眼下に広がるブルー。水平線の果まで広がる海。

ページ名:眼下に広がるブルー。水平線の果まで広がる海。

 眼下に広がるブルー。水平線の果まで広がる海。(作:青柳ゆうすけ)



 ネフィン・オリード率いる株式会社SOUSAKUオーケストラ団員達は、演奏会の日を迎えていた。
 文明レベルは私の知る世界よりも低く、日本とは違う国での演奏だ。
 まだ雪の残る山間部の小さな町――否、村と言った方が良いだろうか?
 村長である禿頭の中年男性の背中には濃い茶色の、梟を彷彿とさせる翼が生えていた。



「本日は遠いところまでよくお越しくださいました。村を挙げて歓迎致しますぞ」
「SOUSAKUフィルハーモニー管弦楽団の代表、ネフィン・オリードだ。今日はよろしく頼む」



 燃えるような赤い翼を持ち、同色に染めた軽鎧姿のネフィンさんは村長と握手を交わす。
 私も慌てて頭を下げた。



「こちらは私の秘書、チヒロ・ユキシマだ。演奏会が終わるまで何かあれば彼女に伝えてくれたまえ」
「よろしくお願いします」



 秘書というのはもちろん嘘だ。だが、営業という仕事はこの世界には存在しないので秘書と嘘をついておくほうが何かと便利なのだ。
 村長はじっくりとアタシを見ると、楽しげに笑った。



「不思議な格好ですなぁ。いや、もちろんいい意味でですぞ?華奢な身体がより可愛らしく見える。ユキシマさん、よろしくお願いします」
「不束者ですが、よろしくお願いします」



 村長と握手を交わす。年相応にガサガサとしていて、しかし、年相応には見えないごつい手だった。
 控え室を案内してもらうと、私たちは団員を呼びに村の入口に戻っていくのだった。




 *




「はぁ……疲れた……」



 私は案内されたコンサート会場(広場に木製の簡易的なステージと椅子を並べただけの即席感溢れる場所だ)の客席に座ってあられもない姿を晒していた。



「おい、一応ここは他所の世界なんだからな。少しは気を引き締めろ」



 そう憎まれ口を叩くのはCafe「Rain」で同じ店員として働いていたハチワレ猫のタマである。今日はコンサートを見るということで、燕尾服に蝶ネクタイとおしゃれに決めている。
 彼は特に仕事はないのに私がオーケストラの仕事を引き継いだと知るや半ば強制的にくっついてきた。その程度にオーケストラが好きなのは知っているが、そうやって責められるのはさすがに癇に障る。



「ちょっとくらい休ませてくれたっていいじゃない……!」



 わざわざ世界観に併せて隣の村から幌付きの荷馬車を雇い、楽器と楽団員を揺れる幌馬車で引率するという大仕事をこなしたのだ。
 控え室で団員54名の衣装のチェック、着替えの手伝い(有翼族のドレスは特徴的で手伝いがなければ着ることが出来ないのだ)を行い、ステージで音響チェックを行ってから、訪れる来賓の皆さんに次の仕事に繋がるかもしれないと挨拶回りをして今に至る。



「ま、周りに居る人間はお前だけだから色々見られるのは元々か」
「うそっ!? 」



 やばい、私浮いてる!?
 そう思うと身をはね上げて周りを見渡すが、誰もジロジロと見ている様子は無かった。



「冗談だよ。上手く溶け込めてる」



 今日演奏するこの村は人間が居ない。故に、人間の姿でこの世界に来ると何かと問題が起きるということで私には猫耳と尻尾の着用を命じられた。
 どんなものかと思うと、MUの変化魔法の一種であった。
 受付でステラちゃんに言うと、あっという間に魔法を掛けて貰えた。本当にあっという間で私がびっくりするくらい簡単に変化したし、痛みもなかった。


 ――猫耳あるのに人間の耳が見えてると一部の獣人族愛好家からもの凄いバッシングが飛んでくるので、髪型も少し変えて耳が隠れるようにしましたから。耳を隠すか魔法で一時的に消滅させるかはお任せしますね。


