1.この本を読んだ経緯
2017年に藤井聡太先生が起点となった将棋ブームが起きて、筆者も改めて将棋を指そうという気にはなりましたが、当初指していたのは昔から馴染みのあった振り飛車でした。
かつて筆者が将棋に熱中していた頃と同様、現在も将棋界においては居飛車党が覇権を握っており、振り飛車はどちらかというと傍流です。
プロ将棋を観戦するには居飛車の定跡をしっかり学んだほうが楽しみも増すでしょう。
とはいえアマチュアとして指す分には、居飛車は相手に合わせた戦法を学ばなければならないから難しいというイメージがありました。それに比べて振り飛車はあくまでも自分のペースで指していけるからこちらがいいだろう、という考えがあっての採用でした。
将棋熱が再燃したはものの、おそらくこれからもプロの将棋を横目に見つつ、自分なりの楽しみ方で将棋に関わっていくのだろうな、という漠然としたビジョンを持っていたのです。
しかし、とあるきっかけで「矢倉は終わった」との文言を目にしました。矢倉といえば居飛車を学ぶ上で一番に通り抜けなければいけない関門ですが、一方で91手まで整備された定跡が一例としてあるくらいの難解な戦法でもあります。
筆者も将棋を始めたころはこの矢倉を指していたのですが、どうにも勝ちづらかったので、四間飛車を指してみたところ勝ちやすくなったから振り飛車党に転向した経緯があります。
その矢倉が終わったとしたら、もしかしたら自分にも居飛車が指せるのではないだろうか、という希望的観測が広がってきました(むろん、実際はそれほど話は甘くなかったのですが)。
なぜ矢倉が終わってしまったのか。矢倉の代わりに登場した戦法は何なのか。調べていくうちに今回紹介する急戦左美濃にたどり着いたのです。
狙い筋を軽く学んでみるとなかなか面白いと思い、先手矢倉相手に試してみたところ、自分でも驚くほど簡単に勝ててしまいました。
それ以後も自分のまずい手で形勢を損ねてしまうことはあれど、作戦負けすることはありません。そもそもの戦術が優秀だから素人が指しても負けない、プロが指せばなおさら勝てる、これが原因で矢倉は終わったのだ、と時間を経るにつれて実感は深まっていきました。
これを極めれば少なくとも矢倉には負けない、矢倉さえ攻略できれば自分にも居飛車が指せる……そんな軽率な思いがきっかけではありましたが、半年ほど前に購入した本書には今もだいぶお世話になっています。
2.著者斎藤慎太郎さんについての紹介
斎藤王座は2012年にデビューしました。以来C級2組を一期抜けで通過、C級1組及びB級2組を二年連続で通過するなど順調な昇進を続けており、これからの将棋界を担う逸材の一人として注目されています。
タイトル初挑戦となった2017年の棋聖戦では羽生棋聖に1-3で敗れてしまったものの、2018年の王座戦では中村王座を相手にフルセットの熱戦を制し初タイトルを獲得しました。
詰将棋選手権2年連続優勝の実績が示す通り終盤力に定評があり、また素早い仕掛けから一気に優勢までもっていく巧みさも持ち合わせています。
最近では木村義雄や大山康晴などの棋譜を並べることで粘り強さを身につけようとしている、とも語っており、タイトルを獲得したことで棋士として一回り大きくなっていくのは間違いないでしょう。
3.本の構成 (目次そのまま書いてください)
第一章 駒組みと狙い
第二章 対4六角
第三章 対8八角
第四章 ▲3八飛
コラム1 詰将棋と浦野先生と私
コラム2 対局中の補給
4.読んだ感想
第一章では急戦左美濃の駒組みと狙い筋が紹介されます。急戦左美濃のポイントは相手が矢倉に組んでいる間に少ない手数で左美濃に囲い、飛車先も△3二銀だけで守ることです。
もしこれを従来通り△3三角と上がってしまうと、
▲7九角と引き角にされて角交換を見せられてしまいます。この戦法の骨子は先手の6筋を角銀桂で集中砲火することです。
急戦を挑むうえで角がいなくては戦力が落ちてしまいますから、相手の注文には乗らず、飛車先交換に対しては△2三歩で守っておいて、飛車を引かれても横歩を取られても△7四歩と桂を活用するのを優先させます。
その結果以下のような基本図が出来上がります。
