中村和裕
中村 和裕 本名 中村 和裕 通称 カズ 吉田道場 大将 戦極の若大将 吉田道場の柔くん 吉田道場の一番星 性別 男性 国籍 日本 誕生日 1979年2月21日(44歳) 出身地 広島県福山市 身長...
佐藤 嘉洋 | |
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本名 | 佐藤 嘉洋(さとう よしひろ) |
通称 | 無限スナイパー[1] 地獄の膝小僧 静かなる壊し屋 |
性別 | 男性 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1981年1月25日(42歳) |
出身地 | 愛知県名古屋市 |
身長 | 185cm |
体重 | 70kg |
リーチ | |
階級 | ミドル級(K-1) |
スタイル | キックボクシング ムエタイ |
所属 | 名古屋JKファクトリー |
佐藤 嘉洋(さとう よしひろ、1981年1月25日 - )は、日本のキックボクサー。愛知県名古屋市出身。名古屋JKファクトリー所属。マネジメント先はF.O.L Sports Tokyo。
日常生活では眼鏡を掛けているが、車の免許を取得出来るだけの視力はあり、試合時は裸眼である。
実家は喫茶店。郷土愛が強く、現在も愛知県に在住しており、地元にある整骨院『ぶる~と整骨院』のオーナーも務めている。記者会見や試合後のマイクパフォーマンスでは、「愛を知る県、愛知県から来ました佐藤嘉洋です。」を常套句にしていて、得意技の一つである右ストレートに「愛知拳」と命名した[2]
2007年11月29日に同郷の女性と入籍[3]、同年12月9日に結婚披露宴を行なった[4]。2010年1月9日に、第一子となる男児が誕生した[5]。
格闘技を始めたきっかけは、ボクシングジムを見学する約束をしていた友人と直前に喧嘩となり、コテンパンにされたことだという。その後、自宅近くにあったキックボクシングジム『名古屋JKファクトリー』に入門し、グローブ空手選手権優勝を経て、1998年12月25日にプロデビュー、宮本勲と対戦し、判定勝ちを収めた。
2000年4月9日、ウェルター級転向後の初試合を發田隆治と対戦し、判定勝ちを収めた。
2000年11月26日、初めての外国人との対戦となったタノムサック・デーラッド戦で1RKO負け。プロデビュー後の連勝は7で止まった。
2001年6月17日、全日本キックボクシング連盟移籍後の初試合で千葉友浩と対戦し、1RKO勝ちを収めた。
2001年11月17日、ミラン・ステビッチとWKA世界ムエタイウェルター級タイトルマッチを行ない、4RTKO勝ち。王座奪取成功。
2002年10月17日、K-1出場権獲得試合で清水貴彦に判定勝ち。しかし、K-1には出場出来なかった。
2003年12月6日、スーパーリーグでシェイン・チャップマンと対戦。2R終了後、チャップマンの脛の負傷によりTKO勝ち(ドクターストップ)。スーパーリーグでの日本人初勝利となった。
2004年2月28日、ヤッシーン・ベンファッジの持つWPKC世界ムエタイスーパーウェルター級王座に挑戦。5R目にダウンを2回奪い逆転判定勝ち。王座奪取成功。
2004年4月17日、チャンプアック・チョー・シープラーサートとWPMF世界ムエタイウェルター級タイトルマッチを行ない、肘打ちによる流血のため、4RTKO負け。同王座獲得失敗。
2005年2月6日、全日本キックボクシング連盟興行で山本優弥と対戦し、1Rに2回、2Rに2回、3Rに1回、4Rに1回と計6回のダウンを奪い、ジャッジ3者とも50-39という大差の判定勝ち[6]。当初は清水貴彦との対戦予定であったが変更された。佐藤は自分が思う強い選手との試合がなかなか組まれない当時の状況に不満を感じており、この試合が組まれた段階で全日本キックボクシング連盟退団を決意していた。
2日後の2月8日、全日本キックボクシング連盟および所属していた名古屋JKファクトリーを退団、人材派遣会社・フルキャストグループ傘下のフルキャストスポーツ(現:イーマ)所属となった。これにより、保持していたWKAおよびWPKCのタイトルは剥奪された。ただ、後に名古屋JKファクトリーの小森次郎会長と和解し、再び同ジム所属となった。
2005年5月4日、K-1 WORLD MAX 2005 世界一決定トーナメント開幕戦で、「日本人最後の大物」という触れ込みでK-1に初参戦。ウィリアム・ディンダーと対戦し、ローキックの連打を繰り出すなどして判定勝ちを収めた。
2005年10月5日、K-1 WORLD MAX 2005 世界王者対抗戦で、ヘビー級から階級を下げたガオグライ・ゲーンノラシンと対戦。執拗なまでのローキック、膝蹴りの連打で判定勝利。前述の所属ジムとのトラブルにより出場が危ぶまれていた背景もあってか、勝利後、歓喜の余り号泣した。