 どんな理屈だ、と思いながらも渋々承諾し今の私は長めのボブヘアで人間の耳は見えないヘアスタイルだ。頭頂部には白い猫の獣耳が生えている。そして、パンツスーツの腰からは猫の尻尾が伸びている。わざわざこのために購買でスーツを買う羽目になったのだが、経費で落ちるうえにオーダーメイドしてもらったのでアタシ的には何も問題はない。……少し恥ずかしいだけで。
 そこまでしてなんとか溶けこもうとしたんだから、



「変な冗談言わないでよ……びっくりするんだから、もう……」
「はは、悪い」



 タマはさほど悪びれた様子を見せずに肩をすくめる。



「そういや、今日の演目はなんだ?」
「はい、プログラム」



 タマに綺麗な紙で作られたお手製のプログラムをひょい、と渡してやる。
 受け取った彼はいそいそと開くが――。



「……見事に読めないな」
「この世界の言語は難しすぎてお手上げね」



 象形文字のようなそれはもちろん一見では読めないだろう。MUで翻訳機能をつかえば読めるようになるかもしれない。
 そしてこの悪戯はもちろん先程のタマへの仕返しだ。



「えぇとね、今日のプログラムは……組曲『くるみ割り人形』、組曲『惑星』より『Jupiter』。そして『魔法使いの弟子』」
「有名どころをピックアップした感じだな。有名すぎて、逆に知る人が多い分どうやってオーケストラとしてのオリジナリティを出しながらも古き良き部分を継承したものとして聴かせようか悩むだろうな。指揮者の腕が問われるプログラムだ」



 さらっと曲名だけを頼りに有名どころ、なんて言える程度にはオーケストラに対する知識があるところやそれに対する所感をさらっと述べるところがタマの知識の凄さだ。



「……しかし、この前検閲抗争の火種になった曲が入ってないな」



 もう一ヶ月になるだろうか。フィンランディアという楽曲を演奏する事そのものを、よく思わない検閲団体によって襲撃された事件があった。結果としてコントラバス演奏者である武蔵野 夏葵が軽い怪我を負った程度で防衛に成功したのだ。



「それは別の演奏会でやる演目らしいよ」
「なんだって?他の演奏会でやる曲も並行して練習していたのか……なかなか苛烈だな」



 タマは苦笑して肩を竦めた。
 確かに、と私は同意する。ネフィンの指揮者としての才能は非凡なものがあると私でもわかる。些細なミスを指摘するのはもちろん、演奏者の音の調子まで捉える、鋭くも広い視野を持っているのだ。命じる練習量もかなりのもので、先に演奏者が参ってしまうのではないかと心配する程度には。



「今回のテーマは華やかで冬の彩に似合う村が活気溢れるような演目にして欲しいって村長からのリクエストに似合う形にしたみたい」
「なるほどな、村の祭りに相応しい華やかな曲をってことか。だとしたらこのプログラムは最適だ」



 と、話した直後――広場の周囲を漂っていた照明魔法が落とされた。いつの間にか日は暮れており、遠くの山間の尾根に反射する逆光の光が辛うじて谷間の村を照らしている。その他の光といえば、広場を囲むログハウス風の家から盛れる蝋燭や暖炉のものだけだ。
 そしてこの暗さはこの村の人々にとってむしろ当然と言えるのだろう。誰一人として驚くことはない。
 ステージの上に大きな照明魔法が展開され、光の珠が3つ浮かび上がる。きっとステージの上で演奏者の手元に影ができないよう、異なる光源を3つ用意し配慮しているのだろう。
 暗いステージの裾から、楽器を持った楽団員がゾロゾロと入ってくる。(ホールであれば元々楽器は据え置かれた状態で開場するのだが、ここは屋外で冷えるのでギリギリまで楽器は演奏者の手元に置かれていたのだろう)
 コントラバス演奏者の夏葵は観客から見て右の方に配置されるので、比較的早い段階で照明の下に入ってくる。
 夏葵は人間だから、私と同じように変装をしている。その頭にはバニーガールのようにうさぎの長い耳が頭頂部から生えていた。



