「判定勝ち」を含むwiki一覧 - 11ページ

カマル・シャロルス - Bout Wiki

ウィル・ケアーと対戦し、右フックによるTKO勝ちを収めた[2]。2010年1月10日、「WEC 46」でデイブ・ジャンセンと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[3]。2010年4月24日、「WEC 48」でジェイミー・ヴァーナーと対戦予定であったが、自身の負傷により欠場となった。2

ウエンツ☆修一 - Bout Wiki

MON CLIMAX '06」55kg級で優勝を果たした。2006年10月8日、全日本キックボクシング連盟でプロデビューし、塚原健に3-0の判定勝ち。この試合は本名の石村修一で出場した[3]。2006年11月26日の2戦目からはウエンツ☆修一に改名した[4]。2007年10月6日

エディ・アルバレス - Bout Wiki

レスが対戦を希望していたヨアキム・ハンセンと対戦。1回戦を上回る打ちつ打たれつの殴り合いを繰り広げた。結果は、2度のダウンを奪ったのが効いて判定勝ち。試合後、マイクを握ったハンセンが「日本のファンの前で負けてしまったけど、ありがとうございました」と挨拶すると、アルバレスがマイクで

エジソン・バルボーザ - Bout Wiki

相手が変更された。2011年3月19日、「UFC 128」でアンソニー・ジョクアーニと対戦し、3-0(29-28、29-28、29-28)の判定勝ちを収めUFC2連勝(キャリア8戦全勝)とななるのと同時にファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[2]。2011年8月27日、母国・ブラ

エフレイン・エスクデロ - Bout Wiki

2月13日、決勝では、同じチーム・ノゲイラに所属していたフィリップ・ノヴァーと対戦し、テイクダウンからのグラウンドの攻防で優位に立ち3-0の判定勝ちを収め、TUF 8の優勝を決めた。2009年9月19日、「UFC 103」でコール・ミラーと対戦し、TKO勝ちを収めた[2]。201

エルメス・フランカ - Bout Wiki

関連項目6 外部リンク7 Wikipedia来歴[]2003年4月25日、UFC初参戦となったUFC 42でリッチ・クランキルトンと対戦し、判定勝ち。2003年9月26日、UFC 44で宇野薫と対戦し、KO勝ち。2005年9月7日、HERO'Sで朴光哲と対戦し、判定負け。2006

エリック・コク - Bout Wiki

ュー後、8連勝を記録した。2009年12月19日、21歳2か月でのWEC初参戦となった「WEC 45」でジャミール・マスーと対戦し、3-0の判定勝ちを収めデビュー以来9連勝となった。2010年3月6日、「WEC 47」でチャド・メンデスと対戦し、0-3の判定負けを喫しプロ初黒星と

トレヴァー・プラングリー - Bout Wiki

初代BodogFightミドル級王者となった。2009年5月15日、MFC 21でエマニュエル・ニュートンとライトヘビー級王座決定戦で対戦。判定勝ちを収めMFCライトヘビー級王者となった。2010年2月26日、ShoMMA: Strikeforce Challengersでカール

ネイサン・ディアス - Bout Wiki

。2008年9月17日、「UFC Fight Night: Diaz vs. Neer」のメインイベントでジョシュ・ニアーと対戦し、2-1の判定勝ち[1]。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2009年1月31日、UFCナンバー大会初出場となった「UFC 94」でクレイ・グイダ

桜井洋平 - Bout Wiki

白星で飾った。2000年7月7日、NJKF主催「Millennium Wars 5」のNJKFバンタム級王座決定戦で中島昇と対戦し、3-0の判定勝ちで王座を獲得した。2002年9月8日、NJKF主催「DREAM RUSH 6」のNKB統一トーナメントフェザー級王者決定戦(決勝戦)

大和哲也 - Bout Wiki

2010 ~-63kg Japan Tournament 1st Round~で優勝候補とも目されていた[16]山本真弘と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2010年7月5日、K-1 WORLD MAX 2010 ~-63kg Japan Tournament FINAL~では

宮本武勇志 - Bout Wiki

ター級王者・後藤龍治(伊原)と対戦し、15戦目に初黒星を喫した。2009年10月25日、日本ミドル級王者・後藤龍治(伊原)と対戦し、3-0の判定勝ちで王座を獲得した。王座獲得後「宮本 武勇志」に改名。2010年5月16日、初防衛戦で挑戦者・同級1位の喜多村誠(伊原)と対戦し、3-

大類宗次朗 - Bout Wiki

TKO勝ちを収めた[12]。2010年8月8日、パンクラスのセミファイナルで金井一朗と対戦し、2-0(20-19、20-19、20-20)の判定勝ちを収めた[13]。2010年11月3日、パンクラスで久松勇二とミドル級次期挑戦者決定戦で対戦し、左フックでダウンを奪ったところにパウ

