「総合格闘技」を含むwiki一覧 - 16ページ

三崎和雄 - Bout Wiki

と、三崎はどこにも契約していないフリーの立場であること、戦極と契約をする前の段階で実行委員会へ連絡済みであることを主張した[12]。戦績[]総合格闘技 戦績39 試合(T)KO一本判定その他引き分け無効試合25 勝691002111 敗3260勝敗対戦相手試合結果イベント名開催年

一慶 - Bout Wiki

2 戦績3 脚注4 関連項目5 外部リンク来歴[]大東文化大から大阪府警に進み、柔道を経験した。2007年11月11日、31歳2か月でのプロ総合格闘技デビューとなった「CAGE FORCE EX -eastern bound-」で九十九優作と対戦し、0-3の判定負けを喫した[1]

ヴォーン・リー - Bout Wiki

を入れている。目次1 来歴2 戦績3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]2003年2月22日、「Cage Rage 2」でプロ総合格闘技デビュー。イングランド開催の大会で試合を重ねた。2011年11月5日、UFC初参戦となった地元・バーミンガム開催の「UFC 138

ヴォルク・ハン - Bout Wiki

た技術・経験から考案されたハンオリジナルの格闘術。コマンドサンボをベースに、ボクシング、ムエタイ、レスリング、柔道などの技術を取り入れ、より総合格闘技の攻防に特化したスタイルとされる。一般的にセルゲイ・ハリトーノフや、かつての弟子であったエメリヤーエンコ・ヒョードルは、コマンドサ

マッケンズ・セメジャー - Bout Wiki

a来歴[]ハイスクールではレスリングを経験。19歳でアメリカ海兵隊に入隊し、ボクシングを経験した。2008年9月27日、27歳10か月でプロ総合格闘技デビュー。2009年10月10日、WEC初参戦となった「WEC 43」でヴァグネイ・ファビアーノと対戦し、三角絞めによる一本勝ちを

マウリシオ・ショーグン - Bout Wiki

た。かつての同門ヴァンダレイ・シウバがPRIDE王者であった時に「俺よりもショーグンの方が強い」と言わしめた。来歴[]2002年にブラジルの総合格闘技大会Meca World Vale Tudoでプロデビュー。同大会では3連勝し、エヴァンゲリスタ・サイボーグもKOしている。200

ディック・フライ - Bout Wiki

年4月24日に対戦相手のピーター・ウラを控え室で暴行するなど、トラブルメーカーとしての一面も取りざたされた。リングスとの契約切れ後は制圏道で総合格闘技の試合を行ったり、ZERO-ONE「真撃」へ参戦して、マーク・ケアー、藤原喜明と試合を行った。現在はジムを開いて後進の育成に励む傍

ネイサン・ディアス - Bout Wiki

ltimate Fighter 5 ライト級トーナメント 優勝(2007年)来歴[]兄ニックの影響で格闘技を始めた。2004年10月21日、総合格闘技初参戦となった「WEC 12」でアレックス・ガルシアと対戦し、三角絞めで一本勝ちを収めた。2005年8月27日、パンクラスで大石幸

ハウフ・グレイシー - Bout Wiki

ている。BJペンはかつてハウフの生徒であった。目次1 来歴2 戦績3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]2003年10月5日、総合格闘技無敗の実績を引っ提げ、PRIDE 武士道に参戦。三島☆ド根性ノ助と対戦し、判定勝ち。2004年5月3日、PRIDE 武士道 -其の

ニッセン・オスターネック - Bout Wiki

活躍を見てブラジリアン柔術を始める。ブラジリアン柔術ではヘウソン・グレイシーから茶帯を取得。その後、ムエタイとのクロストレーニングを開始し、総合格闘技へ移行する。2008年11月5日、WECデビュー戦となるWEC 36でジェイク・ロショルトと対戦し、2RにパウンドでTKO負けを喫

ハレック・グレイシー - Bout Wiki

脚注4 関連項目5 外部リンク6 Wikipedia来歴[]ブラジリアン柔術では50戦以上の経験を持つ。2007年7月16日、HERO'Sで総合格闘技デビュー。柴田勝頼と対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。2007年9月17日、HERO'Sでミノワマンと対戦予定であったが、肩の腱

ハファエル・カバウカンチ - Bout Wiki

学中にアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラに誘われ、リオデジャネイロでトレーニングを行なうようになった[1]。2006年2月10日、ブラジルでプロ総合格闘技デビュー。2007年2月23日、初参戦となったIFLでデヴィン・コールと対戦し、TKO勝ちを収めた。2007年6月16日、IFL:

