「プロデビュー」を含むwiki一覧 - 5ページ

デメトリアス・ジョンソン - Bout Wiki

年10月、リアリティ番組「The Ultimate Fighter」に影響を受け、総合格闘技を始めた[2]。2007年7月14日、KOTCでプロデビュー。デビュー後、ローカル大会で全勝を記録し、WECと契約。2010年4月24日、WEC初参戦となった「WEC 48」でブラッド・ピ

ティム・ブティッシュ - Bout Wiki

カンヴィル出身。AMCパンクレイション所属。目次1 来歴2 戦績3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]2006年10月14日、プロデビュー。2007年8月2日、IFL初参戦となった「IFL: 2007 Semifinals」でウラジミール・マティシェンコと対戦し、0

ディン・トーマス - Bout Wiki

プチーム所属。J.Z.カルバンの「JZ」の名付け親。目次1 来歴2 戦績3 外部リンク4 Wikipedia来歴[]1998年10月28日、プロデビュー。1999年9月5日、後楽園ホールで開催された修斗で宇野薫と対戦し、スリーパーホールドで一本負けを喫した。2000年3月17日、

ヂャン・ティェカン - Bout Wiki

EC、UFCに出場した。目次1 来歴2 戦績3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]2005年11月6日、Art of Warでプロデビュー。2010年6月24日、香港で開催された「Legend Fighting Championship 2」でダニエル・ディグビーと

ダン・ミラー - Bout Wiki

代にレスリングを学んでいた。2005年より弟ジムと共にプラネット柔術で総合格闘技を始め、同年11月19日、Reality Fightingでプロデビューを果たした。2006年4月29日、マイク・マッセンジオに1-2の判定負けとなり初黒星を喫した。6月からはCage Fury Fi

チアゴ・シウバ - Bout Wiki

ン柔術黒帯。目次1 来歴2 人物3 戦績4 獲得タイトル5 脚注6 外部リンク7 Wikipedia来歴[]2005年9月10日、ブラジルでプロデビュー。2006年11月30日、Fury Fight Championship 2の93kg級GPで優勝を果たした。2007年2月28

チアゴ・タバレス - Bout Wiki

し、3-0の判定勝ちを収めた。2007年9月22日、「UFC 76」でタイソン・グリフィンと対戦し、0-3の判定負け。キャリア初黒星となり、プロデビュー以来の連勝は13でストップした。敗れたもののファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2008年6月7日、「UFC 85」でマット・

チャールズ・ベネット - Bout Wiki

く、それゆえ長期参戦していたPRIDEでは序盤スタンドで攻撃するもグラウンドに引き込まれて敗れることが多かった。来歴[]1999年9月1日、プロデビュー。2004年8月6日、King of the Cageでタクミと対戦し、チョークスリーパーで一本負けを喫した。2004年10月1

ジョシュ・バーネット - Bout Wiki

E GRANDPRIX 2006 準優勝第7代UFC世界ヘビー級王座第10代パンクラス無差別級王座来歴[]総合格闘技[]1997年に19歳でプロデビュー。以後、総合格闘技をメインに活動する。1999年2月、第2回アブダビコンバット99kg未満級および無差別級出場、マーク・ケアーに

ジョシュ・グリスピ - Bout Wiki

所属。目次1 来歴2 戦績3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]13歳で格闘技を始めた。2006年9月23日に17歳11か月でプロデビューし、10勝1敗の成績を残した。2008年2月13日、WEC初参戦となった「WEC 32」でマーク・ホーミニックと対戦し、チョーク

クイントン・ジャクソン - Bout Wiki

に出場することはなかった。その後、大学時代に友人の勧めで総合格闘技に転向した[1]。1999年11月13日、メンフィスで行なわれたISCFでプロデビュー。マイク・パイルと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。アメリカのローカル大会で連戦連勝していたところ、桜庭和志の相手に抜擢され、2

ケイン・ヴェラスケス - Bout Wiki

王座来歴[]アリゾナ州立大学在学時よりレスリングで実績を残す。2度のオールアメリカンとなった。2006年10月7日、Strikeforceでプロデビューを果たした。2007年12月15日、ノーギ・ムンジアル青帯ペサディシモ級と無差別級で優勝。2008年4月19日、「UFC 83」

ケン・シャムロック - Bout Wiki

影響で10歳からレスリングを始めた。アマチュアレスリングで活躍した後、ネルソン・ロイヤルが主宰していたレスリングスクールに入り、1989年にプロデビュー。1989年9月、全日本プロレスに初来日するも、新人でキャリアが浅かったことと、全日のファイトスタイルに適合しなかったため、評価

