父親の幸せについて
作:青柳 ゆうすけ
世の中には二通りの獣人が居る。デキるやつか、デキないやつか。そのどちらかしかいない。
私はきっと、後者なのだろう。
*
「ネルオットもな、課長という肩書がついているんだからもう少し部下にズバッとモノを言ってやらなきゃならん時もあるだろう?」
「はぁ……そうですね」
「はぁ、じゃないだろう。部下の尻拭いをすることも確かに大切だが、締めることも少しは覚えろ」
株式会社SOUSAKUは創作を愛するものが集まる会社である。そこに出身世界や見た目の特徴は厭わない。例え獣人だろうと、人間だろうと、エルフだろうと関係なく、創作が好きであれば無条件で属することが出来る。
そして、私の直属の上司であるヴィルヘルムは小さな居酒屋のカウンター席の端で――壁に背中を預けるように座り、はぁぁぁ……と大きく息を吐く。部下である私、ネルオットはぐうの音も出ない状況なので小さく肩をすくませて目の前に置かれているビールをちびちびと飲むことしかできない。
珍しくヴィルヘルム部長からショートメッセージが届いたかと思えばそれは飲み会の催促で、それを断る余地は私にはない。
なぜなら社内で言えないことがあると、飲みに誘って私に説教をするのだ。
日頃は暴力――否、パワハラか。とにかく平気で手を出す割に、本当に心底気になることがあればこうして飲みながら色々話をする繊細さも持ち合わせているのだ。
「ギランの案件はそこまで難しいものだったとは思えないが……何故顧客からクレームが来たかはわかるよな」
「私が思うに、ギランは最近精神的に少し参っているところがありそうですね。仕事中も地に足ついていない感じがします」
「その状態で余計に仕事を振って、キャパを超えたんだろう。おかげで元々あった顧客との面会時間が減り、クレームに繋がった……そうは考えられないか?」
三つ首のヴィルヘルムはそう私に問いかけると、すぐにカウンターの中に居る店主の麦酒の追加を注文した。黒毛に額に捻り鉢巻を締めた狼の獣人は三つの麦酒を注ぐべく冷えた冷蔵庫を開き、キンキンに冷えたジョッキを取り出した。
私はややあって、応える。
「彼はそこまで力がないとは思えません。仕事を振る余力はまだまだきちんとあったはずです。それよりも、プライベートな問題かもしれませんね」
「プライベート?」
ヴィルヘルムは提供されたジョッキを引き寄せ、一つを握ると左の首に飲ませながら私を見下ろしてくる。
「はぁ……つまり、ギランに恋人ができたらしいのです。でも、早々にフラれたとかで……」
「それで凹んで仕事に手が回らなかったと?」
「私としては余分に仕事を振ることで仕事に夢中になって彼女のことを気にかける余地を挟まないようにと考えていたのですが」
「……本人から直接相談がなかった以上、俺たちに出来ることっちゃその程度か」
納得がいったらしく、ヴィルヘルムはくっく、と喉を鳴らして笑った。
「だが、それにしたってもう少しやりようがあるはずだ。何も私まで出向いて頭を下げる事態になる前にどうにかできる案件じゃなかったのか」
確かにギランが扱っている羊皮紙の仕入れの案件は私がもう少し気を張っていれば在庫数の少なさに気づけたかもしれない。早急な対応が不要になった。
「私がもう少し羊皮紙の在庫数に気を配っていれば……」
「そうだ。至急の案件にならなくて済んだだろう?」
ヴィルヘルム部長もその部分には気付いていたらしい。
「もちろんポカをしたのはギランだが、部下の失態を未然に防ぐのも我々の仕事だ。呼び出して彼の内心を聞き出すことだってできただろうし、シメることだってできたはずだ」
「仰るとおりで……」
つまり、ズバッと言えばよかったのだ。私が異変に気付いたらさっさと声をかけてアプローチすべきだった。