バス・ルッテン - Bout Wiki

ld Fighting Alliance)にてルーベン・ビシャレアル(ウォーパス)と対戦し1R 3分24秒ローキックでKO勝ち、約7年ぶりの総合格闘技復帰を果たした。同年に以前から悪くしていた膝の靭帯、足の付け根の筋肉、肋骨の手術を行った。2007年、IFLのロサンゼルス・アナコ

ニック・リング - Bout Wiki

ズ。BDB Martial Arts所属。目次1 来歴2 戦績3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]2002年2月23日、プロ総合格闘技デビュー。2004年11月20日にアメリカで開催された「PRIDEオーディション」に合格し、マット・ヒュームのAMCパンクレイショ

パウロ・フィリォ - Bout Wiki

ド級 準優勝(1999年、2000年)第3代WEC世界ミドル級王座(2007年)来歴[]カーウソン・グレイシーの元で柔術を学び、2000年に総合格闘技へ転向。2002年9月29日、PRIDE初参戦となった「PRIDE.22」で小路晃と対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収めた。2

パウロ・チアゴ - Bout Wiki

でTKO勝ちを収めノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[2]。7月11日、「UFC 100」でジョン・フィッチに0-3の判定負けを喫し、総合格闘技で初黒星を喫した[3]。2010年2月6日、「UFC 109」でマイク・スウィックと対戦し、右フックでダウンを奪い最後はダースチョ

パウエル・ナツラ - Bout Wiki

オリンピックでは、95kg級で金メダリストとなった。山下泰裕を上回る公式試合312連勝の記録を持つ。柔道競技からの引退後、長いブランクののち総合格闘技に転向した。ワルシャワでフィットネスクラブ 『ナツラ柔道フィットネスクラブ』 を経営している。ちなみに、名前の正しい発音はパヴェウ

ニック・レンツ - Bout Wiki

ルアーツ・アカデミー所属。目次1 来歴2 戦績3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]2005年7月30日、20歳11か月でプロ総合格闘技デビュー。2009年9月19日、25歳1か月でのUFC初参戦となった「UFC 103」でハファエロ・オリヴェイラと対戦し、3-0(

ニック・トンプソン - Bout Wiki

ェルター級王座来歴[]高校時代にレスリングを始め、ウィスコンシン大学では哲学と経済学を専攻する傍ら、レスリングの練習を続けていた。この時期に総合格闘技に初めて触れ、デイブ・ストラッサーやロン・フェアクロスらと練習を始め、バーなどで試合をこなしていた。卒業後はウィスコンシン大学法科

パット・ミレティッチ - Bout Wiki

ロアチア系アメリカ人であり、キックボクシングを経験。1995年10月28日、アメリカ士道館主催のBattle of the Mastersで総合格闘技デビュー。優勝を飾り、以後、当時トーナメントが主流だったアメリカのローカルシーンでは優勝を総舐めにする。以後、エクストリーム・チャ

デニス・シヴァー - Bout Wiki

歳のときに柔道、キックボクシング、テコンドーと経験。1997年には世界キックボクシング団体協会のドイツ王者となる。2004年2月28日、プロ総合格闘技デビュー。2007年4月21日、UFCデビューとなった「UFC 70」でジェス・リアウディンと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本負け。

デイブ・メネー - Bout Wiki

ンチにTKOで敗れ、王座陥落。2006年6月28日、Cage Rageでアレックス・リードと対戦し、判定勝ち。2009年にはアメリカの新しい総合格闘技大会「Bellator FC」のウェルター級トーナメントに参加した。1回戦はノルマン・パレジーに一本勝ちしたものの、続く2回戦では

デビッド・ロワゾー - Bout Wiki

はこの技でKO勝ちを見せた。目次1 来歴2 戦績3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]2000年6月2日、「UCC 1」でプロ総合格闘技デビュー。2003年4月25日、UFC初参戦となった「UFC 42」でマーク・ウィアーと対戦し、パンチでKO勝ちを収めた。2006

デニス・ホールマン - Bout Wiki

ン州オリンピア出身。ヴィクトリー・アスレチックス所属。目次1 来歴2 戦績3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]1997年から総合格闘技の大会に出場、UFCや修斗など、数多くのプロモーションでキャリアを重ねてきた。寝技を得意とし勝利の多くがサブミッションによる一本勝

デビ・パーセル - Bout Wiki

カ合衆国の総合格闘家。カリフォルニア州出身。目次1 来歴2 戦績3 外部リンク4 Wikipedia来歴[]2001年9月30日、アメリカで総合格闘技デビュー。2006年2月15日、スマックガールで赤野仁美と対戦し、0-3の判定負け。2008年8月15日、ShoXCでロジー・セク

