ベルギー訪問

ページ名:ベルギー訪問

1999年12月3-7日、ベルギー:フィリップ王太子殿下の結婚式参列のため東宮夫妻がベルギー訪問。その直前の時期1999年11月下旬、雅子夫人に妊娠の兆候があることが既に判明していた。

関連項目:【オランダ静養】、【ふっくら】、【タバコ

目次

ベルギー訪問の経緯[]

1999年11月下旬、雅子夫人に基礎体温上昇・妊娠の兆候あり

1999年11月29日、雅子夫人誕生日記者会見収録

1999年12月3日、東宮夫妻ベルギーへ出発

1999年12月4日、フィリップ王太子結婚式に参列。用意してきた赤い衣装がレッドカーペットと色かぶりするため、土壇場で変更したロイヤルブルー衣装が周囲欧州王族貴族たちから浮きまくり

結婚式後、首都ブリュッセルから直線距離で95km離れた、デュルビュイへ公務性の全くないグルメ旅行

1999年12月5日、在ベルギー大使・兵藤長雄氏の紹介によりお忍びで、ブリュッセルのレストランで食事。東宮夫妻は西洋料理マナー違反である大皿交換をしてまで分け合って食事
行程の中で、雅子夫人は「ふつうにワインを飲んでいた」ため、兵藤氏は全く妊娠に気付かず

1999年12月7日、日本へ帰国

1999年12月10日、朝日新聞が朝刊一面で<雅子さま、懐妊の兆候 近く詳細な検査>と報道
この日について友納尚子は、「後から考えると、雅子妃はこの時妊娠二週目だったと思われる。」と『週刊文春』2013年5月16日号に記す

1999年12月13日、雅子が移動車両「カーテンシャー」状態で宮内庁病院に向かい妊娠検査を受けるも、結果が明確に確認できない・再検査の意向を宮内庁発表

1999年12月30日、雅子夫人再検査の結果、稽留流産と診断され手術にて処置、宮内庁「妊娠七週くらい」と発表

問題点[]

記事・画像に見る、胎児への配慮が欠落している妊娠初期時期の雅子[]

1999年11月下旬の段階で、雅子に妊娠の兆候が見られていたが、現地で世話をした在ベルギー大使・兵藤長雄氏にさえそれを知らせなかったこと、また度重なる飲酒をしていたことが確定している。

ロイヤルブルー衣装に急遽変更、同色の6cmヒールパンプス着用 (『週刊朝日』1999/12/24号より引用)
ワインも普通に飲んでいた(『週刊朝日』1999/12/24号より引用)
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ブリュッセルのベルギー日本協会レセプションパーティ、シャンパンを飲んでいる妊娠初期の雅子
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デュルビュイでワインorシャンパンを手にしている妊娠初期の雅子
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デュルビュイへ100km近い道のりを、グルメ旅行のため鉄道or陸路で長距離移動
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流産・死産に加え胎児が先天性の障害・病気を持つ可能性があるため飲酒・喫煙をしてはならないことは、社会的な常識である。無計画なデキ婚ならいざ知らず、夫婦が望んで妊娠したならば、胎児への配慮は念には念を入れるはずである。

「お世継ぎ」軽視の認識[]

東宮夫妻には、この時点で結婚以来6年間子が誕生しない「不妊」の状態にあった。秋篠・三笠・高円の各宮家には女子しかおらず、特に秋篠宮家は「皇太子夫妻に配慮」し出産を控えていたため、東宮家に男児が誕生しなければ男系断絶の危機があった。

しかし、東宮夫妻にとっての認識は、「私の友達にそんなことを言う人は一人もいません」事件や、堤治医師らによるプロジェクトチーム結成の経緯・基礎体温提出拒否に見られるよう、積極的に「お世継ぎ」をもうけようと取り組んでは来なかった。こうした認識の低さが、ようやく懐妊の兆候がみられたにも関わらず、妊娠初期のデリケートな時期に配慮に欠ける行動をとる要因となり、(東宮大夫・医師は流産とベルギー訪問とは無関係としているが)結果的に流産という痛ましい結果となった。

雅子による数々の問題行動[]

「教会の赤絨毯で目立たないから」と深紅スーツ予定だったのを当日になってロイヤルブルー衣装に変更、欧州王族たちの面前で英国王室を象徴する色を身につけちゃう事件[]

『文藝春秋』2002年1月号 東宮夫妻を現地で案内した在ベルギー大使・兵藤長雄氏<雅子妃ベルギーの秘話>記事

pp.150-151より引用
 ここで小さなエピソードをご披露したい。当初、お召しのスーツは深紅のものを予定されていた。ところが実際に教会に到着されたときは、目の覚めるようなブルーのスーツに変わっていた。それは、雅子妃のとっさのご判断であったことを後から知った。式場に行かれる前、妃殿下はテレビに映し出されていた教会の模様を御覧になっていたて、式場に深紅の絨毯が敷き詰められていることを御覧になった。同色のスーツではと思われた妃殿下は即座に鮮やかなブルーのスーツに変えられることを決断された。このご決断は大成功で、教会に御到着時からテレビに大写しになった両殿下は、深紅の絨毯、黒のモーニング姿の殿下、妃殿下のロイヤルブルーのスーツで一際冴えた印象を与えたのであった。私も妃殿下の御判断に感服した。
 式典の翌日、ヨーロッパで一番小さく美しいデュルビュイというアルデンヌ地方の山荘に御夫妻を非公式に御案内した時には、レテビでこの両殿下のお姿を拝見したという村民総出の大歓迎を受けられた。両殿下も気軽に歓迎にお応えになったが、村長さんに案内されて村の市場の横を通った時、地酒のリキュールを露店で売っていた老人が歓迎の印に一杯献上したいと杯を差し出した。すると殿下はそれを素直にお受け取りになって一気に呑みほされた。私は一瞬青くなった。お止めする暇のないくらいの一瞬の出来事であったが、案内役を勤めた村長さんも、一瞬ヒヤーッとしたが、村の老人の善意を信じて受けて下さった殿下に感動したと後日語っていた。

