「定勝」を含むwiki一覧 - 5ページ

富松恵美 - Bout Wiki

デビュー。2007年からはスマックガールにも参戦し、ネクストシンデレラトーナメントに出場し5月19日のライト級準決勝では奥村ユカに3-0の判定勝ち。9月6日の決勝ではV一に1-2の判定で敗れ優勝を逃した。同年のアブダビコンバットの日本予選にも参加、3月25日の55kg未満級1次予

外薗晶敏 - Bout Wiki

人王トーナメント1回戦で木部亮と対戦し、0-1の判定ドローとなったが、ポイント差でトーナメント敗退。2003年3月30日、木部亮と再戦し、判定勝ち。2003年7月13日、フェザー級新人王トーナメント準決勝で対戦予定であったきんぞ~が負傷欠場になり、決勝進出が決定。代わりに喜多浩樹

牧野智昭 - Bout Wiki

勝ちを収めた。2009年7月17日、J-NETWORKスーパーウェルター級次期王座挑戦者決定トーナメント準決勝で吉川英明と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[4]。2009年10月4日、J-NETWORKスーパーウェルター級王座決定戦で屋比久孟嗣と対戦し、3-0の判定勝ち。9戦目で

廣田瑞人 - Bout Wiki

加し、優勝を果たした[2]。2005年2月6日、プロ修斗デビュー。2005年9月23日、修斗新人王決定トーナメント決勝で児山佳宏に3-0で判定勝ちし、ウェルター級新人王となった。2005年12月17日、修斗で光陰兜と対戦し、3-0の判定勝ち。2005年12月19日付けでクラスAに

小林聖人 - Bout Wiki

009年3月15日、「クローズZERO II 公開記念 THE OUTSIDER SPECIAL」で“濱の勇二”高垣勇二と対戦し、3-0の判定勝ち。試合後のリング上でTHE OUTSIDER卒業を宣言した[2]。2009年6月27日、CAGE FORCE初参戦となった「CAGE

横瀬いつか - Bout Wiki

2010年から新宿レフティージムに所属、8月1日に行なわれたJ-NETWORK主催のアマチュア大会「J-GROW」で5年ぶりに試合を行ない判定勝ちを収めた。2010年9月12日、2010 M-1フレッシュマンズ Vol.3にてキックボクサーとしてプロデビュー。千佳子と対戦し、3-

川村亮 - Bout Wiki

KEI山宮と対戦し、判定負けを喫した。2008年3月5日、戦極の旗揚げ大会「戦極 ~第一陣~」でアントニオ・ブラガ・ネトと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2008年5月18日、「戦極 ~第二陣~」でケビン・ランデルマンと対戦し、0-3の判定負けを喫した。2008年10月1日、第

山田真子 - Bout Wiki

優子らを相手にエキシビションマッチを5度経験した。2009年9月27日、J-GIRLSジュニア50タイトルマッチで王者日下部奈々に3-0の判定勝ちを収め王座を獲得[1]。アマチュアでは89戦79勝7敗3分の成績を残す。2010年5月30日、J-GIRLSでプロデビューし、yu-k

岡嵜康悦 - Bout Wiki

則を犯したため失格となり、岡嵜がフェザー級新人王となった(公式記録は引き分け)[1]。2006年6月3日、修斗で田中寛之と対戦し、2-0の判定勝ち。2006年6月5日付けでクラスAに昇格した(修斗戦績:4戦3勝1分)[2]。2006年11月4日、修斗で田澤聡と2年ぶりに再戦し、3

山崎秀晃 - Bout Wiki

ORK「J-FIGHT 27」でプロデビュー。2009年9月13日、J-NETWORK「J-FIGHT 30」でカツ・ジャンジラに2-0の判定勝ち[2]。2009年12月4日、Krush初参戦となったKrush-EX ~新宿 Dog Fight~で森川修平とドロー。2010年3月

小比類巻太信 - Bout Wiki

WORLD MAX 2004 ~日本代表決定トーナメント~で優勝。同~世界一決定トーナメント~に進出し、準々決勝でマイク・ザンビディスに判定勝ち、準決勝でブアカーオ・ポー.プラムックに左膝蹴りでKO負けを喫した。翌2005年も日本代表決定トーナメントを制すが、7月20日の世界一

小路晃 - Bout Wiki

0月11日、「PRIDE.4」ではヴァリッジ・イズマイウにTKO勝ち。1999年7月4日、「PRIDE.6」ではガイ・メッツァーに2-1の判定勝ちを収めた。2000年のPRIDEグランプリでは開幕戦でエベンゼール・フォンテス・ブラガに2-0の判定勝ち、2回戦では優勝したマーク・コ

