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『椿三十郎』(つばきさんじゅうろう)は、1962年1月1日に公開された黒澤明監督の時代劇映画。
前年公開された『用心棒』の続編的作品(厳密には続編ではない)。モノクロ映画。
この作品は元々、かつて黒澤組のチーフ助監督であった堀川弘通の監督作品として黒澤が執筆した、山本周五郎原作の『日日平安』の脚本がベースになっている。『日日平安』は原作に比較的忠実に、気弱で腕もない主人公による殺陣のない時代劇としてシナリオ化されたが、東宝側が難色を示したため、この企画は実現しなかった。その後、『用心棒』の興行的成功から、「『用心棒』の続編製作を」と東宝から依頼された黒澤は、陽の目を見ずに眠っていた『日日平安』のシナリオを大幅に改変し、主役を腕の立つ三十郎に置き換えて『椿三十郎』としてシナリオ化した(共同執筆は小国英雄と菊島隆三)。なお、黒澤は『日日平安』の主役にはフランキー堺か小林桂樹を想定しており、『椿三十郎』で小林が演じた侍の人物像には『日日平安』の主人公のイメージが残っている。
なお厳密には続編ではないが、『用心棒』の三十郎と本作の三十郎は人物像や着物が同じであり、前作の終わりと同様、今作の冒頭から刀を一本しか持っていない[1]。これらの点を見ると『用心棒』の後日談と見ることは可能だろう。だが両者の時代設定は、『用心棒』が開国後(「ピストル」や「マフラー」といった西洋の文物が出てくる。)の明治維新直前期(幕末)なのに対し、『椿三十郎』の方はかなり前の時代(江戸時代中期の幕藩体制安定期)と思われることから、同じキャラクターを使った別の映画という解釈もできる。また、二つの作品において三十郎以外に共通する人物は登場しない。
血が噴き出す手法が用いられたラストの三船と仲代の決闘シーンは、日本映画史に残る名シーンとなった。この手法自体はすでに『用心棒』で使われていたが、夜間シーンで画面が暗いことと出血の量が少なかったために目立たなかった。『椿三十郎』での印象があまりにも強かったため、殺陣において最初にこの手法を採用した映画は『椿三十郎』だという誤解も多い。とはいえ、血しぶきが噴き出す表現がこの映画以降の殺陣やアクションシーン等で盛んに模倣されるようになったのは事実である。
真夜中の森の中。風に揺れる杉の木立の枝の間から朽ちた社殿が見え、格子の向こうに明かりがついている。中では若侍たち人目を避けるように集まり密談をしている。一人の若者が仲間に語りかける。「次席家老の汚職を城代家老の睦田に告げたが意見書を破られ相手にされなかった」。失望の色を浮かべる青年たち。だが「大目付の菊井さんに話してみると『共に立とう』と答えてくれた」と続けると一転して場は喜びに沸く。この脳天気に気勢を上げる若者たちの前に、奥の部屋からアクビをしながら流れ者の浪人(三船敏郎)が現れる。謀議を聞かれたと緊張する一同に、どこ吹く風のこの男はニヤニヤしながら「岡目八目、菊井のほうこそ危ない」と独りごちる。その予想通り、実は悪家老の仲間であった菊井の手勢に社殿が取り囲まれるも、この浪人の機転により若者たちは虎口を脱する。自分たちの甘さを後悔する一同だが、あくまで信念を曲げず命がけで巨悪にたち向かおうとする。
頭の固い若侍たちに一旦は匙を投げた浪人だが「死ぬも生きるも九人一緒だ」の悲壮な声を聞くと、思わず「十人だっ。お前たちのやることは危なくて見ちゃいられねえ」と怒鳴り、城下へ一緒に乗り込む。しかし、一枚上手の悪党たちはすでに藩政を掌握し、世論を味方につけてしまっていた。悪党一派との戦いの末に救出した城代家老の奥方と娘によると、ご本尊の城代は敵の人質になっているという。浪人と若者たちに助けてもらった睦田夫人はお礼を述べた上で、容赦なく人を斬るこの風来坊の心に人間同士が作る社会への希望が無いことをたしなめ、希望を持てば必ずよい結果になると優しく語りかける。眩しそうに目を逸らしていた男だが、改めて夫人から名前を聞かれると困った様子になり「私の名前ですか。…つばき、椿三十郎。いや、もうそろそろ四十郎ですが」と冗談とも本気ともつかない返事で空を見上げている。つられて奥方、娘、若者たちも外を見上げると屋敷の塀越しに真っ赤なツバキ[2]が咲いていた…。
cs:Sandžúróde:Sanjurofi:Samuraimiekkafr:Sanjuroit:Sanjuroka:სანძიურო
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