ニック・ディアス - Bout Wiki

a獲得タイトル[]初代WEC世界ウェルター級王座初代Strikeforce世界ウェルター級王座(2010年)来歴[]2001年、IFCでプロ総合格闘技デビュー。2003年9月26日、UFC初参戦となった「UFC 44」でジェレミー・ジャクソンと対戦し、腕ひしぎ十字固めによる一本勝

ドリュー・フィケット - Bout Wiki

ンチョークなどの絞め技による一本勝ちが多い。目次1 来歴2 戦績3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]1999年4月7日、プロ総合格闘技デビュー。デビューから12連勝を果たした(2000年に11試合行なった)。2002年3月15日、1年3か月ぶりの試合となった「Ra

トロイ・マンダロニス - Bout Wiki

リー。ハワイ州ヒロ出身。目次1 来歴2 戦績3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]UFCの試合を見て感銘を受け、1997年から総合格闘技のトレーニングを開始。小学校からの友人であるBJペンからは柔術のコーチを受ける。2007年、The Ultimate Fighte

トレヴァー・プラングリー - Bout Wiki

選準決勝で敗退し、渡米。北アイダホ大学でレスリングを続けた。1998年の大学卒業と同時にブラジリアン柔術を始める。2001年1月18日、プロ総合格闘技デビュー。2003年9月6日、IFCのライトヘビー級トーナメント1回戦でレナート・ババルと対戦し、判定負け。デビューからの連勝は6

パット・カラン - Bout Wiki

部リンク6 Wikipedia獲得タイトル[]Bellator FCシーズン2 ライト級トーナメント 優勝来歴[]2008年2月23日、プロ総合格闘技デビュー戦となったXtreme Fighting Organization 22でトニー・ハービーと対戦し、チョークスリーパーで一

ヒカルド・アローナ - Bout Wiki

有名になる。そして翌年のADCC2001では99kg未満級で再び優勝、2連覇を達成。さらに無差別級をも制した。ADCCでの活躍により、日本の総合格闘技イベントリングスからオファーを受け、2000年4月20日にリングス初参戦。アンドレイ・コピィロフに3-0の判定勝ちを収めた。続く8

マイケル・ビスピン - Bout Wiki

とって初の判定による決着となった。2007年11月17日、「UFC 78」のメインイベントでラシャド・エヴァンスと対戦し、1-2で判定負け。総合格闘技で初の敗北を喫し、記録は14連勝で止まった。2008年からは階級をミドル級(約84kg)に下げ[1]、4月19日の「UFC 83」

ホドルフォ・マルケス・ディニス - Bout Wiki

リオデジャネイロ州ヘゼンデ出身。ノヴァウニオン所属。目次1 来歴2 戦績3 脚注4 外部リンク来歴[]2006年9月2日、22歳7か月でプロ総合格闘技デビュー。デビュー以来14戦13勝1敗の戦績を記録した(修斗南米フェザー級1位)。2011年9月24日、DREAM初参戦となった「

ポアイ菅沼 - Bout Wiki

Wikipedia来歴[]ハワイのワイアケア高校でレスリングを始め、ハワイ州高校王者となった。2003年2月14日、ヒートで宮田一心相手に総合格闘技デビュー。ローカル大会で戦績を重ねた後、2005年10月2日にはパンクラスデビュー。2006年、パンクラス・第2代ヘビー級王者決定

ホドリゴ・グレイシー - Bout Wiki

収め、PRIDEでは4戦4勝となった。2004年11月20日、Rumble on the Rock 6でBJペンと対戦し、0-3の判定負け。総合格闘技初黒星となった。2005年7月6日、初参戦となったHERO'Sで國奥麒樹真と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[2]。2006年8月

ポール・デイリー - Bout Wiki

ランド・ロンドン出身。チーム・ラフハウス所属。空手とムエタイ仕込みの打撃を持ち、常にアグレッシブなファイトスタイルを展開する。母国イギリスの総合格闘技興行「Cage Rage」にてデビュー以来KO勝利を連発し、初のCage Rage英国・世界統一ウェルター級王者となった英国屈指の

ポール・テイラー - Bout Wiki

ボクシングで活躍し、WPKCの王座を獲得する一方、大工として生計を立てていた[1]。2002年9月7日、Cage Rageの第1回大会でプロ総合格闘技デビューを果たし、マット・エウィンと引き分ける。2007年にはUFCと契約を交わし、4月21日に地元イギリスで5年振りに開催された