後悔しても後の祭りだが、次は同じことをやらないように言われたことを心のノートに書き留めた。
*
ヴィルヘルムとは店を出たところで別れた。彼は会社の独身寮へと戻り、私は家に帰るのだ。
会計はいつも財布を出しても結局突き返される。全額部長持ちで締められてしまい、いつも若干の心苦しさを感じる。
「ふぅ……」
微かに頭に酔った感覚を感じる。さほど飲んだつもりはないのだが、ここ最近は飲むと酔いが回るのが早くなった気がする。秋の健康診断では肝機能も特に異常なしだったが、ひょっとしたら歳だろうか。
固められた石畳の帰り道をぽてぽてと歩き、吹き付ける冷たい風に身をすくめる。私の住む世界は冬で、極寒の南風が容赦なく体温を奪っていくようだ。
城壁をぐるりと囲んだ国は簡単に言ってしまえば「魔物だけの国」である。
勇者を始めとする人間に生活文化が存在するように、魔物にも文化がある。人間と同じように国を作り、それを統治する存在がある。皆魔物だが商売を行い、生活をする。
そして、いざ勇者が来れば持っている牙と爪で戦う。
株式会社SOUSAKUのゲームクリエイト部が作っているRPGは、主人公が勇者なので魔物の文化は一切考えられずに創られているが――案外、魔物も勇者を始めとする人間と変わらない生活をしている。
そして、国の中心部にほど近い場所に立つ広い庭のある一軒屋は私が20年のローンを組んで立てた家だ。それなりに金が掛かってしまったが、周りの魔物達は口を揃えて「羨ましい」と言う程度には大きな家だ。私もこんな家を建てることができてちょっとした自慢だ。
家の門を押し開けて青い芝生の生えた庭を突っ切る前に、息子が遊び散らかしたままであろう玩具を片付けた。
「ただいま」
家の戸を押し開けると――
「おかえり、アンタ」
玄関で腕を組んでお玉を片手に仁王立ちし、冷たい視線で見下してくるのは私の嫁である。下半身は赤とクリーム色の鱗に包まれた3メートル程の蛇であり、上半身は人間の娘とさほど変わらない躯体だ。その首からは白いエプロンを下げている。そんな彼女の種族はラミアである。名前はアイオットだ。
そして、その口調はだいぶ――というかかなり――低気圧だ。
「随分と遅かったねぇ、アタシに内緒で不倫でも?」
お玉をぽんっ、ぽんっ、と手で弄び凍てつく眼差しは途切れることがない。やばい。
「え、いや違う! ヴィルヘルムさんと呑んできたんだ!」
「知ってる。ヴィルさんはアタシにちゃ――――んとメールしてくれたからねぇ」
そこまで言われてハッと気づく。
嫁にメールを送るのを忘れていたという事実に。
そして気付いた頃にはもう遅かった。
「なんでヴィルさんからアタシにメールが届いてアンタからメールが届かないのよ! バカか! 死ね!」
「ごめんなさいごめんなさい俺が悪かった――痛い! 首はやめて! マジで死ぬ――!!」
嫁に巻き付かれ、これでもかと締め上げられる。普通の蛇とは比べ物にならない怪力で締め上げられ、私はマジで死ぬ五秒前にようやく開放されて廊下に倒れ込んだ。
「次やったら殺す」
「ひぁ……もうしません……」
全くなんでメール一通送るだけのことができないかねぇ……とぶつぶつ呟きながら嫁は奥へと引っ込んでいく。
アイオットが扉を開けると同時、微かに鼻孔にカレーの匂いが漂ってきた。
そうか、今夜はカレーだったのか……。
私は起き上がり、スーツを脱いでネクタイを緩めながらキッチンへと向かう。もちろん食卓にはお皿も並んでいない。
「上着、預かるわ」
「あぁ……」
嫁に声をかけられ、上着を脱いで渡した。そのままキッチンの隣の部屋――寝室へと二人揃って向かう。
ネクタイを渡し、嫁は渡されたそれを丁寧にハンガーにかける。