増田博正 - Bout Wiki

ックボクシング連盟フェザー級王座WPMF世界ライト級王座来歴[]1999年6月1日、全日本フェザー級王座決定トーナメント準決勝で立嶋篤史に判定勝ち。7月13日の全日本フェザー級王座決定戦で藤武蔵に左ハイキックでKO勝ちし王座を獲得した。1999年11月22日、全日本キックボクシン

TATSUJI - Bout Wiki

、2年連続で準優勝となった。2007年4月4日、「K-1 WORLD MAX 2007 ~世界最終予選~」でアルバート・クラウスと対戦し、判定勝ちを収めた。2007年6月28日、「K-1 WORLD MAX 2007 ~世界一決定トーナメント開幕戦~」でアンディ・オロゴンと対戦し

中島弘貴 - Bout Wiki

が閉鎖となり、バンゲリングベイ・スピリットに移籍した。2008年11月30日、初参戦となったR.I.S.E.で73KING(ナミキング)に判定勝ち。2Rにキックを出した際に右足の甲を負傷し腫れ上がり、試合後はまともに歩けない状態であった[3]。2009年3月14日、全日本キックボ

アミール・サダロー - Bout Wiki

アッパーの連打を浴び、TKO負けを喫した[5]。11月21日、「UFC 106」でフィル・バローニと対戦し、打撃で試合を優勢に進め3-0の判定勝ちを収めた[6]。2010年1月11日、「UFC Fight Night: Maynard vs. Diaz」でブラッド・ブラックバーン

松本晃市郎 - Bout Wiki

傷により試合中止となった(試合前日に発表された)[2]。2008年10月23日、「DEEP 38 IMPACT」で雷暗暴と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2009年2月20日、「DEEP 40 IMPACT」のDEEPライト級王座決定トーナメント1回戦で中尾受太郎と対戦し、判定

中村高明 - Bout Wiki

級王座挑戦者決定戦で清水貴彦と対戦し、0-3の判定負けを喫した。2002年1月11日、一撃でネステロフ・ヴィアチェスラブと対戦し、2-0の判定勝ち[1]。2004年5月16日、和術慧舟會総本部主催「Kushima's Fight 7 拳神伝」の72kgトーナメントに出場し、優勝を

中村敏射 - Bout Wiki

と対戦予定であったが[3]、自身の負傷により欠場となった[4]。2007年3月9日、全日本キックボクシング連盟で岩切博史と対戦し、2-1の判定勝ちを収めた[5]。2008年6月18日、ジャマイカのモンテゴ・ベイで開催された「World Championship MUAYTHAI」

伊澤寿人 - Bout Wiki

果たした[1]。2008年3月30日、THE OUTSIDER旗揚げ戦で“ガチンコファイトクラブサバイバル戦士”權代祐典と対戦し、2-0の判定勝ちを収めた[2]。2008年12月20日、「THE OUTSIDER 第4戦」で“インテリジェンスタイガー”秀虎と対戦し、マウントパンチ

中村大介 - Bout Wiki

。2008年4月3日、ロシアで行なわれた「M-1 CHALLENGE」の国別対抗戦に70kg以下代表として出場。ユーリ・イブレフに3-0の判定勝ちを収めた。2008年5月11日、DREAM初参戦となった「DREAM.3」でチョン・ブギョンと対戦し、右ストレートでKO勝ちを収めた。

井上克也 - Bout Wiki

ウェルター級暫定王者となった。2008年1月30日、パンクラスで北岡悟と第3代ウェルター級キング・オブ・パンクラス決定戦で対戦し、2-1の判定勝ちを収め第3代ウェルター級王者となった。翌日の記者会見で同王座を返上し、ライト級転向を発表した[2]。2008年5月11日、DREAM初

佐々木憂流迦 - Bout Wiki

優勝を果たした[7]。2010年9月17日、2010年度修斗新人王決定トーナメント・ライト級準決勝でCRAZY D 元博と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2010年10月31日、COPA ALLIANCEに出場。柔術部門アダルト白帯ペナ級で3試合連続一本勝ちで優勝、青帯を授与さ

北村ヒロコ - Bout Wiki

1]。2009年4月19日、JEWELSのアマプロ大会「ROUGH STONE 1st RING」に出場。アマチュア総合ルールで大矢裕子に判定勝ち、浜崎朱加には判定ドローとなった[6]。2009年5月16日、「JEWELS 3rd RING」のオープニングファイトで村田恵実とJE

