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呉海軍航空隊飛行場跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

呉海軍航空隊飛行場跡呉海軍航空隊飛行場は、現在の虹村公園の一部からクリーンセンターの辺りにあった海軍の飛行場現在は工業団地となっていますが、太平洋戦争終戦までここに呉海軍航空隊の飛行場があり、X字型の滑走路が存在していました。呉海軍航空隊は大正14年に『佐世保航空隊広分遣隊』とし

虹村公園(広燃料置場重油槽跡) - 呉市周辺の遺構まとめ

呉市に譲与され、現在は地中式重油槽ごと埋め立てられて虹村公園と工業団地となっています。余談ですが、虹村公園の「虹村」は広燃料置場の南にあった呉海軍航空隊が「虹部隊」と呼ばれていたことに由来するという説があります。虹村公園の重油槽跡虹村公園の中にある地中式重油槽の跡1つ目は円形の窪

地区別 - 呉市周辺の遺構まとめ

兵器部新宮工場) 旧呉市交通局築地中央工場(海軍軍需部被服工場跡) 呉線の架道橋広・安芸阿賀広・安芸阿賀 旧広海軍工廠と旧第11海軍航空廠 呉海軍航空隊飛行場跡 広海軍工廠引き込み線跡 虹村公園(広燃料置場重油槽跡) 阿賀骸炭製造所ガス圧送室跡 工僚神社 黄幡山・九郎山機銃砲台跡

旧広海軍工廠と旧第11海軍航空廠 - 呉市周辺の遺構まとめ

ントン海軍軍縮条約やロンドン海軍軍縮会議で艦船の建造が制限されたこともあって、制約のない航空機の研究・開発が進み、昭和6年に試験飛行場である呉海軍航空隊飛行場も建設されます。昭和16年に太平洋戦争が開戦し真珠湾攻撃で航空機が多大な戦果を挙げると、航空機生産の重要性が認められ広海軍

旧呉市交通局築地中央工場(海軍軍需部被服工場跡) - 呉市周辺の遺構まとめ

終戦後、昭和25年の旧軍港市転換法により呉市に譲渡され安芸阿賀にあった呉市交通局(呉市営バス)の整備工場がここに移転されました。その際、広の呉海軍航空隊飛行場の航空機格納庫をここに移築しバス車庫として転用していました。広島市の本川橋や海田町の九十九橋のように、戦後は鉄が貴重だった

明磯神社の鳥居 - 呉市周辺の遺構まとめ

たのかピンポイントでここに爆弾が投下されたのかは不明です。集落の向こうは旧広海軍工廠会計部で現在は在日米軍基地になっています。奥に見えるのは呉海軍航空隊飛行場跡です。 備考 ・鳥居は2つあるが空襲で折れた鳥居は境内近くの小型のもの ・自動車で行くことはでき

陸軍吉島飛行場跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

・最南端の南吉島地区は戦後に埋め立てられた土地で滑走路があったのは現在の光南地区のあたり ・呉市にも海軍が埋め立て地に作った呉海軍航空隊飛行場跡がある 住所 広島県広島市中区光南3丁目13 駐車場 なし

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