「プロデビュー」を含むwiki一覧 - 3ページ

堀口恭司 - Bout Wiki

、第6回東日本アマチュア修斗オープントーナメント・フェザー級(22名参加)に出場し、優勝[2]。プロ昇格を決めた[3]。2010年5月9日、プロデビュー戦となった修斗2010年度新人王決定トーナメント・フェザー級2回戦(1回戦はシード)で川名蘭輝と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた

堀鉄平 - Bout Wiki

OUTSIDER 第15戦で“エンセン大和魂継承”YOSHIKIと対戦し、タオル投入によるTKO勝ちを収めた[17]。2011年5月8日、プロデビュー戦となったTHE OUTSIDER 第16戦で行なわれた「ZST vs アウトサイダー対抗戦」で“千葉のワルエストラ”山本勇気と

大和侑也 - Bout Wiki

出場し、優勝を果たした[1]。2008年5月11日、リングネームを大和 侑也に改名してNAGOYA KICK ~BoogieFight4~でプロデビューし、加藤大輔に判定勝ち[2]。2008年7月27日、ニュージャパンキックボクシング連盟に初参戦し、上田龍之介に判定負け[3]。2

大渡博之 - Bout Wiki

マ部門「KAMINARIMON CLIMAX '06」70kg級で準優勝を果たした。2006年10月29日、R.I.S.E.において29歳でプロデビュー。2008年3月2日、「K-1 JAPAN TRYOUT 2008」に参加し、ミドル級で合格を果たした[7]。2008年7月7日

大門まい子 - Bout Wiki

経験。中京女子大学に進学後、レスリング部に所属し、全日本女子学生選手権46kg級4位などの実績を残した。2002年4月7日、スマックガールでプロデビュー。渡邊久江と対戦し、グラウンド状態での顔面パンチを受け、反則勝ちとなった。2002年11月9日、SGSライト級トーナメント準決勝

土屋ジョー - Bout Wiki

ボクシング:38戦 27勝 21KO 9敗 1分 1無効試合戦日付勝敗時間内容対戦相手国籍備考11994年11月26日勝1RKO根本宏二日本プロデビュー?1998年9月19日勝5R判定ラビット関日本-?2003年4月1日勝1R2:21KOハンマーシャーク・カイル・タカオ日本キック

宍戸大樹 - Bout Wiki

12回関西アマチュアシュートボクシング選手権大会で、30人がエントリーした中量級(67kg未満)に出場し優勝した[1]。1998年6月4日、プロデビュー戦で兵頭英樹に2RKO勝ちを収めた[2]。1998年8月28日、朴英樹に判定負け。11月3日に「未知への挑戦 PART5」のフレ

宮元啓介 - Bout Wiki

。2010年1月31日、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟「BREAK-1 ~士道館新春正月興行~」で大野貴志と対戦し、3R判定勝ち、プロデビュー戦を勝利で飾った[7]。2010年4月18日、J-NETWORK「J-FIGHT in SHINJUKU ~vol.14~」に出

宇野薫 - Bout Wiki

藤ルミナの指導を受け、ほどなく和術慧舟會に入門。1996年、全日本アマチュア修斗選手権で準優勝。決勝戦の相手だった桜井速人を相手に10月4日プロデビュー。以後、修斗を中心に和術慧舟會主催の大会やコンバットレスリングなどに出場。1998年から頭角を現し、外国人選手相手に実績を重ねる

安永有希 - Bout Wiki

。2009年12月5日、CAGE FORCE初参戦となった「CAGE FORCE」で遠藤大翼と対戦し、チョークスリーパーによる一本負けを喫しプロデビュー以来4連敗となった[4]。2009年12月、修斗での階級をフェザー級からバンタム級に落とした[5]。2010年4月24日、修斗・

孫煌進 - Bout Wiki

0月1日、修斗コミッションより30日間のライセンス停止処分を科されることが発表された[1]。2005年5月8日、修斗とMAキックの合同興行でプロデビュー。椎木努と対戦し、TKO勝ち。2005年7月30日、修斗で田村彰敏と対戦し、判定負け。2006年11月21日、『孫煌進のThe

大高一郎 - Bout Wiki

シング連盟フェザー級王座来歴[]山梨学院大学在学中にマイウェイジムに入門。大学卒業に伴い上京、ジムを移籍し山木ジムから2000年10月6日にプロデビュー。2004年11月21日、小林秀紀に判定勝ちし、MAフェザー級王座を獲得した。2008年に鈴木秀明の主宰するストラッグルに移籍。

