「判定勝ち」を含むwiki一覧 - 5ページ

伊澤寿人 - Bout Wiki

を果たした[1]。2008年3月30日、THE OUTSIDER旗揚げ戦で“ガチンコファイトクラブサバイバル戦士”權代祐典と対戦し、2-0の判定勝ちを収めた[2]。2008年12月20日、「THE OUTSIDER 第4戦」で“インテリジェンスタイガー”秀虎と対戦し、マウントパン

石川菊代 - Bout Wiki

沖縄・天下一スタジアムで開催された「P'sREAL GATE Fight vol.1」でCHINAとキックボクシングルールで対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[4]。2008年11月16日、プロデビュー戦となった「JEWELS 旗揚げ戦」で山田純琴と対戦し、三角絞めによる一本勝ちを

正城ユウキ - Bout Wiki

グネームを本名の正城悠樹から正城ユウキに変更した。2006年3月3日、修斗で神酒龍一と対戦し、3-0(20-19、20-18、20-18)の判定勝ちを収めた。2007年3月4日、修斗で塩田"GoZo"歩と対戦し、右ストレートによる失神TKO勝ちを収めた[2]。2007年3月11日

井上克也 - Bout Wiki

。ウェルター級暫定王者となった。2008年1月30日、パンクラスで北岡悟と第3代ウェルター級キング・オブ・パンクラス決定戦で対戦し、2-1の判定勝ちを収め第3代ウェルター級王者となった。翌日の記者会見で同王座を返上し、ライト級転向を発表した[2]。2008年5月11日、DREAM

佐々木憂流迦 - Bout Wiki

、優勝を果たした[7]。2010年9月17日、2010年度修斗新人王決定トーナメント・ライト級準決勝でCRAZY D 元博と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2010年10月31日、COPA ALLIANCEに出場。柔術部門アダルト白帯ペナ級で3試合連続一本勝ちで優勝、青帯を授与

石渡伸太郎 - Bout Wiki

ロ昇格を決めた。2006年3月3日、新人王トーナメントでプロ修斗デビューを果たすも、石澤大介にTKO負け。11月10日には小林正俊に2-0の判定勝ちを収めプロ初白星を挙げた。2007年8月5日、修斗で中村浩士と対戦し、1-0の判定ドローとなった。2008年2月23日、修斗で200

TATSUJI - Bout Wiki

し、2年連続で準優勝となった。2007年4月4日、「K-1 WORLD MAX 2007 ~世界最終予選~」でアルバート・クラウスと対戦し、判定勝ちを収めた。2007年6月28日、「K-1 WORLD MAX 2007 ~世界一決定トーナメント開幕戦~」でアンディ・オロゴンと対戦

ライアン・ベイダー - Bout Wiki

果たした[1]。2009年4月1日、「UFC Fight Night: Condit vs. Kampmann」でカーメロ・マレロに3-0の判定勝ち[2]。10月24日、「UFC 104」でエリック・シェイファーに3-0の判定勝ちを収めUFC3連勝となった[3]。2010年2月2

ミーシャ・テイト - Bout Wiki

「HOOKnSHOOT: Bodog Fight Women's Tournament」でプロ総合格闘技デビュー。1回戦でジャン・フィニーに判定勝ちを収めるも、準決勝でケイトリン・ヤングにKO負けを喫した。2008年6月27日、Strikeforce初参戦となった「Strikef

アミール・サダロー - Bout Wiki

秒アッパーの連打を浴び、TKO負けを喫した[5]。11月21日、「UFC 106」でフィル・バローニと対戦し、打撃で試合を優勢に進め3-0の判定勝ちを収めた[6]。2010年1月11日、「UFC Fight Night: Maynard vs. Diaz」でブラッド・ブラックバー

上山龍紀 - Bout Wiki

なったリングスで滑川康仁と対戦し、判定負けを喫した。2002年6月9日、DEEP2001ミドル級トーナメントに参戦。1回戦で梁正基に2-0で判定勝ち、準決勝で村浜天晴にチョークスリーパーで一本勝ち、決勝では石川英司にアンクルホールドで一本勝ちし、初代DEEPミドル級チャンピオンと

佐藤洋一郎 - Bout Wiki

、プロ昇格を決めた[3]。2008年3月21日、プロ修斗デビュー。2008年新人王決定トーナメント・ミドル級1回戦で石中暢と対戦し、3-0の判定勝ち。8月3日の準決勝では久米鷹介と対戦し、0-0の判定ドローとなったがトーナメント勝ち上がりを決める優勢判定では0-3でトーナメントか