 ――やだ、夏葵も獣耳可愛いじゃん……。



 私が夏葵に小さく手を振ると、彼女は頬を火照らせて俯いた。酷く羞恥を感じているような表情だった。



「始まるな」



 タマの声と同時に演奏者達が出揃い、最後にネフィン・オリードと蒼い翼を持った男性のバイオリニスト――この楽団の第一バイオリンを任されている――クリーシア・アルトが登場した。細身で背が高く、整った顔立ちの青年だ。そして彼はネフィン・オリードの夫でもあるのだ。
 彼らは最後に登場し、客席に深く頭を垂れた。一泊置いて、楽団員も一礼をする。同時に、いつの間にか並べられた椅子は埋まりきり、座れないので立ち見まで居る観客たちから大きな拍手が湧き上がった。
 アタシもタマも、もちろん拍手を送る。
 ネフィン・オリードが楽団員に振り返り、座るように仕草だけで合図する。そして、しんと静まり返るまで少しの時間があった。
オーボエのA――すなわち、ラの音が鳴らされる。次々に様々な楽器が音色を重ねていき、チューニングを行っていく。
 ややあって、チューニングが終わった。ネフィンは深紅の翼と同色の瞳で、楽団員の全員を射抜くように見ると空気が一変する。まるで、今この瞬間に発達した寒冷前線が走り抜けたように空気が底冷える。
 夏葵ももう羞恥の表情は浮かべていなかった。指揮と第一バイオリンに集中し、自身の最高の音色をならそうと一気に集中力を高めていた。
 緊張の糸がぴんと張り詰めた瞬間、ネフィンの構えた指揮棒が微かに振り下ろされた。




 *




 夏葵曰く、獣人の皆さんは音色には煩いという。
 人間にでも音色の違いというものがわかるのだから、人間よりも聴力も感覚も優れた獣人の前ではちょっとした気の緩みも許されないのだと。
 最初の一音目は殊更気を遣う。この一音の出来が、コンサートの良し悪しを大幅に変えてしまうと言っても定かでは無いのだと。
 それだけ技量も度胸も必要な瞬間だが――同じくらいにその瞬間は好きなのだと言った。
 夏葵はそう笑って言っていた。
 私にはそれがどういうことか、今ひとつ理解できなかった。にも関わらず、夏葵はそれを詳しくは説明しなかった。



 ――聴けばわかるよ。とだけ囁いて。



 最初の1音の音の圧は凄かった。
 それは音量がある訳では無いのだ。寧ろきっと譜面上の作曲者の意図はピアノかメゾピアノというくらいだろう。丁寧に、優しく弾けという指示があるにもかかわらず、降り注ぎ肌に感じるのは音の圧だった。
 言葉にするのは非常に難しいのだが、それまで音楽というものをスピーカーでだけ聴いてきたアタシにとって、演奏者が直接奏でる楽器の音色というものはこんなにも力があるものなのかと――思い知らされる。
 卵の殻の内側にある薄皮を捲るように、アタシの中の音楽というものの常識が捲られていく気がした。
 そして、それはアタシだけじゃなかった。
 周りの黒い瞳を宿した様々な獣人たちがその獣耳や尻尾を大きく揺らす動きをした。さわっ、と不思議な音が会場に一瞬だけ広がったのは、きっとそれが意図したものではないことを示している。
 夏葵達の音色に祝福された獣人の皆さんは、その音の圧を前に反射で耳や尻尾が動いてしまい、音を出さないという簡単なマナーを守ることもできなかったのだ。
 なるほど、これは演奏席からダイレクトに見ることが出来たら確かに格別な光景なのだろうな、と思う。
 コントラバスを構えた夏葵は曲を演奏するという緊張感を感じさせながらも、穏やかに笑みを浮かべていた。


 タマの言う通り、曲名だけ聴けばピンと来なかったがいざ演奏が始まってメロディーを聴けばアタシでも知っている旋律が耳に飛び込んでくる。
 組曲「くるみ割り人形」はクリスマスを思わせる曲が多く、冬で日の暮れたこの雰囲気にも世界観にもよくマッチしていた。
 組曲は終盤、花のワルツにまで差し掛かっていた。その頃には日没はとうに過ぎていて、一層気温が低くなっていた。足元の雪から冷たさが這い上がってくるようだ。
 音楽を楽しみながらも手のひらを無意識に口元に寄せると息を吹き掛けていた。
 手袋つけてくれば良かったなぁ……。