結果→色目を抑えたお召し物姿の王族達から浮きまくり

態々予定変更してまで着用した「ロイヤルブルースーツ」、1993年10月15日秋の園遊会で信子妃殿下がお召しになっていたものと激似の件
色からデザインからショールをセットにしているところまで丸パクリ???
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「これまで外国に行けなかった」とベルギー王家の方に雅子愚痴る→後日、天皇皇后両陛下の耳にも入り、さあ大変[]

『週刊文春』2006年3月23日号 雅子さま50人の証言(下)私が見た皇室不適応までの13年間

▼公務では皇太子よりおしゃべり
昼も夜もワインを2本
▼天皇を不快にさせた香淳皇后葬儀ご欠席
▼記者に「自己PR文」を提出させた
▼小和田家の別荘で呟いた一言……
p.50より引用
(40)元宮内庁関係者I氏は話す。
「ベルギーのご出発前に基礎体温が上がるなど、ご懐妊の兆候があったのですが、そのことを両陛下に報告されずにベルギーに行かれたと聞きました。ようやく外国へ行く機会が出来たのに、いま報告すれば止められるのではないかと東宮側が恐れたというのです。
 さらに後でわかったのですが、ご夫妻はこれまで外国へ訪問できなかったことをベルギー王室の方々にお話しになり、しばらくして王室関係者から皇居のほうに伝わったようです。天皇皇后がご不快に思われたのは想像に難くありません」
 流産の診断をした医師は会見で「ベルギー訪問や報道によるストレスが原因ではない」と明言したが、念願の外国訪問と流産が重なったことは、雅子さまにとって不運だったとしかいいようがない。


妊娠初期における雅子の飲酒[]

『週刊朝日』1999年12月24日号<雅子さま 幸せのご懐妊>記事

pp.22-23より引用
 雅子さまが体の変化に気づいたのは十一月下旬だったという。生理がなく、基礎体温が上昇していた。侍医に相談して、十二月初め、妊娠検査薬を使ったところ、陽性。一九九三年六月のご成婚から六年半、待ちに待った朗報だった。
 ところが十二月三日からはベルギー皇太子の結婚式に皇太子とともに出席することになっていた。
「体のことだけを考えると、キャンセルしたほうがよかったかもしれない。でもドタキャンすればマスコミに『ご懐妊では?』とまた詮索されることになるし、日本の皇室にとってベルギー王室は特別な存在なので、出席したかったようです」(皇室に詳しいジャーナリスト)
 ベルギー王室と日本の皇室は古くから深いつながりがある。昭和天皇の「大喪の礼」のとき、ベルギー国王が真っ先に参列を表明し、それが呼び水となって五十ヵ国以上の元首が参列するという豪華な顔ぶれにつながった。特に皇太子とルギーのフィリップ皇太子は同じ年の気の合う友人で、互いに両国を訪問し合い、独身時代から、
「どっちが先に結婚しても、式には招待しよう」
 と約束し合った仲だった。その約束の式典だけに、できれば夫妻そろって出席したかったというのだ。
 宮内庁幹部は、皇太子夫妻の意向も踏まえて、雅子さまのベルギー訪問にゴーサインを出した。ただ、万一を考えて侍医を随行させた。短期の海外訪問で、通常は侍医が同行することはない。外務省にも「ご懐妊」は知らせなかったため、「なんで侍医がついていくんだろう」と噂になったという。
 皇太子夫妻は特別機でベルギーに着いたが、天候はあいにくの暴風雨。
「フィリップ皇太子と婚約者のマチルドさんがびしょぬれになってタラップの前で出迎えました。雅子さまは青いコート姿でしたが、いま考えると、転んだりしなくてよかった」(在ベルギーの女性ジャーナリスト)
 皇太子夫妻は、ベルギーで散歩予定を取りやめたことはあったが、十二月四日にフィリップ皇太子とマチルドさんの結婚式に出席したほか、ベルギー国王に招かれて城を訪ねたりと、精力的に動いた。急な「ご懐妊」判明で間に合わなかっためか、雅子さまは結婚式では、青のスーツに合わせた、高さ六センチほどの青いハイヒールを履いていた。
 滞在中は兵藤長雄大使の公邸に泊まったが、兵藤大使はこう驚く。
ワインも普通に飲まれていたし、まったくそんなそぶりはなかった。いま考えれば、侍医がついてきていたのはそういうことだったんですね」


ベルギーのレストランにて食べかけ大皿交換し、記念写真で「Prince Naruhito et son epouse Masako Owada(徳仁皇子と彼の妻小和田雅子)」と記録、雅子はプリンセスと見做されず貴賎結婚認定される事件[]

『文藝春秋』2002年1月号 東宮夫妻を現地で案内した在ベルギー大使・兵藤長雄氏<雅子妃ベルギーの秘話>記事

pp.152-153より引用
 わが皇太子御夫妻のお話に戻そう。実は雅子妃を家内と私はモスクワの幼少時代から存じ上げていた。ソ連と領事条約交渉をモスクワで始めることになって、東京から条約の専門家がモスクワに着任することになった。それが父君、小和田恒二等書記官(当時)であり、私はその下で通訳などの補佐官を務めることとなった。当時雅子妃は一歳半で、何時も小さなうさぎのぬいぐるみを持ち歩いているお姿が印象的だった。ハーバード大学留学時代にはクリスマス休暇で学寮閉鎖の間、ワシントンで公使をしていた私の自宅に、お泊まりいただいたりもした。よく妻の家事をお手伝いいただき、とてもよく気のつくお嬢様だった。
皇太子殿下とは、オックスフォード大学留学から御帰国の途次、米国に立ち寄られた際、いくつかの場所を御案内したり、お食事に同席したりしていたので、お人柄はぞんじあげていた。そういうことで、両殿下にはベルギーでは公式行事以外にはできるだけリラックスしていただきたいと思案した。例えばブラッセルのレストランに家内とお忍びで御案内し、たまにはと思いメニュー選びでの楽しみを味わったりただいたりした。お二人の睦まじいメニュー選びが続く中で「私どもはよく別のメニューを頼んで半分ずつ分けます」と申し上げたところ、「それはいい」と幾種類かのベルギー料理を仲良く分け合って楽しまれた。また公邸で庶民料理の一つ、ムール貝を酒蒸しして貝のまま山盛りにしてお出ししたとき、庶民の食べ方は一つのムール貝の殻で他のムール貝の中身を挟みだして食べますと申し上げると、早速手で同じようにムール貝を楽しまれた。気がついたら、フライド・ポテトまでベルギーの庶民のように手で召し上がっておられ爆笑となった。


