野薊の簪

ページ名:野薊の簪

野薊の簪

 

作:秋月

 

 


 

子供の頃に親に連れられ入った小間物屋で見かけた簪細工。

 

 沢山の小物が並ぶなかで一際、輝く物を見てこんなものを私も作りたいと思った。簪細工職人になることが子供の頃からの夢だった。

 

……だけど、『女は子を育て家を守るもの、職人になるなんて以ての外だ』と家長である父は言った。

 だから、私は────

 

 

 

* * *

 

 

 

 普段は狐耳尻尾のある三十代半ばの成人男性に変化している黒羽だが、今日は珍しく本来の姿である狐獣人姿であった。

 しかも何故かサルーキ犬獣人である白澤の席の隣に座って業務を行っている。

「部長1人でもこの量は捌けますよね?数日前にこの倍の書類を半日で終わらせていたのをお見かけしましたが。……なんで私に割り振ったんですか?」

 誤字脱字が無いか書類の不備を確認しつつ白澤は問う。

「今のボクは怜悧な仕事の鬼だった営業部の黒羽部長じゃなくて、虚弱体質おじさんの工芸部の黒羽部長なんだよ?」

 わざとらしく数度咳き込み、彼は机の書類が無いスペースに突っ伏した。

「質問に質問で返さないで下さい」

 演技だと分かりきっている為、白澤は黒羽の様子を無視する。

「白澤くんが暇そうだったからお願いしようかなと思って♡」

 年頃の女性が甘える時の様な口調で彼は返事をした。開き直った様な黒羽の態度を見て白澤は眉間に皺を寄せる。

「暇じゃないです、早急に認識を改めて下さい。あと、年頃の女性の様なあざとい口調で話さないで下さい」

「白澤くんがノリ悪いよー。可愛がってた子犬くんに噛みつかれるとか、おじさん傷付いちゃうなぁ」

 言葉の節々に棘のある物言いをする白澤に机に突っ伏したまま棒読みで黒羽は反論した。

「……パーテーション立ててもよろしいですか?」

「やだよー、そんな事したらおじさん寂しくて泣いちゃうよお」

「外見年齢三十代半ばの成人男性が大泣きしているとか見苦しい事この上ないので止めて下さい」

「酷いよー、逆パワハラだよー」

「パワハラじゃありません、注意勧告です。貴方、仮にも元営業部長なのですから営業部の皆さんに見られたら幻滅されるような行動は慎んで下さい」

 処理の完了した書類の向きを整え束ね直すと毅然とした態度で白澤は諌める。

「えー、だって普通にしたら皆がボクの事を怖がったじゃないかー。だから、昼行灯で自称虚弱体質の黒羽部長でいる方が都合がいいんだよ」

 のそのそと起き上がると黒羽は拗ねる子供のような声を出した。

「アレは流石にやりすぎです。縁さんなんて怯えて一日中ずっと個室に引きこもってたんですよ」

 白澤の言うアレとは以前に行った黒羽の悪ふざけだ。

 エイプリルフールの午前中のみ営業部時代モードで仕事をして工芸部のメンバーを震撼させた事がある。元々の黒羽を知ってた白澤だけは普段通りだったが。

 いつもの姿──和服姿に緩めのパーマがかかったミディアムカットの濃いグレーの髪、柔和な雰囲気の漂う糸目の30代半ば中年男性しかも狐耳と尻尾付き──ではなく、本来の姿であるギンギツネ色の狐獣人姿で尚且つ髪型はオールバックにしネクタイは青地、チャコールグレーのスーツを着込んで出勤してきたのだ。

 普段の緩い指示はなく、縁の奇行を叱る等スパルタ指導の為に修羅場だった。が、途中で黒羽が飽きたのか午後から普段の恰好に着替えエイプリルフールとネタばらしをし、皆が脱力したっていうオチ付きで。

「ネタばらしをしたら、古鐵くんはとても怒ってたねえ」

 騒動を思い出したのか口元を押さえ楽しげにクツクツと笑う。そんな黒羽を横目で見つつ白澤は表紙に工芸部法度集(工芸部メンバーはしてはいけない事リストと呼んでいる)と記載されたルーズリーフ帳を手に取った。

 ちなみに赤い太字の油性ペンで記載されていることが1番被害が大きい出来事だ。エイプリルフールの1件も古鐵により赤い油性ペンで記載されている。

「悪戯も程々にしないといつか大変なことになりますよ」

 殆ど縁と黒羽の行動に関する事案で書かれているソレをパラパラと見返して彼は大きく溜め息をついた。

 

