ベビーベッド

ページ名:ベビーベッド

継宮(今上陛下)・浩宮・礼宮・紀宮そして秋篠宮家眞子内親王・佳子内親王が使用した後、平成13年(2001年)12月1日生まれである敬宮愛子ちゃんのために東宮家に譲られたところまでは報道記述がある(後掲)のだが、その後の所在が不明となっている物品のこと。
平成18年(2006年)2月7日に秋篠宮妃紀子殿下ご懐妊が発表され、同年9月6日に悠仁親王殿下がお生まれになった秋篠宮家にこのベッドが再び渡ったというニュースは全く存在しない。そして悠仁殿下ご誕生に際して「ベビーベッドは新しく購入されたようですが」と記述がある。つまり東宮家に渡った以降の消息が不明となっているのである。

1960年ベビーベッドの中の浩宮を見つめる母美智子妃殿下

朝日写真ニュース 1960年<“よきパパ・ママぶり”の皇太子ご夫妻>ベビーベッドの中の浩宮を見つめる皇太子同妃両殿下モノクロ写真、皇太子殿下は玩具のがらがらを手にして眦を下げている
1960年ベビーベッドの中の浩宮と傍らで見守る母美智子妃殿下とがらがらを手にあやされる皇太子殿下連結画像(NHK2017/3/25)

籐製のベビーベッドに寝かされている愛子。このベビーベッドは大阪のカルチェラタン社製で、愛子誕生に際し新調されたもの(下段右モノクロ画像は、籐製ベッドで眠る浩宮の顔をご覧になる美智子妃殿下(当時)。この映像は2006年9月悠仁殿下ご誕生に際しフジテレビが同社に取材したもの

カルチェラタン社(本社・大阪)製、「愛子さまのベッド」と同型籐製ベッド
2014年2月13日テレビ東京「和風総本家」より< 箱根を支える人々>連結画像、カルチェラタンの籐職人市村三兄弟が製作した愛子ベビーベッドあり
参考:籐家具のカルチェラタン「★籐(ラタン)工場へのこだわり」
■国内生産品(大阪工場)は製造直売
宮内庁ご用達 籐職人です!
(愛子様のベビーベッドを作った会社とテレビで放映されました。)
2006年9月6日 【祝】 ロイヤルベビーご誕生
紀子さま、ご出産おめでとうございます!の報道番組
フジテレビ・(大阪では関西テレビ)<発見!!皇室ベビー用品>のコーナーで
カルチェラタンの店長小川と籐職人が、『愛子様の籐のベット』を作った会社として紹介されました。


この縁のベッドの行方について、

1)古臭い物・お下がりなんて大嫌いな雅子が廃棄してしまった

2)雅子実妹池田礼子が長男(2003年6月23日生まれ)・次男(2005年11月生まれ)を産むので、譲渡してしまった
3)皇室所縁の物だと売り飛ばしてしまった

このような仮説が立てられている。秋篠宮家に新しく3人目の子供が生まれるわけがないと、当時東宮夫妻=徳仁・雅子が高を括って考えていた可能性も、東宮家からベッドが消えている事実から容易に推察できる。

2008年10月日本橋高島屋にて開催された写真展<皇后さまと子供たち>では、多くの写真や着袴の儀に関するお道具の他に、浩宮らが幼児期に使用していた美智子さまご要望の特注鏡付き白いベビーカーの現物までもが展示されている。また2014年10月日本橋高島屋で両陛下傘寿記念<天皇皇后両陛下の80年―信頼の絆をひろげて>特別展が開催され、今上陛下の使われていたランドセルや幼少時期の絵画、幼稚園時期の浩宮・礼宮・紀宮が作ったエプロンなども新たに公開されている。皇室縁の物品が安易に廃棄されることなく大事に取り扱われていることがよく分かるが、2001年東宮家に渡ったベビーベッドはやはり2014年傘寿特別展でも登場していない。
捨ててしまったか誰かにあげちゃったか売り飛ばしたかのいずれか不明であるが、問題のベビーベッドも東宮家の愛子が使った後きちんと管理していれば、悠仁殿下が使用して、三代にわたって皇室の8人の子供たちを育んだベッドとして意義ある展示になったであろうに、まことに残念なことである。

目次

問題のベビーベッドに関する記述集[]

