ハクセキレイの恋人11

ページ名:ハクセキレイの恋人(11)

 ハクセキレイの恋人(11)

 


 *   *   *

 

 

 シュガーの美味しいパンを食べ、コーヒーを飲んで泣きじゃくる千尋が落ち着きを取り戻し――エテと共に先輩たちに先程の打ち合わせであったことを話した。

 

「千尋さんはよくやってると思いますよ。でも、そのオオバさんはちょっと人間嫌いに拍車が掛かってると思うなぁ」
「確かに、エディくんの言う通りだ。友人であるエテさんの前でこんなことを言うのは申し訳ないが、こちらから上司経由でアプローチしてしっかりと釘を刺すことも視野に入れるべきかもしれないな」

 

 エディ、ネルオットは率直な意見を口にする。
 話を聞いた限りでは一方的に嫌っているのはオオバであるのは間違いない。それは話を聞いたらすぐにわかることだろう。
 そんな意見に対しエテは何かを言いたげに口を開き――しかし、言葉は発さずに飲み込んだ。

 

「でもっ……それは駄目ですっ!」

 

 千尋は即座に言い切った。

 

「アタシが不甲斐ないのがいけないんですっ……まだ新人だから、自分の作品を預けるに値しないのかもっ……」
「千尋さんは頑張ってるの、あたしにはよく伝わってきてるよ。だから大丈夫」

 

 エテは優しく千尋の肩を抱いた。柔かな羽毛に包まれ、微かなお日様の匂いが柔らかく鼻孔を擽る。
 それでも、第三者の慰めが効果的な問題の解決になりうるとは思えなかった。
 上司のネルオット経由でオオバさんに注意を促しても、結局それは強制的な和解にしかならない。信用と信頼の上に成り立つ本当の作品制作の形とは異なるものになってしまう。
 そこまでアタシの頭はわかっていても、その先が見つからない。見渡す限りの真っ暗な道が広がっていて、どこに進んでも頼りも確証もない洞窟の分岐点に迷い込んでしまったような――そんな気持ちがあった。
 そんな頃合いである。

 

「……おい、これ見てみろよ。オオバさんと千尋さんのところのタマさんじゃないか」

 

 背中を壁に預け腕を組み、話だけ耳を傾けていたやなゆーがスマホタイプのMUを見て口を挟んだ。
 そのMUをテーブルに無造作に置く。

 
「……え? タマ……?」

 

 不意に発された飼い猫の言葉に顔を上げ、目を丸くする千尋。MUを覗き込もうとして――。

 

「MU、ホログラム展開」
「わわっ……!」

 

 やなゆーの言葉と共に輪の中心であるテーブルに置かれたMUから溢れんばかりの光が放たれた――と思った瞬間、空間の壁が一気に払われた。

 

「すごっ!」
「ホログラムで投影されたリアルタイムの14階の創作室だ」

 

 そういえば、入社してすぐに社長の歓迎の言葉をホログラムで聞いたっけ。相変わらずMUは想像を超えた未知数の機能を持ってるなぁと舌を巻く。
 見慣れた姿のタマと、さっき会ったばかりのオオバの姿があった。ふたりは合作のライブペインティングをしていて、その作品制作ももう終わろうかというほどに進んでいる。

 

「オオバさん……!」

 

 驚いたような声を発したのはエテで――その驚きの理由は、彼女が向かい合うキャンバスにあった。
 彼女が全身の毛並みが汚れるのも構わずに、食い入るように書き上げているそれは――

 人間だったからだ。

 

「……どうして? オオバさんが人間が嫌いだったんじゃないの?」

 

 エディが意外、と言うように発言し――じろり、とエテを見上げる。

 

「彼女は嫌いと言っている。でも……あたしは嫌いだとは思えない」
「どういう理屈さ。話が矛盾して破綻してるんだけれど」

 

 エディ、やめないか。と言わんばかりに隣のネルオットが渋い表情をするが、エディは止まらなかった。
 エテは観念したように、一つ首を振る。

 

