常識は通用しなくなる
知識が浅すぎると言うか表面しか見てないと言うか
新型鬱、適応障害?それは日本の医者が薬を処方するために勝手に作った病名であって、なに患者に責任転嫁してんだか。
病気でもないのに意味不明な病名を付けて当てはめられて飲まなくてもいい薬を飲まされて壊れて行くのよ

  • ベンゾジアゼピン系薬物からの離脱その42より

39 皇室スレから出張 sage 2014/05/07(水) 22:17:11.74 ID:hF7RgozW
前スレで
>皇太子の嫁がサボり?麻薬まがいの薬飲まされて副作用、後遺症に耐えながら国を背負った公務なんてできる超人いるとおもう?

コレを本当に思っているとしたらあなたは創価信者か視野が狭い人ですわ
遊びは出来ても公務がしない事の説明をしていただきたいわ
飲んでいると「いわれてる」薬や東宮医師団の怪しさの発表もないですもの
宮内庁でお聞きなさったのかしら?


47 優しい名無しさん 2014/05/07(水) 22:56:39.33 ID:lLf8TX0s
>>39
http://blogs.yahoo.co.jp/kebichan55/53302336.html
主治医はベンゾを作っている製薬会社からお金貰っているようだね。

おまけ:大野医師の卒アルを発見したであります![]

Part2568-28 可愛い奥様 sage 2013/04/25(木) 06:15:05.23 ID:D0I1URtd0
>>1乙です
977:可愛い奥様sage2013/04/25(木) 01:12:17.54 ID:T53hI/p90
体調!大野医師の卒アルを発見したであります!
http://sue.jp/aiko-11/sotsugyou/image/37.jpg
http://sue.jp/aiko-11/index.htm
大野の母校は愛媛県の愛光学園
アイコー学園ねぇ



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