「食事は済ませただろうけれど、お風呂?」
「あ、いやお風呂は……今日は少し酔ったからやめておく。カレーは食べたい」
「そう?」
嫁は少し微笑むと、タンスから私の着替えを取り出す。
その間に私はシャツもパンツも脱ぐ。
「ライオットは?」
「もう寝ちゃってるわよ。今日はご飯食べたらすぐにアクビしだして待ちきれずに寝ちゃった」
「そうか」
ライオットは私の最愛の息子である。私の血を強く受け継いだのか、種族はヘルハウンドだ。
寝てしまっているというのは残念で仕方ないが、後で寝顔を見に行こうと内心に留める。
「今日は頑張って起きてるって言ってたのよ」
「おや、それはまたどうして?」
受け取った寝間着を着ると、嫁がポケットから紙を取り出して私に広げて見せた。
「ほら、数学で百点取ったんだって。だから見せるって言ってたのよ」
私はそのテストを受け取ると、まじまじと見つめる。
記述式で、私が若い頃よりもずっと難しそうに見えた。
「そうか。それで起きてるって……」
「まだ子供だからね。仕方ないわよ。明日起きたら褒めてあげて」
「あぁ、たっぷりグルーミングしてあげよう」
「そんなことよりも早く着替えちゃってよ」
上だけ着て下を穿かない私に嫁のツッコミ。すぐに下を穿いた。
嫁は一足先に私のシャツと靴下を脱衣所に持っていき、すぐに戻ってきたかと思えば台所に立つ。
「カレー、少しでいい?」
「うん。少しでいい」
私はテストの百点を見つめたまま食卓の自席に腰を下ろすと、嫁によりすかさず缶ビールとグラスが置かれる。
「ありがとう」
「どういたしまして。……ところで、ライオットはお父さんのグルーミングが恥ずかしいって言ってたわよ」
麦酒のプルタブを引きつつ、えっ、と私は顔を上げる。
「まだ六歳だろう?」
「もう六歳。男の子だもん、そろそろお父さんやお母さんにグルーミングされるのも嫌がる年頃よ」
「……そうか、もうお父さんのグルーミングは嫌なのか……」
思い返せば、家に帰ったら嫁よりも先に玄関に駆け出してきて抱きついてくれたライオットだが、最近はそんなことが無くなってきた。
当たり前といえば当たり前なのだが、こうやって少しずつ自立していくのだろうな。
目の前の百点は息子の成長を示しているようで誇らしいが、寂しくもある。
「こら、アンタがなんでセンチメンタルな表情してるのよ。アタシなんてちょっと前から呼び方が『お母さん』から『母さん』になったんだぞ?」
目の前に小振りなカレーが置かれ、嫁が向かいの席に腰を下ろす。
空いたグラスと一緒に。
「アタシもなんだか飲みたくなっちゃった。一口ちょうだい」
「もちろん」
日頃はあまり呑まない嫁の差し出すグラスに私は缶ビールを注いだ。
缶を渡し、今度は嫁が私のグラスにビールを注ぐ。
「ライオットの成長に、乾杯!」
「乾杯」
嫁の声と一緒にグラスを軽くぶつけて、一緒に飲む。
「頭が良く育ったのは、やっぱりキミの血を引き継いでいるんだろうな」
私がライオットくらいの頃は遊び呆けていて成績は良くなかった。精々中の上というところだ。
しかし、そんなことを言うと嫁はきょとんとしてから、からからと楽しそうに笑う。
「そんなコトないわよ。寧ろ、数学が得意になったのはアンタの影響だって」
「そうだろうか?」
「そうに決まってるでしょ。アンタはあの『地理院』出身で測量と計測のプロだったでしょうが。その後魔王軍に引き抜かれて第一将軍のヴィルさんに引き抜かれて側近抜擢。当時付き合ってたアタシは鼻が高かったわァ」
地理院というのは、この国周辺の地理を調べて地図に書き起こす仕事をする者の集団だ。その仕事に就くために私は難関の国家試験を突破したのもいい思い出だ。
膨大な土地を丁寧に測量し、正確に地図に描き起こすのはなかなか大変である。