 ふと、隣のタマを見ようとしたその瞬間――
 大きな彼の左手が伸びてきて、アタシの両手を優しく包みこんだ。



「寒いか?」



 タマは演奏の邪魔をしないように無声音で聞いてくるが、アタシはそれに答えている場合じゃない。
 大きくて柔らかな肉球のダイレクトな温かさが伝わってくる。それは手のひらから一気に顔までせり上がり、顔まで燃え上がりそうだ。
 きっとアタシ今すごく赤面してる。
 ブンブン首を振って大丈夫だという意向を示す。
 タマの左手は私の両手を優しく握ったまま、心は再び花のワルツに戻ったようだ。
 この世界が少しだけ新しいコンサートホールでなくて良かったとアタシは思う。
 今この顔見られたら恥ずかしくて死ねるから、客席に照明がない場所で本当に良かったと心から思う。



 *   *   *



 Jupiter、魔法使いの弟子と順調にプログラムは進んでいく。Jupiterは私の元いた世界では歌詞付きの曲として有名な歌手がカバーしてたし、魔法使いの弟子はどこかで聞いたことがあると思ったら有名なテーマパークでショーに使われている曲なのを聴いていて思い出した。独特の雰囲気と世界観に浸れる素晴らしい演奏だった。
 最後の一音を奏で終えた瞬間に拍手が沸き上がった。
 オーケストラメンバーは指揮者であるネフィンの合図に合わせて立ち上がり、頭を下げる。
 観客である獣人たちは次々に立ち上がる。スタンディングオベーションだ。
 もちろん、それはアタシ達もだ。



「すごくいい演奏会だったね!」
「あぁ。生演奏を聴くのは初めてだが、何度でも聴きたいな」



 タマも肉球を鳴らしながら、どこか満足気な表情である。
 そっか。タマは喫茶店での仕事が忙しかったから、ずっと蓄音機でオーケストラを聴いてたんだよね。初めて聴く生演奏には感動もひとしおってことかな。



「タマがそうやって言ってくれるなら、アタシも営業部として翻弄した甲斐があったよ」



 営業部に配属されたアタシが音楽課と協力して初めて請け負った仕事だっただけに、こんなエンディングに充足感を感じない訳が無い。
 一番観客に近いタマがこうやって喜んでくれたなら、もっともっとこの仕事を頑張りたいと思う。



「あんまり俺が言えたことじゃないが、ご苦労さん。いい演奏会だったよ」



 畜生、いつもはそんなこと言わないくせに、こういう時だけそういうことを……。
 たったそんな一言で、舞い上がっちゃうアタシも大概だけどね。
 指揮者であるネフィンが袖に引っ込み、立ったままメンバーが佇むステージに長く長く拍手が響き渡る。
 皆、無言でアンコールを要求していた。そして、それはアンコールが始まるまでは鳴り止むことは無さそうだ。
 ややあってからネフィンが現れたかと思うと、拍手は自然と大きなものになった。
 握っていたマイクを口元に寄せ、何か喋ると気配を見せるとようやくステージに沈黙が戻ってきた。



「皆さん、称賛のアンコールをありがとう。それでは、ここで観客として偶然来て頂いていたスペシャルゲストをお招きしましょう」



 ネフィンが呼ぶよりも早く袖からでなく、観客席から大きな翼音を響かせたドラゴンと共に空中から舞い降りて来たのは――純白の翼を持ったラフな格好の有翼族だ。



「はーい! 皆こんばんは!――だよ!」



 飛び去るドラゴンから降り立つや否や、彼女はどうやら自己紹介したようだが、一瞬切り替わった聞きなれないニュアンスの言語に上手く聞き取れなかったが――まさか。



「えっ……し、社長!?」



 そこに居たのは間違いなく何度も株SOUで見ている社長だった。
 観客席は今日一番の盛り上がりを見せているのは、アンコールに答えたからというよりも社長が颯爽と現れたからのように思える。
 プログラムに社長が来るなんて聞いてない千尋は目を白黒させるばかりだ。