生駒純司 - Bout Wiki

2003年8月11日付けでクラスAに昇格した(8戦4勝3敗1分)。2003年10月31日、修斗のメインイベントで廣野剛康と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[2]。2003年12月14日、修斗でホビソン・モウラと対戦し、0-3の判定負け[3]。阿部マサトシの欠場を受けての代役出場と

児山佳宏 - Bout Wiki

った。2006年11月10日、修斗で佐々木信治に勝利し、ウェルター級新人王となった。2007年3月25日、修斗で梶田高裕と対戦し、2-0の判定勝ち。3月26日付けでクラスAに昇格した(修斗戦績:6戦4勝1敗1分)[3]。2007年11月11日、CAGE FORCE初参戦となった「

前田宏行 - Bout Wiki

級王座に再挑戦。リック吉村に10R判定負けを喫した。1999年12月4日、タイトルマッチ前哨戦としてノーランカー橋本照裕匡と対戦し、10R判定勝ちを収めた。2000年4月2日、小野淳一に10R判定勝ちし、日本スーパーライト級王座を獲得し、2階級制覇を達成した。2000年8月5日、

佐野哲也 - Bout Wiki

THE OUTSIDER 第8戦」から開幕した65-70kgトーナメントに出場。1回戦で“天下一武闘会 逆襲の特攻隊長”浦野貴之に2-1で判定勝ち[12]。続く2回戦では1回戦を不戦勝で勝ち上がった“静岡天竜区最強 斬刃拳正統流派 殺法剛斬流筆頭”学金狗と対戦し、右ハイキックで失

アイヴァン・メンジバー - Bout Wiki

約で対戦し、0-3の判定負けを喫した。2005年7月31日、パンクラスで志田幹と対戦。ジャーマン・スープレックスを繰り出すなどし、3-0の判定勝ちを収めた。2006年1月28日、「TKO 24」でユライア・フェイバーと対戦。激闘を繰り広げるも、2Rにグラウンド状態で蹴りを繰り出し

佐藤洋一郎 - Bout Wiki

プロ昇格を決めた[3]。2008年3月21日、プロ修斗デビュー。2008年新人王決定トーナメント・ミドル級1回戦で石中暢と対戦し、3-0の判定勝ち。8月3日の準決勝では久米鷹介と対戦し、0-0の判定ドローとなったがトーナメント勝ち上がりを決める優勢判定では0-3でトーナメントから

マット・ヒューズ - Bout Wiki

力と投げを武器に、Extreme Challengeなどローカルプロモーションで活躍。1999年5月には修斗へ初来日し、郷野聡寛に3-0の判定勝ちを収めた。1999年9月24日、UFC初参戦となった「UFC 22」でヴァレリ・イグナトフと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2000

サラ・カフマン - Bout Wiki

デビュー。2009年5月15日、「ShoMMA: Strikeforce Challengers 1」でミーシャ・テイトと対戦し、3-0の判定勝ち。当初テイトと対戦予定であったキム・クートゥアの欠場による代役となった[1]。2010年2月26日、「ShoMMA: Strikefo

クリス・ライトル - Bout Wiki

開始33秒、パウンドでTKO勝ちを収めノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。10月18日、「UFC 89」でポール・テイラーと対戦し、判定勝ちを収めファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2009年1月17日、「UFC 93」でマーカス・デイヴィスと対戦し、1-2の判定負けとな

ジョニー・ヘンドリックス - Bout Wiki

」でジャスティン・ハスキンスと対戦し、TKO勝ちを収めた。2009年3月1日、「WEC 39」でアレックス・セルジュコフと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2009年8月8日、ウェルター級移管による[2]UFC初参戦となった「UFC 101」でアミール・サダローと対戦し、アッパー

阿部裕幸 - Bout Wiki

身のジムAACCを主宰し、一般への格闘技の普及だけでなくプロ選手の育成も行っている。来歴[]1999年5月29日、修斗で高山義幸と対戦し、判定勝ちを収めた。1999年9月5日、修斗で大石真丈と対戦し、判定引き分けとなった。2000年5月22日、修斗で野中公人と対戦し、判定勝ちを収

ジョセフ・ベナヴィデス - Bout Wiki

の支払いを巡る問題のため離脱した[5]。2008年12月3日、WEC初参戦となった「WEC 37」でダニー・マルティネスと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2009年4月5日、「WEC 40」でジェフ・カランに3-0の判定勝ちを収めた。8月9日、「WEC 42」でドミニク・クルー

ジョゼ・アルド - Bout Wiki

・アゼヴェドと対戦し、チョークスリーパーで一本負けし初敗北を喫した。2007年7月27日、初参戦となったパンクラスで昇侍と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[2]。2008年6月1日、WEC初参戦となった「WEC 34」でアレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラと対戦し、パウンドでTK

