若林和弘 - ゲーム情報ウィキ
ドラマ2.5 その他3 関連項目来歴・人物[]17歳の時にニュージャパンフィルムスタジオで働いていた際に当時『うる星やつら』の音響監督だった斯波重治と出合い、数年後斯波から仕事に誘われたことが音響の道に進むきっかけであった。音響監督としての初作品は1990年の永野あかねの漫画『猫
ドラマ2.5 その他3 関連項目来歴・人物[]17歳の時にニュージャパンフィルムスタジオで働いていた際に当時『うる星やつら』の音響監督だった斯波重治と出合い、数年後斯波から仕事に誘われたことが音響の道に進むきっかけであった。音響監督としての初作品は1990年の永野あかねの漫画『猫
河野次郎、半藤克美、千葉秀雄撮影監督:黒木敬七→諫川弘→佐藤均→熊瀬哲郎→萩原享音楽:菊池俊輔音響効果:森賢一:(イシダサウンド)録音監督:斯波重治録音制作:オムニバスプロモーション録音調整:桑原邦男スタジオ:シネビーム編集:岡安肇現像所:東京現像所プロデューサー:渡辺忠美制作協
好春美術:男鹿和雄音楽:久石譲原画:丹内司、近藤勝也、金田伊功、大塚伸治、篠原征子、二木真希子、他背景:武重洋二、他仕上:保田道世録音演出:斯波重治撮影:白井久男編集:瀬山武司制作:スタジオジブリ賞歴[]第3回AVA国際映像ソフトフェアビデオ部門アニメビデオ賞第12回山路ふみ子映
田編集室音楽:川井憲次キャラクターデザイン:高田明美メカニックデザイン:出渕裕メカニックデザイン協力:河森正治、佐山善則、幡池裕行音響監督:斯波重治作画監督:黄瀬和哉イメージフォト:樋上晴彦制作:スタジオディーン協力者の名の中に『究極超人あ〜る』の鳥坂センパイのモデルである鳥坂(
ぜ?……あたしは金ヶ崎城攻防戦で、それを思い知ったんだ。あれは南北朝の時代だったか。金ヶ崎城に、新田義貞率いる南朝方の軍勢が入って、北朝方の斯波高経と戦ったんだ。けど、南朝方は劣勢になっちまってな……。敵に包囲された金ヶ崎城は、兵糧攻めにあって、城内の兵たちは飢えに苦しめられた。
てしまったじゃと?無理もない。この山形城はまたの名を「霞城(かじょう)」とも言うからのう。天守はよく霞で隠されるのじゃ。山形城は南北朝時代に斯波(しば)氏が築城したのが始まりじゃが三の丸からは奈良・平安時代のものと推定される竪穴式住居が見つかっておる。古来より町が栄えていた証であ
作品。スタッフ[]監督:中島貞夫製作:俊藤浩滋、高岩淡プロデューサー:厨子稔雄、豊島泉企画:佐藤雅夫原作:「首領を継ぐのは俺だ」志茂田景樹、斯波道男脚本:村尾昭、大津一郎、中島貞夫撮影:佐々木原保志美術:佐野義和編集:玉木濬夫音楽:小六禮次郎助監督:藤原敏之出演[]若竹正則(二代
ずまんが大王Webアニメ版(黒沢みなも)新宿サブナード(ご案内の声の主)関連項目[]日本の声優一覧林原めぐみ白鳥由里岩永哲哉久川綾三木眞一郎斯波重治外部リンク[]賢プロダクションによる公式プロフィール特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利
海だ…ああ…ああ海だ…海だああああ!!外殻すら捨て、これまで乗っ取ってきた人物の姿に代わりながら突き進むがそんな必死の執念も、最後の最後で斯波総理と桐生防衛大臣の手で阻まれ失敗。唖然とした表情を浮かべながらも、最後は合理性に基づて諦めたような表情を浮かべながら蒸発した。われわれ
きられず没した。さらに嫡男の義智が2歳だったことを理由に、5000石を没収され大名ですらなくなってしまった。これをもって室町幕府の名門である斯波氏は、大名として完全に潰えてしまった。因みに山形城受け取りの使者となったのが…(後述)。本多正純領地:下野宇都宮藩15万5000石理由:
35㎜フィルムを使用して“映画”にする話へと企画が発展していった。最終的には、多くの業界の友人達が参加することになり、プロデューサーを務めた斯波重治は自らの自宅を抵当に入れてまで2500万円の資金を用意したのだが、スタッフが小道具を持ち寄る、末端のスタッフに日本映画学校の生徒達を
フー代表取締役社長、東京副都知事)柳井正(ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長)●作家、漫画家松本清張伊集院静梶永正史国木田独歩重松清斯波四郎高樹のぶ子船戸与一古川薫田中慎弥弘兼憲史関よしみ貞本義行遊人たにはらなつき岩本佳浩正田崇●映画監督庵野秀明山田洋次●俳優松田優作岡本
