中村和裕
中村 和裕 本名 中村 和裕 通称 カズ 吉田道場 大将 戦極の若大将 吉田道場の柔くん 吉田道場の一番星 性別 男性 国籍 日本 誕生日 1979年2月21日(44歳) 出身地 広島県福山市 身長...
鈴木 みのる | |
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本名 | 鈴木 実 |
通称 | 世界一性格の悪い男 「風」 ハマの喧嘩屋 カミソリファイター 性悪王者 |
性別 | 男性 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1968年6月17日(54歳) |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
身長 | 178cm |
体重 | 102kg |
リーチ | |
階級 | |
スタイル | レスリング |
所属 | パンクラスMISSION |
鈴木 みのる(すずき みのる、1968年6月17日 - )は、日本のプロレスラー。神奈川県横浜市出身。パンクラスMISSION所属。
横浜高校時代はレスリング部に所属。国体2位という実績を残して新日本プロレスに入門。
1988年に飯塚孝之戦でデビュー。翌1989年3月には、デビューから1年という一介の若手にもかかわらず、アントニオ猪木と対戦する機会を与えられ、新日本プロレスから期待されていた存在であったが、当時隆盛を極めていた新生UWFへ移籍。
同年5月には田村潔司のデビュー戦の相手を務め、新生UWF初白星。その後、高田延彦や前田日明といった選手とのシングルマッチが実現した。特に安生洋二との対戦は常に白熱したものとなった。11月には骨折した船木誠勝の代打として東京ドーム大会「U-COSMOS」で、モーリス・スミスと異種格闘技戦で対戦。5ラウンドでKO負けを喫するが、周囲から絶賛を浴びる(ただし、鈴木は後に、「実はビビっていた」と述懐している。周囲が手放しで褒める中、そんな鈴木の内心を見抜いていたのは前田日明ただ1人だった)。この試合が鈴木の格闘技人生において大きなターニングポイントとなった。その後にスミスに雪辱を果たし注目される。
1990年末から1991年初頭にかけてUWF分裂騒動が起き、鈴木は盟友の船木らとプロフェッショナルレスリング藤原組へ参加。1990年4月1日、SWSとの提携で行われた神戸ワールド記念ホール大会におけるアポロ菅原戦は、アポロ菅原サイドがプロレスの定義を越えるセメント行為を仕掛け、それに対した鈴木がリング上で激怒し泥試合に、結局菅原がリングを降りて試合放棄し鈴木の勝ちとアナウンスされる[1]。
1991年7月、東京ベイNKホール大会における佐野直喜戦は、佐野が鈴木のスタイルに適応したこともあり大きな反響を呼んだ(30分時間切れ 引き分け)。
1992年10月の東京ドーム大会ではソウルオリンピックレスリング金メダリストのゴベリシビリ・ダビッドと対戦、チョークで勝利。
藤原組はカール・ゴッチを顧問として据えており、ゴッチが直接指導することもあったため、ゴッチに傾倒したのもこの時期である。アメリカ人選手がゴッチのレクチャーを受けた際、「痛い、これじゃ鈴木じゃないか」とクレームをつけると、「私が鈴木であり、鈴木が私なのだ!」と返答したこともあるなど、ゴッチもまた鈴木に大きな期待を寄せた。
1993年1月に船木と共に藤原組を離脱、同年8月パンクラスを旗揚げ。11月の神戸大会ではモーリス・スミスとキックボクシング・ルールで対戦、KO負けを喫するも、1994年5月に行われた武道館大会のリベンジマッチでは腕ひしぎ十字固めで勝利し、U-COSMOSから5年越しの雪辱を果たした。
1995年5月のNKホール大会ではケン・シャムロックを破り、第2代キング・オブ・パンクラシストとなった。しかし、同時期に台頭してきたブラジリアン柔術の技術を導入しようと試行錯誤を試みる船木を「ツキハギだらけ」と公然と批判。この時期から船木に対する反感を露にするなど、盟友の船木とソリが合わなくなっていた。