佐野哲也 - Bout Wiki

「THE OUTSIDER 第8戦」から開幕した65-70kgトーナメントに出場。1回戦で“天下一武闘会 逆襲の特攻隊長”浦野貴之に2-1で判定勝ち[12]。続く2回戦では1回戦を不戦勝で勝ち上がった“静岡天竜区最強 斬刃拳正統流派 殺法剛斬流筆頭”学金狗と対戦し、右ハイキックで

ロバート・エマーソン - Bout Wiki

n OSAKAで三島☆ド根性ノ助と対戦し、0-3の判定負けを喫した。2006年5月2日、初参戦となったパンクラスで伊藤崇文と対戦し、3-0の判定勝ち。8月27日にはアライケンジと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2007年、リアリティ番組「The Ultimate Fighter

アイヴァン・メンジバー - Bout Wiki

契約で対戦し、0-3の判定負けを喫した。2005年7月31日、パンクラスで志田幹と対戦。ジャーマン・スープレックスを繰り出すなどし、3-0の判定勝ちを収めた。2006年1月28日、「TKO 24」でユライア・フェイバーと対戦。激闘を繰り広げるも、2Rにグラウンド状態で蹴りを繰り出

マーク・ムニョス - Bout Wiki

対戦し、右ハイキックでKO負け[2]。この試合より後は、階級を一つ下のミドル級へ転向。転向後は「UFC 102」でニック・カトーンに2-1の判定勝ち、「UFC 108」でライアン・ジェンセンにパウンドでギブアップ勝ちを収め、2連勝を果たした[3]。2010年4月10日、アブダビで

マーク・ボーチェック - Bout Wiki

参戦。「UFC 73」でフランク・エドガーと対戦し、パウンドでTKO負け。12月29日、「UFC 79」でダグ・エヴァンスと対戦し、3-0の判定勝ちでUFC初勝利となった。2008年4月19日、「UFC 83」でマック・ダンジグと対戦し、チョークスリーパーで一本負け。11月15日

アンディ・オロゴン - Bout Wiki

を喫した。2006年12月31日の「K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!」では金子賢とHERO'Sルールで対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2007年2月5日、K-1 WORLD MAX 日本代表決定トーナメントへ参戦。1回戦で小比類巻貴之と対戦し、3R戦うも決

永田克彦 - Bout Wiki

、総合格闘家デビューを果たし、「K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!」に参戦。レミギウス・モリカビュチスと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2006年5月3日、HERO'Sで秋山成勲と対戦し、右後ろ回し蹴りによるKO負け。2006年12月31日、2年連続参戦とな

サラ・カフマン - Bout Wiki

技デビュー。2009年5月15日、「ShoMMA: Strikeforce Challengers 1」でミーシャ・テイトと対戦し、3-0の判定勝ち。当初テイトと対戦予定であったキム・クートゥアの欠場による代役となった[1]。2010年2月26日、「ShoMMA: Strikef

ジョニー・ヘンドリックス - Bout Wiki

7」でジャスティン・ハスキンスと対戦し、TKO勝ちを収めた。2009年3月1日、「WEC 39」でアレックス・セルジュコフと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2009年8月8日、ウェルター級移管による[2]UFC初参戦となった「UFC 101」でアミール・サダローと対戦し、アッパ

ジョゼ・アルド - Bout Wiki

ノ・アゼヴェドと対戦し、チョークスリーパーで一本負けし初敗北を喫した。2007年7月27日、初参戦となったパンクラスで昇侍と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[2]。2008年6月1日、WEC初参戦となった「WEC 34」でアレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラと対戦し、パウンドでT

カブ・スワンソン - Bout Wiki

26」でトミー・リーと対戦し、ギロチンチョークによる一本勝ちを収めた。2007年6月3日、「WEC 28」でミカ・ミラーと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2007年12月12日、「WEC 31」でジェンス・パルヴァーと対戦し、開始35秒、ギロチンチョークによる一本負けを喫しデ

廣田瑞人 - Bout Wiki

参加し、優勝を果たした[2]。2005年2月6日、プロ修斗デビュー。2005年9月23日、修斗新人王決定トーナメント決勝で児山佳宏に3-0で判定勝ちし、ウェルター級新人王となった。2005年12月17日、修斗で光陰兜と対戦し、3-0の判定勝ち。2005年12月19日付けでクラスA

ジョセフ・ベナヴィデス - Bout Wiki

ーの支払いを巡る問題のため離脱した[5]。2008年12月3日、WEC初参戦となった「WEC 37」でダニー・マルティネスと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2009年4月5日、「WEC 40」でジェフ・カランに3-0の判定勝ちを収めた。8月9日、「WEC 42」でドミニク・クル

