「判定勝ち」を含むwiki一覧 - 10ページ

ジャダンバ・ナラントンガラグ - Bout Wiki

し、判定負け。2007年9月19日、母国モンゴルでツグト"忍"アマラが主催した格闘技イベント「IMPERIAL ~帝国~」に出場し、美木航に判定勝ち。2009年6月27日、母国モンゴルで開催された格闘技イベント「MGL-1 70kg K-1 トーナメント」に出場し、全試合KO勝ち

ジェイク・オブライエン - Bout Wiki

FC初参戦。クリストフ・ミドゥをTKOで破る。2007年1月25日、UFC Fight Night 8でヒース・ヒーリングと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2008年3月1日、UFC 82でアンドレイ・アルロフスキーと対戦し、パウンドによるTKO負け。総合格闘技初敗北となった。

ジョー・スティーブンソン - Bout Wiki

、11月5日に開催されたThe Ultimate Fighter 2 Finaleのウェルター級トーナメント決勝戦ではルーク・クモに3-0の判定勝ちで優勝を果たした。2006年7月8日、「UFC 61」でイーブス・エドワーズと対戦し、TKO勝ちを収めた。2006年11月18日、「

シェーン・ローラー - Bout Wiki

ウンを奪われたところにパウンドで追撃されTKO負けを喫した[1]。2009年8月9日、「WEC 42」でマーカス・ヒックスと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2009年11月18日、「WEC 44」でダニー・カスティーリョと対戦し、チョークスリーパーによる一本勝ちを収めサブミッシ

ザビアー・ルーカス - Bout Wiki

6日、日本初登場となった「SHOOTO GIG CENTRAL Vol.16」の修斗環太平洋ミドル級王座決定戦で新美吉太郎と対戦し、2-0の判定勝ちを収め王座を獲得した[3]。2009年9月22日、王座初防衛戦で山崎昭博の挑戦を受け、3-0の判定勝ちを収め王座を防衛した[4]。2

ショーニー・カーター - Bout Wiki

ランキングトーナメントでは準優勝を果たした。並行して、2000年3月10日にはUFC初出場となった「UFC 24」でブラッド・ガムと対戦し、判定勝ちを収めた。2003年10月17日、WECでJTテイラーに2-1で判定勝ちし、WEC世界ウェルター級王座を獲得した。2004年5月21

ジェイク・エレンバーガー - Bout Wiki

る一本負けを喫した。2008年7月17日、「DEEP M-1チャレンジ5 in JAPAN」でファルーク"パコ"レイクビアと対戦し、2-0の判定勝ちを収めた。2009年6月12日、Bellator初参戦となった「Bellator XI」でマルセロ・アルファヤと対戦し、KO勝ちを収

シング・心・ジャディブ - Bout Wiki

the 2nd」のJ-NETWORKヘビー級タイトルマッチで、王者ファビアーノ・サイクロンと対戦。5Rに右アッパーでダウンを奪い、3-0の判定勝ちで王座を獲得した[4]。2008年11月30日、R.I.S.E.主催の「R.I.S.E. 51」に参戦し、ファビアーノ・サイクロンと

ジョージ・ソテロポロス - Bout Wiki

った[1]。2006年8月15日、エンセン井上プロデュース興行「『心』 ~Kill or be Killed~」で岩瀬茂俊と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2006年10月14日、修斗で青木真也と対戦し、2Rにソテロポロスの前蹴りが青木の股間に当たり、青木に3分のインターバルが

ダスティン・ポワリエ - Bout Wiki

1月1日、WEC吸収によるUFC初参戦となった「UFC 125」でジョシュ・グリスピと対戦し、3-0(30–27、30–27、30–27)の判定勝ち[2]。グリスピとUFC世界フェザー級タイトルマッチで対戦予定であったジョゼ・アルドの負傷欠場による出場となった。WEC時代のライト

サトルヴァシコバ - Bout Wiki

シング連盟「全日本ライト級最強決定トーナメント 1st.STAGE」のトーナメント1回戦で高谷裕之と対戦。2Rに左ハイキックでダウンを奪い、判定勝ちを収めた。2004年4月16日、全日本キックボクシング連盟「全日本ライト級最強決定トーナメント 2004 2nd.STAGE」のトー

トビー・イマダ - Bout Wiki

p 2010」でシュートボクシング初参戦。1回戦で梅野孝明にKO勝ちすると、準決勝ではS-cup連覇を目指していたアンディ・サワーに2-1の判定勝ち。決勝ではブアカーオ・ポー.プラムックにローキックで計5度のダウンを奪われTKO負けを喫し準優勝となった[9]。出場予定であったチャ