同年9月の日本武道館大会では、バス・ルッテンを相手にキング・オブ・パンクラシスト初防衛戦を行うが、フロントチョークで敗退、王座から転落。
1996年1月、ルッテンが負傷により王座を返上し、空位になったキング・オブ・パンクラス王座の暫定王者決定戦をフランク・シャムロックと行うが敗退する。以降、首の負傷(ヘルニア)が原因で連敗を重ね、6月にはデビュー半年の近藤有己にまで敗退。船木からは「もう両雄ではない」と見切りをつけられてしまう。同年10月より長期欠場した。
1997年5月にジョエル・サトゥン戦で復帰。続くジャグジット・シン戦は、21秒で勝利したが、7月には負傷が再発し再び欠場。以後、山宮恵一郎や、冨宅飛駈などに敗北。この頃の鈴木は、リングスとパンクラスとのトラブルの発端を生み出し、リングスの前田日明に挑発されたり(鈴木は黙殺)、当時シュートボクシングに在籍していた村浜武洋に「(言動が)ダサい」とインタビューで発言され、当時蜜月だったフリーライターの安田拡了経由で村浜に圧力をかけるなど、トゲトゲしい言動が目立っていた。
ほぼ1年の欠場を経て、1999年に唯一行われたパンクラス公式戦である菊田早苗戦はなす術なく敗北。
2000年9月のデニス・ケイン戦では、試合中に腰痛が再発しギブアップ負け。
その後は「キャッチレスリング」という組み技限定ルールとエキシビションを中心に活動。2002年6月にはDEEP2001に出場し、ルチャドールのエル・ソラールと対戦するが、金的蹴りを受け反則勝ち。
DEEP2001で愛弟子である窪田幸生に勝利した元リングスの坂田亘に「横浜の大将」とリング上で挑発されたり、パンクラスのリング上で猛威を奮っていたGRABAKAの郷野聡寛に「美濃輪とやるのは早い」と発言したことに対してリング上で「目をさましてくださーい!」と皮肉混じりにアピールされた。
指導者としても「柔術が嫌いだから」という個人的な理由で「出稽古禁止」などのルールを設け、ますますパンクラスとその他の総合格闘技団体との技術的なギャップを広げる原因を作ったことから、引退していた船木にも「鈴木を切った方がいい」と言われてしまう。
2002年、パンクラスのリングで獣神サンダー・ライガーと対決し勝利する。本来はライガーではなく、新日本時代前座で激闘を繰り広げてきた佐々木健介と対決する予定だったが、同年9月に健介が負傷し、試合出場が不可能に。さらに健介は新日本フロント陣と対立し、結局退団してしまう。健介戦が流れ「もうやめようかなぁ」と思っていた鈴木に、ライガーが「俺じゃダメか?マスク脱いででもやる」と強烈にアピール。鈴木は心を打たれたと後に語っている。また、負けたライガーの評価がむしろ上がったことに、「対相手」だけではなく「対客」というスタンスもあるプロレスに再び興味を持った。
ライガー戦を最後に、パンクラスを含めて総合格闘技の試合は行っていない(エキシビション・マッチ=非公式試合は有)。この頃にはハイブリッド・ボディと決別し、プロレスラーらしい脂が乗った体型に変化していた。なお、本文中で名前が挙がった選手のほか、セーム・シュルトやガイ・メッツァーらとの対戦経験がある。
パンクラスの新ブランドである、プロレス部門「MISSION」を立ち上げ、2003年6月13日、日本武道館での成瀬昌由戦より古巣の新日本マットに参戦。2004年にはIWGPヘビー級王座を懸けて健介と対戦した。
2004年4月25日、プロレスリング・ノアの日本武道館大会に、IWGPタッグパートナー・高山善廣のセコンドとして初登場。同年7月10日に行われた東京ドーム大会で初参戦を果たし、2005年1月8日の武道館大会では、小橋建太とGHCヘビー級タイトルマッチを行う。敗戦後、不敵な笑みを浮かべながら「おもしれえ」と何度も呟き、以後2005年4月からノアに継続参戦する。
