「系図纂要」を含むwiki一覧 - 1ページ

承元元年十二月 - いにしえwiki

年1月4日*11 グレゴリオ暦1208年1月5日*12 公卿補任, 弁官補任, 明月記, 仲資王記*13 東寺長者補任, 仁和寺諸院家記, 系図纂要*14 グレゴリオ暦1208年1月6日*15 グレゴリオ暦1208年1月7日*16 グレゴリオ暦1208年1月8日*17 グレゴリオ

今出川義純 - 日本通信百科事典

8月3日(1549年8月25日)に75歳で逝去した。子の義利が後を継いだが、嗣子がなく源姓今出川氏は断絶した。脚注[]↑ 竹王丸の父。↑ 『系図纂要』↑ 『系図纂要』↑ 現在の京都府京都市上京区御前通今出川上馬喰町周辺関連項目[]本多利綱本多俊政関連リンク[]『D-5>源朝臣 足

徳川信康 - 日本通信百科事典

岡市)供養塔 : 榊原清政が造営。高野山金剛峯寺(和歌山県伊都郡高野町)岡崎三郎信康墓所 : 平岩親吉が寄進。脚注[]↑ 『系図綜覧』↑ 『系図纂要』↑ 信康は、今川氏真の落胤とする異説もある。↑ 後に母方の伯父で、一族の瀬名義広(関口親永)の養女となる。同時に井伊直平の外曾孫娘

平将門 - 日本通信百科事典

皇の孫の高望王の外孫であったが、本姓は「平姓」を冠とした丹姓の系統であり、「新皇」と称するのは無理があった。↑ 貞盛の母方の叔父にあたる(『系図纂要』)。↑ 4.04.1 『古代氏族系譜集成』(宝賀寿男/古代氏族研究会/1986年)による。↑ または下総少目とも。↑ 『尊卑分脈

平維叙 - 日本通信百科事典

実子という異説もあるが(『尊卑分脈』)、済時は940年(天慶3年)生まれなので、済時よりも年長と思われる維叙とは年代的に釣り合わない。↑ 『系図纂要』↑ 3.03.1 『尊卑分脈』↑ 娘は平群忠成(永成の孫)に嫁いだ。↑ 5.05.15.2 維叙の高祖父の葛原親王の娘(高望王の妹

平直良 - 日本通信百科事典

/古代氏族研究会/1986年)による。↑ 現在の和歌山県伊都郡高野町↑ 『尊卑分脈』 ↑ 4.04.1 常陸介・藤原維幾とは相婿同士。↑ 『系図纂要』より。↑ 常陸大掾・平良望(国香王)とは相婿同士。↑ 出家して、公雅(公雄/公正)と号した。↑ 出家して、公連/公元と号した。↑

岩松満純 - 日本通信百科事典

に6代目将軍の足利義教(義持の同母弟)の後盾を得て、還俗して勢力を持ち、岩松氏は家純流(礼部家)と持国流(京兆家)に分裂した。脚注[]↑ 『系図纂要』『長楽寺系図』関連項目[]新田氏(上野源氏)足利氏(下野源氏)先代:岩松満国岩松氏歴代当主岩松満純次代:岩松家純/岩松持国特に記載

平貞盛 - 日本通信百科事典

介)[19]室 : ふたりの間に平群永成(中務権少輔)[20]が生まれた。脚注[]↑ 生年は880年前後と伝わる。↑ 2.02.12.2 『系図纂要』による。↑ 官位は秋田城介。弟の良正とともに生母は嵯峨源氏/仁明源氏の常陸大掾・源護の娘。↑ 従六位上~正七位下に相当する。↑ 父

元平親王 - 日本通信百科事典

「兼頼王」。兄の満季の子ともいわれ、祖父の元平親王の養子になったという昭子女王[5] : 藤原兼通室(藤原北家)、顕光らの生母脚注[]↑ 『系図纂要』↑藤原北家魚名流の系統で、藤原直道の子。↑ 孫の頼信の『頼信告文』より。↑ 為満の父、為公(ためとも/ためまさ/ためたか)の曾祖父

岡田重義 - 日本通信百科事典

もに生き延びて、年長の族子の義仲が没落すると、源家の棟梁である頼朝に帰属して、信濃国筑摩郡岡田郷[2]の地頭・御家人となった。脚注[]↑ 『系図纂要』↑ 現在の長野県松本市岡田大字参考文献[]『尊卑分脈』『源平盛衰記』特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SA