 カチャリと部署の扉が開く音に黒羽が出入口を見た。

 スラリとした長身の青い毛並みをした狼獣人が誰かを探しているのか、小さな木箱と書類を持ったまま辺りを見回している。スーツ姿から察するに営業部の社員だろう。

「……おや、やなゆーくんが来てるから対応してくるねえ」

「言ってる傍から……。くれぐれも変な事はしないで下さいよ」

 眉間に手を当て天を仰ぎ見る白澤を無視して黒羽は立ち上がると部署の出入口へ向かった。

 

 

 

 

 縁と清代の席はあいにく空席だった。休みか休憩中なのだろうかとやなゆーは考えていると、通路に置き去りにしてあった把手付きの移動式踏み台(スチール製で天板が3段になっているもの)をカラカラと押しながら黒羽が近づいてきた。

「やあ、やなゆーくん。こんな所にどうしたんだい?」

「黒羽部長お疲れ様です。どうして移動式踏み台なんか持ち歩いているんですか」

 人の良さそうな笑顔で声をかけてきた黒羽に思わず彼は疑問を投げる。

「多分、必要になるからねぇ。まあ、気にしないでね」

「はあ……」

「それで、何かあったのかい?」

 コホンと黒羽は軽く咳払いをした。

「鉱物加工のオーダーメイドが入りまして、担当者2人と打ち合わせをしようと」

 やなゆーは手に持っている焦げ茶色をしたアンティーク調の木箱の蓋を開けた。

 中にはクッション材としてコットンが敷き詰められており、7cm程の透明感のある深い青緑色の原石と5cm程の透明感はあるが少々クラックの目立つ黄緑色の原石が入っている。やなゆー曰く、青緑色の方がグランディディエライト原石、黄緑色の方がクロムスフェーン原石らしい。

「綺麗な鉱物だねえ。うーん……、質が良いのは分かるけれど加工に耐えられるかはボクも分からないなあ」

 落とさないように注意を払いつつ青緑色の原石を手に取ると光に翳す。

「縁くんか清代くんを呼んで来るからちょっと待って」

「あ、やなゆーだ!!」

 黒羽の言葉を遮る様に突然、女性の喧しい声が聞こえた。

「部長ー!!なにそれどーしたんですか、ブルーグリーンフローライト原石?」

「おや、噂をすればなんとやら」

 オフィスチェアに座りつつ床を蹴り横着しながら移動する縁の姿を見た黒羽は手に持っていた原石を小箱に戻す。

「クロムスフェーン原石とグランディディエライト原石の持ち込み加工注文が入ってるんだけどいけそうか?」

「ええ?!グランちゃんの加工ですって!!」

 近くまで来た縁にやなゆーは要件を告げた。驚きのあまり縁は椅子から飛び降りる。

 飛び降り際に彼女が蹴り飛ばしたオフィスチェアはマグカップを持ちながら歩いていた臙脂色の着流しを纏ったキジトラ模様の猫又の元に猛スピードで突っ込んでいった。

「あー、清代くんに椅子が当たったね え……。オフィスチェアによる今月の人身事故1件、物損と怪我人は無し、と」

 縁の蹴り飛ばした椅子を押さえられる位置にいたにも関わらず、それを放置して見送った黒羽は煤竹色の年季が入った革製のシステム手帳を懐から取り出すと万年筆で何かを書き込む。

「宝石質のグランディディエライトは珍しいんですよー!しかもクラックやインクルージョンが殆ど入ってない物なんて稀なんです……。えー、すっごい……博物館以外で初めて見た」

 やなゆーから小箱を受け取った縁は尻尾を振りながら嬉しそうに収納された原石を眺めていた。

「……怪我人出ないんですか、アレ」

 盛大に吹っ飛ばされた清代を見たやなゆーがボソリと率直な感想を漏らす。

「ボクが威力相殺の魔法かけたから心配しなくても大丈夫だよ。それに、呼ぶ手間が省けたから丁度良いね」

 抗議をしに近付いてきた清代を見て、書き終えたシステム手帳をしまうと黒羽は呑気に返答した。

「黒羽部長、縁さんの傍にいるのならどうして椅子を押さえなかったんですか!!」

「いやあ、おじさん虚弱体質だからあんなの押さえたら骨折しちゃうよお。一応、キミが怪我をしないように威力相殺の魔法を掛けたしマグカップも割れてないんだから問題ないじゃないか」

