CV |
魅影之聲 |
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身分 | 天子 |
身分 |
皇帝 |
出生地 |
雒阳 |
出身地 | 洛陽(雒陽)※2 |
初見日※1 |
2月28日 |
初めて会った日 | 2月28日 |
喜歡 |
味道清冽的酒 |
好きなもの | さわやかな風味のお酒 |
厭惡 | 未知 | 嫌いなもの |
不明 |
“天子刘辩,幼年在隐鸢阁与殿下相识,两小无猜一起长大,十四岁时,他被接回宫中。回到宫中的刘辩,从数次毒杀与嫁祸中幸存,终日如履薄冰。儿时的那段岁月,成为他人生中最明亮无瑕的一段时光。” |
「天子劉辯は、幼少期に隠鳶閣で殿下と出会い、二人は無邪気に、ともに成長した。しかし、14歳の時、彼は宮中に連れ戻されることになる。宮中に戻った劉辯は、数々の毒殺未遂や謀略の中で生き残り、常に薄氷の上を歩むような日々を送っている。幼少期は、彼の人生の中で最も輝かしく欠点のない日々となった。」 |
※1:読んで字のごとく「初めて会った日」のことを指す。特に恋人同士の場合「初見日」はカップルや夫婦が初めて出会った記念日を指すことがある。この日は二人の関係の始まりを象徴し、特別な思い出を表す言葉でもある。
※2:日本語では「洛陽」と書き、現在までこの表記となっているが、漢王朝時代は「雒陽」の表記が使われていた。
秘闻
1 |
刘辩与刘协这对兄弟,虽然双方的生母关系恶劣,但兄弟俩的关系尚可? |
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劉辯と劉協※3は、母親同士が非常に関係が悪かったにもかかわらず、公平な関係を築いていた兄弟だったのだろうか? | |
2 |
「我曾经接引过一个目盲的术士,进宫面见天子。」——某位宫女 |
「私はかつて、盲目の魔術師を宮廷に案内し、天子に会わせたことがあります。」ーーある宮女 |
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3 |
越骑校尉刺杀董司空未遂,天子因此事受到惊吓,罢朝数日。 |
4 |
刘辩幼年在隐鸢阁与广陵王相识。十四岁时,他被接回宫中。 |
劉辯は幼い頃、隠鸢閣で広陵王と出会った。 14歳の時、彼は宮殿に連れ戻された。 |
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5 |
天子喝醉时呢喃广陵王之名,宫人常以此为口谕,请广陵王入宫。 |
天子は酒に酔うと広陵王の名を呟き、宮仕えする人々はこれを神託として広陵王を宮中に招くことが多かった。 |
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6 |
灵帝有两个皇子,刘辩和刘协。因宠爱刘协,他把年幼的刘辩送往太一宫,远离眼前。 |
霊帝には2人の皇子、劉辯と劉協がいた。しかし彼は特に劉協を寵愛し、幼い劉辯を遠ざけるために太一宮に送ったと言われている。 |
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7 |
刘辩的生母是何皇后,何氏竭力让灵帝封刘辩为太子,反而引起灵帝厌恶。 |
劉辯の生母は何皇后※6で、劉辯を皇太子に任命するよう霊帝に働きかけたが、そのために霊帝の反感を買った。 |
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8 |
刘辩喜欢甜食,不过似乎对桂花羹有些心理阴影。 |
劉辯は甘いものを好んでいるが、桂花糕※7には少し心のトラウマがあるようだ。 |
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9 |
刘辩幼年曾住太一宫,太一道者史子眇负责照顾皇子的饮食起居。 |
劉辯は幼少期に太一宮で育ち、太一道士の史子眇が彼の食事や生活の世話をしていた。※8 |
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10 |
在崇德殿附近发现了一处被炸的黑糊糊的宫所,似乎是刘辩偶尔心血来潮的下厨所致。 |
崇徳殿の近くに、爆破されたような黒ずんだ建物の跡地が見つかった。おそらく劉辯が台所で料理をしようとした結果のようだ。 | |
11 |
宫人们提起刘辩时偶尔也用「史侯」代称。 |
宮中の人々は、劉辯について話すとき、時折「史侯」という別名を使うことがある。 |
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12 |
每当雷雨夜,刘辩都会命令宫人点亮崇德殿所有的烛火,躲在被子下面。 |
雷雨の夜には、劉辯は必ず宮廷の人に崇德殿のすべての蝋燭を点けるように命じ、自分は毛布の中に潜り込んでいる。 |
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13 |
刘辩在洛阳太一宫生活了数年,不知道出于什么原因,被史子渺带往了西蜀隐鸢阁。 |
劉辯は洛陽の太一宮で数年間を過ごしていたが、なぜか史子渺に連れられて西蜀の隠鸢阁に行くことになった。 |
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14 |
洛阳汉宫中有一处偏僻的冷宫「云台」,刘辩曾长居在那里。 |
