ウェットワーク

ページ名:華やかな片隅で

バリケードを閉め切って耳を澄ませ、セルリウム計数機を眺める。ひしめく足音と跳ね上がり続ける係数は、そのどちらもがセルリアンの塊が一枚隔てた向こうで逃げ遅れた同僚を蹂躙しようとしている事実を示唆する。

だが内部だけにも気を取られてはいられない。視線を一瞬這わせて、周囲を見渡す。

後輩の顔が青ざめていた。無理もない、彼女はまだ半年そこらで……そんなあたりで沈黙に耐えかねた彼女が口火を切った。

さんは…助かりますか?」

「諦めたほうがいいだろうね」

またそれっきり黙り込んでしまった。ああ、こういうときは優しい言葉をかけてやるべきだったのかもしれない。だがいつものような、口説き文句みたいな気の利いた言葉も何一つ思いつきやしなかった。すすり泣く声だけが今は聞こえる。


「私はいつもラッキーだったんです、紙一重でいつも奇跡が起こって、それで……」

「だろうな。安心していいよ、今回もそういう風になるから」

俺だってそうだ、記憶をたどってみれば大体いつもなぜかごく少数の部隊を組まされて、神風みたいな奇跡が起こり生き永らえる。だがそれには手品のように種がある。

記憶処理と欺瞞情報。精神的な消耗を抑えるため、隠蔽措置以外にもこいつらは濫用される。最初から死んだやつらのことは居なかったことになり、そいつが命を張った行為の全ては偶然の奇跡に塗り替えられる。

 

計数機はいつの間にか誤差範囲までその数値を下げている。危機は去った、ということだ。バリケードを開き中を確認する。そこには同僚だったもの、あるいはあのクソどもの残飯が転がっていた。もうピクリとも動きやしなかった。

「一名損耗、一名行動不能。撤退を要請する」

「承認しよう、██████。入口に保護部隊を配備し、損耗の回収は現地指揮官の一任とする。」

通信機を作動させ、2,3言だけ業務的に言葉を交わす。

それを聞いていた彼女は啜り泣きからついには泣き崩れるようになり、その場から立つこともできなくなった。ここも含めてきっといつも通りなのだ。二人も俺は担いでいけない、とだけ述べて腰を上げると、少々パニックになりながらものっそりと彼女も体をあげて、後ろをなんとか着いてきた。


刺した覚えのない注射痕にまみれた右腕をまくり、点滴を刺してベッドの横になる。

今この瞬間から俺の中で今日の俺の全ては溶けてなくなる、横で寝ている彼女も同じだ。今日倒れたあいつは女の趣味も合うしなかなか話せるやつだったが、これからはそれを思い出すことさえないだろう。

堪えそこなったのか、俺は頬に水滴が伝うのを感じたが、なんだかみっともないような気がしてそれをすぐに拭った。

少しでも晴れやかになりたかった。

そうだ、「全員無事に帰還した祝い」にでも彼女を食事に誘おうか、それはいくらかの救いになるだろう。けれどそんなことさえ、今こうしてメモを取らなければ留めておくことができない。

こんな風に何度も何度も今日の俺を消し去っているのなら、本当の俺は……。

そこで俺は目を閉じることにした、何もかもを必ず薬は溶かし切ってくれる。望もうが望まないとも。

瞼の裏の暗闇で静かに意識が泥の中に沈んでいく。

沈んでいく。沈んで、沈む。


目が覚める、頭の中は驚くほどにクリアだ。吐きそうなくらいに。だが、安全なベッドに居ることに酷く安堵の感も覚えた。

そして隣の彼女もほぼ寸刻の差で起き上がって来た

「今回も二人で生きて帰って来れましたね」

手元のメモに目をやるとそこにはト書きで丁寧に書かれた台本があった。俺のやり残しだ、これに従おう。

 

「そうだな。『2人』でのチームもそろそろ長いことになるが、今回もお互い無事に生きて帰って来られた。」

「これで20回目の記念だ、少し高めのフレンチで食事しないか?俺が出すからさ」

「いいですね、ご相伴にあずかります。おすすめのお店があるんですよ

「決まりだな。」

胸糞の悪さを噛み殺して笑う。俺は上手に笑いかけてやれてるだろうか?わからない。だが、彼女は笑みを返してくれた。ならばこれでいいのだ。

 

「では、私は少し散歩でもしてきます。どうにも落ち着かないので……」

「おういってら、俺はせっかく休めるんだしもうひと眠りでもこいてるとするよ」

手をひらひらと振って、適当に彼女を見送る。ひと段落ついたな、背中をベッドに預け、どさりと寝ころんだ。

けれど二度寝はどうにも寝つきが悪くて、何となくもう一度俺はメモに目をやることにした。メモには『2人』が強調されていた。俺の頭の中には確かに2人しか居ない、だが、こうある以上それは事実とは少し異なるのだろう。3人だったのか、あるいはそれ以上かは皆目見当もつきやしないが。

 

封鎖区域には様々な死がそこに漂っている。

動く間欠泉認知の怪物飢えそびえる甲冑、あるいは群れそのもの

俺達もいつかは跡形もなく消える彼らに仲間入りするのかもしれない。それはそれで構わない。だが、悼まれることのない彼らがどうにも不憫に思えた。誰からも忘れられることを超える絶望などこの世にあるだろうか。

胸の前で十字を切って、R.I.P.を静かに唱える。名前も顔を何も今は知らない、他人より薄い繋がりだがそれでも、少しでも彼らが浮かばれることを願って。

 

彼らも、俺も、関係なしに華やかなパークは回る。回り続ける。

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