兵藤氏の記事では、徳仁雅子夫妻は食事会で「幾種類かのベルギー料理を仲良く分け合って楽しまれた」と無難な表現をされているが、その実は……

Part446-39 可愛い奥様 2006/04/10(月) 00:07:44 ID:y9a95YxA
最初に流産した子ってさ。
やっとの思いで妊娠したのに
ベルギーのグルメ旅行を強行し
(両陛下に隠し)飛行機で長時間揺られ
現地で移動車で揺られ、更にワインを飲んで
食って「naruhito & masako owada」と書いた記念写真まで残した
アレですか?「皇太子不妊説が正しければ」やっとの思いで
出来た子供だったのにね。不注意どころか、子に対する愛情と
言うものが全くないですね。で、流れて誰が同情するの?
子に同情ならわかるけど。

ここにそのときの写真がある
http://blogs.yahoo.co.jp/roman_holiday417/25764719.html

なんで皇太子&皇太子妃じゃないんだろね


65可愛い奥様 sage 2006/04/10(月)00:22:29ID:aXTvbYyh
>>39
Prince Naruhito et son epouse Masako Owadaですか・・・・
アメリカなどと違って、さすがに古い王室のある国は厳しい。
明らかに雅子を一段見下げた、痛烈な書き方ですね。

この書き方では「貴賎結婚」扱いです。
貴賎結婚というのは、たとえば王族と平民女性が縁組した場合です。
正式に結婚はできますが、配偶者でありながら平民出の妻には称号は付与されず、
ただの「夫人」つまりSon Epouseというわけ。まさに「皇太子夫人」ですよ。
それだけでなく、その結婚でできた子供には王位・爵位の継承権がありません。
つまり、嫡出子でありながら準庶子扱いです。

貴賎結婚の代表例は、ウィンザー公とシンプソン夫人が有名ですね。
王冠とひきかえに「公夫人」の称号はかろうじて得ましたが、たとえ
お子さんが生まれてもイギリス王位継承権はなく、長く国外追放も同然の暮らし
でした。
比較するといろいろ考えさせられますね。


73可愛い奥様 sage 2006/04/10(月)00:30:22ID:aXTvbYyh
>>65自己レス失礼。
推測ですが、名店といわれるところでこんな書き方をされたからには
きっとよほど眉をひそめられるような振舞いがあったんでしょうね。
「この女性はPrincessの称号にふさわしくない」という、お店なりの
意思表示では?

例えばの話、ウェイターに高飛車だったり、逆になれなれしかったり
酒に飲まれて人前で乱れたりすると、ヨーロッパではうんと軽蔑されますよね。


77可愛い奥様 sage 2006/04/10(月)00:33:01ID:Kgw3JRtn
>>73
つうか、日本の皇室には姓がないんだから、こういう書き方をするしかなかったんじゃないの?
プリンス&プリンセスだったら一族みたいだし


79可愛い奥様 sage 2006/04/10(月)00:35:07ID:QHh+bLVn
>>77
普通は、prince naruhito & princess masako だよ。
外国では夫人もprincessと普通に使うので、一族みたいだとは思われない。

ダイアナだってprincessじゃん。単に、雅子さんが皇太子の正夫人には
見えないほど野卑てたってだけだと思う。


86可愛い奥様 sage 2006/04/10(月)00:39:15ID:aXTvbYyh
>>77
HRH of Japan,Prince Naruhito & Princess Masakoが正式な書き方だと思いますが。
旧姓という意味なら、Princess Masako,nee Owada(雅子妃殿下、旧姓小和田)
というふうに書きます。

場末のビストロならとにかく、それなりの店ならそれぐらいは当然知ってますよ。


89可愛い奥様 sage 2006/04/10(月)00:41:16ID:Kgw3JRtn
>>79
お妃の旧姓を使ったからといって馬鹿にしているわけじゃないと思う
イタリアのメディチ家からフランスお受けに嫁いだお妃だって
マリー・ド・メディシスと呼ばれていたし


99可愛い奥様 sage 2006/04/10(月)00:48:00ID:aXTvbYyh
>>89 あのー、それは歴史的書き方とか、各国の内輪でやりとりする
極秘外交文書とかで・・・・・・誰の目に触れるかわからない公の場に飾る
写真では、まず考えられません。
とくにヨーロッパではPrincessの称号はそれぐらい重いです。

ありうるとしたら、店主が小和田家と身内同然のつきあいで
雅子さんのことも小さい頃からよく知っているとかでしたら、まあね。
まず、ありえませんけど。


101可愛い奥様 sage 2006/04/10(月)00:48:30ID:QHh+bLVn
>>94
うーん。カトリーヌ・メディチは雅子とは違うと思う。
メディチの力が当時とても強すぎたんでそう呼ばれただけだと思うよ。
ポイントは苗字を使われるよりむしろ、et son epouseここでしょ。
正妃として認めてない。


Part446-220可愛い奥様 sage 2006/04/10(月)08:01:06ID:72povbM9
みなさま、元筋金入りの雅子ファンがきましたよ。
どうしてベルギーのレストランで
クラウンがつかないプリンセスの称号すらいただけなかったのか?
それは、沢山色々なものを食べましょうね、皇太子と二人で話し合い、
フルコース二人とも別々のメニューを注文したことから始まります。
お互い「おいしいですよ。」と言い合ったまではよかったが
あろうことか、三ツ星レストランで食べかけの皿を
交換し、お互いの食べかけを胃に収めたのでした。
レストラン側は超のつくマナー違反にびっくりぎょうてん、
あわてて新しくつくり直してお出しするも
そういうつもりじゃなかったと作り直しに手をつけなかった。
とんでも行動があったのです。
おかげで人の食べかけ食べちゃった皇太子も
「ハーロイヤルハイネス」の称号を剥奪されましたとさ。ちゃん、ちゃん。
ハーフポーションで全部って頼み方すらできないバカップル。


227可愛い奥様 sage 2006/04/10(月)08:16:00ID:72povbM9
メインだけでなく「全皿こうやって、テーブルごしに…」と
ご相伴した元ベルギー大使が言ってような気がする。
彼は「ワインを普通に召し上がっていたので
妊娠なさってるなんて思いもしませんでした。」とまで
言ったつわものです。
ナル雅バカップル実はあまりの傍若無人振りに嫌われてた?