A. 室町幕府の斯波氏の当主で、守護大名として活躍した人物です。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%AF%E6%B3%A2%E7%BE%A9%E9%87%8D
ニール、ナレーション(FAIRY TAIL)ヘンゲル将軍(天体戦士サンレッド)柴田勝家(へうげもの)ルシファー(まじっく快斗)アモン(マギ)斯波田賢仁(戦姫絶唱シンフォギアG)天願和夫(ダンガンロンパ3 -The End of 希望ヶ峰学園-未来編)ミスターX (タイガーマスクW
A. 幕末の京都で活躍した新選組隊士。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%AF%E6%B3%A2%E8%89%AF%E4%BD%9C
A. 越前守護斯波義敏と越前守護代甲斐常治の間で争われた合戦群。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E7%A6%84%E5%90%88%E6%88%A6
鳴弦十郎(声:石川英郎)緒川慎次(声:保志総一朗)櫻井了子(声:沢城みゆき)藤尭朔也(声:赤羽根健治)友里あおい(声:瀬戸麻沙美)◇日本政府斯波田賢仁(声:柴田秀勝)風鳴八紘(声:山路和弘)◇私立リディアン音楽院板場弓美(声:赤崎千夏)寺島詩織(声:東山奈央)安藤創世(声:小松未
像画に引きずり込まれ、そのトラウマを刺激されて体を乗っ取られかけるが務によって救われ、改めて緑朗を守るために双亡亭を壊すという決意を固める。斯波しば敦あつし現総理大臣。45年前、中学生の時に同級生の桐生信一と金山奈々子と共に双亡亭に探検に入り、そこで奈々子の変貌を目の当たりにした
。漫画の知識は一般人並みだが、物語が進んでいくにつれ、自分の抱く金魚屋と漫画に対する愛に気づいていく。責任感が強くしっかりもので頑張り屋。■斯波尚顕金魚屋のダンジョンに住む居候。イケメンだが超のつく漫画フリークで、作中では一、二位を争う漫画馬鹿。漫画に対する愛情も深く、転んだ際に
ばれ、主君を凌ぐ実力で斉藤道三・今川義元と争った豪傑。そんな信秀が当主を務める織田弾忠家も、かつて三管領筆頭と言われた(現在は絶賛没落中の)斯波武衛家の守護代である織田大和守家の庶流でありながら、津島・熱海の二大交易拠点からの収入で朝廷に献金出来るくらい金があった富裕層。つまり信
また各地方の統一のみが目的という短時間プレイに適した地方統一モードもある・尾張統一(1555年)織田信長が父信秀の念願尾張統一を果たして尾張斯波家を追い出した時期同盟を結んでいる斎藤家、そして東の今川家に不審な動きが………・龍虎相撃つ(1561年)桶狭間の戦いで今川義元が散り、松
世界を危機に陥れた罪(という名目の口封じ)で全員死刑となる運命であった。しかしそうなる事を読んでいた蕎麦好きのおっちゃんこと外務省事務次官の斯波田賢仁が先んじて此度の事件の経緯を暴露してしまったので、彼女達を公式的に裁くにはF.I.Sに連なる全貌を明らかにする必要があり、自分達の
梅(グエン・ティ・ホン・マイ)ベトナムからの留学生だが女雪相撲に魅せられ入部。十七代目鬼百合に鍛えられただけあり実力は高く、不安定な侘助や豆斯波と違いどんな相手でも白星を上げれる。またマユりん乃山や地獄極楽などの主将クラスにさえ勝てる為、大将も任せられる逸材。もっとも錦具大牙や武
影先生ではない。公式サイトにてナスターシャの車椅子が用語解説されている。「何故そこで愛ッ!?」終盤、ウェル博士により月へ逆ボッシュートされた斯波田賢仁(CV:柴田秀勝)特異災害対策機動部の活動に協力的な外務省事務次官。2話冒頭の緊迫した雰囲気の中、初登場の通信でそばを食べていた。
来歴1970年、野沢那智主宰の劇団薔薇座に入団。1987年に退団するまで、数多くのミュージカルに出演した。1972年、野沢那智から音響監督の斯波重治を紹介され、声優業も行うようになった。1986年以降、スーパー戦隊シリーズにおいてバンダイが出す関連商品のCMナレーションを手がけて
田編集室音楽:川井憲次キャラクターデザイン:高田明美メカニックデザイン:出渕裕メカニックデザイン協力:河森正治、佐山善則、幡池裕行音響監督:斯波重治作画監督:黄瀬和哉イメージフォト:樋上晴彦制作:スタジオディーン協力者の名の中に『究極超人あ〜る』の鳥坂センパイのモデルである鳥坂(
