金本知憲

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金本 知憲
阪神タイガース #6
ファイル:HT-Tomoaki-Kanemoto.jpg
基本情報
国籍日本の旗 日本
出身地広島県広島市南区
生年月日1968年4月3日(55歳)
身長
体重
180cm
85kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション左翼手
プロ入り1991年 ドラフト4位
初出場1992年6月2日
年俸4億円+出来高(2011年)[1]
経歴(括弧内は在籍年)
この表について
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金本 知憲(かねもと ともあき、1968年4月3日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手(外野手)。ファンやマスコミからの愛称はアニキ(兄貴)など、友人からはかねもっちゃん、カネ。

右投げ左打ちの打者としては日本プロ野球歴代最多の本塁打を放っており、連続フルイニング出場試合数、連続出場イニング数の世界記録保持者。日本プロ野球の連続試合出場記録では現役最多、歴代2位である。

目次

経歴[]

プロ入り前[]

広島県広島市南区青崎出身。広島市立青崎小学校4年時にリトルリーグの広島中央リーグで野球を始めたが、練習についていけず1年で退部。その後は町内会のソフトボールや広島市立大州中学校の軟式野球部でプレー。広陵高校に進学し硬式野球部に入部、2年からクリーンナップに座り外野手・三塁手・投手を兼任したが、当時は同校の低迷期で甲子園出場はなかった。高校通算20本塁打。

その後、中央大学硬式野球部のセレクションを受験するが学業成績があまりにも不良であったため不合格となり、1年間の浪人生活を経験した。この間、ヤクルトスワローズの入団テストを受けたがまたも不合格。失意の中、知人から当時は無名だった東北福祉大学を紹介され一般受験で入学。恩師として名前を挙げる伊藤義博監督の下で1年からレギュラーとなり佐々木主浩、大塚孝二、矢野輝弘、斎藤隆、浜名千広ら後にプロ入りするメンバーと共に主力として4年連続で全日本大学野球選手権大会に出場。テンプレート:By第37回大会では決勝で近畿大学に逆転負けを喫して準優勝。第38回大会では連続優勝した近畿大学に3回戦で敗れ、第39回大会では小池秀郎、高津臣吾、川尻哲郎らを擁する亜細亜大学に決勝で敗れて準優勝。翌テンプレート:By、4年時の第40回大会では3度目の決勝で関西大学と延長17回の末に勝利し初優勝を達成。左手首をはく離骨折していながら勝ち越しの2点適時打を放ち、初優勝の立役者となった。同年、第20回日米大学野球選手権大会日本代表に選出され、チームの勝利に貢献。後にチームメイトとなる桧山進次郎と同室になり、本人曰く「人に話せないようなことを色々した」という。これが縁となって阪神入団後に雑誌で2人の対談が行われた。この部屋で洗濯係だった鳥越裕介は「金本さんにめちゃくちゃいじめられた」と後に語っている。秋のドラフト会議で広島東洋カープから斉藤肇の外れ4位指名を受け入団。

広島時代[]

入団後の2年間は芽が出ず年下の前田智徳、江藤智らに追い抜かれ、打撃は当時のコーチから「転がして足を活かせ」と言われるほど非力で、外野守備も送球を地面に向かって投げてしまう悪癖から「モグラ殺し」のあだ名を付けられるなど、本人曰く「クビを覚悟していた」という。それらの悔しさから筋力トレーニングを本格的に取り入れ、地道な身体作りを行う。山本一義コーチと出会ったことも転機となり、テンプレート:By後半から頭角を現し17本塁打を放つなどレギュラーに定着。テンプレート:Byにベストナインを受賞。以降、主に5番打者としてテンプレート:Byに初の打率3割を記録すると、テンプレート:Byには2年連続3割、初の30本塁打を達成、テンプレート:Byは規定打席には達したものの、成績は前年に比べて大幅に落ちた。7月5日の阪神12回戦で舩木聖士から死球を受け、試合は最後まで出たものの腫れが引かず、翌日からの2試合を欠場。10日の対ヤクルトスワローズ15回戦から復帰して以降は2010年途中まで連続フルイニング試合出場を続けた。テンプレート:By4月24日にはサイクル安打を達成し、初の全試合出場をするなど復活。

テンプレート:Byに前年まで不動の4番だった江藤が読売ジャイアンツにFA移籍したことで4番に抜擢され、史上7人目のトリプルスリーを達成。テンプレート:Byには39年ぶりに毒島章一の記録を大きく更新する1002打席連続無併殺打の日本記録を樹立。また出塁率でも.463と驚異的な数値を記録し、松井秀喜と分けてロベルト・ペタジーニに次ぐ2位に入った。出塁率.450以上が2人以上出るのは日本プロ野球史上初めてのことであったが、この年は一気に3人も出すほど歴史的な出塁率争いであった。

テンプレート:Byオフ、FA権の行使に悩み球団幹部に「今季は成績が悪かったので年俸は1,000万円減で構わないが、FAの再契約金を100万円でいいから出してほしい」と相談した。しかし、球団は厳しい財政事情から再契約金高騰の前例が作られることを懸念してFA権を行使しての残留は認めない方針を曲げなかったため、最終的にFA権利を行使して阪神へ移籍した。

阪神時代[]