講談社『ヤングレディ』1965年12月13日号<美智子さま、親王さまご出産秘話特集 ぼくのかわいい弟が生まれた!無事ご出産の美智子さまと浩宮さまのお喜び>[]

p.24より引用
 白い小型のバスでうぶ湯をお使いになる新宮(=礼宮)さまのお元気な泣き声。血色のよい可愛い赤ちゃんだった。
 身長五一センチ、体重三キロ。浩宮さまのお生まれになった時より大きな赤ちゃんである。
 純白のうぶ着に小さなお身体を包まれた新宮さまはすぐにご静養室にお移りになり、すでに産後のお手当てを終えられてお休みになっている美智子さまの傍のベッドにおはいりになった。
 五年前に浩宮さまの使われた菊のご紋入りの小さなベッドである。

1991年10月20日 読売新聞<紀子さまの無事出産願う皇后さま57歳の誕生日>[]

http://www.yomiuri.co.jp/feature/impr/0609article/fe_im_91102001.htm
紀子さまの無事出産願う 皇后さま57歳の誕生日
 皇后さまは20日、57歳の誕生日を迎えられた。今月6日に東南アジア3か国訪問から帰国されたばかりだが、お疲れの様子もなく元気に過ごされているという。
 今月末に迫った秋篠宮妃紀子さまのご出産を特に楽しみにされており「(紀子さまが)折々に訪ねてくださるので、元気な様子が分かり安心しています。特に何をお教えしたというようなことはなく、ただ健やかに母となる日を迎えられることを願って、今日までまいりました」と侍従を通じて述べられた。
 皇太子さま、秋篠宮さま、紀宮さまが使ったベビーベッド、秋篠宮さまのベビーだんすを倉庫から出して手入れし、プレゼントされるという。
 きょう午前には皇居・宮殿で海部首相らが出席しての祝賀行事、昼には天皇陛下や皇族方らとの祝宴があり、夜は赤坂御所でご一家とお祝いのご膳(ぜん)を囲まれる。
(1991年10月20日 読売新聞)

2001年12月1日 日本経済新聞<愛子さま、初めてのお正月>[]

http://www.nikkei.co.jp/sp2/nt30/20011201EIMI139101030001.html
■ 愛子さま、初めてのお正月
(12/1)東宮御所は準備万端・安全に配慮し子供部屋改装
 結婚8年半で待望のお子さまを授かった皇太子ご夫妻はどんな子育てをし、どんな家庭像を国民に示すのだろうか。皇室の慣例を破って両親の元で育った皇太子さま。外交官だった父とともに幼少時代を海外で過ごされた雅子さま。お住まいの東宮御所の子供部屋は、ご夫妻の要望を取り入れて改装されるなど、新しい生活の準備は整えられている。
 二世誕生を心待ちにしていた皇太子さまは10月初め、山梨県内の国師ケ岳などを登山した際、記者団に子育ての考え方を聞かれ、「2人でいろいろと考えています」とうれしそうに話された。
 東京・元赤坂にある東宮御所にお子さまを迎えるのは、紀宮さま以来32年ぶり。子供部屋にあてられたのは、かつて紀宮さまが使われた一階の八畳程度の洋間で、今年8月に2900万円かけて大掛かりな改装工事を済ませている。
 皇太子ご夫妻の要望で床は化学物質を含まない自然素材のコルクタイルに。滑りにくいうえ、万一、お子さまが転んだとしても衝撃を吸収してくれる。安全面にも配慮したご夫妻の気持ちが十分にうかがえる。壁紙も暖色系に張り替えたほか、部屋を仕切り、看護婦の控室も設けた。
 ベビーベッドは天皇、皇后両陛下から贈られた。天皇陛下自身だけでなく、皇太子さまと秋篠宮さま、紀宮さまも使われた三代にわたるゆかりの品だ。
 皇太子さまは、皇后さまの母乳で育てられた。それまでの宮中の慣習では考えられないことだったが、皇后さまは時間が許す限り、おむつも自分で替えるなど、普通の母親であろうと努められた。
 生後7カ月の皇太子さまを残して天皇陛下と訪米された時、皇后さまは、テープに録音した子守歌とともに、留意点を記したノートを側近に託された。「なるたけ1人遊びをさせてください」「投げた物は、なるべく自分でとりにいかせるよう」「1日1回くらいは、しっかりと抱いてください」――。
 「ナルちゃん憲法」として有名な皇后陛下の子育ての考え方は、皇太子ご夫妻にも受け継がれるであろう。