平良望 - 日本通信百科事典

↑ 良望(国香王)自身は、老衰で逝去した説もある(『平将門』(幸田露伴/青空文庫/2014年)より)。↑ 『平将門の乱』とも呼ばれる。↑ 『系図纂要』↑ 『尊卑分脈』↑ 『与吾(与五)将軍系図』(東昌寺所蔵)・『古河市史資料中世編』・『簗田家文書』より。関連項目[]平直良平将門坂

得川頼有 - 日本通信百科事典

↑ 通称は次郎四郎/小次郎/朝谷禅門入道。朝谷氏の祖。↑畠山義純の孫、岩松時兼の5男、政経の父。↑ 幼名は亀王丸、下野太郎、道定入道。↑ 『系図纂要』、『長楽寺系図』、『系図綜覧』などでは、長子・頼泰の子・頼尚、孫の尚氏(頼氏)や『徳川実紀』では、弟・頼成の子の有氏、その孫の家氏

里見氏 - 日本通信百科事典

防国) : 周防里見氏とも呼ばれる。周防国守護であった上記の源姓里見氏一門の上野大島氏の当主の大島義政の系統と仮冒した氏族。本貫は不詳で、『系図纂要』の著者の飯田忠彦の父の生田兼門が周防里見氏の一族であった。脚注[]↑ 高林郷とも。現在の群馬県太田市高林寿町・北町・東町・西町・南

足利義純 - 日本通信百科事典

円(義圓/義忠/義仲[2])・慈照院周嘉の弟、照禅院了玄の兄、義利・本多利綱室の父。源姓今出川氏の祖となった。脚注[]↑ 竹王丸の父。↑ 『系図纂要』関連項目[]源義純新田義兼 : 畠山義純の岳父。この記事は 『足利義純』 のための曖昧さ回避ページです。下記は同じタイトルを共有し

足利義仲 - 日本通信百科事典

嘉・今出川義純・照禅院了玄の兄。塩松義仲(石橋義仲) : 斯波氏(奥州源氏)下野石橋氏一門の塩松氏の武将。約2名ほど存在する。脚注[]↑ 『系図纂要』↑ 竹王丸の父。関連項目[]源義仲この記事は 『足利義仲』 のための曖昧さ回避ページです。下記は同じタイトルを共有しているページへ

足利義忠 - 日本通信百科事典

)の父。1476年に遠江国の国人衆の反乱のために戦死を遂げた。斯波義忠 : 斯波氏(奥州源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。脚注[]↑ 『系図纂要』↑ 竹王丸の父。↑伊勢氏の娘で、北条氏の祖である北条早雲(伊勢盛時/氏長/早雲庵宗瑞/宗瑞入道)の族姉。↑ 側室は井伊直平の娘(『

織田信正_(大隅守) - 日本通信百科事典

。信衡は、江戸時代の正保4年(1647年)11月に、高齢で没した。その墓は京都の見性寺にあるという[1]。脚注[]↑ 1.01.11.2 『系図纂要』で確認されるが、『寛政重修諸家譜』などでは確認できない。↑ 『美濃国諸旧記』による(通説は、「於濃の方」・「濃姫」)。はじめは、土

源家長 - 日本通信百科事典

現在の岩手県紫波郡紫波町高水寺大字↑ 庶家に鞍谷氏(越前国)があった。↑ 元武田氏(常陸源氏/甲斐源氏)の家臣。↑ 6.06.16.2 『系図纂要』↑ 生母は五徳(織田信長の娘)、小笠原秀政(貞政)の正室。↑ 生母は五徳、本多忠政(忠勝の子)の正室。この記事は 『源家長』 のた

篠田氏 - 日本通信百科事典

孫娘(『尊卑分脈脱漏』『坂東諸流綱要』など)という。↑ 現在の茨城県土浦市/牛久市/稲敷市などの霞ヶ浦周辺。↑ 貞盛の母方の叔父にあたる(『系図纂要』)。↑ 『承平天慶の乱』とも呼ばれる。↑ 7.07.1 それぞれ、藤原山蔭の孫・曾孫、仲正の子・孫にあたる。↑藤原玄明の子、常陸伊

光孝天皇 - なんでもある Wiki

守を止む。856年(斉衡3年)6月、上野太守を兼任。860年(貞観2年)1月15日、上野太守を止む。864年(貞観6年)、上野太守を兼任。(系図纂要は、上総太守としている)866年(貞観8年)1月13日、上野太守を止め、大宰帥を兼任。870年(貞観12年)2月7日、二品に昇叙。大

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