テンプレート:Byに阪神の球団改革の一端として移籍し、「過去に藤田平、和田豊らが付けていた背番号6を引き継げて嬉しい」と話し阪神ファンの心を掴んだ。もっとも、本当は大学時代の背番号だった5番を付けたかったと話しており、当時阪神への移籍が取り沙汰されていた中村紀洋のため6番にしたという。かつて広島から巨人にFA移籍した川口和久や江藤が広島市民球場で激しく野次られるのを見ていたため自分も野次られるのではないかと恐れていたが、移籍後初の広島市民球場での試合で逆に声援を受け安堵したと語っている。同年は開幕から3番に定着し、2番赤星憲広をアシストして盗塁王獲得に協力するとともに主軸として活躍し、18年ぶりのリーグ優勝に貢献。日本シリーズでは4本塁打、3試合連続本塁打、1試合2本塁打と3つのシリーズタイ記録を達成したが、チームは日本一に届かなかった。

テンプレート:Byは岡田彰布新監督の意向で開幕から4番として起用され長打を量産。7月29日の対中日ドラゴンズ戦で左手首に死球を受け軟骨損傷をした後は自分のものより軽い久慈照嘉のバットを借りて出場を続け、8月1日には連続試合フルイニング出場の日本新記録を樹立。最終的に打率、本塁打(1999年と同数)、打点の3部門で自己最高記録を達成し、初タイトルとなる打点王を獲得する。左手首の故障についてシーズン後「この時だけは記録のために出続けた」と語ったが、故障後は本塁打のペースこそ落ちたが打率はむしろ上がっていた。

テンプレート:By6月10日の対北海道日本ハムファイターズ戦で入来祐作から本塁打を放ち史上4人目の全球団から本塁打を達成。過去の3人はいずれもセ・パ各4球団以上に所属して記録したが、金本は同年から導入された交流戦のおかげで2球団に所属しただけで達成できた。6月28日には米子市民球場での対広島戦で本塁打を放ち、現役選手では最多の32球場でアーチをかけた。この記録は2007年に田中幸雄が33球場で本塁打を放ち現役1位は一旦譲ったが、田中が同年限りで引退し再び現役1位となっている(日本記録は山内一弘の39球場)。8月11日の対中日戦では1,000試合連続出場、8月25日の対広島戦で1,000得点、9月9日の対広島戦で1,000打点、10月4日に阪神ではテンプレート:Byのランディ・バース以来、日本人選手ではテンプレート:Byの掛布雅之以来、阪神甲子園球場のラッキーゾーン撤廃後は初となる40本塁打を達成。打率、本塁打、打点の3部門で前年の自己記録を更新し、チームも優勝してMVPに選ばれた。

テンプレート:By3月31日にカル・リプケンの8243イニング連続出場を更新。4月9日の対横浜ベイスターズ戦でリプケンを抜く、904試合連続フルイニング出場の世界新記録を達成し、8月15日に同カード、同球場の試合で1,000試合に伸ばした。オフの契約更改では推定年俸5億5,000万円と日本人選手では球界トップとなった。

テンプレート:By7月8日の対中日戦で1死満塁から金本の安打で生還しなかった二塁走者の鳥谷敬に対し「あのヒットで1人しか還ってこれないなんてもったいない」「足の速い若い選手が緊張感とか集中力がないのかなと思う」と叱咤。それまで後輩に対して苦言を呈することはあまりなかったことから、翌日のスポーツ新聞各紙では大きく取り上げられた。同年はシーズン中に左膝半月板損傷の大怪我をしながら2004年同様強行出場を続け、31本塁打95打点を記録したが打率は.265と4年ぶりに3割を下回った。なお、左膝はオフの10月に人生初という手術を受けた。

テンプレート:Byは左膝のリハビリテーション優先のため1月後半からアメリカに滞在し、2月後半の安芸キャンプからチームに合流。4月6日に1999本目の安打を記録してから3試合18打席無安打だったが、4月12日の対横浜戦で史上37人目の通算2000本安打を達成、リーチをかけてから連続打席無安打の歴代最長記録だった。この試合では広島からFA移籍したばかりの新井貴浩も1000本安打を達成した。5月13日の対広島戦では阪神所属(達成時点)及び右投げ左打ちの選手として初の通算400本塁打を達成した。6月に自身3度目となる月間MVPに選出され、最終的に2年ぶりに3割、3年ぶりに100打点に到達した。オフには2年連続で左膝の手術をした。また、現役選手でありながら同年からエイベックス・エンタテインメントとマネジメント契約を結んだ。

テンプレート:Byは手術の影響でオープン戦にはほとんど出場できなかったが、41歳の誕生日でもある4月3日に行われた東京ヤクルトスワローズとの開幕戦でリーグ最年長記録となる開幕戦本塁打を放った。4月8日の対広島戦、4月10日の対巨人戦で3打席連続本塁打を記録し、史上初となる月間2度の3打席連続本塁打を達成した。得点圏で27打数13安打21打点と好調だった4月には、自己最多となる月間30打点を記録し、自身4度目となる月間MVPに選出された。しかし5月以降の月間打率は全て2割台前半で最終的には移籍後ワーストとなる打率.261で、本塁打数も21本だった。