余談ではありますがかつて振り飛車党だった筆者としては、この駒組みはずいぶん馴染み深いものです。この基本図を反転すれば、
後手が相振り飛車の理想形を築けていることに気が付きます(この反転図は将棋世界の「イメージと読みの将棋観」で紹介されていました)。それに対して居飛車側は角を自分から閉じ込めてしまっているので、すでに駒の働きで差が生まれてしまっています。
続いて仕掛けに入りますが、右四間飛車のように△5四銀と上がるのも一つの手です。しかし、ここは△6五歩と先に突きます。
▲同歩とされたら△7五歩とさらに突き捨てて桂を跳ねた時の攻めの幅を広げ、以下▲同歩△6五桂▲7六銀△8八角成▲同金△8六歩▲同歩△同飛▲8七歩△7六飛(!)▲同金△4九角と進めるのが一例になります。
飛車を切り駒損ではありますが、先手陣がバラバラなのに対して後手陣は飛車打ちに強い美濃囲いですから、形勢はすでに後手優勢です。
このあたりの感覚は振り飛車党にとっても理解しやすいのではないでしょうか。その他の変化でも大駒を遠慮なく切っていって、あくまでも先手陣を収拾不可能にさせる手順が中心的となります。
先手としては悠長に矢倉に組んでいると先に攻めを食らってしまう上に、受け一方でいても良くなる変化は全くありません。
前述したとおり後手はほとんどの駒が働いている一方で、先手は玉を潜れていないうえに角の働きが悪いからです。
ということで、先手としては囲う手に代えて、角を使って相手の動きを牽制するのが一つの対策になるでしょう。
二章からは▲4六角型が検討されます。先に▲7九角~2四歩~2四同角~4六角と構えるのがポイントで、これで後手は7四歩とは突きづらくなります。
とはいえ後手に対策がないわけではありません。上図から▲4八銀とされたら、△5四銀▲6四角△6二飛と歩を捨てる代わりに飛車を手順に転換します。
ここから▲4六角△4五銀▲6八角△5六銀となれば、角を追いながら銀を繰り上げることができます。
ここで4六歩として銀ばさみを狙っても、以下△6五歩▲5七歩△6六歩と進められて、玉の右側が壁になっているため後手の攻めを受け切ることが難しくなります。
よって4六歩に代えて▲5八金と先に壁を解消しますが、△6五歩▲2六飛△4五銀▲6五歩△7四歩▲6七金右△7三桂となって、結局後手に好形を許してしまいます。
では▲4八銀に代えて、▲5八金ではどうか。ここで後手は△7四歩とあえて隙を見せます。
こじあけようと▲6五歩とすれば△6二飛と回られ、先手は自分から6筋のキズを作ってしまった上に、以下△4四歩~4五歩と角を追われつつ駒組をされてしまう羽目になります。
これ以降、先に角を引かずに一度▲5八金~4八銀と備えてから7九角と引く手順も見ていきますが、いずれにせよ実は4六角は負担になりやすく、常に歩や銀で追われる筋を警戒しなければならないので有力に見えてあまり良い形ではないと判明します。
むしろ後手としては4六角としてくれたほうがそれに対応した駒組を作りやすくなり、たとえば右金を6二や6三に構える形なども採れるため、攻めの幅が広がりやすくなるという利点があります。
囲いを崩して右金を活用するのは一見抵抗がありますが、振り飛車において時に捌きの場面で左金を左辺に活用する変化があるのを踏まえれば決して不自然な形ではないでしょう。
この章では後手の様々な形が深く検討されていきますが、いずれにせよ悪くなることはないというのが結論のようです。
また筆者としては下図の局面に注目しました。これは先手の工夫によって持久戦に持ち込まれてしまったものの、後手としては十分な結果として紹介されているのですが、
以降▲3七桂△3三銀▲5七銀△3二金などと進めてみれば……
後手は角換わり腰掛け銀の基本図を作れさえするのです。先手の2筋の歩が切れているのは気がかりではありますが、その一方で5筋の歩が突かれているせいで陣形のバランスが若干悪いためいつでも角打ちの筋をチラつかせることができます。
実際のプロ棋戦でも似たように角換わり腰掛け銀風の局面が出現しているので、派生例の一つだということはできるでしょう。
4六角と構えても結局牽制にならないと分かった先手は、最早先に動いていくしかありません。8八に角を置いたまま2筋の攻めを中心にみていくのが第三章です。