2006年2月4日、K-1 WORLD MAX 2006 日本代表決定トーナメントで優勝。
2006年6月30日、K-1 WORLD MAX 2006 世界一決定トーナメント決勝戦に出場。準々決勝でブアカーオ・ポー.プラムックにパンチ勝負を挑んだのが裏目に出て2RKO負け。試合後のインタビューでは悔し涙を流し、再起を誓った。
2007年2月5日、K-1 WORLD MAX 2007 日本代表決定トーナメントに出場。1回戦、準決勝共に相手にペースを握らせず判定勝ち。決勝では昨年と同じくTATSUJIと対戦し、顔面への跳び膝蹴りでKO勝ちし、2連覇。佐藤自身、K-1では初のKO勝利で優勝に花を添えた。
2007年10月3日、K-1 WORLD MAX 2007 世界一決定トーナメント決勝戦の準々決勝でアルバート・クラウスと再戦。後半、真っ向からの打ち合いを展開するが、判定負け。しかし、谷川貞治K-1イベントプロデューサーは「今までで一番いい試合だった。」と評した。
2008年2月2日、K-1 WORLD MAX 2008 ~日本代表決定トーナメント~で小比類巻貴之と開幕戦出場を賭けて対戦予定であったが、小比類巻の靭帯損傷により欠場、代わりにブアカーオ・ポー.プラムックとのワンマッチに変更された。試合は延長まで縺れ込み、左フックでブアカーオをぐらつかせる場面もあったが、1-2の判定負けを喫した。
2008年7月7日、K-1 WORLD MAX 2008 FINAL8のトーナメント準々決勝でブアカーオ・ポー.プラムックと対戦。3Rに膝蹴りを効かせ、右ストレートでKO勝ち。3度目の正直でブアカーオ越えを果たした。
2008年10月1日、K-1 WORLD MAX 2008 FINALのトーナメント準決勝で、以前から対戦を熱望していた魔裟斗と対戦。3Rに魔裟斗からダウンを奪い追い詰めるが延長Rに入り、延長Rに形勢逆転され判定負けを喫した。試合数日後のインタビューでは、「KOで倒さないといけない、ということですね。息の根を止めるくらいに。」「ルールを把握していなかった自分が悪い」としながらも、採点には納得出来ないとも述べた[7]。
2008年12月31日、Dynamite!!に初出場し、アルトゥール・キシェンコと対戦。0-2の判定負けを喫した。
2009年4月21日、K-1 WORLD MAX 2009 FINAL16のトーナメント1回戦でドラゴと対戦。延長R判定負けを喫し、FINAL8進出はならなかった。
2009年10月26日、K-1 WORLD MAX 2009 FINALのリザーブファイトで城戸康裕と対戦し、2Rに互いにダウンを一度ずつ奪い、右フックで2度目のダウンを奪ってKO勝ちを収めた。
2010年3月27日、K-1 WORLD MAX 2010 ~-70kg Japan Tournament~でダニロ・ザノリニと対戦し、右膝蹴りでKO勝ち。当初はジョルジオ・ペトロシアンと対戦予定であったが、ペトロシアンの右拳負傷により対戦相手が変更となった[8]。
2010年5月29日、IT'S SHOWTIMEでパジョンスックと対戦し、0-5の判定負けを喫した[9]。
2010年7月5日、K-1 WORLD MAX 2010 ~-70kg World Championship Tournament FINAL16~で山本優弥と対戦し、2-0の判定勝ち。後日、ジャッジの集計ミスが発覚し、3-0の判定勝ちへの訂正が発表された[10]。
2010年8月14日、Krush.9のメインイベントで名城裕司と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[11]。当初は山本優弥が出場予定であったが、急性虫垂炎および汎発性腹膜炎による欠場を受けての出場となった[12]。
2010年11月8日、K-1 WORLD MAX 2010 FINALで準々決勝でミハウ・グロガフスキー、準決勝でドラゴをそれぞれ判定で破り、自身初の決勝進出もジョルジオ・ペトロシアンに判定負け。準優勝に終わった。
2011年1月9日、Krush初代王座決定トーナメント ~Round.2~のメインイベントで、キックボクシング世界4冠王シェムシ・ベキリと対戦し、2-1の判定で辛くも勝ちを収めた。
キックボクシング 戦績 | ||||||
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62試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