富平辰文 - Bout Wiki

の1回戦で武蔵に判定負けを喫した。2005年6月14日、K-1 WORLD GP 2005 in HIROSHIMAでは1回戦で天田ヒロミに判定勝ち、準決勝で藤本祐介にKO勝ちしたものの、決勝ではボブ・サップに判定負けを喫した。2007年4月28日、K-1 WORLD GP 20

外岡真徳 - Bout Wiki

るなどして判定負けを喫した。2005年9月4日、第7回ウェイト制オープントーナメント全日本空手道選手権大会(重量級)に出場。決勝で沢田秀男に判定勝ちし、優勝。3階級制覇を達成した。2006年9月3日、第18回オープントーナメント全日本空手道選手権大会に出場。決勝で沢田秀男に勝ち、

富田美里 - Bout Wiki

にシーザージムに移籍し、シュートボクサーとして再起を目指す。2008年5月28日の後楽園ホール大会でAACCの坂本ひとみ相手に再デビューし、判定勝ち。3戦目となる同年9月12日、坂本の先輩にあたる藤井惠と対戦し、終始前に出る戦いぶりで2-0の判定勝ち。立ち技ルール初挑戦とはいえ女

大和侑也 - Bout Wiki

]。2008年5月11日、リングネームを大和 侑也に改名してNAGOYA KICK ~BoogieFight4~でプロデビューし、加藤大輔に判定勝ち[2]。2008年7月27日、ニュージャパンキックボクシング連盟に初参戦し、上田龍之介に判定負け[3]。2009年6月21日、NJK

坂口征夫 - Bout Wiki

月での復帰となった[9]。2010年12月30日、戦極 Soul of Fightでジョン・ジンソとSRCジャケットルールで対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[10]。戦績[]プロ総合格闘技[]総合格闘技 戦績11 試合(T)KO一本判定その他引き分け無効試合5 勝2210006

小次郎 - Bout Wiki

クレックムエタイジムを離れた[2]。2004年4月18日、初参戦となったシュートボクシングでシャノン・F16・フォレスターと対戦し、3-0の判定勝ち[3]。2005年6月18日、新田明臣の持つIKUSA U-70戦王王座に挑戦。3-0の判定勝ちで第2代戦王になった。しかし、試合後

伊藤崇文 - Bout Wiki

と組み、宇野薫&高瀬大樹組と対戦し、ドローとなった[3]。2002年3月25日、初代ウェルター級王者決定トーナメント1回戦で港太郎に3-0の判定勝ち[4]。7月28日、準決勝で長岡弘樹に3-0の判定勝ちを収めるも、決勝では國奥麒樹真に腕ひしぎ十字固めで一本負けを喫し王座獲得はなら

今井教行 - Bout Wiki

」でファントム進也と対戦予定であったが、中止となった[2]。2006年3月25日、リングネームをえなり のりゆきに変更し、江口光治に3-0の判定勝ち。改名以来、2007年2月25日まで6連勝を果たした。2007年7月28日、ファントム進也と対戦し、右瞼カットによるTKO負け。連勝

佐藤豪則 - Bout Wiki

スのメインイベント・ウェルター級キング・オブ・パンクラス タイトルマッチで大類宗次朗と対戦し、3-0(30-28、29-28、29-28)の判定勝ちを収め王座の初防衛に成功。ベストバウト賞を獲得した[5]。2011年10月2日、パンクラスのメインイベント・ウェルター級キング・オブ

前田憲作 - Bout Wiki

ード下)にサンドバッグを吊るして練習をするという毎日であった。1992年7月18日、当時全日本キックボクシング連盟の一枚看板だった立嶋篤史に判定勝ちし全日本フェザー級王座を獲得。一躍脚光を浴びてキックボクシングを代表する選手となった。1993年11月27日、タイトルマッチで立嶋と

冨樫健一郎 - Bout Wiki

空位となった環太平洋ウェルター級王座を賭け遠藤雄介と対戦し、0-3の判定負けを喫した。2009年2月28日、修斗で天突頑丈と再戦し、2-0の判定勝ちを収めた。2009年10月30日、VALE TUDO JAPAN 09の修斗世界ウェルター級王座決定戦でヴィラミー・シケリムと対戦し

小寺麻美 - Bout Wiki

回戦で深岬パトラと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち[12]。12月11日、JEWELS 6th RINGの決勝で石川菊代と対戦し、3-0の判定勝ちを収め優勝を果たした[13]。2010年10月10日、JEWELS 10th RINGのJEWELSグラップリングルール -52kg

