蹴鞠之目録九十九箇条 - いにしえwiki
鞠とて。身をはなれずば。四方へもけて行也。猶口傳有之。一、兩分圖の事〔図:兩分圖の事〕一、對縮圖〔図:對縮圖〕右令相傳候之處。不可有他言外見者也。賀茂流秘傳奧書。各別之卷在之。右本書梭合仕候。少茂相違無御座候。以上。寛永八年九月廿九日松下掃部助敎久判第二 蹴鞠秘傳之抄005.きほ
鞠とて。身をはなれずば。四方へもけて行也。猶口傳有之。一、兩分圖の事〔図:兩分圖の事〕一、對縮圖〔図:對縮圖〕右令相傳候之處。不可有他言外見者也。賀茂流秘傳奧書。各別之卷在之。右本書梭合仕候。少茂相違無御座候。以上。寛永八年九月廿九日松下掃部助敎久判第二 蹴鞠秘傳之抄005.きほ
書云。大理以下廷尉。於鞠會者上絬更無憚者也。忠信卿。有雅卿大理之時上之。重輔一臈判官之時上之。又後白河院御時。仲賴。知康上之。更不可憚者也。予云。先年與宗敎卿依此事及訴陳了。然勅判有當流。又爲方卿廷尉佐之時。一白(?)赤衣襖袴上絬事。大理之時近習之間。朝夕上絬[示+弖]候勿論事也
革。商久。藍革。重敏。藍革。員久。藍革。下社。祐泰。文明十二年十月書進室町殿中書也。御本卷物自御所給之。今度草子也。不審事有之。以證本可挍合者也。於江州柏木鄕書之。判右榮雅眞筆冩申者也。天正二申戌年正月廿六日 判外部リンク 群書類従第拾九輯タグ一覧: カウンターページ全体:今日:
はやすき也。亞相之譜にも一段にかゝれたるは此義也。抑身に傍鞠とまり合は人思亂物也。能々分別すベし。肝心抄に又分明也。右一卷努々不可有聊爾之儀者也。飛鳥井雅康卿華押後號二樂軒宗世(花押)九里伊賀守殿タグ一覧: カウンターページ全体:今日:昨日:
までものどかにしづかにながくかけてけいだすなり。此三いづれも肝要の足也。能々けならふべき也。右一卷者所授案柬次郞兵衞尉道俊也。努々不可有聊爾者也。永正五年重陽宋世(華押)外部リンク 続群書類従第拾九輯中タグ一覧: カウンターページ全体:今日:昨日:脚注*1 藤原成光
に備ふ。且は上意もだしがたきにより。且は一流の者後代の當論をやめつる爲に詠之侍りぬ。當家之門子遺葉之輩は。尤此道の至寳として。明鏡に守るべき者也。深く是を秘すべし。穴賢/\。飛鳥井二樂在判天正十九閏正月下旬之比。和州宇多之郡井足殿に御坐候を申請候て書之寫畢。越前之國吉田之郡田谷寺
倚龍鱗之柳而定前後。和風漫々之時。蔭雞冠之木而爭雌雄。訪之異域。則起於黄帝。盛于漢皇。尋之本朝。忽起於延喜。盛于天曆。誠是聖代始之。明時好之者也。君忝催此遊。已長其藝。臣等謬傳家塵。久侍鞠場。伏拜日新可謂天生。若不上稚〔雅歟〕稱於當時。恐猶忘勝事於後代。宜奉號此道之長者。以令著其
這三十首飛鳥井家中納言雅康。述作也。以前大納言雅章卿。本書写?合矣。同作之和歌百首也。其内五十首或卅首書分之本有之。仍三通也。今二通追而可写者也。寛文六季林鐘九日 正三位藤實豊正親町中納言公通 虎賁中郎將藤外部リンク 続群書類従第拾九輯中タグ一覧: カウンターページ全体:今日:昨
彼院御時增圓法印薄墨絹衣袴にて御會に參りたりけるをば。法印以上の房官などは。さてもありなんと御汰沙云々。是房官は不可准侍。仍衣袴着用不及子細者也。予云。行誓法橋院參には布の衣袴也。侍僧も當道名譽あり。好士に成て年久く世にしられたらば。中程の晴などには。長淨衣に括上などしたらん有何