テンプレート:Byは順調なキャンプを送ったが、3月17日、ヤクルトとのオープン戦前の練習中に味方選手と激突して右肩を痛め[2]、後の診断で右肩の棘(きょく)上筋部分断裂という重傷であることが判明[3]。それでも試合出場は続けていたものの、4月14日の対巨人戦で犠牲フライを本塁に返球できなかったり[4]、17日の対横浜戦では二塁走者の生還を二度許したりするなど満足な送球ができず、打撃でも打率.167と不振であったため[5]、翌18日の試合前に真弓明信監督に「これ以上出ても迷惑をかける」と自ら申し出て[4][6]スタメンから外れた。これにより連続試合フルイニング出場の記録は1,492試合で止まり、同年5月15日にギネス・ワールド・レコーズによって世界記録に認定された。それ以降は下記の2011年4月15日まで毎試合代打で出場させて連続試合出場は継続した。ただし、金本の記録のために、試合中の選手の起用方法に悪影響を与えた可能性も指摘されている[7]

スタメン復帰した時期もあったが結局最後まで調子が上向くことはなく、守備面でも補殺0、打率(規定打席数未到達)、本塁打、打点全て阪神移籍後最低の成績に終わった。この年の規定打席未到達で全試合出場はNPB史上初の珍記録となっている。また、中日戦の成績は.096(52-5)、打点1、16三振であった。連続試合出場と関係の無いクライマックスシリーズファーストステージ第2戦では出場機会が無かった。この時期、金本の右肩は棘(きょく)上筋が完全に断裂していた状態であったとも言われている。

テンプレート:By4月15日の中日戦で、8回表二死一塁で投手の代打として途中出場。しかし打席中に一塁走者の俊介が盗塁失敗しイニングが終了、打席未完了のまま真弓監督は金本に代え投手を出したので、連続出場記録がこの日に1,766試合で途絶えた(この場合のルール上、試合出場は記録されるが、連続試合出場記録には反映されないため[8])。

人物[]

両親は韓国人で、金本は在日韓国人3世にあたる。2001年に日本人女性と結婚するにあたり、日本に帰化した[9][10]。帰化前の本名は金知憲(キム・ジホン/김지헌)。広陵高校時代の1986年に在日韓国人学生野球団の一員として渡韓した経験を持つ[11]

少年時代に博成(ひろなり)から知憲に改名している。ファンやマスコミからは「兄貴」と呼ばれるが、実生活では4人兄弟の末っ子である。公私混同を嫌い、2001年に結婚した際も夫人を写さないことなどを条件に取材を受けている。

広島中央リーグ時代のチームメイトに野村弘樹と山本圭一がおり、山本の実家には当時の写真が保管されている。『極楽とんぼのとび蹴りヴィーナス』に山本の弟分として出演し、加藤浩次と野球で対決した。結果は外野フライで、怒った山本に鼻くそを付けられそうになった。また、高校時代のライバル校県立広島工業高校には同学年の高津がいたが、高津の方が控えで直接対決はなかった。広島在籍時には一緒に飲むこともあったという。野球界の他では島田紳助と仲が良い[12]

明るくチームのムードを大事にし、多くのチームメイトにいたずらを仕掛ける。和田豊コーチによると「調子の良さに比例していたずらも増える」とのこと。そのいたずらの矛先は新井貴浩はもちろん、2006年までヘッドコーチ、2010年に2軍監督だった平田勝男にまで向けられたことがあり、実際TVインタビューのオチで「でも何で平田さん(2010年で)クビになったんですかね?」と言うこともあった。連続フルイニング出場試合数の世界新記録達成時には「セレモニーを見て、オレ引退するのか?と思った」と発言するなどインタビューでも度々ジョークを言う。

1学年上の桑田真澄と清原和博のKKコンビは当時多くの高校球児にとって憧れの存在で、金本も高校入学前の春休みに甲子園へ清原を見に行くなど学生時代は清原マニアであったことを自認しており、常々「俺のアニキは清原さん」「俺にとってのスーパースター」と公言している。現在は清原自身と深い交友関係にあり、清原の引退試合に駆けつけ花束を贈呈した際には頭が真っ白になったという。

甲子園では「金本兄貴のスタミナハラミ丼」という弁当が販売されている。金本が大学時代によく食べていたという弁当を本人の協力をもとに再現したものであるが、大学でルームメイトだった大塚光二からはe2 by スカパー!のe2プロモチャンネル内で同弁当が紹介されたときに「食べているのを見たことない。アイツそんな金あったのか?」と言われている。

肉体年齢は25歳前後と診断されたこともあるテンプレート:いつ。年中筋力トレーニングに励み、体脂肪率は8~9%を維持している。一方でビールは水のように飲み、好物の芋焼酎「森伊蔵」の酒量もさほど減っておらず、「ストイックなタイプではなく、後輩の新井をよく弄る」と自認する。しかし上記のようなトレーニングをはじめ、サプリメント、鍼灸、アンチエイジング治療、どんなに飲んでいても自分が決めた睡眠時間はキープするなどの体調管理が肉体を支えている。自身が通っているスポーツジム「アスリート」の金本専用ベルトには、広島時代の背番号10と共に名前が書いてあり、名前の上に「ヒクソン・グレイシー」とフリガナが振られている。