グスタボ・シム - Bout Wiki

戦績3 獲得タイトル4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]2000年9月5日、リングス「Battle Genesis Vol.6」でプロデビューし、坂田亘と対戦。頭部カットによるドクターストップ勝ち。2001年4月20日、リングスのヘビー級王座決定トーナメント1回戦で田村

グレイシャア亜紀 - Bout Wiki

、七種競技を経験[1]。2002年5月、ダイエット目的で彰考舘ジムに入門[1]。同年12月1日にリングネームAkiとしてJ-NETWORKでプロデビュー。2003年5月22日、「女子格闘技Gals」で同興行唯一のキックボクシングルール試合で渡辺亜矢子にKO勝ち。この試合よりリング

グザヴィエ・フパ=ポカム - Bout Wiki

チーム所属。頭文字を取ってプロフェッサーXと呼ばれる。目次1 来歴2 戦績3 外部リンク4 Wikipedia来歴[]2002年6月15日、プロデビュー。2004年2月15日、Cage Rageに初参戦。2005年11月19日、REALRHYTHM 2nd STAGEで初来日し、

サリー・クラムディアック - Bout Wiki

2 戦績2.1 総合格闘技2.2 キックボクシング3 獲得タイトル4 脚注5 外部リンク6 Wikipedia来歴[]2006年10月6日、プロデビュー。2007年11月3日、Fatal Femmes Fighting 3でアリソン・ダックワースと対戦し、3-0の判定勝ち[1]。

クリスチャン・サイボーグ - Bout Wiki

ール選手であったが、シュートボクセ・アカデミーのフジマール会長に見出され、シュートボクセに入門。2005年5月17日、Show Fightでプロデビュー。その後、Storm Samuraiで4連勝を記録。2006年9月、エヴァンゲリスタ・サイボーグと結婚。2008年7月26日、初

クリストフ・プルボー - Bout Wiki

1]。2006年、本格的にキックボクシングを学ぶため来日し、スクランブル渋谷に入門。2006年5月3日、ニュージャパンキックボクシング連盟でプロデビュー[2]。2006年10月9日、全日本キックボクシング連盟に初参戦。2007年9月29日、全日本キックボクシング連盟「Road t

クリス・マニュエル - Bout Wiki

Wikipedia来歴[]13歳でアメリカン・トップチームに入門。18歳になると、総合格闘技の練習を始めた。2006年2月3日、コスタリカでプロデビュー。2008年3月26日、WEC初参戦となったWEC 33で大沢ケンジと対戦し、判定1-1で引き分けた。2008年4月、ヒカルド・

サトルヴァシコバ - Bout Wiki

ト級王者(0度防衛)全日本キックボクシング連盟ライト級王者(0度防衛)来歴[]下積み時代[]1999年9月3日、全日本キックボクシング連盟でプロデビュー。デビュー当時のリングネームは小林サトル。憧れの選手「小林聡」と名前が似ていたため、3戦目にリングネームをサトル・ヴァシコバに改

ザビアー・ルーカス - Bout Wiki

戦績2.1 総合格闘技3 獲得タイトル4 脚注5 関連項目6 外部リンク7 Wikipedia来歴[]2007年5月26日、オーストラリアでプロデビュー。2007年11月23日、オーストラリアでの修斗公式戦で屋宮ハント(大宮ハント)と対戦し、TKO勝ちを収めた。2008年3月16

ジム・ミラー - Bout Wiki

歴[]スパルタ高校、バージニア工科大学とレスリングを続けていたが、2005年に総合格闘技の練習を開始し、同年11月19日には、22歳2か月でプロデビューし、地元ニュージャージーのローカルプロモーションでキャリアを積む。2006年8月5日、Reality Fightingにてムーシ

ジェームス・ジキック - Bout Wiki

れる。目次1 来歴2 戦績3 獲得タイトル4 脚注5 関連項目6 外部リンク7 Wikipedia来歴[]1998年3月7日、イングランドでプロデビュー。2003年7月13日、UFC初参戦となったUFC 38でフィリップ・ミラーと対戦し、0-3の判定負けを喫した。2004年9月1

ジミー・アンブリッツ - Bout Wiki

[]幼い頃から喧嘩に明け暮れ、高校生の時にバーのバウンサー(用心棒)を始める。2001年4月28日、Rage in the Cage 27でプロデビューし、開始34秒打撃によるKO勝ち。以後、連勝を重ねた。2002年8月2日、King of the Cageに出場し、王者ダン・ボ