まずは▲4六銀として斜め棒銀の攻めをちらつかせつつ、5五歩として角銀を抑えるという、二つの狙いを持った一手が紹介されます。
これに対して7三桂と形を作るのを優先させてしまうと、以下▲5五歩△6三銀▲4五銀△3三銀となってしまって攻めが頓挫してしまいます。
よって、癪なようでも一旦△4四歩▲5五歩△4三銀引とするのが得策で、以下△3三角~5一角~8四角といわゆる三手角で攻めの形を再構築していきます。
この形についてもやはり元振り飛車党から見れば好形で、ダイヤモンド美濃は大変固いですから長期戦になれば後手も戦えないわけではありません。
基本的な狙いは急戦でありながら、持久戦に方針を転換しても戦えるあたりがこの戦術の優秀性を示しています。
全体的に先攻できるのは後手で、先手が4六銀と上がっても芳しい変化はありません。場合によっては千日手に持ち込まれる変化まであるで、2筋を攻めていくのも得策ではないようです。
2筋は見かけ以上に強固であるためそこから攻めていっても手がつながりにくいです。
そこで登場するのが▲3八飛。2筋を攻めていくのに比べてこちらなら玉を真っすぐにらんでいますし、飛車先交換になった後、飛車を急所の5段目に据え置くこともできます。将来の3九角も未然に消しているので後手としては従来の攻め筋の一部が通用しなくなってしまうでしょう。
これに引き角を合わせれば安全に2八の地点に置くことも出来るので、後手が右桂を上げるならば5二金を保留しつつやはり柔軟に6二金と構える余地を残しておく指し方も模索する必要がある、とも紹介されています。一方で、本書では最早桂上がりさえ省略してしまって、5四銀・6二飛型の単純な右四間飛車の形も紹介されています。
この図のように早めに▲7九角とすると6六の地点が薄くなりかねません。だからこそ飛車角銀だけのシンプルな攻めでも十分に押し切れるというのです。
ということで先手は引き角を保留しつつ一度玉を囲いに近づけるのですが……
今度はもはや飛車を転回せず△6五歩と仕掛ける筋が紹介されます。ここから▲同歩△8六歩▲同歩△同飛(!)▲同銀△8八角成▲同金△4九角と進めば、未然に消したはずの角打ちの筋が復活してしまうのです。先手としてはあちらを立てればこちらが立たずという状況で、ここまでくると駒組の時点で作戦負けが決まっているとさえいえるかもしれません。
急戦左美濃を初めて使ったときは衝撃を覚えましたが、本書で詳細に検討されている手順の数々を読むとなおさらこの戦法の優秀さに感銘を受けました。
急戦左美濃が登場した当初、プロ間では破壊力がある一方で狙い筋がはっきりとしているから先手が手を尽くせば互角に持っていけるだろう、との評判が一般的でした(そうした見解は斎藤王座も共有しており、例えば2015年に刊行された『糸谷&斎藤の現代将棋解体新書』でも有力ではあるが指しこなすのは大変だろう、との意見を出しています)。
しかしながら、本書で示されるとおり研究が進めば進むほどむしろ後手がよくなる変化ばかりが発見され、先手はどうやっても難しくなるとわかってからは、先手矢倉の採用率自体が落ちていきました。
そもそも五手目に▲6六歩と突く時点で角道を止める上に、争点を作ってしまっているから実は疑問手ではないか、との見解も出て、以降▲7七銀と上がってから組む昔からの矢倉の組み方が復活したほどです。
現在はガッチリと組む矢倉がなくなり、急戦矢倉が主体となったため、この急戦左美濃がプロで採用されることはほとんどなくなっています。
ネット将棋ではまだまだ矢倉を指す方が多いためこの戦法を用いる機会もそれなりにあるのですが、今後もプロでの矢倉の形勢が悪い状況が続くようであれば、いずれネット将棋界からも矢倉がなくなりこの急戦左美濃を使う機会もなくなるかもしれません。
とはいえ、筆者としてはこの戦法のおかげで将棋に改めて興味を持つことができ、そこから角換わりや相掛かりのようなかつては興味も示さなかった戦術のイロハを知ることができているので、深い愛着があります。
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