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基本情報 | |
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国籍 | テンプレート:USA |
出身地 | ニュージャージー州 |
生年月日 | 1960年12月25日(62歳) |
身長 体重 | テンプレート:フィートとcm (身長用変換)cm テンプレート:ポンドとkg (体重用変換)kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 一塁手、三塁手 |
プロ入り | 1979年 MLBドラフト16巡目 |
初出場 | MLB / 1982年5月8日 NPB / 1991年4月6日 |
最終出場 | MLB / 1990年10月3日 NPB / 1996年 |
経歴(括弧内は在籍年) | |
選手歴 | |
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監督・コーチ歴 | |
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この表について この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。 ■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 |
トーマス・オマリー(Thomas Patrick O'Malley , 1960年12月25日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州出身の元プロ野球選手(内野手)。アメリカ球界での登録名はトム・オマリー(Tom O'Malley)。
元阪神タイガース駐米(アメリカ駐在)スカウト。アイルランド系アメリカ人である。
テンプレート:By5月8日にサンフランシスコ・ジャイアンツでメジャーデビューを果たし、以後9年間プレーするもののメジャーには定着できず、以後、シカゴ・ホワイトソックス - ボルチモア・オリオールズ - テキサス・レンジャーズ - モントリオール・エクスポズ(現:ワシントン・ナショナルズ) - ニューヨーク・メッツと複数の球団を渡り歩くも、テンプレート:Byのシーズンを除いてレギュラー選手としての成績は残せなかった。
阪神時代[]テンプレート:Byに阪神タイガースに入団し、来日。初の春季キャンプでは川上哲治から「今年の外国人選手では一番すばらしい」と評価される。
阪神在籍時、ビジターの試合で球団カラーの黒ではなくグレーのアンダーシャツを着ていた。これはミネソタ・ツインズ在籍時代のシャツをそのまま愛用していたためである。また、ベンチで帽子を前後逆にかぶる、メジャーリーグにある「逆転のおまじない」をベンチに持ち込んだ。翌テンプレート:Byのシーズンから、亀山努らナインがオマリーに倣って、揃って帽子を逆にする姿が恒例となった。
1992年、前年オフに大洋を解雇されたジム・パチョレックを阪神に紹介し、入団させる。このパチョレックとのコンビで、新庄剛志、亀山努ら若手選手とともに低迷していた阪神の2位躍進に貢献。同年はパチョレックの入団に伴い三塁にコンバートされたが、終盤の10月7日の対ヤクルト戦で飯田哲也の三塁線の当たりを横っ飛びで捕るなどのプレーが認められ、ゴールデングラブ賞を獲得した。
テンプレート:By、首位打者のタイトルを獲得。同年のオールスターゲーム第2戦ではMVPを獲得した。ヒーローインタビューのときの「ハンシンファンワ、イチバンヤァー!(阪神ファンは一番やー!)」の決まり文句もあった。また、オマリーとともに在籍した外国人選手のパチョレック(同年退団)と郭李建夫が好調の時、当時の日本野球機構の規定では外国人選手が2人までしか出場できないことから、「PKO問題」と呼ばれていた。
しかし、助っ人としては本塁打が少ないことで球団の方針から外れ、テンプレート:Byオフに自由契約となった。オマリー自身も、オールスターゲームで当時巨人監督の長嶋茂雄に対し「ライネンキョジン(来年、巨人)」と移籍をアピールするなど、阪神のフロントに不信感を募らせていた。
ヤクルト時代[]テンプレート:By、オリックスとの争奪戦の結果、ヤクルトスワローズに入団。同年は打率.307、打点87を記録、当時中堅120m・両翼91mと阪神の本拠地阪神甲子園球場(中堅120m・両翼96m)より狭かった明治神宮野球場を本拠地にした事で自己最多の31本の本塁打を放ち、チームのセントラル・リーグ優勝に大きく貢献。ヒーローインタビューの時の決め台詞も「ヤクルトファンノ、オウエン、クダサーイ!(ヤクルトファンの応援ください)」に変わった。
オリックスとの日本シリーズでもMVPに輝き、チームの日本一にも大きく貢献。このときの小林宏投手との14球にわたる対戦は、「小林-オマリーの14球」として同年日本シリーズの名場面として語り継がれている。同年のシーズンMVPを獲得。日本プロ野球史上外国人選手としては初(2009年シーズン終了時現在で唯一)の、ペナントレース・日本シリーズ・オールスターゲームの3つでMVPを獲得した選手となった。