天田ヒロミ - Bout Wiki

ドル級の常連、1993年は伊藤辰史にRSC勝ちし1996年優勝。大学卒業前にK-1からスカウトされ、プロ格闘家となる。1999年3月22日、プロデビュー戦となったK-1 THE CHALLENGE '99でジョン・ワイアットと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2000年にはK-1

奥田正勝 - Bout Wiki

2003年)来歴[]2001年4月30日、第3回タイタンファイトで開催された16人出場のトーナメントで優勝を果たした。2003年7月27日、プロデビューとなったパンクラスのネオブラッド・トーナメントで1回戦を勝ち抜くも、決勝で中西裕一に腕ひしぎ十字固めで一本負けし、準優勝となった

子安慎悟 - Bout Wiki

後、正道会館に内弟子として入門。空手家、格闘家としての実力もさることながら、柔道においても高校時代に実績を残している。2000年3月19日、プロデビュー戦となったK-1 BURNING 2000のオープニングファイトで宇田川太と対戦し、右ローキックによるKO勝ちを収めた[1]。2

城戸康裕 - Bout Wiki

権大会K-2トーナメント中量級に出場し、第3位となった[2]。プロ転向後[]2003年9月14日、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟でプロデビュー。2005年5月4日、K-1 WORLD MAXのオープニングファイトに出場し、山本優弥と対戦。ダウンを奪われ判定負けした。20

土井広之 - Bout Wiki

ートボクシング協会シーガル級王座世界シュートボクシング協会スーパーシーガル級(ウェルター級)王座来歴[]1995年3月にシュートボクシングでプロデビュー。2001年1月12日、ダニー・スティール(アメリカ)とのWSBAスーパーシーガル級王座決定戦で3-0の判定勝ち(階級名は、後に

伊藤崇文 - Bout Wiki

年)来歴[]1994年、第2回パンクラス入門テストに合格し、パンクラスに入団[1]。1995年1月26日、パンクラス生え抜き第1号選手としてプロデビュー[2]。1995年7月、ネオブラッドトーナメントに出場。ジェフ・マサギリ、稲垣克臣、柳澤龍志に勝利を収め優勝を果たした。ネオブラ

前田吉朗 - Bout Wiki

「全国総合格闘技オープントーナメント全国大会」60kg未満級で優勝。2003年2月16日、P'sLAB大阪プロ第1号選手としてパンクラスにてプロデビュー。同年7月27日の「パンクラス ネオブラッド・トーナメント フェザー級」にて優勝。以降デビュー以来14戦無敗であった(14戦無敗

前田宏行 - Bout Wiki

級王座第42代日本ウェルター級王座来歴[]大工の三男として千葉県松戸市で生まれる。ボクシング[]1991年7月15日、全日本パブリック所属でプロデビュー。1994年10月1日、日本ライト級王座を獲得した。1995年1月7日、初防衛戦でリック吉村に10R判定負けし、王座から陥落した

佐藤洋一郎 - Bout Wiki

1敗で日本勝利 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年8月7日↑【ケージフォース】高木がヒジ打ちで佐藤を秒殺!アウトサイダー出身の渋谷莉孔がプロデビュー戦で勝利 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年11月28日↑【修斗】佐藤洋一郎、村山暁洋とドローで環太平洋タイトルを防衛 格闘

健太 - Bout Wiki

王座来歴[]2004年11月、高崎東高校2年でキックボクシングを始めた。2005年1月30日、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟興行でプロデビュー。2006年4月、獨協大学に入学。2008年3月2日、「K-1 JAPAN TRYOUT」(ミドル級)を受験し、合格を果たした[

佐藤匠 - Bout Wiki

ベスト16第17回全日本新空手道選手権大会重量級 準優勝K-1 YOUNG JAPAN GP 2008 準優勝来歴[]2005年8月20日、プロデビュー戦となった一撃で森口竜と対戦し、1-0の判定ドロー。一撃実行委員会代表であったフランシスコ・フィリォに「佐藤が最も印象に残った」

北山高与志 - Bout Wiki

、一時現役を引退。2003年、神戸にあるS.F.Kキックボクシングジムにコーチとして入門。2003年10月13日、ケガをした選手の代役としてプロデビュー。1RKO負けを喫した。2005年1月30日、R.I.S.E. XIIにて尾崎圭司に判定0-2で敗北し、一念発起してリングネーム

佐々木恭介 - Bout Wiki

次1 来歴2 戦績2.1 総合格闘技2.2 キャッチレスリング3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]2001年、パンクラスにてプロデビュー。リングス、DEEPなどにも出場している。2002年9月8日、DEMOLITIONで岡見勇信と対戦し、判定負けを喫した。2004