の子、第10代目将軍の義稙(義材(よしもと/よしえだ)/義尹)[2]の弟、慈照院周嘉・今出川義純・照禅院了玄の兄。塩松義仲(石橋義仲) : 斯波氏(奥州源氏)下野石橋氏一門の塩松氏の武将。約2名ほど存在する。脚注[]↑ 『系図纂要』↑ 竹王丸の父。関連項目[]源義仲この記事は 『
源氏(河内源氏)流足利氏(下野源氏)一門の武将。約数名ほど存在する。足利義成 (足利義房の子) : 足利義兼の同母弟の義房(季邦入道)の子。斯波義成 : 斯波氏(奥州源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。足利義政 : 室町幕府の第8代目将軍。初名が義成(よししげ)。蒔田義成 :
、範勝・範慶(のりのり)の兄、正室は北川御前[3]、氏親[4]・心範(なかのり)の父。1476年に遠江国の国人衆の反乱のために戦死を遂げた。斯波義忠 : 斯波氏(奥州源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。脚注[]↑ 『系図纂要』↑ 竹王丸の父。↑伊勢氏の娘で、北条氏の祖である北条
ぐが、家臣の謀略によって弑された。嗣子はなく、ここで越後岩松氏は断絶した。多くの遺臣たちは相馬氏[2]に服従した。中野義時 : 別称は義保。斯波氏(奥州源氏)流奥州大崎氏一門の最上氏の当主の最上義守の子、義光・於東の方[3]の弟、楯岡光直・鮎貝宗信(忠旨)の兄、光広(行広)の父。
、義邵の父、義馮の祖父、義辰の曾祖父。室町幕府の最後の将軍の足利義昭(義秋)の孫とする説もあるが、真偽の程は不詳である[2]。上山義房 : 斯波氏(奥州源氏)流奥州大崎氏の系統の最上氏一門の天童氏(後天童氏)の庶家の出羽上山氏の当主の上山満長[3]の曾孫、義忠の父。脚注[]↑ 『
[8]は芳裕の7世の孫である。二本松義氏 : 奥州畠山氏(奥州源氏)一門の二本松氏の当主の二本松村国の子、家泰の弟、泰義の兄。清水義氏 : 斯波氏(奥州源氏)流奥州大崎氏一門の最上氏の系統である成沢氏の庶家の出羽清水氏の当主の清水義高の子。嗣子がなかったため、惣領家の義親(氏満/
重の異母弟、矢田義清・梁田義長(簗田義良)・義兼(義包)・義房(季邦)の父。父から将来を期待されたが、晩年に出家して41歳の若さで逝去した。斯波義康 : 斯波氏(奥州源氏)一門の武将。約3名ほど存在する。関連項目[]源義康この記事は 『足利義康』 のための曖昧さ回避ページです。下
義生(よしなり)・盛氏・泰成(康成)の弟。兄の義生の養子になったという。一色義直 : 源姓一色氏(三河源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。斯波義直 : 斯波氏(奥州源氏)一門の武将。約4名ほど存在する。松波義重 : 別称は義直。畠山氏(武蔵源氏)流能登畠山氏(能登源氏)の一門の
の父)・義頼(義縁とも、頼実の父)・里見義成室らの父。伯父の新田義重の婿養子となった。一色義清 : 一色氏一門の人物で、約2名ほど存在する。斯波義清 : 斯波氏(奥州源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。畠山義清 : 法号は祐寿入道。畠山氏(武蔵源氏)の一門の畠山国清の子、義晴の
曖昧さ回避この項目では、足利氏(下野源氏)の祖の足利義康について記述しています。その後裔である足利義康については「斯波義康」をご覧ください。足利氏の祖の足利義康像足利 義康(あしかが よしやす、1117年(永久5年)? - 1157年7月7日(保元2年5月29日))とは、平安時代
足利 義将(あしかが よしまさ)とは、陽成源氏(河内源氏)流足利氏(下野源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。斯波義将 : 武衛義将とも呼ばれる[1]。斯波氏(奥州源氏)の当主の斯波高経[2]の子、高水寺家長・末野氏経・氏頼の弟、大野義種の兄、義重の父。足利義将 (足利冬氏の子)
実[1]・矢田義房[2]・矢田義頼[3]らの異母兄、繁国・繁家らの父。山名氏(上野源氏)の祖。武衛義節 : 武永義節/上山義節とも呼ばれる。斯波氏(奥州源氏)流奥州大崎氏の系統の最上氏一門の天童氏(後天童氏)の庶家の出羽上山氏の当主の上山満長[4]の曾孫、上山義房の孫、義忠の子、