「答えになっていません」

「そんな事よりも清代くん、……仕事中に夏梅茶を飲むのはどうかと思うよ、ボクは」

 食ってかかろうとした清代の手に持つマグカップから漂うマタタビ茶の香り──干し草に甘さを足したような匂い──に黒羽は口早に指摘した。

「……眠気覚ましに良いんですよ、コレ」

「また飲みすぎて仕事中にトリップされても困るから清代くんだけ夏梅製品の持ち込み禁止にしようかな。ちゅーるで我慢しなさい」

 黒羽は反論しようとした清代を持ち上げると移動式踏み台の1番上の段に乗せた。

「……私の事を普通の猫扱いするのは止めて頂きたいですね、これでも猫又というれっきとした妖なので」

 着物の裾を整えながら、清代は不満げな顔をする。

「そういえば、そうだったねえ。……ごめんね、清代くん♡︎」

「私の前でその口調は二度としないでください。不愉快です」

 小首をかしげオネエ口調で悪びれもなく謝る黒羽をゴミを見るような目で彼は見た。

「それで用件があるならさっさ話して下さい。私は貴方みたいに暇じゃないので」

「あー、そうそう。やなゆーくんが鉱物のオーダーメイドの注文を持ってきたんだよお。とりあえず、マグカップを貰うよ。飲み物を片手に打ち合わせは流石に社員同士でも失礼だからね」

 清代の持っていたマグカップを受け取る。

「私のマタタビ茶を捨てないでくださいね」

「流石に捨てないよお、勿体ないじゃないか」

 中身を零さない様に気をつけているのか黒羽はゆっくりと清代の席へ向かった。

「さて、縁さん。目障りなのでそろそろ尻尾を振るのを止めて頂けませんか」

「私のときめきが止まらないので無理ですー!!」

 興奮が収まらないのか尻尾を振り続けている縁に八つ当たり気味に声をかける。

「……。グランディディエライト原石とクロムスフェーン原石とは面白そうなものを持ってきてますね、やなゆーさん」

 これ以上、縁に対して文句を言っても無駄だと悟ったのか彼はやなゆーに話を振る。

「清代さんは縁ほどは騒がないんだな」

「ええ、まあ。世界線によって資源の流通数が全く違いますからね。クライアントからの指示書をお借りしてもよろしいでしょうか」

 やなゆーから書類を受け取ると清代は内容を読み始めた。

「えっと、グランディディエライトのルースは2種類作成ですか。1つ目がダブルカボション、カボション系ルースは私の管轄外なのでこれは縁さんにおまかせします」

「えっ、私が加工しても良いんですか?!やった!!!」

 ガッツポーズをしながら飛び跳ねる縁を煩わしそうな表情で見てから彼は2枚目の用紙に目を通す。

「2つ目がローズカットと切子細工を併せたミックスカットルースの依頼とはまたマニアックな……、縁さんにも手伝って頂かないと無理ですよコレ」

 図案を見た清代は思わず顔を顰めた。ローズカットだけならまだ良い、切子細工の模様が問題だ、自分の不得手とするカービングを用いた七宝と星の混合模様なのだ。

「どういった成り行きでこんな珍品をルースにしようと思ったんでしょうね、クライアントは」

 グランディディエライトに関する指示書を見終えた清代が思わず感想を漏らした、注文内容があまりにもマニアックすぎる。相手は宝石商かデザイナーなのだろうか。

「コレクション整理らしいぞ、なんでも同クオリティーの石を入手出来たから小さい方をルースにしたいんだとさ」

「なるほど。……グランディディエライトのルース2つは加工してみないとカラット数が分からないとクライアントに伝えてください」

 渋面で指示書を眺めていた彼だったが、やなゆーの発言に納得をした。原石とルースを揃えたいというのは鉱物の蒐集家には良くあることだ。

 宝石質の物を持ちツテがあるならオーダーメイドで加工して貰った方がデザインに融通がきく上にコレクションとして見栄えがする。

「了解。あと、清代さんの見立てではクロムスフェーンは何カラット取れそうなんだ?縁に聞いても取れそうな大きさは分かるけどカラット数は分からないってドヤ顔しながら断言されるし……」

 今まで見ていた受注書をやなゆーに預け、クロムスフェーン原石を清代は手に取る。透明度が高く強い黄緑系の色をしており自身がジェムクオリティである事を教えているかのようだ。