241可愛い奥様 sage 2006/04/10(月)08:25:42ID:72povbM9
ソースと言われても、皇室ファンなら
結構知っている話しではあると思うよ。
当時、お二人のなかむつまじさを表すエピソードとして
その元ベルギー大使もテレビで語ってたし、
文春や女性週刊誌にも載ったはず。
作り直してお出しした…というのは
当のレストランオーナーがやはりテレビで
インタビューに答えていた。
作り直しはレストラン側ができる最大限の抗議だったんでしょうね。


294可愛い奥様 sage 2006/04/10(月)09:25:08ID:Nwv8iOz8
>>220
「食べかけの皿を交換」のエピソードは、テレビで放送してましたね。
仲むつまじく、ほほえましいエピソードとして紹介されてましたが。


312可愛い奥様 sage 2006/04/10(月)09:50:28ID:Nwv8iOz8
>>308
だんだん思い出してきた。
ご夫妻が交換してるのを見て、店側が慌てて作り直した、
ってのも放送してた気がする。
ナレーションは竹下景子あたりだったっけ。

皿交換が酷いマナーだっていうのは、あの放送内容からは
読み取れませんでした。むしろ、推奨するかのような。
確かに、あれを海外で真似しちゃった人もいたかもしれませんね。


408可愛い奥様 sage 2006/04/10(月)11:33:46ID:72povbM9
ソースは?と言われてしまった、
三ツ星レストランでのお皿交換。
覚えてる方々がいらっしゃってうれしいわ。
三ツ星ではぜっっっったいに
してはいけないマナーなんだよね。
皇太子はフランス料理の皿なんて触ったこともなかっただろうから
要領をえないし、内心ちっと舌打ちしながら、雅子さんが
自分の皿を片手でひょいと持ち上げ皇太子に差しだし
空いた方の手で皇太子の皿を持ち、
両方の手が重い皿でふさがったかっこわるい一瞬があったはずだ。

Part3006-709 自治スレでLR等議論中@可愛い奥様@転載は禁止 sage 2015/08/25(火) 17:11:04.05 ID:8E/2Mto/0
ベルギーか。どの面下げてって感じだなぁ。
いまちょっとググったら例のベルギーのレストランの写真、額縁が変わったね。
ttp://pds.exblog.jp/pds/1/201409/03/36/a0132136_129381.jpg

こっちが古いほうかな。
ttp://livedoor.blogimg.jp/configfreek/imgs/1/7/17ca1632.jpg


711 自治スレでLR等議論中@可愛い奥様@転載は禁止 sage 2015/08/25(火) 17:16:17.74 ID:2nPS1d320
>>709
壁紙に合わせて額縁を換える配慮はあるけど、「SON EPOUSE MASAKO OWADA」は変える気ないのねww

712 自治スレでLR等議論中@可愛い奥様@転載は禁止 sage 2015/08/25(火) 17:23:10.53 ID:RTIhSy8U0
「プリンス徳仁、そして彼の妻小和田雅子」
プリンセスじゃないのね()

714 自治スレでLR等議論中@可愛い奥様@転載は禁止 sage 2015/08/25(火) 17:30:34.94 ID:01UAtouKO
さすがベルギーのレストラン、容赦ないね(笑)


「お持ち帰りクッキー」に随員こき使い往復80km、相変わらず食い意地の張ったエピソード[]

Part1939-894 可愛い奥様 sage 2010/11/06(土) 07:33:38 ID:rKBBH9xn0
>>881
すみません、ホントそうですよね。
 
誰が見ても秋篠宮家の皆さまは、微笑ましいですからね。
心の貧しい人たちが嫉妬しても仕方がないと思います。
 
愛子さんの不登校事件からずっとロム専でしたが、私の知っている情報が
いまだ出てこないので、ひとつ投下させていただきます。
つまらないことかもしれませんが。
 
 
新婚旅行で、ベルギー郊外のデルビュイに行った時にガイドさんから聞いた
話です。
 
そう、雅子が妊娠中ワインがぶ飲みして、大皿を交換した、あのレストランでです。
レストランではお持ち帰りできるクッキー(ビスケット?)が販売されているの
ですが、皇太子夫妻はブラッセルに戻ってから、「あのクッキーが美味しか
ったから買ってこい」と命令し買いに行かせたそうです。
 
ちなみにブラッセルからデルビュイまで80kmです。
 
最近の皇太子夫妻のふるまいからみれば、大したことない話かもしれませんが。
 
長文すみません。


918 可愛い奥様 sage 2010/11/06(土) 08:30:10 ID:rKBBH9xn0
クッキーエピを投下した者です。
 
ガイドさんは、「皇太子さま、雅子さまもお気に入りのクッキーがあるんですよ」
とクッキーを紹介するためにエピを出していました。
 
そこで、私たち夫婦が、「え、買いに行かせたの~?!」と反応すると、焦って
ましたけどね。
 
「さすが、元官僚だけあるよね~。人づかい荒いよね~。」と、ダンナと二人で
コソコソと話しました。
 
6月下旬だったので、同じツアーの方はご年配の方ばかり。
「雅子さまのクッキー、買わなくちゃ」と言って、いくつも購入されていましたが、
私は買いませんでした。
 
デルビュイ素敵な街でした。
そのレストランがメインという感じで。
人知れずグルメの街で、フランスからも多くの人が訪れるそうです。


Part2571-825 可愛い奥様 sage 2013/04/29(月) 18:45:05.84 ID:BibMezt+0
皇太子ご夫妻も訪れたホテルだそうです★
中に入ったら、皇太子ご夫妻の写真が所々に飾られていました。

1階はレストランになっています。
レストランを利用しなくても、中を見学させてくれました~。
アンティークで豪華なインテリアが高級感漂っていました。
ここのお手製のクッキーが有名で、雅子さまも買って帰られたそう!