洛陽の漢宮には「雲台」と呼ばれる人里離れた寒宮があり、劉辯はそこに長い間住んでいた。 |
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15 |
刘辩在易经道法上虽然没什么建树,但学了不少江湖术士的把戏。 |
劉辯は易経の教えについては何のとりえもないが、江湖の術士からいくつかの技術を学んだ。 |
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16 |
在洛阳城外的难民住处内,发现过刘辩御用的物件……也许是宫人偷盗? |
洛陽の城外に住む難民の家の中で、劉辯の公用品が見つかりました...宮女が盗んだのだろうか? |
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17 |
少年时期,刘辩从隐鸢阁回到洛阳……据说在宫中受到了很多欺凌。 |
若い頃、劉辯は隠鸢閣から洛陽に戻った......宮中ではずいぶんいじめられたらしい。 |
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18 |
因曾经火烧芍药院,刘辩被十侍张让勒令禁闭。 |
芍薬院が火事になったことから、劉辯は十常侍※9の張讓によって禁錮されたことがある。 |
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19 |
在五斗米道祭坛处发现了一张天师画像,画像上的人和天子面容有些相似…… |
五斗米道の祭壇から天人の肖像画が発見されたが、そこには天子の顔にやや似た男が描かれていた......。 |
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20 |
刘辩常饮的红蓼酒与百末旨酒,无端在民间流出。 |
劉辯がよく飲んでいた紅たで酒と百末旨酒が、いつのまにか民間に漏れていた。 |
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21 |
《熟练运用符箓,从入门到入土!失手也不必觉得丢人,微笑就可以了!》,天子书架上出现的奇怪的书…… |
"呪符の上手な使い方、初心者から達人まで!間違えても恥ずかしいことはありません、微笑むだけで十分です!" という奇妙な本が皇帝の書棚に現れた... |
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22 |
天子曾从南北宫渡廊跳下,摔到卧床数日,后试图攀爬崇德殿屋顶。附:没爬上去 |
天子はかつて南北宮の回廊から飛び降りた結果、ベッドで数日間寝込むことになった。その後、崇德殿の屋根を登ろうと試みていた。追記:彼は登ることは叶いませんでした。 |
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23 |
有宫人休憩闲聊时言语中伤天子。此事移交内廷处置,不必跟进。 |
一部の宮廷職員が天子について噂をしていたが、その件は内廷に付託され処理されたので、それについて追及する必要はない。 |
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24 |
天子今日请陈留王刘协共用早膳。批注:楼主有令,一切涉及陈留王的调查都不得开展。 |
本日、皇帝は朝食に陳留王劉協を招待した。備考:主催者の指示により、陳留王に関するあらゆる調査は中止されることになった。 |
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25 |
冬至时,广陵王送了天子一盏夜明珠兔兔灯。天子每夜放在枕边。 |
冬至の際、広陵王が天子に夜明珠※10で作られたウサギのランプを贈った。天子は毎晩、そのランプを枕元に置いて眠っている。 |
- ※3:劉辯と劉協は異母兄弟で、劉辯が兄。
- ※4:前漢武帝期以降に置かれた朝廷の職官で、胡越騎というエリート部隊を率いたとされる。
- ※5:おそらく董卓のことで、「司空」は官名。
- ※6:三国志にも登場する「何進」の妹で出身身分は非常に低いが、皇后まで上り詰めた三国志版シンデレラ。非常に気が強い女性として有名で、劉辯の異母弟である劉協を生んだ王美人を毒殺したという。
- ※7:もち米粉で作るお菓子で、キンモクセイの香りがするもの。成立年代は明代とされる。
- ※8:霊帝は劉辯を授かるまで、何人もの男児を亡くしていた。そのため道士である史子眇へ劉辯を預け養育させたという。そのため劉辯は「史侯」と呼ばれていたこともある。
- ※9:中国後漢末期の霊帝の時代に専権を振るった宦官の集団。
- ※10:中国で珍重されていた宝石で、暗い中でも光るという高貴な石。
追加情報メモ
- 劉辯が手に持っているのは酒を飲むための器である「爵」。雀の形を模したもの。本来は酒を入れておくための器であり、直接口を付けて飲むものではない。火の近くに置き、酒を温めておき小さな器に注いで飲む。上部に突起が付いているのは、布のをかけておくためのものとされる。(東京国立博物館で行われた「中国王朝の至宝」図録より。)
- もうひとつ手にしている、黒く透けた布が張られた道具は恐らく「翳」。王族など身分の高い人が、自らの神秘性を上げるために使ったという。
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