ジェレミー・スティーブンス - Bout Wiki

出身。ビクトリーMMA所属。目次1 来歴2 戦績2.1 総合格闘技3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]2005年1月12日、プロデビュー。デビュー後、11勝1敗の戦績を記録した。2007年5月26日、UFCデビューとなった「UFC 71」でディン・トーマスと対戦し

ジェームス・ウィルクス - Bout Wiki

ーを学び、米国移住後はエリック・パーソンのもとでサブミッション・レスリングを学んだ。2003年10月12日、ローマン・ミティシャンとの一戦でプロデビュー。2009年にはUFCとの契約を賭けたリアリティ番組「The Ultimate Fighter」のシーズン9にマイケル・ビスピン

ジェシアス・カバウカンチ - Bout Wiki

リオに見出され、アメリカ合衆国に渡り、アメリカン・トップチームに加入。2004年2月27日、アメリカ合衆国フロリダ州で開催されたAFC 7でプロデビュー。ジャスティン・ウィスニエフスキーと対戦し、ギロチンチョークで一本勝ちを収めた。2004年3月27日、修斗アメリカ「HOOKnS

シング・心・ジャディブ - Bout Wiki

た[2]。2006年5月4日、第17回全日本新空手道選手権大会・K-2トーナメント重量級に出場し、3位となった[3]。2006年12月8日、プロデビュー戦となった全日本キックボクシング連盟「藤原祭り 2006」で谷川紀勝と対戦し、KO勝ちを収めた。日本王座獲得[]2008年4月1

ジェイク・エレンバーガー - Bout Wiki

Premier Combat Center所属。目次1 来歴2 戦績3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]2005年4月9日、プロデビュー。2006年6月3日、IFL初参戦となった「IFL: Championship 2006」でジェイ・ヒエロンと対戦し、0-3の判

ジェイソン・デイ - Bout Wiki

イトル[]Rumble in the Cageライトヘビー級王座来歴[]2001年から格闘技を始め、父親と大工の仕事を続けながら2002年にプロデビューを果たした。2008年4月19日、UFC初参戦となったUFC 83でアラン・ベルチャーと対戦。スタンドのパンチ連打によるTKOで

ジェイソン・デルーシア - Bout Wiki

戦績2.1 その他3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]幼少期から空手・五獣拳を嗜み、その後組技の体得のため柔道・柔術を習う。プロデビュー戦となった1993年11月12日のUFC 1ではワンマッチでトレント・ジェンキンスと対戦し、52秒で一本勝ちを収めた。1994年

宮本武勇志 - Bout Wiki

002年4月、格闘技が諦めきれず、2年のブランクを経て、治政館に入門。2003年5月18日、ウェルター級・宮本 武蔵(みやもと たけぞう)でプロデビューし、金子翔英(尚武会)に3RKO勝ち[1]。2006年9月3日、ミドル級に転向。青木克眞(トーエル)と対戦し、判定ドロー[2]。

宮田和幸 - Bout Wiki

級)という実績を持つ。2004年11月20日、ハワイで開催された「Rumble on the Rock 6」にて、ホイラー・グレイシー相手にプロデビュー。三角絞めで一本負けを喫した。2005年2月23日、「K-1 WORLD MAX 2005」で武田幸三とK-1ルールで対戦し、K

少年フレンドとはなんですか? - クイズwiki

A. 元19の岡平健治と岩瀬敬吾がプロデビュー前に結成したフォークデュオで、1995年に「少年フレンド」でデビューしました。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%B9%B4%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83

進撃の巨人 - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

本1巻冒頭より)◎概要進撃の巨人とは、「別冊少年マガジン」で創刊号(2009年10月号)から連載されていた漫画。全34巻。作者は諌山創。彼のプロデビュー初の作品となり、プロトタイプの読み切り版がある。当初は無名新人のデビュー作ということでさして注目されていなかった(創刊号では巻頭

秋山澪 - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

ていたが、少なくとも作詞の能力はあるんだし、聖飢魔Ⅱのダミアン浜田殿下のような形で有名人になっていた可能性もあったんじゃないかと思う。いくらプロデビューしたとしても、唯がHTT時代の作風や仲間を簡単に捨てるとは到底思えない。 -- 名無しさん (2013-12-05 14:5

芳野祐介 - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

している祐介を馬鹿にしていた。しかし彼女だけは祐介の夢を真摯に受けとめてくれ、彼女の励ましで本格的にアーティストの道を歩み出した。程なくしてプロデビューを果たし、一流ミュージシャンとして名を馳せて行く祐介。しかしとあるファンサービスのイベントで、自分の歌が既に自分だけの物ではなく