宿泊しなくても、クッキーだけ買って帰るのもイイかもです☆☆
ttp://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g580121-d505522-r146918544-Le_Sanglier_Des_Ardennes-Durbuy_Luxembourg_Province_The_Ardennes_Wallonia.html

関連画像集:妊娠初期での雅子飲酒、「S.A.I. LE PRINCE NARUHITO ET SON EPOUSE MASAKO OWADA」貴賎結婚認定記念写真等々[]

1999年12月3日ベルギーへ出発する夫妻、青い帽子・コートに身を包んだ雅子は妊娠初期の身
1999年12月3日懐妊を隠してベルギー訪問強行、出迎えたフィリップ王太子とキス
1999年12月3日ベルギー到着の雅子、雅子をキスで迎えるフィリップ王太子殿下(左上2枚)
1999年12月3日ベルギーのブリュッセルにて、ベルギー日本協会レセプションパーティに出席する徳仁雅子、和服姿の雅子は妊娠初期の身でありながらシャンパンを飲んでいる(右列画像)
1999年12月4日ベルギー・ブリュッセルのサン・ミッシェル大聖堂にて、赤絨毯を背景にした全身ロイヤルブルー衣装の雅子。バッグまで共布で張り切っていることがよくわかる。
1999年12月4日石畳の上を歩く全身ロイヤルブルースーツ+ハイヒールの雅子と徳仁
1999年12月4日赤絨毯とカメラクルーを背景にした全身ロイヤルブルースーツの雅子
1999年12月4日ロイヤルブルー衣装の雅子、テレ東皇室番組より
1999年12月4日ロイヤルブルー衣装の雅子、ハンドバッグと扇の持ち方が変である/同上ロゴなし画像
1999年12月4日ベルギー王太子結婚式でのロイヤルブルー衣装雅子と徳仁、言うまでもないが欧州王族にとってロイヤルブルーは英国王室の色である
1999年12月4日ブリュッセルのサン・ミッシェル大聖堂、ベルギー・フィリップ王太子の結婚式にて。夫・徳仁はそっちのけで、スペインのフェリペ王太子の方へ視線を送り続けながらにじり寄って行く雅子
1999年12月4日ベルギー・フィリップ王太子の結婚式にて、スペインのフェリペ王太子に後ろから近づくロイヤルブルー衣装の雅子 / 同別画像(ロゴ位置)
1999年12月4日ベルギー・フィリップ王太子の結婚式の徳仁雅子、ロイヤルブルー衣装の雅子と近くになってしまったスペインフェリペ王太子殿下(左上2枚以外)
参考ようつべ:Royal Wedding Prince Philippe of Belgium and Mathilde d'Udekem d'Acoz Part 3 http://www.youtube.com/watch?v=3yLxoEsFeNs

Part2846-939発掘奥様「結婚式中の動画見つけた。雅子、途中で寝そう。(1分33秒頃)」

1999年12月4日スペインのフェリペ王太子と円卓隣の席でとても嬉しそうな雅子
1999年12月4日ベルギー王太子結婚式にて来賓と語らう皇太子夫妻、相手が徳仁の側に向いた途端、それまでの笑顔が消え冷たい表情に変わる、感情がそのまま顔に出る子供な雅子
参照ようつべ:皇太子妃雅子さまの笑顔 http://www.youtube.com/watch?v=mOl25Uni398 の1分36秒~話している相手が徳仁の方を向くと雅子の表情が…

1999年12月4日ベルギー王太子結婚式での集合写真。ただ一人派手なロイヤルブルーの衣装に身を包んだ雅子、夫徳仁皇太子との距離と隣のスペイン・フェリペ王太子との距離、どちらが近いか?
1999年12月4日ベルギー王太子結婚式集合記念写真撮影会、「ロイヤルブルー」を着ちゃった雅子
1999年12月4日ベルギーの郊外Durbuy (デュルビュイ)をグルメ旅行、地元名士が出迎え石畳の道路を行列移動。徳仁が地元民にスピリタス(強い地酒リキュール)を勧められたりも(左列画像)
1999年12月5日どうしてもとグルメ巡りで訪れたベルギーの郊外Durbuy (デュルビュイ)にあるレストラン「ル・サングリエ・デ・ザルデンヌ Les Sanglier des Ardennes」での記念写真、雅子は“La Princesse”ではなく“SON EPOUSE”と書かれ店側に貴賎結婚認定された状態
「S.A.I.(=Son Altesse Imperiale) LE PRINCE NARUHITO ET SON EPOUSE MASAKO OWADA」と説明が添えられた記念写真。
参考:Durbuyのレストラン「Les Sanglier des Ardennes」HP、結婚式が行われたブリュッセルからは、直線距離で95km離れている。この時雅子は妊娠中であった
1999年12月5日デュルビュイのレストランを訪れた際、街中を案内されていると思われる雅子と徳仁ら一行。デュルビュイの村長らしき人も
1999年12月5日レストランでの別写真と思われる、乾杯のシャンパンか白ワインを注がれたグラスを手にしている妊娠初期の雅子と徳仁。レストランスタッフや随員と思しき人とも一緒。 / 同画像画質補正バージョン
参照:Mary's Netherlands & Belgium--DSCF0604
1999年12月5日ベルギーレストラン、ワイン(かシャンパン)の入ったグラスを手にしている徳仁雅子「Le couple imperial du Japon 5.12.99」のメモ書き入り写真。雅子は実に嬉しそうな笑顔
1999年12月5日ベルギーレストラン、ワイングラスをがっつり鷲掴みしている雅子の右手

2014年頃レストラン「ル・サングリエ・デ・ザルデンヌ Le Sanglier des Ardennes」が白色基調に模様替え、記念写真額縁も白色に交換されたが、「S.A.I.(=Son Altesse Imperiale) LE PRINCE NARUHITO ET SON EPOUSE MASAKO OWADA」説明は変更されず

宮内庁発表・記者会見[]