タイロン・ウッドリー - Bout Wiki

収めた[2]。2010年5月21日、「ShoMMA: Strikeforce Challengers 8」でマット・コイと対戦し、2-1の判定勝ちを収めた[3]。2010年10月9日、「Strikeforce: Diaz vs. Noons 2」でアンドレ・ガウヴァオンと対戦し、

遠藤智史 - Bout Wiki

ー.ブアンラットに0-3の判定負けを喫した[3]。2008年7月26日、全日本ライト級王座決定トーナメントBブロックで寺崎直樹、白濱卓哉に判定勝ちを収め、全日本ライト級王座決定戦出場を決めた[4]。2008年12月5日、「Fujiwara Festival ~藤原祭り2008~」

ベティコ - Bout Wiki

ちを収めた[9]。2005年8月28日、『女子キックボクシング「天空」 ~大和撫子の闘い~』で佐藤綾子と総合格闘技ルールで対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[10]。2005年10月15日、SMACKGIRL-Fでスマックガールライト級女王辻結花とSGG公式ルールで対戦し、腕ひしぎ

ヒカルド・アルメイダ - Bout Wiki

ンゾ・グレイシー柔術アカデミーでクラスを持っていた。2000年12月9日、プロデビュー戦となったPRIDE.12で小路晃と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2001年4月、アブダビコンバットに出場。99kg未満級の決勝でヒカルド・アローナに敗れ、準優勝。無差別級では準決勝でジャン

タイソン・グリフィン - Bout Wiki

タバレス戦に連勝した(2試合ともファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した)。2008年2月2日、「UFC 81」でグレイゾン・チバウに3-0の判定勝ち。7月5日の「UFC 86」でもマーカス・アウレリオに3-0の判定勝ちを収め連勝を4に伸ばした。10月25日に行なわれた「UFC 90

ジョージ・ループ - Bout Wiki

08年、UFCのリアリティ番組「The Ultimate Fighter」のシーズン8・ライト級に参加。予選会ではローランド・デルガードに判定勝ちし、合宿所行きを決めると、チーム選抜ではフランク・ミアに指名された。準々決勝ではジョン・ポラコウスキーに判定勝ち。準決勝でフィリップ・

ジェイ・ヒエロン - Bout Wiki

と契約し、半月後の8月15日に開催されたStrikeforce: Carano vs. Cyborgでジェシー・テイラーと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2010年1月30日、Strikeforce: Miamiでジョー・リッグスと対戦し、3-0の判定勝ち。試合後、ウェルター級

高林恭子 - Bout Wiki

11日、プロデビュー。2005年9月18日、第12回全日本アマチュア修斗選手権・女子フライ級(2名参加)に出場。ワンマッチ決勝で山崎裕子に判定勝ちし、優勝を果たした[1]。2007年3月11日、スマックガールで石岡沙織と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2007年11月8日、修斗

スギロック - Bout Wiki

。2009年10月24日、プロデビュー戦およびVALKYRIE初参戦となった「VALKYRIE 03」で♂ha@THE♀と対戦し、3-0の判定勝ち。この試合からリングネームをスギロックとした[3]。2010年6月19日、「VALKYRIE 06」で森岡恵と対戦し、パウンドによるT

高橋藍 - Bout Wiki

[1]来歴[]2009年6月28日、シュートボクシング「ヤングシーザー杯 TOKYO 2009」でプロデビュー。岡加奈子と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[2]。2009年8月23日、シュートボクシング「Girls S-cup 2009」に出場。1回戦で石岡沙織と対戦し、2度のダ

フィル・デイヴィス - Bout Wiki

月11日、24歳でプロ総合格闘技デビュー。2010年2月6日、UFC初参戦となった「UFC 109」でブライアン・スタンと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[1]。2010年4月10日、「UFC 112」でアレクサンダー・グスタフソンと対戦し、アナコンダチョークで一本勝ちを収めた[

ハファエル・アスンソン - Bout Wiki

総合格闘家としてデビュー。デビュー以来4連勝し、2005年4月21日の「Full Throttle 1」ではホルヘ・マスヴィダルに3-0の判定勝ちを収めた。2006年2月18日、「AFC 15」でジェンス・パルヴァーを破ったジョー・ローゾンと対戦。体格差のあるローゾン相手に一方的

カブ・スワンソン - Bout Wiki

26」でトミー・リーと対戦し、ギロチンチョークによる一本勝ちを収めた。2007年6月3日、「WEC 28」でミカ・ミラーと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2007年12月12日、「WEC 31」でジェンス・パルヴァーと対戦し、開始35秒、ギロチンチョークによる一本負けを喫しデビ