2005年6月18日には、シングル戦以来お互いに興味を持った丸藤正道と共に、スコーピオ&ダグ・ウィリアムス組が持つGHCタッグ王座に挑戦し奪取する。その後は丸藤を正パートナーとして、「ベルトには興味が無いが、ベルトで面白いことをする」と宣言し、イギリスでの防衛戦を成功させた。しかし、10月28日に挑戦者として迎えた森嶋猛&モハメド・ヨネ組に奪取されてしまう。なおヨネとはその後シングルマッチを行い、ヨネに関しては「歯ごたえがある。またやってみたい」という発言し、ある程度実力は認めているようだが、森嶋に関しては「暗い」と発言。
ノア所属の秋山準との初対戦で秋山を締め落とし失神に追い込んで以降、鈴木は「世界一性格の悪い男」、秋山は「NOAH一性格の悪い男」と称され、キャラもかぶっていることからお互いに舌戦を繰り広げ、試合が組まれればえげつなく攻め立てる関係と発展していた。
2006年には佐々木健介20周年自主興行に参戦。全日本プロレス所属選手の不甲斐なさに吼え、それでも絡んでこない全日本に罵声を浴びせたが、怪我欠場中である本間朋晃が反応したことで全日本参戦へのきっかけを作り上げ、2006年4月以降は全日本を主戦場とする。全日本では東京愚連隊のNOSAWA論外が勝手に『みのる軍団』を名乗ったりと、嫌々そうな顔をするものの、実は楽しんでいる姿も見られる。なお、みのるは「NOSAWAはパシリだ」と言っており、論外が『みのる軍団』と言うたびに「『鈴木みのるwith東京愚連隊』だ」と修正している。
同年6月23日にはメカマミーと戦う(ウルティモ・ドラゴン主催興行)。当初は記者会見などで「メカ」という存在を否定していたが、試合の終盤にセコンドから奪ったペットボトルの水でショートさせ、スリーパーで「機能停止」させた。9月3日の全日本札幌メディアパーク・スピカ大会で太陽ケアを破り、三冠ヘビー級王座を奪取(第35代)。12月12日のリアルジャパンプロレス後楽園大会では、初代タイガーマスクとシングルで対戦し勝利。
2007年1月4日の新日本東京ドーム大会で永田裕志とシングルマッチ(三冠統一ヘビー級王座防衛戦)を行い、スリーパーホールドで勝利。2月17日、全日本両国国技館大会で小島聡を破り、三冠王者として3度目の防衛を果たした。
3月からのチャンピオン・カーニバルを「挑戦者決定戦」とし出場を否定したが、TAJIRIの挑発を受け一転して出場を宣言。小島・川田利明・RO'Z・TAJIRIと戦ったが、1勝2敗1引き分けという、不本意な戦績で幕を閉じた。
12月24日には、ZERO1-MAXに初参戦。
2008年1月26日の大阪大会を最後に全日本を離脱したという噂が流れていたが、3月1日の両国大会ではテレビ解説者として登場。試合後、チャンピオン・カーニバルへの参戦を表明し、結果は西村修とジョー・ドーリングに敗れたものの、優勝者でもある諏訪魔、そして佐々木健介から初勝利を収めるなど充実した戦いぶりを見せつけた。
4月20日の後楽園大会では、スランプ状態で悩める太陽ケアを独特の熱い言葉で説得し、緊急合体。「もう一度この団体のてっぺんに行く」と宣言し、NOSAWA論外・MAZADA・TAKEMURAと共に「GURENTAI」を結成した。
6月17日の後楽園ホールで、鈴木みのるデビュー20周年興行「風になれ」が開催された。鈴木のレスラー人生において、最重要人物とも言えるモーリス・スミスとのエキシビションマッチや、友人であり後輩の高山との2度目のシングルマッチなどが行われた。
2009年8月30日の全日両国大会で、プロレス復帰した船木とタッグマッチで対戦(パートナーは鈴木が蝶野正洋、船木が武藤敬司)、9月26日横浜大会ではシングルで対戦し、敵意むき出しで反則負け。
2010年3月22日に両国大会で「金網マッチ」で船木と再戦したがレフェリーストップによるKO負けを喫した。
同年4月11日、チャンピオンカーニバル決勝で船木を破り、大会史上3人目の連覇を達成した(対船木戦初勝利)。
同年5月2日、愛知県大会で浜亮太を破り第42代三冠ヘビー級王者となる。