小比類巻太信 - Bout Wiki

1 WORLD MAX 2004 ~日本代表決定トーナメント~で優勝。同~世界一決定トーナメント~に進出し、準々決勝でマイク・ザンビディスに判定勝ち、準決勝でブアカーオ・ポー.プラムックに左膝蹴りでKO負けを喫した。翌2005年も日本代表決定トーナメントを制すが、7月20日の世界

遠藤智史 - Bout Wiki

ソー.ブアンラットに0-3の判定負けを喫した[3]。2008年7月26日、全日本ライト級王座決定トーナメントBブロックで寺崎直樹、白濱卓哉に判定勝ちを収め、全日本ライト級王座決定戦出場を決めた[4]。2008年12月5日、「Fujiwara Festival ~藤原祭り2008~

高橋藍 - Bout Wiki

賞[1]来歴[]2009年6月28日、シュートボクシング「ヤングシーザー杯 TOKYO 2009」でプロデビュー。岡加奈子と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[2]。2009年8月23日、シュートボクシング「Girls S-cup 2009」に出場。1回戦で石岡沙織と対戦し、2度の

小路晃 - Bout Wiki

10月11日、「PRIDE.4」ではヴァリッジ・イズマイウにTKO勝ち。1999年7月4日、「PRIDE.6」ではガイ・メッツァーに2-1の判定勝ちを収めた。2000年のPRIDEグランプリでは開幕戦でエベンゼール・フォンテス・ブラガに2-0の判定勝ち、2回戦では優勝したマーク・

高林恭子 - Bout Wiki

月11日、プロデビュー。2005年9月18日、第12回全日本アマチュア修斗選手権・女子フライ級(2名参加)に出場。ワンマッチ決勝で山崎裕子に判定勝ちし、優勝を果たした[1]。2007年3月11日、スマックガールで石岡沙織と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2007年11月8日、修

小林聖人 - Bout Wiki

2009年3月15日、「クローズZERO II 公開記念 THE OUTSIDER SPECIAL」で“濱の勇二”高垣勇二と対戦し、3-0の判定勝ち。試合後のリング上でTHE OUTSIDER卒業を宣言した[2]。2009年6月27日、CAGE FORCE初参戦となった「CAGE

ジョージ・ループ - Bout Wiki

008年、UFCのリアリティ番組「The Ultimate Fighter」のシーズン8・ライト級に参加。予選会ではローランド・デルガードに判定勝ちし、合宿所行きを決めると、チーム選抜ではフランク・ミアに指名された。準々決勝ではジョン・ポラコウスキーに判定勝ち。準決勝でフィリップ

天田ヒロミ - Bout Wiki

ロ格闘家となる。1999年3月22日、プロデビュー戦となったK-1 THE CHALLENGE '99でジョン・ワイアットと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2000年にはK-1 JAPAN GPで準優勝。世界の壁の厚さに苦しみながらもK-1 JAPANの期待の選手と成長。200

富松恵美 - Bout Wiki

ロデビュー。2007年からはスマックガールにも参戦し、ネクストシンデレラトーナメントに出場し5月19日のライト級準決勝では奥村ユカに3-0の判定勝ち。9月6日の決勝ではV一に1-2の判定で敗れ優勝を逃した。同年のアブダビコンバットの日本予選にも参加、3月25日の55kg未満級1次

タイソン・グリフィン - Bout Wiki

・タバレス戦に連勝した(2試合ともファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した)。2008年2月2日、「UFC 81」でグレイゾン・チバウに3-0の判定勝ち。7月5日の「UFC 86」でもマーカス・アウレリオに3-0の判定勝ちを収め連勝を4に伸ばした。10月25日に行なわれた「UFC 9

ダン・ハーディー - Bout Wiki

られ負けにも等しい内容であった。11月26日、マット・ソープとのCWFCライトウェルター級(-73kg級)タイトルマッチが行なわれ、2-1の判定勝ちを収めた。2006年3月25日、CWFCで前回決着のつかなかった宿敵ディエゴ・ゴンザレスとのタイトルマッチが組まれる。試合は序盤から

スギロック - Bout Wiki

]。2009年10月24日、プロデビュー戦およびVALKYRIE初参戦となった「VALKYRIE 03」で♂ha@THE♀と対戦し、3-0の判定勝ち。この試合からリングネームをスギロックとした[3]。2010年6月19日、「VALKYRIE 06」で森岡恵と対戦し、パウンドによる

ダン・ミラー - Bout Wiki

Night 15」ではロブ・キモンズに一本勝ちし、緒戦を飾る。1か月後の10月25日にはUFC 90に出場、マット・ホーウィッチに3-0の判定勝ちを収め元IFLミドル級王者同士の対決を制した。2009年2月7日、「UFC Fight Night: Lauzon vs. Step