朝日新聞 1999年12月14日 <雅子さま検査 「懐妊の可能性続いている」「ご慶事実りますよう」>より引用
 (会見の冒頭で、古川・東宮大夫から口を開いた)しっかりした検査の結果が出れば、隠し立てしないので、今後も両殿下の人権というものに配慮していただきたい。このご慶事が実りますように節度ある報道を、強く、強くお願いしたい。つわりの症状とか様々な報道があったが、そういうご症状は今もってない。この段階は大変デリケートな時期で、妃殿下のお体にさわることのない報道をお願いしたい。
 ――検査内容は。
 詳しくはプライバシーだが、ひとつ超音波の検査をなさった。それ以外の検査もなさったが、申し上げられない。
 ――全く懐妊しておられない可能性は。
 それは残っていない。
 ――引き続く検査はいつやるのか。
 侍医と相談し、しかるべき時期に行われると思う。
 ――今回の検査の時期が早すぎたのか。
 医師団が一番ふさわしいと思ったから検査が行われたのだが、結果的に確認できなかったということだ。
 ――今後の経過に心配があるので断定できないということなのか。
 確認できないので、しかるべき時期に再検査するということだ。
 ――このことは両殿下が両陛下に報告されたのか。
 御所にお立ち寄りになったと聞いている。
 ――今回、検査が必要と侍医たちが判断したのはどういう点からか。
 プライバシーに関することです。
 ――当面の妃殿下の公務はどうされるのか。
 ご体調によって判断されると思う。
 ――確認だが、懐妊の可能性は。
 懐妊の可能性は続いている。明確に確認できないということだ。確認できない以上、ご懐妊があると言えない。可能性がないとは申し上げていない。
 ――超音波で心拍が確認できない場合、一、二週間後に再び検査するというのが医学的常識では。
 常識であるとすれば、恐らくそういう判断を医師団で出すと思う。
朝日新聞 1999年12月31日 <「今後のご懐妊に期待」 雅子さま流産で東宮大夫・担当医ら会見>より引用
 ――稽留流産とは。
 岡井医師 昔は病態が分からないまま胎芽組織が流れて出てくるので、「流産」と診断名がついたが、受精卵が正しく育ってこないままの状態は同じで、特別な形ではございません。流産に対する誤解があるようですが、外国訪問とかその他無理をされたとかは、医学的に関係ありません。どうしても防げないケースが、たまたま妃殿下に起きたということです。
 ――報道によるプレッシャーとか、ストレスとかは関係あるのか。
 岡井医師 ストレスがかかることがいいとは思いませんが、それが直接の原因ではありません。
 ――今後の妊娠への影響は。
 岡井医師 一般的に健康な男女でも流産のリスクは一〇ないし一五%あります。今後もまったく同じです。妃殿下も普通のケースで、ベルギー訪問とか報道のストレスとかが直接の原因とは思われない。今後のご懐妊も大いに期待ができると思いますが、それはまた別の問題かと思います。
 ――妊娠後、どのくらいか。
 岡井医師 七週くらいであろうと推定しています。


ベルギー訪問から帰国後、1999年12月10日「雅子妃はこの時妊娠二週目だったと思われる。」と書いてしまう、子持ちの女性なのに妊娠期間についての知識がまるでないことが露呈した友納尚子[]

1999年12月3-7日雅子が妊娠初期状態でありながら夫妻でのベルギー訪問を強行し、同月末に稽留流産となった件につき、友納尚子は週刊文春連載の「ザ・プリンセス雅子妃物語」にて言い訳記事を書いているのだが、雅子の妊娠兆候を朝日新聞がスクープした1999年12月10日について、雅子が妊娠二週目だったとお粗末な主張をしてしまっている。
妊娠週数の計算方法は、

最終月経の第1日目が「妊娠0週0日」。(くれぐれも排卵日、性交日、受精日等が妊娠0週0日ではない)

これが基本であり、経産婦であれば当然頭に入っているはずの知識である。友納尚子が主張する「1999年12月10日当時、雅子は妊娠二週目だった」説に基づき、2週0日~6日の幅をとると、妊娠0週0日=最終月経開始日は11月20-26日に相当するはずである。月経は通常5日間前後続くので、仮に5日間と仮定すると月経終了が11月24-30日。月経中また終了直後には排卵は起こらず、妊娠を示す基礎体温の高温期継続開始は月経終了より十数日も後である。しかしながら同じ記事に、雅子が「妊娠しているかもしれない」と判断した基礎体温計測は「1999年11月下旬」に行われたと記されており、思いっきり時系列が矛盾する形になっている。
雅子が妊娠初期でありながら飲酒付きベルギー訪問を強行した件について友納は随分と熱心に擁護主張を繰り広げるのだが、「こんな妊娠のごく初期にスクープするなんて朝日新聞はひどい!」との演出を目論んだのか蛇足的な誤りを犯してしまったことで、記事全体が信用ならない胡散臭いものになってしまっている。