佐藤ルミナ - Bout Wiki

るが短期間で退部。修斗を学ぶため木口道場に入門し、朝日昇から修斗の基礎を学んだ。全日本アマチュア修斗選手権で準優勝した後、1994年11月にプロデビュー。跳びつき腕ひしぎ十字固めを決めるなど、躍動感にあふれたアグレッシブなファイトスタイルと破竹の連続一本勝ちで修斗のカリスマと呼ば

佐藤光芳 - Bout Wiki

区出身。フリー。目次1 来歴2 戦績2.1 総合格闘技3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]2000年8月27日、パンクラスでプロデビュー。2002年1月27日、パンクラスで近藤有己と対戦し、跳び膝蹴りを受け倒れたところにパウンドで追撃され、TKO負けを喫した。20

前田憲作 - Bout Wiki

エタイ世界スーパーフェザー級王座(0度防衛)来歴[]少年時代はブルース・リーやタイガーマスクに憧れてシーザージムへ入門。シュートボクシングでプロデビュー。シーザージムのトレーナーだったシンサック・ムアスリン(シンサック・ソーシリパン)の独立に伴い、彼が設立したシンサック・ビクトリ

北岡悟 - Bout Wiki

に2年間所属し、ブラジリアン柔術を学びながら国内外の様々な大会に出場する。2000年4月にパンクラスに入門。同年10月31日、河崎義範戦にてプロデビュー。2002年7月28日、昼夜興行で開催されたネオブラッドトーナメントに出場。1回戦で野沢洋之に判定勝ち、準決勝ではアライケンジの

國奥麒樹真 - Bout Wiki

、國奥もパンクラスに練習生として所属する。当時は名前を國奥将竜としていた。1996年1月28日、リングネームを國奥麒樹真と改め、渋谷修身戦でプロデビュー。既にトップとして活躍していたフランク・シャムロックやガイ・メッツァーを下すなどしてパンクラスの主力選手となった。近藤有己、渋谷

和田拓也 - Bout Wiki

[]パンクラスウェルター級王座(暫定王座→第4代)来歴[]1999年7月16日、SHOOTO GYM K'z FACTORY所属として修斗でプロデビュー。2000年3月18日、フランスで開催されたGolden Trophy 2000の75kg級トーナメントで優勝を果たした。200

国崇 - Bout Wiki

]来歴[]2000年7月16日、ニュージャパンキックボクシング連盟(NJKF)興行「MILLENIUM WARS 6」に本名の「藤原国崇」でプロデビュー。バンタム級で獅子丸修平と対戦し、2Rに3度のダウンを奪ってKO勝ちした[6]。2003年7月6日に行なわれたNJKF興行の「V

吉田正子 - Bout Wiki

フライ級トーナメント 優勝来歴[]2003年12月6日、スマックガールのアマチュア大会「SMACKGIRL-F5」で行なわれたプロマッチでプロデビューし、浅山尚子に0-3の判定負けとなった[3]。2004年2月1日、Next Cinderella Tournament ライト級

吉鷹弘 - Bout Wiki

年4月19日、入門後わずか2か月で北摂ジム(大阪ジムの前身)主催のアマチュアシュートボクシング大会で柔道技である手内股を連発して優勝。その後プロデビューし、大村戦で敗れるまで5戦全勝。1988年4月3日、シーザー武士との公開スパーリングではパンチ、投げで圧倒した。1989年11月

吉田幸治 - Bout Wiki

し、全日本ジュニアベスト8になった。高校時代には国体で団体優勝も経験した。東海大学を卒業後、プロボクサーを目指し、北澤ボクシングジムに所属。プロデビューし、全日本スーパーライト級新人王となる。2005年、総合格闘家に転向し、HERO'Sに参戦。ホイラー・グレイシーと対戦し、0-3

北村ヒロコ - Bout Wiki

11日後という連戦となった。2010年3月19日、「JEWELS 7th RING」でセリーナと対戦し、アームロックによる一本勝ち[12]。プロデビュー以来4連勝となった。2010年6月5日、プロ5戦目で日本国外での試合に抜擢。アメリカ合衆国ワシントン州で行なわれたLegends

匠 - Bout Wiki

日 - )は、日本のキックボクサー。東京都出身。チームドラゴン所属。目次1 来歴2 戦績3 脚注4 外部リンク来歴[]2008年5月31日、プロデビュー戦となった全日本キックボクシング連盟のオープニングファイトでKATSUKIと対戦し、KO勝ちを収めた[1]。2009年2月1日、