「……、縁さんは計算が苦手ですから」

 清代は襟に差し込んでいたモノクルをかけ、懐から白色LEDペンライトを取り出すと検分し始めた。

「宝石質ですがクラックとインクルージョンが多いですね。モース硬度が7以下で割れやすい石なので不安要素はなるべく除きたいですし、見立てで9カラット取れれば良い方かと」

 結果を簡単にやなゆーへ伝えると、清代は彼にクロムスフェーン原石を返した。

「成程、カットの種類ならラウンドカットとオーバルカットどっちがいい。第1希望がラウンド、第2希望がオーバルなんだが」

「カットの種類ですか……。そうですね、大きさを優先するのなら第2希望のオーバルブリリアントカット1点が個人的にはお勧めですね」

「分かった、クライアントに相談してみる」

「9カラットってどのくらいですか?」

 やなゆーと清代の会話に途中からついていけなくなっていた縁が口を挟んだ。

「縁さん、いい加減カラット計算くらい覚えて下さい」

「私、清代さんと違って数学出来ないもん」

 左前足でモノクルに付いたメガネチェーンを弄る清代からの指摘に、縁はそっぽを向き頬を膨らませ不貞腐れた様な態度をとる。

「出来ないならノギス等、鉱物の検分道具以外に電卓ぐらい持ち歩いた方が良いと思いますが」

「電卓は数学嫌いだからヤダー」

「はー、これだから下等な野生動物は嫌なんですよ……」

 自身の白衣の裾を持って羽ばたく鳥の真似をする縁の発言を聞き、わざとらしく首を左右に振ると清代は尻尾を床に打ち付け始める。一触即発の空気のなか、清代の机にマグカップを置きに行っていた黒羽が戻ってきた。

「鉱物研磨師が揃ったしボクは戻るよ。くれぐれも他部署の人前で2人とも喧嘩はしないでね。喧嘩したら縁くんには二度と蜂蜜飴とブドウ糖あげないからね、清代くんは夏梅トリップで普通の猫化してる動画を『今日の猫ちゃん』ってテロップ入れて社内ネットに流すよ」

 苛立ちを隠そうとしない清代と屁理屈を捏ねる縁に釘を刺し黒羽は立ち去ろうとした。が、はたと何かを思い出したのか彼は振り返る。

「あ、そうだ。この間、白澤くんがキミの注文で銀細工を大量に作っているのを見かけたのだけどなにか面白そうな事をする時はボクも仲間にいれてねー」

 やなゆーに声をかけ印刷機の方へ向かい溜まった書類の山を手に取った。そのまま、先程まで座っていた席へ戻るのかと思いきや通り過ぎ、黒羽は白澤の机の前で立ち止まる。

「……私に何か用ですか」

「はい、書類業務が終わりそうな白澤くんにプレゼント追加♡」

 ジト目で睨みつけながら殺気立つ白澤を気にする様子もなく、黒羽は爽やかな笑顔を浮かべると手に持っていた大量の書類を彼の机の上に置いた。

「あ゛ーー!!せっかくあと少しで終わるところだったのに、どさくさに紛れて何してるんですか貴方は!!貴方って人は!!いい加減にしないと流石に俺も怒りますよ!!!!!」

「うわあー、素が出てるよ子犬くん。怖ーい♡」

 勢い良く席から立ち上がり怒鳴る彼をからかいつつ机の物を自身の席へ全て転送すると、黒羽は額縁前にある席へ戻った。

 

 

 

 

 鉱物加工の件について、クライアントの指示次第という事で話し合いが終わり彼らが軽い雑談をしていると、白澤の怒鳴り声が聞こえてきた。

 思わず視線をそちらに向けると、マズルと眉間にシワを寄せ怒る白澤と彼をからかいつつ嬉々としながら自分の席へ戻る黒羽の姿がある。

「白澤さんが怒る姿とか初めて見た……。俺が先輩達から聞いた黒羽部長と全然違うんだが普段からあんな感じなのか?」

「いつも柳葉の様にフラフラしてますよ、だから私はたまに柳葉の御仁と呼びますね。古鐵さんは昼行灯とかぬらりひょんとか酷い渾名をつけて呼んでいますが」

「私はちゃんと黒羽部長って呼んでますよー!!!」

「お、おう……」

 2人の返答に引き気味に返事しつつも営業部はブラック部署に近いところがあるが工芸部は工芸部で無法地帯部署だなとやなゆーは思うのだった。

 

 

 

 

 

続く

 

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