47勝 | 20 | 25 | 0 | 0 | 0 | |
15敗 | 3 | 10 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | アーメン・ペトロシアン | 3R終了 判定 | Fight Code: Dragon Series Round 2 | 2011年3月12日 |
○ | シェムシ・ベキリ | 3R終了 判定2-1 | Krush初代王座決定トーナメント ~Round.2~ 【スーパーファイト】 | 2011年1月9日 |
× | ジョルジオ・ペトロシアン | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD MAX 2010 -70kg World Championship Tournament FINAL 【決勝】 | 2010年11月8日 |
○ | ドラゴ | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2010 -70kg World Championship Tournament FINAL 【準決勝】 | 2010年11月8日 |
○ | ミハウ・グロガフスキー | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2010 -70kg World Championship Tournament FINAL 【準々決勝】 | 2010年11月8日 |
○ | 名城裕司 | 3R終了 判定3-0 | Krush.9 | 2010年8月14日 |
○ | 山本優弥 | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2010 ~-70kg World Championship Tournament FINAL16 / -63kg Japan Tournament FINAL~ 【-70kg World Championship Tournament FINAL16】 | 2010年7月5日 |
× | パジョンスック・ルークプラバーツ | 3R終了 判定0-5 | It's Showtime 2010 Amsterdam | 2010年5月29日 |
○ | ダニロ・ザノリニ | 2R 3:11 KO(右膝蹴り) | K-1 WORLD MAX 2010 ~-70kg Japan Tournament~ 【スーパーファイト】 | 2010年3月27日 |
○ | クレイジーテル | 3R 1:30 TKO(レフェリーストップ) | 大和ジム創立40周年、名古屋JKファクトリー創立20周年記念興行 | 2009年12月23日 |
○ | 城戸康裕 | 2R 2:23 KO(右フック) | K-1 WORLD MAX 2009 World Championship Tournament FINAL 【リザーブファイト】 | 2009年10月26日 |
○ | ユーリ・メス | 延長R終了 判定2-1 | K-1 WORLD MAX 2009 World Championship Tournament FINAL8 【リザーブファイト】 | 2009年7月13日 |
× | ドラゴ | 延長R終了 判定0-3 | K-1 WORLD MAX 2009 World Championship Tournament FINAL16 【1回戦】 | 2009年4月21日 |
○ | セルゲイ・ゴリアエフ | 2R 1:18 KO(3ノックダウン:右ローキック) | K-1 WORLD MAX 2009 ~日本代表決定トーナメント~ 【スーパーファイト】 | 2009年2月23日 |
× | アルトゥール・キシェンコ | 3R終了 判定0-2 | Dynamite!! ~勇気のチカラ2008~ | 2008年12月31日 |
× | 魔裟斗 | 延長R終了 判定0-3 | K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINAL 【準決勝】 | 2008年10月1日 |
○ | ブアカーオ・ポー.プラムック | 3R 1:50 KO(右ストレート) | K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINAL8 【準々決勝】 | 2008年7月7日 |
○ | ムラット・ディレッキー | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINAL16 【1回戦】 | 2008年4月9日 |