デミアン・マイア - Bout Wiki

の右ストレートでKO負けを喫し、総合格闘技12戦目で初の黒星となった。2010年2月6日、「UFC 109」でダン・ミラーと対戦し、3-0の判定勝ち。4月10日の「UFC 112」では負傷欠場したヴィトー・ベウフォートに替わってアンデウソン・シウバの持つミドル級王座に挑戦するも、

トラヴィス・ビュー - Bout Wiki

t Fighting」旗揚げ戦のヘビー級トーナメントに出場。準決勝でリコ・ロドリゲスに、決勝で当時13戦無敗であったクリス・トゥクシェラーに判定勝ちするなど、3試合すべて判定勝ちで優勝を果たした。2008年6月8日、戦極初参戦となった戦極 ~第三陣~で藤田和之と対戦し、KO勝ち。

デニス・シヴァー - Bout Wiki

ブ・ザ・ナイトを受賞した[3]。2011年2月27日、オーストラリアで開催された「UFC 127」でジョージ・ソテロポロスと対戦し、3-0の判定勝ち[4]。ソテロポロスのUFCデビュー以来の連勝を7でストップさせた。2011年7月2日、「UFC 132」でマット・ワイマンと対戦し

トラヴィス・ブラウン - Bout Wiki

9年2月7日、プロデビュー。2009年6月5日、Bellator初参戦となった「Bellator X」でミカエル・クラークと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。デビューから9連勝を果たし、UFCと契約した。2010年6月19日、UFC初参戦となった「The Ultimate Fig

デニス・ホールマン - Bout Wiki

s Finale」でジョン・ハワードと対戦し、KO負けを喫した。2010年8月7日、「UFC 117」でベン・ソーンダースと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[2]。2010年11月20日、「UFC 123」でカロ・パリジャンと対戦し、右フックでダウンを奪ったところにパウンドで追撃

ティト・オーティズ - Bout Wiki

シャムロックのUFC撤退により空位となった王座を巡り、2000年4月14日に日本で開催された「UFC 25」でヴァンダレイ・シウバに3-0の判定勝ちを収め、第2代UFC世界ミドル級(現ライトヘビー級)王者となった。その後、近藤有己、エヴァン・タナー、エルヴィス・シノシック、ウラジ

ダニエル・コーミエ - Bout Wiki

ブアップ勝ちを収めた[1]。2011年1月7日、「Strikeforce Challengers 13」でデヴィン・コールと対戦し、3-0の判定勝ち。デビュー以来7連勝となった[2]。2011年6月18日、「Strikeforce: Overeem vs. Werdum」でジェフ

ダレン・エルキンス - Bout Wiki

戦予定であったが、負傷による欠場となった。2011年6月11日、フェザー級での初試合となった「UFC 131」で小見川道大と対戦し、3-0の判定勝ち[3]。物議を醸す判定結果となり、負けた小見川にも勝利者ボーナスが支払われた。2011年10月8日、「UFC 136」でヂャン・ティ

ダマッシオ・ペイジ - Bout Wiki

ングネームはジャクソン・ページであった。2008年2月13日、WEC初参戦となった「WEC 32」でスコット・ヨルゲンセンと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2008年8月3日、「WEC 35」でブライアン・ボウルズと対戦し、フロントチョークによる一本負けを喫した[5]。2009

チアゴ・タバレス - Bout Wiki

4試合を戦った。2007年4月5日、デビューから11連勝でUFCに初参戦。「UFC Fight Night 9」で小谷直之と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2007年9月22日、「UFC 76」でタイソン・グリフィンと対戦し、0-3の判定負け。キャリア初黒星となり、プロデビュー

チェ・ホンマン - Bout Wiki

ーと対戦するも判定負けを喫した。2006年6月3日、K-1 WORLD GP 2006 IN SEOULでセーム・シュルトと対戦し、2-1の判定勝ち。しかし、手数・有効打共に圧倒されながらも勝利したことから、雑誌等に「疑惑の判定」と取り上げられることになった。2006年9月30日

チェ・ドゥホ - Bout Wiki

A」で鍵山雄介と対戦し、1-2の判定負けを喫した[2]。2010年6月20日、SRC初参戦となった「SRC13」で臼田育男と対戦し、2-1の判定勝ち。当初臼田と対戦予定であったカン・ギョンホの負傷欠場による代役となった[3]。 2010年6月27日、「GLADIATOR 7」で大

サヴァン・ヤング - Bout Wiki

業の総合格闘家となることを決意し、翌2007年からIFLに出場。IFLではケン・ヤスダ率いる東京サーベルズに所属し、初戦のエド・ウェスト戦で判定勝ちを収めたことでその後も継続出場した。2007年シーズンでは東京サーベルズはプレーオフ敗退、自身は2勝2敗の成績を残した。2008年5