山口元気 - Bout Wiki

階級制覇に成功[2]。2000年5月26日、MA日本キックボクシング連盟「COMBAT-2000」55kg級トーナメント準決勝で山本ノボルに判定勝ちするも膝靭帯損傷および拳骨折により決勝を辞退[3]。2003年2月23日、伊藤隆とともにR.I.S.E.を立ち上げた[4]。2004

中蔵隆志 - Bout Wiki

ウェルター級トーナメント1回戦でタクミに判定負けし、プロ初敗戦を喫した。2007年2月17日、廣田瑞人と修斗環太平洋ウェルター級王者決定戦で判定勝ちし、第3代王者となった。2008年5月3日、世界ウェルター級王座を賭けて天突頑丈と1年半振りに再戦。打撃戦を制して3-0の判定勝ちを

松井大二郎 - Bout Wiki

ソンなどの強豪と対戦。ドロップキックをPRIDEでよく使っていた。2002年12月23日、「PRIDE.24」で大久保一樹と対戦し、3-0の判定勝ち。この試合がPRIDEでの最後の試合となった。その後はパンクラス、DEEP、Cage Rageなどの様々な格闘技団体に参戦。2006

杉江大輔 - Bout Wiki

トル4 脚注5 外部リンク6 Wikipedia来歴[]2000年9月10日、全日本アマチュア修斗選手権ウェルター級に出場。決勝で門脇英基に判定勝ちし、優勝を果たした。2001年2月18日、プロ修斗デビュー。5月22日の2戦目からリングネームを杉江"アマゾン"大輔に変更した。20

松本芳道 - Bout Wiki

上のブランクを作った。2010年4月4日、新日本キックボクシング協会・日本ライト級王者朴龍に挑戦し、跳び膝蹴りでダウンを奪うなどして3-0の判定勝ちで王座を獲得した[3]。2010年5月2日、K-1初参戦となったK-1 WORLD MAX 2010 ~-63kg Japan To

悠羽輝 - Bout Wiki

康弘と対戦し、KO勝ちを収めた。2005年3月20日、全日本キックボクシング連盟「TRIAL LEAGUE.1」で外岡真徳と対戦し、2-0の判定勝ち。リングネームを悠羽輝と改めた。2005年5月3日、第16回全日本新空手道選手権大会、K-2グランプリ重量級に出場。決勝で澤屋敷純一

林田昌子 - Bout Wiki

4年3月、プロを目指し藤原ジムに入門。2006年2月11日、新日本キックボクシング協会主催の女子興行「ANGEL'S」でSHIBANAMIに判定勝ちし4戦目で初勝利。2007年2月4日、J-NETWORK主催の興行「J-GIRLS 女祭り 開幕戦」ではフライ級にエントリーし、杉貴

新田明臣 - Bout Wiki

パンキックボクシング連盟(NJKF)が全日本キックボクシング連盟から脱退。旗揚げ戦でNJKF初代ミドル級王座決定戦に出場し、船木鷹虎と対戦。判定勝ちし、初代王者になる。翌年4月6日に船木鷹虎と再戦し、判定勝ちで初防衛を果たすと、さらに翌年の5月31日に藤原鉄志(同級3位)に3R2

志田幹 - Bout Wiki

に試合中の負傷によるTKO勝ち。2007年2月16日、DEEP初参戦となったDEEP 28 IMPACTで、GRABAKAの山崎剛と対戦し、判定勝ち。2007年4月27日、パンクラスで井上学に判定勝ち。2008年3月26日、パンクラスでフェザー級王座次期挑戦者決定戦としてマルロン

山崎昭博 - Bout Wiki

リエ・ネキオと対戦し、アンクルホールドによる一本勝ち。9月22日、準決勝で屋宮ハントと対戦し、3-0(20-19、20-17、20-17)の判定勝ち。12月8日、決勝で湯浅友和と対戦し、膝蹴りによるTKO勝ちを収め優勝を果たし、トーナメントの技能賞を受賞した[7]。2008年7月

川口雄介 - Bout Wiki

]。2009年12月19日、DEEP初のケージ大会となったDEEP CAGE IMPACT 2009でロキュー・マルチネスと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[5]。2010年5月7日、KSW 13でマリウス・プジアノフスキと対戦し、0-3の判定負けを喫した[6]。2010年8月1

岡田円 - Bout Wiki

した。その一方で総合格闘技も並行して参戦。総合デビューは2005年8月17日のスマックガール国立代々木競技場第2体育館大会での横瀬いつか戦(判定勝ち)。その後、空手仕込みの蹴りで総合3連勝を飾るが、2007年3月11日の藤野恵実戦で組み技で一本負けを喫し初黒星。これが彼女の転機と