そして作成された地図は主に軍事的な作戦に使われた。勇者が現れた際、どのように兵を配置するのか。闇雲に配置したのでは限りある戦力が無駄になる。
地図を作るプロだった私を引き抜き、魔王軍の作戦参謀として側近に置かれた。それが私とヴィルヘルム部長の出会いだ。
「それが今じゃ営業部の係長、だっけ? なんかよくわからない仕事に就いてしまって四苦八苦してるって聞いてアタシは心配よ」
「営業部の課長な。……キミは心配せず、家のことだけを考えてくれればそれでいいよ」
「今死なれたらローンがたっぷり残るから死なれるのは困るのよねぇ。昔からヴィルさんの下に居る時は胃潰瘍になり続けてたから、いつ大きな病気にならないか心配で」
……そんなこともありましたねぇ、と私は苦笑する。
当時は軍人だっただけにヴィルヘルムのパワハラは今とは比べ物にならないし、当たりもずっと強かった。おかげで血尿が何回出たかわからない。
でも、今は軍とは全く違う仕事をしているのだ。あの頃の苦労と比べれば仕事のストレスなど雲泥の差だ。
「健康診断の結果も良かったし、暫くは安泰だよ。ライオットも居るし、もう少し父親らしくさせてくれよ」
「父親のままずっと居てもらわなきゃ困るのよ」
彼女はグラスの縁に唇を添え、上目遣いに囁いた。
私と嫁はどちらからともなくテーブル越しに唇を重ねたのだった。
*
翌朝。
朝食を終え、食卓でコーヒーを片手に新聞を読んでいると、自室で身支度を整えたライオットがキッチンに現れた。
「おはよう、ライオット」
「おはよう……父さん」
にぱ、と笑う制服姿の息子に視線を送ると私は新聞を畳んだ。
私の呼び方もいつの間にか『お父さん』から『父さん』か。
「昨日は数学のテストが帰ってきたんだな。満点とはさすが我が息子だ」
「あっ! そう、満点! 満点だったんだよ!」
席に座ったライオットに嫁が朝食のプレートを出しながら「偉いわねぇ、ライオット」と声をかける。
ライオットはこれ以上無いくらいに満面の笑みを浮かべていた。
「数学だけじゃなく、語学もちゃんと頑張るんだぞ」
「うっ……語学……」
「読み書きは毎日の積み重ねが大切なんだ。数学と同じように、何度も反復して覚えなさい」
私はちらりと時計を見る。そろそろ出社時間だ。
腰を上げて上着を羽織る。
「だってぇ……同じことばっかり書くのは面倒くさいんだもん」
「だったら創作文でも書いてみたらいい」
「創作文?」
「日記でも、空想の物語でもいい。自分で感じたことや思ったことを、文章として纏めるんだ。わからない文字は辞書を使って調べること。書いたらお父さんが読んでやるから」
「ホント? 父さん読んでくれる?」
「あぁ、感想もバッチリ書いてやろう」
私は牙を見せて笑うと、息子もニッを牙を見せて笑った。本当はここでグルーミングをしたかったのだが、息子の頭を両手でくしゃくしゃっと撫でてやる。
「アンタ、ネクタイ」
嫁に呼ばれ、振り返る。
胸元のネクタイを丁寧に締めて、整えてもらう。
「ありがとう」
「さ、行っといで! 遅刻するよ! ライオットはさっさと朝ごはんを食べる!」
「はーい」
息子と一緒に返事をして、玄関に向かう。
「父さん、行ってらっしゃい」
「おう、行ってきます」
バックを持つ手を掲げ、笑んで玄関へと向かう。
腰を下ろして革靴を履くと、嫁がしゅるりと後を追ってきた。
「ちゃんとグルーミングしなかったね」
「親が子離れできないなんて恥ずかしいことはないからな」
苦笑すると、立ち上がった。
「それじゃ、行ってくるよ」
「行ってらっしゃい、アンタ」
私は彼女の両頬にキスをする。そして、玄関を開けて会社へと向かう。
さぁ、今日も一日頑張ろう。
fin.