× | ブアカーオ・ポー.プラムック | 延長R終了 判定1-2 | K-1 WORLD MAX 2008 ~日本代表決定トーナメント~ 【スーパーファイト】 | 2008年2月2日 |
× | アルバート・クラウス | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD MAX 2007 ~世界一決定トーナメント決勝戦~ 【準々決勝】 | 2007年10月3日 |
○ | デニス・シュナイドミラー | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2007 ~世界一決定トーナメント開幕戦~ 【1回戦】 | 2007年6月28日 |
× | アンディ・サワー | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD MAX 2007 ~世界最終選抜~ | 2007年4月4日 |
○ | TATSUJI | 1R 2:25 KO(右跳び膝蹴り) | K-1 WORLD MAX 2007 ~日本代表決定トーナメント~ 【決勝】 | 2007年2月5日 |
○ | 尾崎圭司 | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2007 ~日本代表決定トーナメント~ 【準決勝】 | 2007年2月5日 |
○ | 白須康仁 | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2007 ~日本代表決定トーナメント~ 【1回戦】 | 2007年2月5日 |
× | アルバート・クラウス | 3R終了 判定0-2 | K-1 WORLD MAX 2006 ~世界王者対抗戦~ | 2006年9月4日 |
× | ブアカーオ・ポー.プラムック | 2R 0:18 KO(左フック) | K-1 WORLD MAX 2006 ~世界一決定トーナメント決勝戦~ 【準々決勝】 | 2006年6月30日 |
○ | マイク・ザンビディス | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2006 ~世界一決定トーナメント開幕戦~ 【1回戦】 | 2006年4月5日 |
○ | TATSUJI | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2006 ~日本代表決定トーナメント~ 【決勝】 | 2006年2月4日 |
○ | 上山龍紀 | 1R終了時 TKO(ドクターストップ:右膝靭帯損傷) | K-1 WORLD MAX 2006 ~日本代表決定トーナメント~ 【準決勝】 | 2006年2月4日 |
○ | 新田明臣 | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2006 ~日本代表決定トーナメント~ 【1回戦】 | 2006年2月4日 |
○ | ガオグライ・ゲーンノラシン | 3R終了 判定2-0 | K-1 WORLD MAX 2005 ~世界王者対抗戦~ | 2005年10月12日 |
× | ヴァージル・カラコダ | 3R終了 判定0-2 | K-1 WORLD MAX 2005 ~世界一決定トーナメント決勝戦~ 【スーパーファイト】 | 2005年7月20日 |
○ | ウィリアム・ディンダー | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2005 ~世界一決定トーナメント開幕戦~ 【スーパーファイト】 | 2005年5月4日 |
○ | 山本優弥 | 5R終了 判定3-0 | 全日本キックボクシング連盟「MOVING」 | 2005年2月6日 |
○ | イッティポーン・アカスリボーン | 4R TKO(タオル投入) | 不明(イタリア) 【WPKC世界ムエタイスーパーウェルター級タイトルマッチ】 | 2004年11月27日 |
○ | ディーゼルレック・ルンルアンヨン | 1R 1:15 KO(ローキック) | ルンピニー・スタジアム | 2004年9月25日 |
○ | ピーター・クルーク | 3R 1:33 KO(ローキック連打) | 全日本キックボクシング連盟「SUPER FIGHTER ~MAXIMUM~」 | 2004年7月24日 |
× | チャンプアック・チョー・シープラーサート | 4R TKO(ドクターストップ:カット) | ルンピニー・スタジアム 【WPMF世界ムエタイスーパーウェルター級タイトルマッチ】 | 2004年4月17日 |