テンプレート:By、外国人選手初の6年連続打率3割を達成。しかし、同年オフに監督の野村克也が巨人を退団した落合博満の獲得を強く望んだため(落合の入団は日本ハムファイターズとの争奪戦に敗れて実現せず)、契約上の問題が生じたとしてこの年限りでヤクルトを退団することになり、テキサス・レンジャーズに招待選手としてキャンプ参加するが解雇され、そのまま現役を引退した。
テンプレート:Byからテンプレート:Byまでアメリカ独立リーグのニューアーク・ベアーズ初代監督を務めた。
テンプレート:By、阪神春季キャンプにヤクルト時代の監督でもあった野村を表敬訪問し、その際に外国人選手へのアドバイスが高く評価されて翌年の阪神コーチ就任が濃厚となるが、野村の退団に伴い白紙に。しかし、その際の口約束のためにベアーズ監督を辞任していたことから、翌テンプレート:Byの春季キャンプの臨時打撃コーチとして阪神に復帰。そのキャンプ中の熱心な指導が監督の星野仙一にも評価され、そのまま特命コーチとしてシーズン中もチームに帯同した。2002年からテンプレート:Byまでの特命コーチ時代はジョージ・アリアス、トレイ・ムーア、ジェフ・ウィリアムス、ジェロッド・リガンらを指導するなど外国人選手の支えとなり、2003年のリーグ優勝に貢献した。岡田彰布の監督就任によりコーチを退任。
テンプレート:By、阪神の駐米スカウトに就任。同年10月、ライブドアベースボールの監督就任を要請され受諾したが、同球団の日本プロフェッショナル野球組織への参入が無くなったため白紙に。その後も阪神の駐米スカウトとして活動したが、シェーン・スペンサー、ルー・フォード、ケビン・メンチと獲得に携わった外国人選手がスペンサー以外は結果を残せなかった(そのスペンサーも、チーム内では重要な役割を担い優勝に貢献したとは言え、助っ人として考えると、とても優秀だったとは言えない)。そのため、テンプレート:By11月、阪神との契約を解除された。
早くから、オマリーのスカウティング能力には疑問の声があがっていた。実際に岡田が監督を務めていた2005年オフには契約解除が内定しながらもオマリーへの通告が行われず、翌春キャンプに来日。結果的に契約が延長されるという事態となった。
阪神スカウト解任後は、プロ野球交渉代理人アーン・テレムの事務所に所属し、日本人選手のメジャーリーグ進出への橋渡し役として活躍している[1]。
非常に選球眼が優れ、また投手の配球を読むことに長けた選手で、外国人選手初の6年連続打率3割を達成するなど、打撃面では安定した好成績を残した。しかし、守備中にバントシフトをとらないなど怠慢な姿勢も見られた。また、常に打率ランキングで上位にいたものの、山本昌などの一線級左腕投手が登板する試合では、ゲーム直前に突然膝の痛みなどを訴えてスタメン回避を取るなどの行動も見られた。
長嶋茂雄に憧れており、小さなヘルメットを浅く被っていた(長嶋のように、スイングを行った際メットが飛ぶようにするため)。また、よくガムを噛みながらオープンスタンスで打席に立っていた。
1982 | SF | 92 | 327 | 291 | 26 | 80 | 12 | 4 | 2 | 106 | 27 | 0 | 3 | 1 | 1 | 33 | 9 | 1 | 39 | 11 | .275 | .350 | .364 | .714 |
1983 | 135 | 473 | 410 | 40 | 106 | 16 | 1 | 5 | 139 | 45 | 2 | 4 | 4 | 3 | 52 | 4 | 4 | 47 | 12 | .259 | .345 | .339 | .684 | |
1984 | 13 | 27 | 25 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | .120 | .185 | .120 | .305 | |
CHW | 12 | 16 | 16 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | .125 | .125 | .125 | .250 | |
'84計 | 25 | 43 | 41 | 2 | 5 | 0 | 0 | 0 | 5 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 7 | 1 | .122 | .163 | .122 | .285 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1985 | BAL | 8 | 14 | 14 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | .071 | .071 | .286 | .357 |
1986 | 56 | 200 | 181 | 19 | 46 | 9 | 0 | 1 | 58 | 18 | 0 | 1 | 1 | 1 | 17 | 1 | 0 | 21 | 4 | .254 | .317 | .320 | .637 | |