『週刊文春』2013年5月16日号ザ・プリンセス雅子妃物語 第38回朝日スクープ「懐妊の兆候」

pp.42-45より全文引用
 眠りの浅い朝の目覚めだった。どことなく身体の調子がいつもと違っているようだった。
 不安と期待が入り混じる気持ちで、日課となっている基礎体温を測られる。このところ平熱より少し高い体温が続いていた。何度も測り直されたそうだが、結果は同じだった。
「妊娠しているかもしれない」
 雅子妃殿下は喜びから興奮した様子で女官を呼ばれた。一九九九年(平成十一年)十一月下旬の層雲が広がる日だった。
 連絡を受けた古川清東宮大夫(当時=以下同)は、寝癖の付いた髪のまま東宮御所に駆け付けた。その後に皇太子ご夫妻の医療問題の責任者である川口政行東宮侍医長の乗った車が、スピードを上げて東宮御所の門をくぐり抜けたのだった。
 その年から坂本正一東大名誉教授(御用掛)の紹介で医療チームに加わった愛育病院の岡井崇産婦人科部長(東大助教授)も駆け付けた。そして東宮御所の二階私室で簡単な検査が行われた。その結果告げられたのは、
「妊娠しているかどうかはまだはっきりとは分からない」
 ということだった。
 すぐに東宮御所では会議が開かれた。出席したのは古川大夫、川口東宮侍医長、坂本御用掛、岡井医師、そして医療チームの中心的な存在である堤治東大教授らだった。。
 問題は、ベルギーのフィリップ王子とマチルダさんの挙式に出席するためのベルギーご訪問が間近に迫っていたことだった。会議の席上、堤教授は妊娠がはっきりしていない段階であっても、極寒のベルギーに行くことには消極的だったといわれている。古川大夫は悩んでいた。出発の当時、皇孫の誕生に宮内庁が「治療=人為的な方法」を取っているということが表沙汰になれば、思わぬ問題が起こるかもしれないと危惧されていた。このことは、たとえ話が洩れたとしても、決して認めるわけにはいかなかった。確かに、今でこそ「不妊治療」は当たり前のように使われている言葉であり、広く認知された治療行為だが、当時はそうではなかった。
 皇太子殿下はベルギー訪問に意欲的だったという。皇太子は高校生のころからフィリップ王子と親交があった。「ぜひとも結婚式に参列してほしい」と直接に電話をもらったともいわれるほどの仲だった。
 そんなベルギー行きは、正式に閣議でも了承されて、ご訪問の返事をしたばかり。東宮御所での会議は結論が出ないまま、翌日、鎌倉節長官も出席して二回目の会議が開かれた。この時、医師からあらゆる説明がなされたというが、前回同様、結論は出ないままだった。十二月三日のご出発を目前にした最終幹部会だった。ここで医師たちの多数意見として、お身体には影響ないという意見が出され、ご訪問がついに決まったのだった。
 後に、「海外訪問に意欲的な雅子妃がベルギー訪問を強行された」というふうに書かれたことがあったが、事実はこうした経過だった。雅子妃自身、ご懐妊されているかどうか分からず、宮内庁と医師の判断に委ねるしかなかった。
 雅子妃は複雑なお気持ちだったという。待ち望んでいたご懐妊の兆しと、親交深い海外王室の重大な行事への出席。同時のタイミングでなければという思いが過ったことだろう。
「宮内庁の渡邉允侍従長は、天皇皇后両陛下にこのことを報告されて、帰国された後の十三日に、詳細な検査を宮内庁病院で受けていただくことが決まっていたようです。妃殿下のご希望から超音波検査などは女医の安達知子東京女子医大助教授が行うことになった。安達助教授は、坂本御用掛が務める『母子愛育会センター』の勤務医で、精密な検査が行われる予定でした」(宮内記者)
 十二月三日、ベルギーへのご出発当日。雅子妃のご体調の変化はさほど大きなものではなく、いつもとお変わりない様子だった。渡航には川口東宮侍医長が同行するなど、東宮職は雅子妃のお身体を気遣い緊張が解けなかったといわれている。
 ご夫妻は無事にベルギーに到着された。雅子妃はフィリップ王子の挙式にロイヤルブルーの正装姿だった。帽子、靴、バッグも同じペイズリー柄。実は和服も検討されたという。
<当日は真冬の零下の寒さで、しかも式場の教会内は正門が開け放たれていた上に、暖房も臨時のもので震えるような寒さであった。風邪をひかれることが何よりも心配だったので、結局洋服で行かれることになった><当初お召しのスーツは深紅のものを予定されていた。ところが実際に教会に到着されたときは、目の覚めるようなブルーのスーツに変わっていた。それは、雅子妃のとっさのご判断だったことを後から知った。式場に行かれる前、妃殿下はテレビに映し出されていた教会の模様を御覧になっていて、式場に深紅の絨毯が敷き詰められていることを御覧になった。同色のスーツではと思われた妃殿下は即座に鮮やかなブルーのスーツに変えられることを決断された>(文藝春秋/二〇〇二年一月号)
 とベルギー大使の兵頭長雄氏は記している。
 ブラッセル宮殿の午餐会では、雅子妃は各国の招待客と英語で会話をされて終始、笑顔だったという。
 翌日には、ファーが襟に付いたコートとブーツ姿で出迎えたベルギー市民の前にお姿を見せ、兵頭大使の案内でデュルビュイというアルデンヌ地方の山村を訪ねられたのだった。
 兵頭さんのエピソードが続く。
<両殿下にはベルギでは公式行事以外にはできるだけリラックスしていただきたいと思案した。例えば、ブラッセルのレストランに家内とお忍びでご案内し、たまにはと思いメニュー選びの楽しみを味わっていただいたりした。お二人の睦まじいメニュー選びが続く中で「私どもはよく別のメニューを頼んで半分ずつ分けます」と申し上げたところ、「それはいい」と言われて幾種類かのベルギー料理を仲良く分け合って楽しまれた>
 お二人が仲睦まじく楽しまれている様子が良く分かる。と同時に、普段は食事のメニューひとつを取ってみても、自由に選んで召し上がることもできない環境におられることが浮かんだ。
 ベルギー訪問は無事に終わった。
 七日、帰国された雅子妃は軽い鼻かぜをひかれたようだったが、ご懐妊の可能性を示す陽性反応は続いていた。翌日、皇居内の賢所に帰国の報告をされる予定だったが、前日に予定が中止となった。
 古川東宮大夫は会見でこの理由について、「地方へのご訪問やベルギー訪問が続いて、お疲れがでたので」と語った。
 同日夜、御所で天皇皇后両陛下との夕食会が予定されていたのだが、雅子妃はご欠席されて皇太子お一人のご出席となった。
 九日は雅子妃の三十六歳の誕生日だった。両陛下からの祝辞を受ける行事には参加されたが、宮内庁職員とのお祝いの席はご欠席された。祝賀行事の大幅な縮小に一部のマスコミは「風邪」だけではないという異変を感じ取っていた。
「この年の秋に、宮内庁病院へご懐妊検査で使う器具が運ばれたことや、鎌倉長官の任期が翌々年三月までと迫って来ていたので、彼は必ず与えられたお世継ぎ誕生という職務を果たすことだろうと思っていました。そこに九月のドイツ行きがお取り止めになって、ベルギー行きで侍医長が同行したとなれば、何かが起こっているのではないか、と取材を重ねたのです」(宮内記者)
 十二月十日、午前三時。新聞各紙は東京都心部に配達される最終版の紙面交換で、朝日新聞が一面のトップ記事にスクープを掲載していることが分かると騒然とした。
 タイトルは、
「雅子さま 懐妊の兆候」
「近く詳細な検査」
 雅子妃の顔写真付の記事は五段抜きの大きさだった。記事によれば、
<皇太子妃・雅子さまに懐妊の兆候がみられることが九日、明らかになった。近く宮内庁病院で詳細な検査が行われる模様だ。妊娠の兆候は、すでに天皇、皇后両陛下にも内々に報告されている>
 朝日新聞に抜かれた各社が、必死で後追い取材に追われた。
 このときのスクープ合戦では、NHK、共同通信社、朝日新聞社が情報を掴んでいたとされる。朝日新聞以外の二社が当初報道しなかったのは、ご懐妊をはっきりさせる十二月十三日の検査結果を待っていたからとも、情報が詰め切れなかったとも言われた。
 午前六時、目黒区南の小和田邸前には、ご婚約以来の多くの報道陣がズラリと並んで、小和田夫妻のコメントを待った。
 午前七時過ぎ。インターフォンを鳴らした記者に対して、母親の優美子さんが、「全然知らないので、何も申し上げられません。びっくりしております」と驚いた様子で答えたという。
 午前八時半になると、父親の氏が玄関から出てきた。しかし、マスコミに対して険しい表情で、「何も聞いておりません」と繰り返したのだった。
 ご懐妊に対する喜びは見えず、先走った報道への困惑が覗いた。待機する報道陣の前に優美子さんが出てきたのは、愛犬・ショコラの散歩をするためだった。
 詰め寄る記者たちに、
「本当だったら嬉しいんですが、もし違っていたら、妃殿下がおかわいそう……」
 正式な発表があるまでは、そっとしておいて欲しいと涙を見せた。
 だが一度燃え上がった炎は消すことができなかった。各社は取材班に応援の記者を投入、午前中には新聞は号外を出して、テレビ局はご夫妻の歩みを紹介する特番を放映したのだった。
 一気に日本中が慶事の喜びに包まれて、まさに待望のお世継ぎの誕生を待つばかりのムードとなったのだ。ところが、この日午前十時からの会見に現れた古川東宮大夫の表情は実に厳しいものだったという。
「ご懐妊と判断できる段階にありません。ベルギーからご帰国後の日程の変更は、すべて風邪によるものであります」
 と言い、つわりがあると報道されていることについても、
「そういった兆候は拝見していない」
 と真っ向から否定した。尿検査や血液検査についても、
「なさっておられません」
 と強い口調だった。情報が漏れたことへの怒りは収まらない様子で、今後の検査についても、
「しかるべき時期にしかるべき御検査をお受けになることは考えられる」
 そして、最後に「ひとつ付け加えたい」として、
「両殿下はこのような記事が流れたことについて、大変ショックを受けられているということです。大変なプレッシャーを受けておられる」
 と語った。
 大変なショック――皇太子が大夫を通じて感情を明らかにした表現をされたのは異例のことだった。行き過ぎた報道に対して、国民にも訴えかけたかったのだろうといわれた。
 だが、スクープを抜かれた各紙は後追い報道に邁進し、「兆候」抜きでご懐妊と断定的に書く社まであった。
 皇太子ご夫妻が朝日スクープ記事を知ったのは、この日の朝のことだった。皇太子から雅子妃に記事の内容が伝えられたという。
「雅子妃は医学的な判断を待たない段階での報道にとても傷ついておられました。皇室内での自分の存在に悩まれているところに、やっとの思いでご懐妊の兆しがあった。まだ不安定な状態で、発表できるような段階ではないのに公になってしまい、マスコミ報道に不信感を抱かれておられました」(東宮職)
 後から考えると、雅子妃はこの時妊娠二週目だったと思われる。美智子皇后のときは、黒木従達侍従が「おめでたの模様」と紹介して、妊娠四ヵ月で発表。民間出身のお妃の初のご出産ということで取材も白熱したが、各社一斉に報道していることから報道協定のようなものがあったといわれている。九一年の紀子妃の初めてのご懐妊の時は、妊娠二ヵ月での発表だった。雅子妃の場合はご懐妊が差し迫った問題とされていたとはいえ、「本格的な治療に入られたばかりのタイミングで時期尚早だった」(宮内庁職員)という声もあり、報道のあり方が問われた。
 