1996年に巨人が首位広島に付けられた11.5ゲーム差をひっくり返して優勝したメークドラマと2008年に巨人が首位阪神に付けられた13ゲーム差をひっくり返して優勝したメークレジェンドの双方を、逆転される側として経験した唯一の選手である。

最後のフルイニング試合で着用していたユニホームや手袋などは、甲子園歴史館での一時展示を経てアメリカの野球殿堂館に寄贈されている。また、無類の餃子好きであり、新井とともに甲子園付近の店で、餃子を食べる姿をしばしば目撃される。

詳細情報[]

年度別打撃成績[]

1992広島5531000000001010020.000.250.000.250
19934295899173043290100501164.191.242.360.602
1994902932574169142171384320323120643.268.345.537.882
19951044383697210115124190671410036125785.274.381.515.896
19961265114238412718227230721870777241042.300.407.544.951
19971335524657714017233260821390480531048.301.404.559.963
199813357349977126333212287496016805942.253.347.457.804
1999135576502841472123427494103017013923.293.382.546.928
200013658849696156202302709030100480781012.315.415.544.959
2001140615472101148281252539319906128169691.314.463.536.999
200214060454080148302292698485026042995.274.348.498.846
2003阪神140632532941542421923977184029355896.289.399.449.848
200413861352192165324343071135008792510010.317.406.589.995
20051466625591201833534034412531029843866.327.429.6151.044
2006146634545851652442627598220579185985.303.393.505.897
20071446245337414117331257951007811131139.265.361.482.843
2008144623535871643322728210821087793998.307.392.527.919
200914461951866135370212359181088865987.261.368.454.822
20101443963533985120161454511013903903.241.321.411.732
20111223723482776111121253111002440535.218.269.359.628
通算:20年24521002585591406244742436470435314911647147113199872164994.286.383.509.892
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[]


外野
試合刺殺補殺失策併殺守備率
199210000.000
199326380001.000
1994821553001.000
1995102178510.995
1996121227633.987
1997128225941.983
19981312091151.978
19991351971061.972
2000136226460.975
2001140200530.986
2002140205822.991
2003140222960.975
200413818612103.952
2005146197823.990
2006146204631.986
2007144186911.995
2008144193420.990
2009144184271.964
20107390040.957
201110181020.976
通算241834031116717.981

タイトル[]

  • 打点王:1回 (2004年)

表彰[]

  • MVP:1回 (2005年)
  • ベストナイン:7回 (1995年、2000年、2001年、2004年 - 2006年、2008年)
  • 日本シリーズ敢闘賞:1回 (2003年)
  • 優秀JCB・MEP賞:5回 (1996年、2000年、2004年、2006年、2007年)
  • セ・パ交流戦優秀選手賞(日本生命賞):2回 (2005年、2008年)
  • 月間MVP:4回 (1996年9月、2005年5月、2008年6月、2009年4月)
  • オールスターゲームMVP:2回 (1996年 第3戦、2003年 第2戦)
  • 連盟特別賞:1回(2010年)※1492試合連続全イニング試合出場のプロ野球新記録
  • 兵庫県スポーツ優秀選手特別賞(2006年11月15日)

記録[]