長友佑都 - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

出される。その後FC東京のスカウトの目に留まり、大学在籍中にFC東京の選手としてナビスコ杯に出場する。まだ契約を結んでない状態ではあったが、プロデビュー出来たことで、長友はプロ入りの決意を決める。しかし、三度ヘルニアが再発。U-22日本代表に選ばれた矢先のことだった。だがここもチ

リカルド・クアレスマ - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

キック、明後日の方向に飛んでいくラボーナのクロス、そして仕掛けては止められるドリブルである。2000年にポルトガルのスポルティングリスボンでプロデビューする。若干17歳の若手ながら、切れ味鋭いドリブルを武器に頭角を現すと、03-04シーズンに、当時暗黒期の真っ只中だったFCバルセ

三浦知良 - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

身。愛称はカズ、キングカズ。日本で最も有名なサッカー選手の1人である。1967年生まれ。高校を中退してブラジルに渡り、1986年にブラジルでプロデビューし、様々なクラブを渡り歩く。日本代表を目指すため、Jリーグ発足の3年前となる1990年、日本に戻り読売サッカークラブ(後のヴェル

ジェラール・ピケ - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

選手。FCバルセロナに所属するセンターバックである。2004年にバルサのカンテラからマンチェスター・ユナイテッドに引き抜かれ、イングランドでプロデビューする。カンテラではメッシやセスクと同期。(この時のカンテラは最強を誇り、黄金世代と言われている)ご多分に漏れず、バルサのカンテラ

ジャーマンスープレックス(プロレス技) - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

ーマン「シャットダウン・スープレックス」。溜めの効いた美しいアーチを作り、重量級の吉江豊を持ち上げるほどの威力を持つ。竹下幸之介高校在学中にプロデビューしたDDTの「ザ・フューチャー」。後に日本体育大学に進学、ジャーマンスープレックスをテーマに卒業論文を執筆した。架空の人物ザンギ

蝶野正洋 - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

族の頭をしていた。浪人中にTVでプロレス中継を見てプロレスラーになる事を決意。……独自にトレーニングをしつつ、家族の願いも聞き入れ大学受験とプロデビューを両立させるも、大学は後に中退している。同期には後に『闘魂三銃士』の盟友となる武藤敬司、橋本真也、パンクラスの創立者となる船木誠

矢張政志 - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

6』本編の後日談にあたる特別編「時を越える逆転」で久しぶりに登場。なんと絵本作家《天流斎マシス》として上記の《メイちゃんのムチムチ大冒険》でプロデビューしており、絵本作家として名の知れた人物になっている。ただし、それ以降はあまり売れていないらしく世間的には“一発屋”として認識され

本人役(配役) - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

ンサートへ行く」の巻』(2002年の「FNS26時間テレビ」連動アニメ回。DVD化)に出演。作品の時系列(1973~1975年頃)からするとプロデビュー直後の設定になるが、なぜか作中では1978年発売アルバム収録の「ヨコハマ」が披露され、EDではアニメに不似合いな「呪い」が選曲さ

ウェイン・ルーニー - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

【キャリア】生まれも育ちもリバプールであり、地元のエヴァートンの下部組織に入団。2002-03シーズンの開幕戦に16歳と298日で先発出場しプロデビュー。先制弾をアシストし、後半32分に交代したときにはスタンディング・オベーションを浴びた。イングランドサッカー界に新たなスター選手

ガッツ石松 - Maipedia

界チャンピオン会」初代会長に就任した。ボクシング活動[]最初のプロテスト不合格を経て1966年12月11日に藤原正夫(堀口)に1回KO勝ちでプロデビュー。ボクサーとしてはこの時代のオーソドックスな「早いの(左パンチ)で崩して強いの(右パンチ)を入れる」タイプだが、土壇場での打ち合

玉泉日和子 - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

はそれを逆手に取られて無理やり目を合わせられることで不手際を誤魔化されかけたことがある。物書きとしての素質があり、既に細川玉木のペンネームでプロデビューしている。処女作『ほほえみインサイド』は多くのファンを生み出しベストセラーとなったが、第二作『米寿』では無理に作風を変えた結果、

羽後町の萌え興し - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

を選ぶ。プロ絵師によるトークショー等のイベントも同時開催。アマチュアだけでなくプロの絵師や売れっ子同人作家が応募してきたり、これがきっかけでプロデビューする人がいたりする。◆スティックポスター in 羽後町羽後町の本気。漫画家、イラストレーター、原画家、ラノベ絵師、BL漫画家、エ