 十三日午後四時三十五分、東宮御所から雅子妃を後部座席に乗せた専用車が宮内庁病院に向って出発した。 窓が白いレースのカーテンで覆われていたためご表情を窺い知ることはできなかったが、後は正式発表を待つだけだった。マスコミは固唾をのんでいたが、いっこうに発表のないまま時間が過ぎていく。
 午後九時半過ぎ。記者会見に臨んだ古川大夫は、「ご懐妊なさっていると発表出来る段階ではない」と表情は硬かった。
「医師の総合的判断として、完全な意味でのご懐妊を確認するに至らなかった。明確に確認できないだけだ」
 そして、再度検査する意向を明らかにしたのだった。
 雅子妃は公的行事をご欠席するなど外出を控えられていたが、二十三日の皇居・宮殿で行われた一般参賀にご出席、国民に手を振られていた。
 十二月三十日、宮内庁病院で二度目の検査を受けた雅子妃。その日の十時過ぎに発表があった。
「稽留流産」――。
 それは、妊娠初期の段階で胎児が育たずに亡くなってしまい、子宮内に残ったままになっている状態だった。検査は五分で終了して、流産の手術処置がほどこされたのだった。
「このご喪失は、雅子さまの心に大きな衝撃を与えました。しかも、皇室の中からお慰めの言葉をかけられることは一切なかったというのです。ご自分は存在を認めてもらっていないのではないかと悩まれるようになったのです」(宮内庁関係者)
 大晦日の明け方から、小雨が降り続いていた。同日朝にご退院された雅子妃は東宮御所の自室に戻られて、しばらく出てこられることはなかった。
(文中一部敬称略・以下次号)




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