初記録
  • 初出場・初打席・初三振:1992年6月2日、対阪神タイガース9回戦(岡山県野球場)、3回裏に石貫宏臣の代打として出場、中込伸から三振に討ち取られる
  • 初安打:1993年8月8日、対ヤクルトスワローズ16回戦(広島市民球場)、7回裏に西山秀二の代打として出場、山田勉から右前安打
  • 初打点・初本塁打:1993年9月4日、対横浜ベイスターズ21回戦(北九州市民球場)、8回表に町田公二郎の代打として出場、三浦大輔から右越ソロ
  • 初先発出場:1993年9月5日、対横浜ベイスターズ22回戦(下関球場)、7番・左翼手として先発出場
  • 初盗塁:1994年6月1日、対阪神タイガース8回戦(阪神甲子園球場)、8回表に二盗(投手:久保康生、捕手:木戸克彦)
節目の記録
  • 100本塁打:1997年9月9日、対阪神タイガース23回戦(広島市民球場)、9回裏に藪恵壹から右越2ラン
  • 150本塁打:1999年8月22日、対中日ドラゴンズ22回戦(ナゴヤドーム)、6回表に山本昌から右越決勝ソロ ※史上109人目
  • 200本塁打:2001年7月7日、対阪神タイガース14回戦(広島市民球場)、3回裏に谷中真二から右越2ラン ※史上73人目
  • 1000試合:2001年8月15日、対阪神タイガース20回戦(大阪ドーム)、4番・左翼手として先発出場 ※史上372人目
  • 1000本安打:2001年9月2日、対読売ジャイアンツ25回戦(広島市民球場)、8回裏に岡島秀樹から中前適時打 ※史上207人目
  • 250本塁打:2003年5月31日、対読売ジャイアンツ11回戦(東京ドーム)、9回表に木村龍治から3ラン ※史上45人目
  • 1000三振:2004年9月4日、対読売ジャイアンツ25回戦(阪神甲子園球場)、4回裏に久保裕也から ※史上37人目
  • 1500本安打:2005年4月2日、対ヤクルトスワローズ2回戦(大阪ドーム)、3回裏に坂元弥太郎から適時三塁打 ※史上87人目
  • 300本塁打:2005年4月9日、対横浜ベイスターズ2回戦(阪神甲子園球場)、4回裏に斎藤隆から2ラン ※史上30人目
  • 1500試合出場:2005年5月14日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(阪神甲子園球場)、4番・左翼手として先発出場 ※史上143人目
  • 1000得点:2005年8月25日、対広島東洋カープ16回戦(広島市民球場)、6回表に今岡誠の満塁本塁打により記録 ※史上32人目
  • 1000打点:2005年9月9日、対広島東洋カープ17回戦(阪神甲子園球場)、6回裏に黒田博樹から右越ソロ ※史上26人目
  • 3000塁打:2005年9月13日、対読売ジャイアンツ19回戦(長崎ビッグNスタジアム)、2回表に高橋尚成から右越満塁本塁打、史上39人目
  • 300二塁打:2006年7月5日、対横浜ベイスターズ11回戦(阪神甲子園球場)、3回裏に門倉健から ※史上45人目
  • 350本塁打:2006年7月12日、対広島東洋カープ9回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に横山竜士から左越ソロ ※史上20人目
  • 1000四球:2006年8月29日、対中日ドラゴンズ14回戦(阪神甲子園球場)、6回裏に久本祐一から ※史上12人目
  • 3500塁打:2007年8月10日、対横浜ベイスターズ14回戦(横浜スタジアム)、8回表に横山道哉から右前安打 ※史上21人目
  • 2000本安打:2008年4月12日、対横浜ベイスターズ5回戦(横浜スタジアム)、7回表に寺原隼人から右前安打 ※史上37人目
  • 400本塁打:2008年5月13日、対広島東洋カープ6回戦(富山アルペンスタジアム)、9回表に横山竜士から右越2ラン ※史上15人目
  • 350二塁打:2008年7月4日、対横浜ベイスターズ9回戦(横浜スタジアム)、9回表にマットホワイトから ※史上26人目
  • 2000試合:2008年8月16日、対横浜ベイスターズ15回戦(京セラドーム大阪)、4番・左翼手として先発出場 ※史上39人目
  • 4000塁打:2009年8月6日、対中日ドラゴンズ14回戦(ナゴヤドーム)、1回表に川井雄太から右翼線適時二塁打 ※史上13人目
  • 1500三振:2009年9月21日、対横浜ベイスターズ22回戦(横浜スタジアム)、3回表に三浦大輔から ※史上8人目
  • 400二塁打:2009年9月29日、対東京ヤクルトスワローズ20回戦(明治神宮野球場)、3回表に由規から右中間適時二塁打 ※史上10人目
  • 450本塁打:2010年6月27日、対東京ヤクルトスワローズ8回戦(明治神宮野球場)、8回表に松岡健一から右越2ラン ※史上13人目
日本シリーズ・オールスターゲーム
  • 日本シリーズ4本塁打(2003年)※シリーズタイ記録
  • 日本シリーズ3試合連続本塁打(2003年)※シリーズタイ記録
  • オールスターゲーム出場:11回 (1995年 - 1997年、2000年、2001年、2003年 - 2006年、2008年、2009年)
その他の記録
  • サイクルヒット:1回(1999年4月24日、対中日ドラゴンズ戦、広島市民球場)※史上49人目
  • トリプルスリー:1回(2000年)
  • 連続試合フルイニング出場 1,492試合(1999年7月21日 - 2010年4月17日)※世界記録
  • 連続イニング出場 13,686イニング(1999年7月21日 - 2010年4月17日)※世界記録[13]
  • 連続試合出場 1,766試合(1998年7月10日 - 2011年4月14日)※衣笠祥雄の2215試合に次ぐ第2位
  • 連続4番先発出場 880試合 (2004年4月2日 - 2010年4月17日) ※日本記録
  • 連続無併殺打 1,002打席(2000年5月12日 - 2001年9月28日)※日本記録
  • 1試合5四球(2001年10月11日)
  • 1イニング5打点(2003年5月31日)
  • 月間2度の3打席連続本塁打:2009年4月8日・4月10日 ※プロ野球史上初
  • 全試合出場で規定打席未到達(2010年) ※プロ野球史上初
  • セ・リーグ最年長盗塁(2011年4月26日・43歳0ヶ月)
  • セ・リーグ最年長本塁打(2011年5月12日・43歳1ヶ月)
  • 全球団から本塁打:2005年6月10日、対日本ハム戦にて達成(NPB史上4人目)

背番号[]

  • 10 (1992年 - 2002年)
  • 6 (2003年 - )

登場曲[]

  • Darude「Sandstorm」(ヴァンダレイ・シウバテーマ曲、2003年・2004年、2006年~)
  • マドンナ「ダイ・アナザー・デイ」(映画『007 ダイ・アナザー・デイ』主題歌、2005年)

関連情報[]

著作[]

  • 『覚悟のすすめ』角川グループパブリッシング(角川oneテーマ21 A 87) 2008年9月10日 ISBN 9784047101579

CM出演[]

  • 日清食品「出前一丁」(広島時代、1998年の懸賞キャンペーンTVCM(中国地区限定)に江藤智、野村謙二郎、町田公二郎、緒方孝市らと共演)
  • ファイテン(2007年、アドバイザリー契約も結んでいる)
  • 日産自動車「ADバン」(2007年、雑誌広告とラジオCMのみ)
  • 阪神電気鉄道「阪神なんば線」(道頓堀での看板と神戸と大阪の地下鉄と阪神の駅広告)

