後撰百人一首 - いにしえwiki
をれふす音の なかりせば 夜深き雪を いかでしらまし (坂上明兼)037.手枕の 野べの草葉の 霜がれに 身はならはしの 風のさむけさ (兼好法師)038.夕月夜 しほみちくらし 難波江の 芦のわか葉を こゆるしら浪 (藤原秀能)039.くもりなき 鏡の山の 月を見て あきらけ
をれふす音の なかりせば 夜深き雪を いかでしらまし (坂上明兼)037.手枕の 野べの草葉の 霜がれに 身はならはしの 風のさむけさ (兼好法師)038.夕月夜 しほみちくらし 難波江の 芦のわか葉を こゆるしら浪 (藤原秀能)039.くもりなき 鏡の山の 月を見て あきらけ
なびくを見れば 長閑なる 春とて風の 吹かぬまもなし (頓阿法師)095.遁れても 柴のかりほの 假の世に 今いく程か のどけかるべき (兼好法師)096.曇らぬを 神代のまゝの 心ぞと そらにいさめて 月やすむらん (逍遙院内大臣)097.をさまれる 我世いかにと 浪風の 八
しなごりの 雲まより もれて涼しき 月のかげかな (島津斉彬朝臣)051.ふるさとは なれぬあらしに 道たえて 旅寝にかかる 夢の浮はし (兼好法師)052.初霜の 岡の萱原 いつのまに あき見し露の むすびかふらむ (尊円法親王)053.唐土の 虎伏す野辺に 吹く風の 目にみぬ
事一五、藏王堂炎上に付御託宣の事一六、熊王發心の事一七、康方水練の事一八、康方下女の事一九、鷹怪鳥をとる事二〇、異果を食ひて死すること二一、兼好法師御來談のこと二二、公行朝臣閑居のこと二三、實勝朝臣北方の事二四、行輔卿の妾の事二五、鼻高き狂歌の事二六、松茸歌の事二七、犬王丸山賊に
A. 徒然草とは、鎌倉時代中期に成立した随筆です。兼好法師が書いたとされ、四季の自然と人生観、仏教思想、古典文学などについて、独特の感性と観察眼で綴られています。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%92%E7%84%B6%E8%8
二位為子)徽安門院一条百首前参議為冬卿集(二条為冬)惟宗光吉集長景集(城長景)正覚国師集仏国禅師御詠夢窓国師詠草仏国禅師家集標註(藤原資重)兼好法師家集(卜部兼好)中園相国御集(洞院公賢)等持院贈左府御集(足利尊氏)大納言為定御集(二条為定)藤谷集(冷泉為相)権中納言為重卿集(二
を出版している。南朝北朝の両天皇とも伝手を持ち、時行の文書を後醍醐天皇に届ける役目を担った。吉田よしだ兼好けんこう『徒然草』であまりに有名な兼好法師。各地の有力者とパイプを持っており、時行とは幕府滅亡前からの顔見知り。和歌四天王にその名を連ね、鎌倉の支配者となった直義に招かれるほ
われるが、鎌倉時代辺りから悪い意味で使われている例がある。例文:かくの如くの優婆夷などの身にて、比丘を堀へ蹴入れさする、未曾有の悪行なり。(兼好法師、『徒然草』、百六段)もちろん日本でもどちらかというとよい意味で使うことがあり。たとえば遠山の金さんで知られる遠山金四郎のパパンであ
恵 269 寂然法師集 じゃくねんほうししゅう 寂然 269 寂蓮法師集 じゃくれんほうししゅう 寂蓮 269 兼好法師集 けんこうほうししゅう 吉田兼好 270 元可法師集 げんかほうししゅう 元可 270 宗祇法師集 そう