ゴラン・レルジッチ - Bout Wiki

n Reljic for UFC 83 MMAjunkie.com 2008年1月12日↑【UFC116】両者決め手に欠く展開も、グローブが判定勝ち MMAPLANET 2010年7月4日↑【UFC122】ソジンスキー、レジックから判定勝ちスコア MMAPLANET 2010年1

ドリュー・フィケット - Bout Wiki

6月22日、「Rage in the Cage 36: The Rematch」のメインイベントでエドウィン・デューイーズと再戦し、3-0の判定勝ちを収めリベンジに成功した。2005年2月5日、UFC初参戦となった「UFC 51」でニック・ディアスと対戦し、パウンドによるTKO負

アレッシオ・サカラ - Bout Wiki

ロスと対戦。金的攻撃を受け続行不可能となり、無効試合となった。2006年2月4日、「UFC 57」でエルヴィス・シノシックと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2007年4月21日、「UFC 70」でヴィクター・ヴァリマキにTKO勝ち。8月25日、「UFC 75」でヒューストン・ア

アンソニー・ペティス - Bout Wiki

」で行なわれたWEC世界ライト級タイトルマッチでベン・ヘンダーソンに挑戦し、5Rには金網を蹴ってからのハイキックでダウンを奪った上で3-0の判定勝ちを収めWEC世界ライト級王座を獲得すると同時にUFC世界ライト級王座挑戦権を獲得した[9][10]。また、ファイト・オブ・ザ・ナイト

アレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラ - Bout Wiki

衛戦でもギロチンチョークで一本勝ちを収めた。2001年12月16日、戸井田カツヤとの3度目の防衛戦ではギロチンチョークを一切使わず、3-0の判定勝ちを収めた。2002年12月14日、4度目の防衛戦は7月にKO負けした阿部裕幸との再戦となり、チョークスリーパーで一本勝ち。リベンジを

アントニオ・シウバ - Bout Wiki

リーパーで一本勝ちを収めた。2008年2月16日、「EliteXC: Street Certified」でリコ・ロドリゲスと対戦し、2-1の判定勝ち。EliteXCのヘビー級(約120kg未満)での参戦のため、大幅な減量を行っての参戦となった。2008年7月26日、「EliteX

Yasubei榎本 - Bout Wiki

ュー[2]。2009年3月7日、Cage Fighters Championshipウェルター級タイトルマッチでエンリケ・サンタナに3-0の判定勝ちを収め王座を獲得した。2010年6月20日、SRC初参戦となったSRC13で菊田早苗と対戦し、右アッパーでダウンを奪うとグラウンドパ

アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ - Bout Wiki

、追撃のパウンドでTKO勝ちを収めた[2]。2008年11月1日、戦極初参戦となった「戦極 ~第六陣~」でモイス・リンボンと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2009年1月24日、「Affliction: Day of Reckoning」でウラジミール・マティシェンコと6年5か

せり - Bout Wiki

収めた。とにかく試合間隔が他の選手に比べて短く、極端な例では2006年3月4日にキックボクシング「天空」に出場し、永島梢(現・AZUMA)に判定勝ちを収めたあと、7日後の2006年3月11日にG-SHOOTOに出場し大山葉子に判定勝ちした。2006年10月29日にはボクシングデビ

URAKEN - Bout Wiki

。総合格闘技のトレーニングを開始した。2001年9月24日、全日本アマチュア修斗選手権・ライトヘビー級(11名参加)に出場。決勝で中西裕一に判定勝ちし、優勝を果たした[2]。2002年に単身アメリカ合衆国に渡り、RAW Team(R-1ジム)でトレーニングを行なうようになった[3

イアン・フリーマン - Bout Wiki

で対戦し、フックでKO負け。2006年9月30日、Cage Rage 18でマーク・エプスタインと英国ライトヘビー級タイトルマッチで対戦し、判定勝ち。第2代英国ライトヘビー級王者となった。2008年5月10日、Cage Rage 26で1年7か月ぶりに復帰。英国ライトヘビー級タイ

DAVID - Bout Wiki

けを喫した。2004年1月24日、「IKUSA 5 ~乱~ MONKEY MAGIC」で阿部裕幸とシュートボクシングルールで対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[2]。2004年4月7日、K-1 WORLD MAX 2004 ~世界一決定トーナメント開幕戦~のオープニングファイトで康

ボビー・オロゴン - 日本通信百科事典

式なオファーがあって、目標としていた『K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!』の第0試合でシリル・アビディと対戦。3ラウンド判定勝ちを収める。翌2005年に『K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!』にも出場し、元大相撲横綱の曙と対戦。2R以降でスタ