脚注[]

  1. 阪神・金本、4億円残留へ「暴れたい」 - サンスポ
  2. 金本、右肩激痛に耐え壮絶初タイムリーデイリースポーツ、2010年3月30日。
  3. 衝撃事実!金本、右肩腱板部分断裂 デイリースポーツ、2010年4月1日。
  4. 4.04.1金本、自分で止めた連続フルイニング記録 デイリースポーツ、2010年4月18日。
  5. 阪神 金本スタメン外れる フルイニング出場止まる スポーツニッポン、2010年4月18日。
  6. 阪神・金本、フルイニング出場ストップ 読売新聞、2010年4月18日。
  7. 金本の“記録”が足かせ?スポーツニッポン、2010年9月17日。
  8. 公認野球規則10・23(c)「プレーヤーが連続試合出場を記録するためには、少なくとも自チームのあるイニングの守備(回の初めから終わりまで)に出場するか、あるいは塁に出るかアウトになって打撃を完了しなければならない。」(以下略)
  9. 「甲子園に降臨したウルトラマン金本」 『AERA』2008年10月20日号
  10. 「<野球>日本野球、韓国系金本選手フルイニング出場新記録」『中央日報 日本語版』2006年4月10日更新
  11. /index.nhn?category=worldbaseball&ctg=news&mod=read&office_id=295&article_id=0000000189 [박동희의 야구탐사 ‘슬픈 전설’, 재일동포 야구단 [2]편 ]
  12. 2005年『FNSの日』にて。
  13. 金本「外れます。迷惑かけられない」連続フルイニング出場止まった…阪神 スポーツ報知、2010年4月19日。

関連項目[]

  • 広島県出身の人物一覧
  • 東北福祉大学の人物一覧
  • 広島東洋カープの選手一覧
  • 阪神タイガースの選手一覧
  • 西村龍次 - 高校の同期(1年の1学期に寒川高校に転校)
  • AKB砲
  • OSAKA LADY BLUES 〜大阪レディ・ブルース〜 - 桑田佳祐の楽曲。間奏でプロ野球のアナウンス風の実況が挿入されており、対戦シーンとして桑田真澄と共に名前が出ている。

外部リンク[]

  • 金本知憲公式サイト
  • 個人年度別成績 【金本知憲 (阪神タイガース)】 - 日本野球機構オフィシャルサイト
  • コラム金本知憲 1766試合連続出場の重み【OCNスポーツ】
・話・編・歴
阪神タイガース 2011
監督
72 真弓明信
コーチ
テンプレート:Nowrap begin70 木戸克彦(ヘッド)テンプレート:!wrap82 岡義朗(野手チーフ)テンプレート:!wrap84 久保康生(投手)テンプレート:!wrap85 山口高志(投手)テンプレート:!wrap86 和田豊(打撃)テンプレート:!wrap88 片岡篤史(打撃)テンプレート:!wrap89 山脇光治(守備走塁)テンプレート:!wrap92 久慈照嘉(守備走塁)テンプレート:!wrap81 吉田康夫(バッテリー)テンプレート:!wrap91 伊藤敦規(トレーニング)テンプレート:!wrap93 海老野貴勇(トレーニング補佐)テンプレート:Nowrap end
二軍監督・コーチ
テンプレート:Nowrap begin74 吉竹春樹(監督)テンプレート:!wrap71 中西清起(投手)テンプレート:!wrap80 藪恵壹(投手)テンプレート:!wrap76 八木裕(打撃)テンプレート:!wrap75 高橋光信(打撃)テンプレート:!wrap73 風岡尚幸(守備走塁)テンプレート:!wrap87 中村豊(守備走塁)テンプレート:!wrap83 嶋田宗彦(バッテリー)テンプレート:!wrap90 続木敏之(トレーニング)テンプレート:!wrap98 立石充男(育成チーフ)テンプレート:!wrap97 永尾泰憲(育成)テンプレート:!wrap95 遠山奬志(育成)テンプレート:!wrap96 筒井壮(育成)テンプレート:Nowrap end
投手
テンプレート:Nowrap begin12 渡辺亮テンプレート:!wrap13 榎田大樹テンプレート:!wrap14 能見篤史テンプレート:!wrap15 藤原正典テンプレート:!wrap16 安藤優也テンプレート:!wrap17 杉山直久テンプレート:!wrap18 二神一人テンプレート:!wrap19 蕭一傑テンプレート:!wrap20 筒井和也テンプレート:!wrap21 岩田稔テンプレート:!wrap22 藤川球児テンプレート:!wrap27 秋山拓巳テンプレート:!wrap28 福原忍テンプレート:!wrap29 小嶋達也テンプレート:!wrap30 久保田智之テンプレート:!wrap34 久保康友テンプレート:!wrap36 一二三慎太テンプレート:!wrap40 鄭凱文テンプレート:!wrap41 小林宏テンプレート:!wrap42 下柳剛テンプレート:!wrap43 西村憲テンプレート:!wrap46 鶴直人テンプレート:!wrap47 上園啓史テンプレート:!wrap48 石川俊介テンプレート:!wrap49 若竹竜士テンプレート:!wrap54 メッセンジャーテンプレート:!wrap55 スタンリッジテンプレート:!wrap56 阿部健太テンプレート:!wrap59 岩本輝テンプレート:!wrap62 川崎雄介テンプレート:!wrap63 加藤康介テンプレート:!wrap64 白仁田寛和テンプレート:!wrap65 清原大貴テンプレート:!wrap68 横山龍之介テンプレート:!wrap79 桟原将司テンプレート:Nowrap end
捕手
テンプレート:Nowrap begin2 城島健司テンプレート:!wrap38 橋本良平テンプレート:!wrap39 小宮山慎二テンプレート:!wrap45 清水誉テンプレート:!wrap50 藤井彰人テンプレート:!wrap52 原口文仁テンプレート:!wrap57 岡崎太一テンプレート:!wrap60 中谷将大テンプレート:Nowrap end
内野手
テンプレート:Nowrap begin0 大和テンプレート:!wrap1 鳥谷敬テンプレート:!wrap3 関本賢太郎テンプレート:!wrap4 上本博紀テンプレート:!wrap5 平野恵一テンプレート:!wrap25 新井貴浩テンプレート:!wrap32 新井良太テンプレート:!wrap35 坂克彦テンプレート:!wrap37 野原将志テンプレート:!wrap58 荒木郁也テンプレート:!wrap66 黒瀬春樹テンプレート:!wrap67 ブラゼルテンプレート:!wrap69 森田一成テンプレート:Nowrap end
外野手
テンプレート:Nowrap begin00 柴田講平テンプレート:!wrap6 金本知憲テンプレート:!wrap7 俊介テンプレート:!wrap8 浅井良テンプレート:!wrap9 マートンテンプレート:!wrap24 桧山進次郎テンプレート:!wrap31 林威助テンプレート:!wrap33 葛城育郎テンプレート:!wrap44 甲斐雄平テンプレート:!wrap51 桜井広大テンプレート:!wrap61 田上健一テンプレート:!wrap94 野原祐也テンプレート:!wrap99 狩野恵輔テンプレート:Nowrap end
育成選手
テンプレート:Nowrap begin116 ザラテ(投手)テンプレート:!wrap122 阪口哲也(内野手)テンプレート:!wrap126 島本浩也(投手)テンプレート:!wrap127 穴田真規(内野手)テンプレート:Nowrap end