UWFの流れを汲んだレスラーであることや、ヘビー級戦線では102kgと小柄であることもあり、基本的に大技を用いることはあまりなく、老獪なテクニックと相手をおちょくる動き、そしてピンポイントで決める投げ技で試合を組み立てていく。
関節技の多さ・正確性から、対戦型格闘ゲーム鉄拳シリーズのキャラクター・キングのモーションキャプチャに参加。ゲーム内に「ベルウッド(鈴木)・スペシャルコンボ」という名称を残す。
本人曰く「大技ではなく必殺技。ハヤタ隊員がウルトラマンに変身していきなりスペシウム光線を出さないのは、怪獣を動けなくさせてからでないと避けられるから。あと視聴者につまらない印象を与えないため」と、ウルトラマンに例えて自分のファイトスタイルを語っている。
張り手相手の頬を叩くだけの技。得意技としながらも「ビンタだけなら2歳児でも出来る」と本人は認めており、プロレスラーだからこそ出来る立派な技としてのビンタへ昇華させようとしている。緩急をつけ易いため、思い切り行くと見せかけて途中で止め軽く叩き相手をおちょくったり、掌底のようにフルスイングで打ち付けたりと大きな幅を持って使用している。2006年3月5日のGHCヘビー級選手権試合・秋山戦では、お互いに213発にも及ぶ張り手合戦を繰り広げた。ドロップキック鈴木のドロップキックは、しっかり足を揃えてキックするので形が綺麗。プロレス再復帰戦となった成瀬昌由戦でこの技を綺麗に決め、観客のどよめきを誘った。ゴッチ式パイルドライバーカール・ゴッチが使用していた、相手の股をクラッチしてのパイルドライバー。元々の「ゴッチ式」は、通常のパイルドライバーの体勢で股をクラッチするように持ち替えて落とすものだが、鈴木の場合は最初から股をクラッチしたまま持ち上げて落としている(レスリングのがぶりを切るクラッチの応用)。「ゴッチ式」とあるが、開発者はカール・ゴッチではなく、鈴木みのる本人であると週刊プロレスで述べている。クロスアームパイルドライバー2004年、佐々木健介とのIWGP戦のために開発した秘密兵器。相手の腕を交差した状態でのパイルドライバー。太陽ケアとの三冠王座戦でも使用した。スリーパーホールド(裸絞め、チョークスリーパー)後ろから相手の首をねちっこく締め上げる。基本的にこの時のみのるは舌を出し、相手や観客を挑発する表情をしながら絞めていることが多い。格下相手にはこれで失神を奪い勝利を決める。逆落としスタンディング・スリーパーホールドの状態から後方へクルっと首を絞めながら払い腰の要領でマットに叩きつけるコンパクトながらも危険な投げ技。投げた後、そのままスリーパーホールドをかけ続けてギブアップを奪う場合が多い。たまに、投げた後フォールにいくこともある。卍固め新日本系レスラーが多用するお馴染みの技。みのるはこの技をセカンドロープ上やトップコーナーなど、様々な場所で繰り出す。例によって相手を締め上げている間は良く舌を出していることが多い。腕ひしぎ十字固めパンクラス時代から得意としている技。グラウンド・飛びつき式・技の切り返し等、バリエーションは多い。逆片エビ固め若手時代からの得意技のひとつ。2005年3月13日 対中嶋勝彦戦の決まり手。脇固め一番の使い手でもある師匠の藤原喜明から勝利を奪ったこともある(2006年3月22日 ビッグマウスラウド 後楽園ホール シングルマッチ)、他の関節技同様に相手を挑発しながら極めることが多い。ジェット・ブーツ(フロント・ジェット)ハーフダウン状態の相手に走り込む、もしくはロープに飛んで勢いをつけて繰り出すスライディングキック。Smallwikipedialogo.png | このページには、クリエイティブ・コモンズでライセンスされたウィキペディアの記事が使用され、それをもとに編集がなされています。 使用された記事は鈴木みのるにあり、その著作権者のリストはページの履歴に記録されています。 |
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