ISAO - Bout Wiki

トチョークでウマハノフを絞め落とし一本勝ちを収めた[6]。2011年5月3日、パンクラス・ライト級GPの1回戦で田村ヒビキと対戦し、2-1の判定勝ちを収めた[7]。2011年8月7日、パンクラス・ライト級GPの準決勝で岩見谷智義と1年1か月ぶりに対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[

RENA - Bout Wiki

デビュー戦を行なうが、古谷あさみに1-2の判定負けを喫した。2007年12月23日、シュートボクシングデビュー戦で岡加奈子と対戦し、2-0の判定勝ちを収めた。2008年2月3日、関友紀子と対戦し、右ハイキックで左目の負傷に追い込み、ドクターストップ勝ち。この試合より、レーナに改名

Little_Tiger - Bout Wiki

-3の判定負けを喫した。2009年9月27日に開幕したJ-GIRLS初代アトム級王座決定トーナメントに出場し、12月20日の決勝で山田純琴に判定勝ちを収めJ-GIRLS初代アトム級王座を獲得した。2010年3月28日、「J-GIRLS Catch The stone~6」のセミフ

アントニオ・マッキー - Bout Wiki

」でクリス・ブレナンと対戦し、ハイキックでKO負けを喫した。2003年8月10日、「KOTC 27」でマーカス・アウレリオと対戦し、2-1の判定勝ちを収めた。2006年3月15日、HERO'Sで来日し、オープニングファイトで國奥麒樹真と対戦。テイクダウンから上になる展開が続き、3

イーゲン井上 - Bout Wiki

初参戦となったPRIDE.5で豊永稔にTKO勝ち。2000年3月、アブダビコンバット88kg未満級に出場。1回戦でエミール・チャトゥリアンに判定勝ちするも、2回戦を棄権した[2]。2001年4月、アブダビコンバット88kg未満級に出場。2回戦でヒカルド・リボーリオに判定勝ちするも

コート・マッギー - Bout Wiki

10年、リアリティ番組「The Ultimate Fighter」のシーズン11に参加。初回のエリミネイションバウトではセス・バシンスキーに判定勝ちを収め、合宿所行きの権利を手にした。合宿所ではチャック・リデル率いるチーム・リデルに6位指名で所属。トーナメント初戦でチーム・パニッ

キース・ジャーディン - Bout Wiki

0日、UFC 66でフォレスト・グリフィンにTKO勝ち。2007年9月22日、UFC 76のメインイベントでチャック・リデルと対戦し、僅差の判定勝ちを収めた。2008年5月24日、UFC 84でヴァンダレイ・シウバと対戦し、パウンドでKO負け。10月18日のUFC 89ではブラン

キング・モー - Bout Wiki

・メイヘム」となった。この試合で戦極との契約が完了した。2009年3月20日、「戦極 ~第七陣~」のメインイベントで川村亮と対戦し、3-0の判定勝ち。試合1週間前に膝前十字靭帯を損傷し、試合中にも右手中指を骨折した。2009年8月28日、アメリカで開催された「M-1: Break

クリス・ホロデッキー - Bout Wiki

ンドによるTKO負けを喫し王座獲得を逃すと同時にキャリア初黒星となった[4]。2008年4月4日、IFLでネイト・ラモットと対戦し、3-0の判定勝ち[5]。同年7月をもってIFLは活動停止となった[6]。2008年11月24日、シュートボクシング初参戦で「SHOOT BOXING

カーロス・コンディット - Bout Wiki

ght Night: Diaz vs. Guillard」でジェイク・エレンバーガーと対戦し、2-1(29-28、28-29、29-28)の判定勝ちを収めた[2]。2010年1月2日、「UFC 108」でポール・デイリーと対戦予定であったが、負傷欠場となった[3]。2010年6月

ケニー・フロリアン - Bout Wiki

O勝ち[3]。ファイト・オブ・ザ・ナイトを獲得した。8月9日、「UFC 87」でロジャー・ウエルタと対戦し、スタンドで主導権を奪い、3-0の判定勝ちを収めた[4]。11月15日の「UFC 91」ではジョー・スティーブンソンと対戦し、チョークスリーパーで一本勝ち。試合後、王者BJペ

キム・デウォン - Bout Wiki

05年9月3日、DEEP 20th IMPACTで行なわれたDEEP×GRABAKA対抗戦にDEEP側選手として出場し、山宮恵一郎に3-0の判定勝ち。対抗戦はDEEP側の1勝2敗となった[1]。2006年4月2日、PRIDE初参戦となったPRIDE 武士道 -其の拾-で郷野聡寛と