]・宗義[2]の父。父に先立って早世し、子たちは父の養子となった。山名義俊 : 山名氏の当主の山名繁国の曾孫、繁村の孫、義長の子、政氏の父。斯波義俊 : 斯波氏(奥州源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。渋川義俊 : 上野渋川氏(上野源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。一色満信
桃井義助・義氏の父。下記の新田義兼の従弟で、同時に源頼朝の族兄かつ外従兄でもある。1199年に55歳で逝去した。大崎義兼 : 幼名は彦三郎。斯波氏(奥州源氏)一門の奥州大崎氏の当主の大崎満詮の玄孫、持兼の曾孫、教兼の孫、政兼の子、高兼・義直・清水直堅の父。関連項目[]源義兼この記
河源氏)一門の丹後一色氏の当主の一色義遠(義政/義枚(よしひら)/饗庭元明)の子、義有の弟、義清・佐良木光俊[1]室・稲葉通則室[2]の兄。斯波義信 : 斯波氏(奥州源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。脚注[]↑ 土岐氏(美濃源氏)一門。↑ 『美濃国諸家系譜』関連項目[]源義信
義利(あしかが よしとし)とは、陽成源氏(河内源氏)流足利氏(下野源氏)一門の武将。約3名ほど存在する。石橋義利 : 広沢義利とも呼ばれる。斯波氏(奥州源氏)の祖の斯波家氏の子、天童義成の弟、貞数・宗家[1]の兄、義博の父、和義の祖父。下野石橋氏(塩松石橋家)の祖となった。今出川
矢田義房[1]・義頼(義縁)[2]の兄、仁木実国[3]・細川義季・戸賀崎義宗[4]の父。上野広沢氏(上野源氏)[5]と称した。最上義実 : 斯波氏(奥州源氏)流奥州大崎氏の系統の最上氏一門の最上義博の子、義昶の父。脚注[]↑ 頼長の父。↑ 頼実の父。↑ 仁木氏の祖、義俊の父。↑戸
城した[3]。戸賀崎氏(三河源氏)の祖となった。渋川義宗 : 別名は尊頼(たかより)。上野渋川氏(上野源氏)の当主の渋川直頼の子、義行の弟。斯波義宗 : 斯波氏(奥州源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。脚注[]↑ 仁木氏の祖で、義俊の父。↑ 清氏の父、氏重の祖父、義重の曾祖父、
氏)の祖の宮原晴直(上杉憲寛/憲広)[2]の子、東獄(僧侶)の兄、義照・義久の父。正室は遠縁筋の真里谷氏(上総源氏)の当主の真里谷信政の娘。斯波義勝 : 武衛義勝とも呼ばれる。官職は修理大夫。斯波氏(奥州源氏)の当主の斯波高経[3]の曾孫、武衛義将、あるいはその弟の大野義種の孫、
、その後を継ぐが、家臣の謀略によって弑された。嗣子はなく、ここで越後岩松氏は断絶した。多くの遺臣たちは相馬氏[2]に服従した。大野義種 : 斯波氏(奥州源氏)の当主の斯波高経[3]の子、高水寺家長・末野氏経・氏頼・義将の弟、満種・満理(みつすけ)の父。越前大野氏の祖となった。平島
王丸。下野国喜連川藩の初代藩主の喜連川頼氏と氏姫(徳源院)[1]との間の子、尊信の父、昭氏[2]・氏信[2]の祖父。父より先立って早世した。斯波義親 : 斯波氏(奥州源氏)一門の武将。約数名ほど存在する。松波義親 : 畠山氏(武蔵源氏)流能登畠山氏(能登源氏)の一門の能登松波氏の
ンを断ったため、マネージャーから怒られていた。そのため千葉は当初オーディションでは冷越豪役を受けていた[15][16]。その中で、音響監督の斯波重治に零役を薦められ、「どうせ自分の役ではないから」と軽い気持ちで台詞を収録したところ役をもらった[17]。その後、千葉は「リーダーは一
いで、岩松時兼・田中時朝を産んだ。後に北条得宗家の命で、夫と離別された。駒姫 (戦国時代) : 別名は於伊万(おいま)。足利氏(下野源氏)流斯波氏(奥州源氏)一門の最上義光と釈妙英院(同族の大崎義直の娘)との間の娘、義康の妹、家親・清水義親(氏満/康氏/光氏)・山野辺義忠・上野山
製作:徳間康快企画:山下辰巳、尾形英夫作画:佐藤好春美術:男鹿和雄音楽:久石譲仕上:保田道世撮影:白井久男、黒田洋一編集:瀬山武司録音演出:斯波重治調整:井上秀司効果:佐藤一俊原画:丹内司、大塚伸治、篠原征子、遠藤正明、河口俊夫、田中誠、金田伊功、近藤勝也、二木真希子 山川浩臣