「ネフィンからねぇ、一曲一緒に共演しませんかって言われたんだ! もちろんすぐにOKしたよ! 皆も折角だから、ボクのピアノ聴いてってくれるかな?」



 観客席から一際大きな拍手と賞賛の声が沸き上がる。社長はそれに、両手を大きく掲げて振り応えた。
 屈強な筋肉を持つ獣人のスタッフがそれまでステージ上に存在しなかったピアノを数人がかりで準備し、その間にネフィンと社長はオーケストラメンバーを集めて曲の打ち合わせを始めた。



「……これはあくまで俺の憶測に過ぎないんだが」



 不意に囁いたのは隣に居たタマである。



「社長はこの世界の出身なんじゃないか? しかも、社長はそこそこに有名なのかもしれない」
「えぇっ……!? そんなことって、ある……?」



 営業部に入って様々な世界を行き来することになった千尋にとって、株SOUを通じて行き来できる世界が途方も無いくらいに存在することを理解していた。それこそ星の数ほどあるその世界から、まさかピンポイントで社長の居る世界に来るなんて。



「……どうしてそう思ったの?」
「社長が自己紹介したからさ」



 簡潔に答えるタマだが、その一言では千尋にとってはさっぱりだ。
 渋い表情をする彼女に対し、タマは肩を竦める。



「この前、ステラと一緒に『社長の名前を知らないね』って話になっただろ」
「あぁ、そんなこともあったっけ……」
「その時に社長の名前は他所の世界の生物じゃ理解できない、発声できない言語だっただろ。そんな社長があんなにあっさりここでは社長とは名乗らずに名前を名乗った。すなわち、この世界の住人達は社長の名前も言語も理解できるし、ステージにいきなり上がっても不思議じゃない程度には有名人ってことさ」



 拍手も湧き上がったしな。
 とってつけたようなタマの最後の一声に、千尋は深く頷いた。



「そう言われてみれば、考えるほどに辻褄合うかも……」
「俺はもう社長のピアノがどんなものか気になるところだけれどな」
「社長って、絵も描けるしピアノも弾けるんだねぇ。一体どんな演奏なんだろう?」



 タマは何かを言いたげに口を開いたが――しかし、その前にステージ上でオーケストラメンバーが相談を終えて各席に散っていくのが見えた。まもなく演奏が始まりそうだ。
 ネフィンと社長の一礼に、観客席から大きな拍手が湧き上がる。
 ネフィンは指揮台に上がり、社長は指揮よりも観客席側に添えられたピアノの椅子に座る。何度かペダルを踏んでから、椅子の高さを調整した。調子が良くなった段階で社長はネフィンを見上げ、ネフィンは指揮棒を構えた。
 ゆったりしたストロークの指揮棒の動きに合わせて、クラリネットのソロが鳴らされた。
 獣人たちはまた一様に耳と尻尾が音を一瞬だけ立てた。それは隣にいるタマも例外ではない。



「ラプソディー・イン・ブルー」



 タマの小さな囁き。
 クラリネットのソロが終わると、次は社長が鍵盤に指を掛けた。短いフレーズを軽やかな指運で弾き――ネフィンの指揮棒は大きく振られる。音量を一気に上げたダイナミックな管楽器と弦楽器の盛り上げに対して社長は翼を動かして鍵盤をかき鳴らす。
 翼を大きく動かすことで初列風切羽根の先端まで含めた全身の力を使い、一見華奢で軽そうな身体からは想像もできないほど力強く鍵盤を叩いていく。故に数多の管楽器や弦楽器にも負けずと劣らぬほどの音の厚みを演出していた。
 その音色は力強くも軽やかで、優しく、透明感に溢れたものだった。まるで、空を飛ぶ白い鳥が吹き上げる上昇気流に乗って高々と舞い上がっていくような光景を連想させる音色だ。
 眼下に広がるブルー。水平線の果まで広がる海。


 凄い……。


 クラシックともジャズとも言えるその難しい曲を、オーケストラと共にダイナミックに弾きこなしていく。
 二十分もの演奏時間は瞬く間に過ぎていき、オーケストラは無事にそして鳴り止まぬ拍手と共にその演奏会を終えたのだった。


 fin.

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