「鳥として生きていた頃、人間は好きだったのよ。どうしようもなく、好きだったの」
「……オオバさんって、ひょっとして元の世界では鳥獣人だったってわけじゃない?」
「えぇ、元々は純粋な鳥よ。ハクセキレイという種族だった。人と言葉を交わせない存在だった」
「それなのに、好きになれたんだ」
「そうよ。あたしもオオバさんも、鳥の姿を失って社長にこの会社に来るように誘われてからね。でも、あたしが話せるのはここまで」

 

 これ以上あたしが話をするのは、卑怯だから。
 エテはエディにそう言い切り、ホログラムのオオバを真っ直ぐに見つめた。

 


 *

 


 鳥としての日が終わるあの瞬間、一緒に社長に誘われてなかったら――こんなに複雑な感情を抱くことも無かったのに。でも、こんなに悩んで、苦しんで、もがいて……それでも、お互いに筆を取り続けられたのは。
 単なる一匹の鳥としての終末を迎えるだけじゃ収まりのつかない寂寥の想いを形にしたかったからよね。
 

「本当は、誰よりも人間を愛おしく思ってるくせに」

 

 オオバが鳥爪を立て、丁寧な仕上げを施していく。

 巨大なキャンバスに描かれた、白い麦わら帽子を被った人間の男性の絵。その表情は穏やかで幸せそうでありながらも、どこか哀愁の漂うものであった。
 願いはどうあっても届かないのに。そうよね。オオバさん。

 


 *

 


 千尋はホログラムの向こうの景色に息を呑んだ。
 エテの言葉に沿う内容のオオバさんの絵に関してももちろんそうだが――それ以上に、タマが初めて絵を描いている姿を見た。肉球を絵の具で汚して、金色の瞳を丸く見開き、黒い瞳孔が細く窄められた彼の真っ直ぐな目。
 彼が伝えたいものを、言葉では表現できないそれに向き合って描き出している様。にじみ出る迫力に、飲み込まれそうになる。指で丁寧に掬った絵の具を、キャンバスに持っていく。滴る頬の汗を右の二の腕で拭い、二の腕に付いていたオレンジ色の絵の具が頬についた。時折思い出したように口元の牙が姿を見せる。
 それが創作をする彼の表情。アタシの知らない、彼の表情――。
 

「……凄い」

 

 これが、タマなんだ。ありのままの彼の姿なのだと――千尋はそう思った。
 今までアタシが見てきたのは喫茶店で珈琲を淹れながら他愛もない話をする姿であったり、厨房で調理をしながら皮肉めいた会話をする姿。いつも冷静で、どこか達観した考え方をして、たまに優しい。自由気ままを具現化したような存在だと思っていた彼は――絵のことになれば、必死になる程度に負けず嫌いで、誰よりも自分の才能を信じている。
 そんな姿に見入ってしまう自分は、やっぱりタマのことが好きなのだろう。
 だからこそ、彼の描いている絵に胸がじんわりと熱くなる。

 

「あの絵、千尋さんがモデルなんだろうな」
「……えぇ」

 

 やなゆーさんニヤニヤと笑みを浮かべながら茶化すようにこちらに視線を向けてくる。
 何故こんなタイミングで、大観衆が見ている前で描いている絵がアタシに酷似した女性の絵なのか。
 その意図はタマに訊いてみなければわからない。恥ずかしさがこみ上げてくるが、それでも画家に自らの絵を描いてもらえるのは悪い気分ではなかった。

 

「あれ、千尋さんはタマくんと付き合ってるのかい?」

 

 やなゆーの声にネルオットもタマのモデルが誰なのか気づいた様子だ。
 それでも一飛びに付き合ってるの? なんて訊くのかは逆にモラハラに抵触しますよと突っ込んでやりたいけれど今はそれが論点ではない。

 

「別に付き合ってるわけじゃないです。あくまで飼い主と飼い猫の関係ですから」
「そうなんだ」
 

 きっぱりと断定してみせるが、その反応に対してふふっ、と楽しげに笑みを浮かべるネルオット。その脇でニヤニヤと口端を上げて見遣るやなゆー。
 くそぅ……なんだか釈然としないぞ……。
 口を尖らせて抵抗を試みつつ――その視線を向けた先の背後にあるものを見つけて千尋は目を丸くする。

 

 「あ……れ?」

 

12話目に続く

 

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