1987 | TEX | 45 | 134 | 117 | 10 | 32 | 8 | 0 | 1 | 43 | 12 | 0 | 0 | 0 | 2 | 15 | 1 | 0 | 9 | 7 | .274 | .351 | .368 | .718 |
1988 | MON | 14 | 31 | 27 | 3 | 7 | 0 | 0 | 0 | 7 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 1 | 0 | 4 | 0 | .259 | .323 | .259 | .582 |
1989 | NYM | 9 | 11 | 11 | 2 | 6 | 2 | 0 | 0 | 8 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .545 | .545 | .727 | 1.273 |
1990 | 82 | 133 | 121 | 14 | 27 | 7 | 0 | 3 | 43 | 14 | 0 | 0 | 0 | 1 | 11 | 1 | 0 | 20 | 1 | .223 | .286 | .355 | .641 | |
1991 | 阪神 | 130 | 537 | 476 | 61 | 146 | 29 | 0 | 21 | 238 | 81 | 0 | 1 | 0 | 2 | 57 | 1 | 2 | 83 | 10 | .307 | .382 | .500 | .882 |
1992 | 111 | 478 | 381 | 55 | 124 | 30 | 2 | 15 | 203 | 62 | 3 | 1 | 0 | 1 | 94 | 7 | 2 | 70 | 8 | .325 | .460 | .533 | .993 | |
1993 | 125 | 515 | 434 | 60 | 143 | 32 | 1 | 23 | 246 | 87 | 1 | 1 | 0 | 4 | 75 | 10 | 2 | 71 | 10 | .329 | .427 | .567 | .994 | |
1994 | 124 | 524 | 430 | 61 | 135 | 18 | 2 | 15 | 202 | 74 | 2 | 1 | 0 | 4 | 89 | 17 | 1 | 74 | 15 | .314 | .429 | .470 | .899 | |
1995 | ヤクルト | 125 | 524 | 421 | 83 | 127 | 20 | 0 | 31 | 240 | 87 | 6 | 6 | 0 | 5 | 96 | 23 | 2 | 57 | 8 | .302 | .429 | .570 | .999 |
1996 | 127 | 541 | 461 | 56 | 145 | 23 | 0 | 18 | 222 | 97 | 3 | 4 | 0 | 5 | 74 | 8 | 1 | 70 | 19 | .315 | .407 | .482 | .888 | |
MLB:9年 | 466 | 1366 | 1213 | 117 | 310 | 54 | 5 | 13 | 413 | 131 | 2 | 8 | 6 | 9 | 133 | 17 | 5 | 151 | 37 | .256 | .329 | .340 | .670 | |
NPB:6年 | 742 | 3119 | 2603 | 376 | 820 | 152 | 5 | 123 | 1351 | 488 | 15 | 14 | 0 | 21 | 485 | 66 | 10 | 425 | 70 | .315 | .422 | .519 | .941 |
年度 | チーム | 前・後期 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | 順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1998 | ニューアーク・ベアーズ | 前期 | 50 | 18 | 32 | 0 | .360 | 5位 |
後期 | 50 | 17 | 33 | 0 | .340 | 6位 | ||
1999 | 前期 | 59 | 24 | 35 | 0 | .406 | 5位 | |
後期 | 60 | 31 | 29 | 0 | .516 | 3位 | ||
2000 | 前期 | 70 | 38 | 32 | 0 | .542 | 3位 | |
後期 | 70 | 36 | 34 | 0 | .514 | 4位 | ||
2001 | 前期 | 63 | 38 | 25 | 0 | .603 | 1位 | |
後期 | 63 | 37 | 26 | 0 | .587 | 2位 |
|
en:Tom O'Malley
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