マイク・スウィック - Bout Wiki

績3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]8歳でテコンドーを始め、その後はキックボクシング、ムエタイ、ブラジリアン柔術を習得し、総合格闘技へと移行した。2004年1月16日、「WEC 9」の初代ミドル級王座決定戦でクリス・リーベンと対戦。打ち合いの末、カウンターの左フ

ベン・ソーンダース - Bout Wiki

チーム所属。ベン・サンダースとも表記される。目次1 来歴2 戦績3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]2004年5月1日、プロ総合格闘技デビュー。デビューから2戦連続で引き分けとなるも、その後4連勝。2007年、リアリティ番組The Ultimate Fighter

マイク・ルソー - Bout Wiki

チ所属。現役の警察官である。目次1 来歴2 戦績3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]1998年4月25日、21歳5か月でプロ総合格闘技デビュー。2006年2月25日、7年10か月ぶりの復帰戦を行なった。2007年2月24日、PRIDE初参戦となった「PRIDE.3

マイク・マッセンジオ - Bout Wiki

on Horse MMA主宰。目次1 来歴2 戦績3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]2005年4月2日、22歳5か月でプロ総合格闘技デビュー。2008年5月16日、IFL初参戦となった「IFL: Connecticut」でダニーロ・ヴィルフォートと対戦し、膝十字

マイク・ピアース - Bout Wiki

・ラボ/チーム・クエスト所属。目次1 来歴2 戦績3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]2007年6月2日、26歳9か月でプロ総合格闘技デビュー。2009年3月1日、28歳6か月でのWEC初参戦となった「WEC 39」でジャスティン・ハスキンスと対戦し、TKO勝ちを

ホジマール・パリャーレス - Bout Wiki

ロの総合格闘家になる決意をし、ブラジリアン・トップチームに直談判、ブスタマンチらにその素質が認められて入門が決まった[2]。2006年4月、総合格闘技デビュー。2007年2月、アブダビコンバットブラジル予選88kg未満級に出場。準決勝でホムロ・バッハウにアンクルホールドで一本勝ち

ベンジー・ラダック - Bout Wiki

3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]2001年3月17日、United Full Contact Federationでプロ総合格闘技デビュー。2002年5月10日、8戦全勝のキャリアでUFCと契約を果たし、UFC 37に出場。スティーヴ・バーガーを開始27秒でK

ヒクソン・グレイシー - Bout Wiki

リアン柔術家、総合格闘家。リオデジャネイロ州出身。グレイシー柔術七段。グレイシー柔術の創始者エリオ・グレイシーの三男である。日本においては、総合格闘技の試合で高田延彦や船木誠勝など著名なプロレスラー、格闘家を相次いで破った。バーリ・トゥードルール、いわゆる「なんでもあり」の試合、

フィリップ・ノヴァー - Bout Wiki

の下で格闘技を始め空手やカンフーなどを学んだ。2000年からはアレッシャンドリ・ソッカの下でブラジリアン柔術も学び始めた。2003年にプロ総合格闘技デビューし、2007年まで無敗の成績を残した。2008年、UFCのリアリティ番組「The Ultimate Fighter」のシー

ファブリシオ・ヴェウドゥム - Bout Wiki

ミルコ率いるチーム・クロコップの柔術コーチを務めていた。2010年6月には世界最強と評価されていたエメリヤーエンコ・ヒョードルから史上初めて総合格闘技ルールでタップアウトを奪った。目次1 獲得タイトル2 来歴3 戦績4 脚注5 外部リンク6 Wikipedia獲得タイトル[]第5

ブライアン・エバーソール - Bout Wiki

形にカットして試合を行なう。目次1 来歴2 戦績3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]2000年2月24日、19歳2か月でプロ総合格闘技デビュー。2005年1月29日、初参戦となった修斗のセミファイナルで須田匡昇と対戦し、チョークスリーパーによる一本負けを喫した[1

フィル・デイヴィス - Bout Wiki

006年度NCAAレスリング選手権197ポンド(約89kg)級で2位、2008年度は同級優勝を果たした。2008年10月11日、24歳でプロ総合格闘技デビュー。2010年2月6日、UFC初参戦となった「UFC 109」でブライアン・スタンと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[1]。

ブライアン・ボウルズ - Bout Wiki

績4 脚注5 関連項目6 外部リンク7 Wikipedia獲得タイトル[]第4代WEC世界バンタム級王座(2009年)来歴[]2005年から総合格闘技の練習を始め、2006年にプロデビュー。無敗のまま2007年にはWECと契約し、初戦となった6月3日のチャーリー・ヴァレンシア戦は