○ | ヤッシーン・ベンファッジ | 5R終了 判定3-0 | KOMBAT FESTIVAL 2004 【WPKC世界ムエタイスーパーウェルター級タイトルマッチ(肘禁止ルール)】 | 2004年2月28日 |
○ | シェイン・チャップマン | 2R終了後 TKO(ドクターストップ:脛負傷) | SuperLeague Netherlands 2003 | 2003年12月6日 |
○ | ガオラン・カウイチット | 5R終了 判定3-0 | 全日本キックボクシング連盟「HURRICANE BLOW」 【WKA世界ムエタイウェルター級タイトルマッチ】 | 2003年8月17日 |
○ | クリス・ファン・ベンローイ | 5R終了 判定3-0 | 全日本キックボクシング連盟「DEAD HEAT」 | 2003年6月20日 |
○ | イッティポーン・アカスリボーン | 2R KO(左フック) | PALASPORT ARCELLA | 2003年4月12日 |
× | フィクリ・ティアルティ | 5R終了 判定0-3 | VICTORY OR HELL 【WPKL世界ムエタイ・ウェルター級タイトルマッチ】 | 2002年11月24日 |
○ | 清水貴彦 | 5R終了 判定3-0 | 全日本キックボクシング連盟「Brandnew Fight」 【特別ルール(肘禁止)】 | 2002年10月17日 |
○ | 江口真吾 | 2R 2:33 TKO(ドクターストップ:カット) | 全日本キックボクシング連盟「CRUSH」 | 2002年7月21日 |
○ | チャルムサック・イングラムジム | 5R終了 判定3-0 | 全日本キックボクシング連盟「Rising Force」 | 2002年4月12日 |
○ | 金沢久幸 | 5R終了 判定3-0 | 全日本キックボクシング連盟「VANGUARD」 | 2002年2月15日 |
○ | ミラン・ステビッチ | 4R 1:41 TKO(タオル投入) | Thai Kick Box Gala Hanau August Scharttner Halle 【WKA世界ムエタイウェルター級タイトルマッチ】 | 2001年11月17日 |
○ | ノエル・ソアレス | 3R 2:22 KO(左膝蹴り) | 全日本キックボクシング連盟「HOT SHOT」 | 2001年8月10日 |
○ | 千葉友浩 | 1R 1:38 KO | 全日本キックボクシング連盟「WHO'S NEXT?」 | 2001年6月17日 |
○ | コンテージ・シッセン | 5R 2:45 KO(パンチ連打) | ニュージャパンキックボクシング連盟「CHALLENGE TO MUAI-THAI 4」 | 2001年3月20日 |
○ | チョーンアンタイ・ギャッチャーシン | 5R終了 判定3-0 | ニュージャパンキックボクシング連盟「CHALLENGE TO MUAI-THAI 2」 | 2001年2月12日 |
× | タノムサック・デーラッド | 1R 2:00 KO(3ノックダウン:左フック) | ニュージャパンキックボクシング連盟「Millennium Wars 10」 | 2000年11月26日 |
○ | 中村篤史 | 4R 1:46 KO(膝蹴り) | ニュージャパンキックボクシング連盟「Millennium Wars 8」 | 2000年9月24日 |
○ | 広川康之 | 5R 0:23 KO(膝蹴り連打) | ニュージャパンキックボクシング連盟「Millennium Wars 5」 | 2000年7月7日 |
○ | 發田隆治 | 3R終了 判定3-0 | ニュージャパンキックボクシング連盟「横浜ヤングファイト」 | 2000年4月9日 |
○ | 森本達也 | 3R終了 判定3-0 | ニュージャパンキックボクシング連盟「Millennium Wars 1」 | 2000年1月29日 |
○ | 加藤丈典 | 2R 1:39 KO | ニュージャパンキックボクシング連盟 | 1999年8月29日 |
○ | 大川真人 | 判定 | ニュージャパンキックボクシング連盟 | 1999年6月4日 |
○ | 宮本勲 | 判定 | ニュージャパンキックボクシング連盟 | 1998年12月25日 |
前王者 ミラン・ステヴィッチ | WKA世界ムエタイウェルター級王者 2001年11月17日 - 2005年2月8日 | 次王者 |
前王者 ヤッシーン・ベンファッジ | WPKC世界ムエタイスーパーウェルター級王者 2004年2月28日 - 2005年2月8日 | 次王者 |
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