テンプレート:名球会

 
業績

テンプレート:日本シリーズ敢闘賞テンプレート:日本プロ野球交流戦優秀選手

・話・編・歴
日本プロ野球オールスターゲームMVP
1950年代
テンプレート:Nowrap begin51 川上哲治, 野口明, 林義一テンプレート:!wrap52 飯島滋弥テンプレート:!wrap53 飯田徳治, 平井三郎, 堀井数男テンプレート:!wrap54 中西太, 山内和弘テンプレート:!wrap55 山内和弘, 西沢道夫テンプレート:!wrap56 森下正夫, 吉田義男テンプレート:!wrap57 大下弘, 宮本敏雄テンプレート:!wrap58 宮本敏雄, 中西太テンプレート:!wrap59 山内和弘, 中利夫テンプレート:Nowrap end
1960年代
テンプレート:Nowrap begin60 森下整鎮, 金田正一, 張本勲テンプレート:!wrap61 広瀬叔功, 田宮謙次郎テンプレート:!wrap62 J.ブルーム, 張本勲テンプレート:!wrap63 近藤和彦, 王貞治, 古葉毅テンプレート:!wrap64 金田正一, J.マーシャル, J.スタンカテンプレート:!wrap65 D.スペンサー, 高倉照幸, 江藤慎一テンプレート:!wrap66 広瀬叔功, 榎本喜八, 古葉竹識テンプレート:!wrap67 土井正博, 長池徳二, 大杉勝男テンプレート:!wrap68 江藤慎一, 柴田勲, 小池兼司テンプレート:!wrap69 土井正博, 船田和英テンプレート:Nowrap end
1970年代
テンプレート:Nowrap begin70 長池徳二, 江夏豊, 遠井吾郎テンプレート:!wrap71 江夏豊, 長池徳二, 加藤秀司テンプレート:!wrap72 野村克也, 阪本敏三, 池田純一テンプレート:!wrap73 若松勉, 福本豊, 山崎裕之テンプレート:!wrap74 高井保弘, 福本豊, 張本勲テンプレート:!wrap75 山本浩二, 松原誠, 土井正博テンプレート:!wrap76 有藤道世, 門田博光, 吉田孝司テンプレート:!wrap77 若松勉, 野村克也, 王貞治テンプレート:!wrap78 A.ギャレット, 簑田浩二, 掛布雅之テンプレート:!wrap79 王貞治, B.マルカーノ, 山本浩二テンプレート:Nowrap end
1980年代
テンプレート:Nowrap begin80 岡田彰布, 平野光泰, 江夏豊テンプレート:!wrap81 藤原満, 掛布雅之, 山倉和博テンプレート:!wrap82 福本豊, 柏原純一, 掛布雅之テンプレート:!wrap83 門田博光, 梨田昌崇, 落合博満テンプレート:!wrap84 簑田浩二, ブーマー.W, 江川卓テンプレート:!wrap85 高木豊, W.クロマティ, 松永浩美テンプレート:!wrap86 山本和範, 清原和博, 吉村禎章テンプレート:!wrap87 高沢秀昭, 石毛宏典, 清原和博テンプレート:!wrap88 ブーマー.W, 岡田彰布, 正田耕三テンプレート:!wrap89 村田兆治, 彦野利勝テンプレート:Nowrap end
1990年代
テンプレート:Nowrap begin90 R.ブライアント, 清原和博テンプレート:!wrap91 古田敦也, 広沢克己テンプレート:!wrap92 石井浩郎, 古田敦也, 駒田徳広テンプレート:!wrap93 清原和博, T.オマリーテンプレート:!wrap94 秋山幸二, G.ブラッグステンプレート:!wrap95 落合博満, 松井秀喜テンプレート:!wrap96 山本和範, 清原和博, 金本知憲テンプレート:!wrap97 松井稼頭央, 清原和博テンプレート:!wrap98 川上憲伸, 松井秀喜テンプレート:!wrap99 松井秀喜, R.ローズ, 新庄剛志テンプレート:Nowrap end
2000年代