及川知浩 - Bout Wiki

外部リンク7 Wikipedia獲得タイトル[]シュートボクシング日本スーパーフェザー級王座来歴[]2000年4月7日、シュートボクシングでプロデビュー。2002年9月22日、SB日本スーパーフェザー級タイトルマッチで王者前田辰也に右ストレートでKO勝ちし、王座を獲得した[1]。

吉田善行 - Bout Wiki

校の柔道部に所属し、瀧本誠、小斎武志、大山峻護らと同期であった。アマチュア修斗で活躍し、2005年2月6日、修斗ミドル級新人王トーナメントでプロデビュー。山崎昭博に3-0の判定勝ちを収めた。2005年12月17日、修斗ミドル級新人王トーナメントの決勝で中村K太郎と対戦。2R途中、

ドミニク・クルーズ - Bout Wiki

Total Combatフェザー級王座Total Combatライト級王座第5代WEC世界バンタム級王座初代UFC世界バンタム級王座来歴[]プロデビュー以後、Rage In The Cage、Total Combatなど北米のマイナープロモーションでキャリアを積んだ。2007年3

トラヴィス・フルトン - Bout Wiki

]総合格闘技[]高校時代にレスリングに経験し、またアメリカン拳法2段も取得。18歳から総合格闘技のトレーニングを始め、1996年7月26日のプロデビュー戦ではデイブ・ストラッサーにチョークスリーパーで一本負け。その後は一時ミレティッチMAに所属し、Extreme Challeng

宮澤元樹 - Bout Wiki

ン・キャッチレスリングトーナメント」100kg未満級(4人エントリー)に出場し、優勝を果たした。2005年8月28日、DEMOLITIONでプロデビュー。2008年6月22日、プロ4戦目となった「CAGE FORCE 07」で元修斗世界ライトヘビー級王者山下志功と対戦し、3-0の

しなしさとこ - Bout Wiki

同年10月31日、AX旗揚げ戦で藤井惠とエキシビション・サンボジャケットマッチを行なった。2001年12月26日、AX第2戦で亜利弥'相手にプロデビュー。以来、修斗、DEEP、シュートボクシングなど様々な興行に出場。2002年に全日本ブラジリアン柔術選手権金メダルを獲得。同年、ス

あやめ - Bout Wiki

FESTIVAL II MO-GI 2009」で杉山しずかと対戦し、ポイント勝ちを収めた。2009年10月24日、リングネームあやめとしてプロデビュー戦となった「VALKYRIE 03」で森雅絵と女子ウェルター級(56.7kg)契約で対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[1]。20

ちはる - Bout Wiki

BONITA BOXEOアトム級王座WPMF世界女子ピン級王座来歴[]2007年5月20日、J-NETWORK「J-GIRLS 女祭り」にてプロデビュー。2010年3月21日、M-1ムエタイチャレンジ「NAI KANOMTOM vol.1」でM-1女子ミニフライ級王者岡田敦子に判

Yu-kid - Bout Wiki

がある。2009年5月31日、J-NETWORK主催の女子興行「J-GIRLS Catch The stone~3」にて、対PIRIKA戦でプロデビューするも、判定負けを喫した。2010年10月29日、「武道 掣圏」第零回大会に本名の押方優希として出場。宮内彩香(Little T

☆MIKA☆ - Bout Wiki

ika)。ドゥオンダーオはタイ語で「星」の意味。目次1 来歴2 戦績3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]2007年7月1日、プロデビュー戦となったJ-GIRLS「七夕祭り」で田島はると対戦し、判定負け。この時のリングネームは長井 未果。2007年11月4日、J-G

WINDY智美 - Bout Wiki

期大学時代に、極真会館や正道会館の全国大会で上位入賞を果たした。1999年4月29日、Jd'で行なわれた高橋洋子とのキックボクシングマッチでプロデビュー。2002年5月6日、総合格闘技初挑戦となったスマックガールで金子真理と対戦し、2-1の判定勝ち。11月9日の再戦では0-3の判

アマラ忍 - Bout Wiki

歳の時にはモンゴル空手で優勝。2001年4月、来日。2001年5月4日、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟で千葉忍というリングネームでプロデビューし、1R1分30秒でKO勝ちを収めた。リングネームを花戸忍に改名。2002年3月30日、KING COMBAT 2002 60k

RENA - Bout Wiki

が主宰する及川道場に入門。グローブ空手の大会で実績を積み、2007年7月1日、J-GIRLSで「クボチューン・レーナM15」のリングネームでプロデビュー戦を行なうが、古谷あさみに1-2の判定負けを喫した。2007年12月23日、シュートボクシングデビュー戦で岡加奈子と対戦し、2-