後撰百人一首 - いにしえwiki
かたみの 月だにも くちなば袖に かげや絶なん (前大納言良教)057.袖にさへ 秋の夕べは しられけり 消えし淺茅が 露をかけつゝ (女御徽子女王)058.曇なき かげもかはらず むかし見し まゝの入江の 秋の夜の月 (前右兵衞督爲教)059.紅葉せぬ ときはの山は ふく風の
かたみの 月だにも くちなば袖に かげや絶なん (前大納言良教)057.袖にさへ 秋の夕べは しられけり 消えし淺茅が 露をかけつゝ (女御徽子女王)058.曇なき かげもかはらず むかし見し まゝの入江の 秋の夜の月 (前右兵衞督爲教)059.紅葉せぬ ときはの山は ふく風の
A. 徽子女王は平安時代中期の歌人で、後撰和歌集に歌が収められています。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%BD%E5%AD%90%E5%A5%B3%E7%8E%8B
そん)016.大貳高遠 (だいにたかとお) = 藤原高遠017.源道濟 (みなもとのみちなり)018.齋宮女御 (さいぐうのにょうご) = 徽子女王019.中務 (なかつかさ)020.小大君 (こおおきみ)021.上東門院 (じょうとうもんいん) = 藤原彰子022.檜垣嫗 (ひ
ふじわらのよるかあそん)034.紀貫之女 (きのつらゆきのむすめ)035.中務 (なかつかさ)036.斎宮女御 (さいぐうのにょうご) = 徽子女王037.選子内親王 (せんしないしんのう)038.賀茂保憲母 (かものやすのりのはは)039.源経信母 (みなもとのつねのぶのはは)
徽安門院(きあんもんいん)徽安門院一条(きあんもんいんのいちじょう)祇園梶子(ぎおん かじこ)祇園百合子(ぎおん ゆりこ)徽子女王(きしじょおう)儀子内親王(ぎしないしんのう)宜秋門院丹後(ぎしゅうもんいんのたんご)喜撰(きせん)北畠親子(きたばたけ しんし)北畠親房(きたばたけ
いおんじ きんつね)西園寺実氏(さいおんじ さねうじ)西園寺実兼(さいおんじ さねかね)西行(さいぎょう)斎宮女御(さいぐうのにょうご)→ 徽子女王最澄(さいちょう)斉明天皇(さいめいてんのう)酒井人真(さかい の ひとざね)坂田部首麻呂(さかたべ の おびとまろ)坂門人足(さか
のぶ)044.藤原実方朝臣 (ふじわらのさねかたあそん)045.橘直幹 (たちばなのなおもと)046.斎宮女御 (さいぐうのにょうご) = 徽子女王047.大納言公任 (だいなごんきんとう)048.源順 (みなもとのしたごう)049.和泉式部 (いずみしきぶ)050.紫式部 (む