クリス・ライトル - Bout Wiki

、開始33秒、パウンドでTKO勝ちを収めノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。10月18日、「UFC 89」でポール・テイラーと対戦し、判定勝ちを収めファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2009年1月17日、「UFC 93」でマーカス・デイヴィスと対戦し、1-2の判定負けと

ティム・ブティッシュ - Bout Wiki

年8月7日、1年5か月ぶりのUFC復帰戦となった「UFC 117」でトッド・ブラウンと対戦し、3-0(29-28、29-28、29-28)の判定勝ちを収めた[4]。2010年11月20日、「UFC 123」でフィル・デイヴィスと対戦し、チキンウィングアームロックによる一本負けを喫

川村亮 - Bout Wiki

でKEI山宮と対戦し、判定負けを喫した。2008年3月5日、戦極の旗揚げ大会「戦極 ~第一陣~」でアントニオ・ブラガ・ネトと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2008年5月18日、「戦極 ~第二陣~」でケビン・ランデルマンと対戦し、0-3の判定負けを喫した。2008年10月1日、

赤木康洋 - Bout Wiki

よる一本負けを喫した[4]。2003年3月30日、修斗で行なわれた2003年新人王トーナメント・バンタム級1回戦で澤田健一と対戦し、2-0の判定勝ち。9月21日、準決勝で塙真一と対戦し、2-0の判定勝ち[5]。11月25日、決勝でHIROと対戦し、3-0の判定勝ちを収め優勝を果た

タイロン・ウッドリー - Bout Wiki

を収めた[2]。2010年5月21日、「ShoMMA: Strikeforce Challengers 8」でマット・コイと対戦し、2-1の判定勝ちを収めた[3]。2010年10月9日、「Strikeforce: Diaz vs. Noons 2」でアンドレ・ガウヴァオンと対戦し

ジェンス・パルヴァー - Bout Wiki

事した。UFC[]2001年2月23日、「UFC 30」で行なわれた初代UFC世界ライト級(旧バンタム級)王者決定戦で宇野薫と対戦。2-0の判定勝ちを収め、初代UFC世界ライト級王者となった。2001年9月28日、「UFC 33」でデニス・ホールマンとタイトルマッチを行ない、3-

瀧本誠 - Bout Wiki

表明。総合格闘技デビュー戦となった2004年12月31日の『PRIDE 男祭り 2004』では、相撲から転向してきた戦闘竜と対戦し、3-0の判定勝ち。試合後リング上で「今日、試合するまで、総合格闘技をなめてました。どうもすいませんでした。」と発言した。2005年6月26日、PRI

外薗晶敏 - Bout Wiki

新人王トーナメント1回戦で木部亮と対戦し、0-1の判定ドローとなったが、ポイント差でトーナメント敗退。2003年3月30日、木部亮と再戦し、判定勝ち。2003年7月13日、フェザー級新人王トーナメント準決勝で対戦予定であったきんぞ~が負傷欠場になり、決勝進出が決定。代わりに喜多浩

鈴木博昭 - Bout Wiki

ヤングシーザー杯OSAKA」で木田なっくる将大と対戦し、KO勝ちを収めた[4]。2009年4月3日、SB日本スーパーフェザー級1位歌川暁文に判定勝ちを収め、デビュー2戦目以降5連勝となった[5]。2009年6月1日、及川知浩と対戦し、KO勝ち。この試合はSB日本スーパーフェザー級

山崎秀晃 - Bout Wiki

WORK「J-FIGHT 27」でプロデビュー。2009年9月13日、J-NETWORK「J-FIGHT 30」でカツ・ジャンジラに2-0の判定勝ち[2]。2009年12月4日、Krush初参戦となったKrush-EX ~新宿 Dog Fight~で森川修平とドロー。2010年3

岡嵜康悦 - Bout Wiki

反則を犯したため失格となり、岡嵜がフェザー級新人王となった(公式記録は引き分け)[1]。2006年6月3日、修斗で田中寛之と対戦し、2-0の判定勝ち。2006年6月5日付けでクラスAに昇格した(修斗戦績:4戦3勝1分)[2]。2006年11月4日、修斗で田澤聡と2年ぶりに再戦し、

増田博正 - Bout Wiki

キックボクシング連盟フェザー級王座WPMF世界ライト級王座来歴[]1999年6月1日、全日本フェザー級王座決定トーナメント準決勝で立嶋篤史に判定勝ち。7月13日の全日本フェザー級王座決定戦で藤武蔵に左ハイキックでKO勝ちし王座を獲得した。1999年11月22日、全日本キックボクシ