テンプレート:Nowrap begin00 R.ペタジーニ, 山崎武司, 清原和博テンプレート:!wrap01 松井稼頭央, R.ペタジーニ, 中村紀洋テンプレート:!wrap02 G.アリアス, 的山哲也テンプレート:!wrap03 高橋由伸, 金本知憲テンプレート:!wrap04 松坂大輔, SHINJOテンプレート:!wrap05 金城龍彦, 前田智徳テンプレート:!wrap06 青木宣親, 藤本敦士テンプレート:!wrap07 A.ラミレス, 阿部慎之助テンプレート:!wrap08 山崎武司, 荒木雅博テンプレート:!wrap09 青木宣親, 松中信彦テンプレート:Nowrap end
2010年代
テンプレート:Nowrap begin10 阿部慎之助, 片岡易之テンプレート:Nowrap end
・話・編・歴
セントラル・リーグMVP
1950年代
テンプレート:Nowrap begin50 小鶴誠テンプレート:!wrap51 川上哲治テンプレート:!wrap52 別所毅彦テンプレート:!wrap53 大友工テンプレート:!wrap54 杉下茂テンプレート:!wrap55 川上哲治テンプレート:!wrap56 別所毅彦テンプレート:!wrap57 与那嶺要テンプレート:!wrap58 藤田元司テンプレート:!wrap59 藤田元司テンプレート:Nowrap end
1960年代
テンプレート:Nowrap begin60 秋山登テンプレート:!wrap61 長嶋茂雄テンプレート:!wrap62 村山実テンプレート:!wrap63 長嶋茂雄テンプレート:!wrap64 王貞治テンプレート:!wrap65 王貞治テンプレート:!wrap66 長嶋茂雄テンプレート:!wrap67 王貞治テンプレート:!wrap68 長嶋茂雄テンプレート:!wrap69 王貞治テンプレート:Nowrap end
1970年代
テンプレート:Nowrap begin70 王貞治テンプレート:!wrap71 長嶋茂雄テンプレート:!wrap72 堀内恒夫テンプレート:!wrap73 王貞治テンプレート:!wrap74 王貞治テンプレート:!wrap75 山本浩二テンプレート:!wrap76 王貞治テンプレート:!wrap77 王貞治テンプレート:!wrap78 若松勉テンプレート:!wrap79 江夏豊テンプレート:Nowrap end
1980年代
テンプレート:Nowrap begin80 山本浩二テンプレート:!wrap81 江川卓テンプレート:!wrap82 中尾孝義テンプレート:!wrap83 原辰徳テンプレート:!wrap84 衣笠祥雄テンプレート:!wrap85 R.バーステンプレート:!wrap86 北別府学テンプレート:!wrap87 山倉和博テンプレート:!wrap88 郭源治テンプレート:!wrap89 W.クロマティテンプレート:Nowrap end
1990年代
テンプレート:Nowrap begin90 斎藤雅樹テンプレート:!wrap91 佐々岡真司テンプレート:!wrap92 J.ハウエルテンプレート:!wrap93 古田敦也テンプレート:!wrap94 桑田真澄テンプレート:!wrap95 T.オマリーテンプレート:!wrap96 松井秀喜テンプレート:!wrap97 古田敦也テンプレート:!wrap98 佐々木主浩テンプレート:!wrap99 野口茂樹テンプレート:Nowrap end
2000年代
テンプレート:Nowrap begin00 松井秀喜テンプレート:!wrap01 R.ペタジーニテンプレート:!wrap02 松井秀喜テンプレート:!wrap03 井川慶テンプレート:!wrap04 川上憲伸テンプレート:!wrap05 金本知憲テンプレート:!wrap06 福留孝介テンプレート:!wrap07 小笠原道大テンプレート:!wrap08 A.ラミレステンプレート:!wrap09 A.ラミレステンプレート:Nowrap end
2010年代
テンプレート:Nowrap begin10 和田一浩テンプレート:Nowrap end

テンプレート:セントラル・リーグ打点王

テンプレート:セントラル・リーグ ベストナイン (外野手)

テンプレート:広島東洋カープ1991年ドラフト指名選手




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