帯谷信弘 - Bout Wiki

kg級に出場し、優勝を果たした。2006年4月11日、「DEEP 24 IMPACT」のDEEPライト級王者決定戦で雷暗暴と対戦し、3-0の判定勝ち。DEEPライト級王者となった。2006年8月26日、PRIDE初参戦となった「PRIDE 武士道 -其の十二-」でギルバート・メレ

徹肌ィ郎 - Bout Wiki

日、アブダビコンバット日本予選66kg未満級に出場し、優勝を果たした。2006年12月2日、修斗のセミファイナルで秋本じんと対戦し、3-0の判定勝ち[1]。2006年12月4日付けでクラスAに昇格した[2]。2007年3月12日、HERO'Sのオープニングファイトで金原正徳と対戦

徳留一樹 - Bout Wiki

田純一と対戦し、グラウンドパンチによるTKO勝ちを収めた[3]。2011年5月3日、パンクラス・ライト級GPの1回戦でABと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[4]。2011年8月7日、パンクラス・ライト級GPの準決勝で岡澤弘太と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[5]。2011年1

中迫剛 - Bout Wiki

、KO負けを喫した。2008年4月13日、K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMAのオープニングファイトで佐藤匠と対戦し、判定勝ちを収めた。2008年6月29日、K-1 WORLD GP 2008 IN FUKUOKAで行なわれたK-1 JAPAN GPに出場。

中村K太郎 - Bout Wiki

勝ち。12月17日、決勝で吉田善行と対戦。2R途中に偶然のバッティングにより吉田が右瞼をカットしレフェリーストップとなり、2-0のテクニカル判定勝ちを収め新人王および技能賞を獲得[1]。2005年12月19日付けでクラスAに昇格した(修斗戦績:5戦5勝)[2]。2006年7月21

ハビエル・バスケス - Bout Wiki

Neutral Grounds 5の8人トーナメントで準優勝を果たした[6]。2002年6月29日、初参戦となった修斗で佐藤ルミナと対戦し、判定勝ち[7]。2003年2月21日、KOTCライト級タイトルマッチでアルバート・クレインと対戦し、判定負けで王座から陥落した[8]。200

ホナウド・ジャカレイ - Bout Wiki

戦でイアン・マーフィーと対戦し、裸絞めで一本勝ち。6月15日、「DREAM.4」の2回戦でジェイソン・"メイヘム"・ミラーと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2008年9月23日、「DREAM.6」のミドル級トーナメント準決勝でゼルグ"弁慶"ガレシックに腕ひしぎ十字固めで一本勝ち

ボビー・オロゴン - Bout Wiki

1 PREMIUM 2004 Dynamite!!」第0試合で、菊田と関根勤をセコンドにつけ、キックボクサーシリル・アビディと対戦。3-0の判定勝ちを収めたが、本人は再び試合に臨む気は当面ないと発言した[2]。当初はマイク・ベルナルドと対戦の予定だったが、ベルナルドが負傷したため

ホルヘ・リベラ - Bout Wiki

リー・ヒンクルと対戦し、TKO負けを喫した。2003年9月26日、UFC初参戦となった「UFC 44」でデビッド・ロワゾーと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2004年1月31日、「UFC 46」でリー・マーレイに腕ひしぎ三角固めによる一本負けを。10月22日の「UFC 50」で

マイク・パイル - Bout Wiki

シー・レノックスと対戦し、三角絞めで一本勝ちを収めた[5]。2010年10月16日、「UFC 120」でジョン・ハザウェイと対戦し、3-0の判定勝ち。ハザウェイは初黒星となった[6]。2011年3月19日、「UFC 128」でヒカルド・アルメイダと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた

ホアン・カルネイロ - Bout Wiki

ったが、2回戦で敗退した。2007年4月5日、UFC初参戦となったUFC Fight Night 9でリッチ・クレメンティと対戦し、3-0の判定勝ち。2007年6月12日、UFC Fight Night 10でジョン・フィッチと対戦し、チョークスリーパーで一本負け。フィッチ戦後、

マイケル・マクドナルド_(1991年生) - Bout Wiki

よるUFC初参戦となった「UFC Fight Night: Nogueira vs. Davis」でエドウィン・フィゲロアと対戦し、3-0の判定勝ちを収めファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[4]。当初はニック・ピースと対戦予定であったが、ピースの負傷により対戦相手が変更された[

ホイス・グレイシー - Bout Wiki

で失神させられ、一本負け。2000年1月30日、PRIDEに初参戦。PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦において高田延彦と対戦、判定勝ちを収めた。2000年5月1日、PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦において桜庭和志と対戦。1R15分の無制限ラウンドとい