『週刊読売 2001年12月24日臨時増刊 待望のロイヤルベビー敬宮愛子さま』読売新聞社[]

p.10より引用
子ども部屋に運ばれた天皇家三代のベッド
 両陛下と皇太子ご夫妻はご出産直前の(補足:2001年)十一月十日と二十一日、皇居の御所で夕食をともにされている。
「子どもたちがまだ小さく、私たちがあちらに住んでおりましたころ、東宮御所の庭には夏でも涼しい風の通り道があって、よく乳母車を押してまいりました。これからは、そうしたなつかしい思い出も少しずつ話していきたいと思います」
 文書回答でこう振り返られた皇后さまは、その場でご出産を控えた雅子さまに、さまざまな思い出を語られたことだろう。
 十一月二十七日午後、音楽仲間の鎌田勇さんが東宮御所を訪れた。「もうすぐですね。お子さまが少し大きくなられたら、このあたりを走り回られるようになって、大変ですよ」という鎌田さんに、皇太子さまは「そうですね。かわいいでしょうね」と笑顔で答えられたという。
 十二月一日生まれの敬宮愛子さまは、母親となった雅子さまとともに、病院二階の皇室専用特別室ですやすやとおやすみになられていた。側近によると、泣き声は一階まで届くほど元気で、二日午後には、祖父母となった天皇、皇后両陛下と対面された。宮内庁病院の玄関では、「おめでとうございます」という報道陣からの言葉に、陛下が「非常に元気そうですね」と答えられ、皇后さまも「いい赤ちゃんでしたね」と目を細められた。
 東宮御所に用意された新しい子ども部屋には、天皇陛下、皇太子さまが使われた銀の装飾が施されたベッドが運び込まれた。天皇家三代の赤ちゃんに伝えられることになったベッドで、愛子さまは伸び伸びと、そして健やかに育っていかれることだろう。

『悠仁さまへ―秋篠宮家に受け継がれる愛の系譜―』高清水有子、学研(2009年)[]

pp.204-205より引用
 両陛下にとって初孫の眞子さまご誕生のとき、とてもすてきな贈り物がありました。それは、両陛下から贈られたベビーベッドです。真ちゅう製で銀メッキを施したものと籐製のものの2つが贈られました。実はこれらは、皇太子さま、秋篠宮さま、黒田清子さんもお使いになった年代物です。皇后さまが手入れをおさせになった上で、秋篠宮家に贈られたといいます。さすが質素・倹約をモットーにされている天皇ご一家らしいと感心しました。ご自分もお使いになったベビーベッドにわが子を寝かせた秋篠宮さまの感動は、どんなに大きいことだったでしょう。近年では置き場所に困るベビーベッドや育児用品などをレンタルで済ませる家庭も多いようですが、天皇ご一家のように代々伝えられて、使っていくことができたら、とてもすてきなことだと思います。
 悠仁さまのときにはベビーベッドは新しく購入されたようですが、ベビーカーは眞子さまと佳子さまがお使いになったものです。お歩きになる前の悠仁さまは、そのベビーカーにお乗りになって、ご家族とともに赤坂御用地内を散策されていました。

『選択』2014年1月号<日本のサンクチュアリ472 東宮 皇室危うくする雅子妃>より、「東宮御所改修時に天皇陛下が愛用された机が粗大ゴミとして廃棄されそうになり秋篠宮家で引き取る事件」[]

  • 『選択』2014年1月号<日本のサンクチュアリ472 東宮 皇室危うくする雅子妃>

pp.112-113より引用
児戯に等しい小和田家の振る舞い
 東宮は独立した存在であり、天皇といえども口出ししにくい。親子であると同時に世代を担うライバルのような面もあり、異なる考えがあるのも自然だろう。しかし、最大の課題は天皇の務めや歴代の心構えの継承である。昭和時代は皇太子一家が毎週必ず皇居を訪ね夕食を共にする「定例参内」があったが、絶えて久しい。
 一二年に天皇の心臓手術を担当した医師団関係者によると、秋篠宮夫妻からは病状や手術の見通しを尋ねる連絡が何度もあったが、東宮からはなかった。
 東宮御所内部も改修のたびに天皇・皇后が住んでた頃の内装はどんどん変えられた。改修工事で東宮が皇族共用殿東邸に一時引っ越した頃、天皇が長年愛用した古い机が粗大ゴミとして捨てられそうになっているのに秋篠宮関係者が気付き、秘かに宮邸に引き取ったという。親子・兄弟の距離感を物語る。
 〇四年の皇太子の「人格否定」発言の際には、天皇が驚いて説明を求めたが、皇太子は「世継ぎを求められるばかりで外国訪問させてもらえなかった」「自由に外出もできない」などの例を挙げたという。
 一方で、人格否定したのは天皇・皇后であり、雅子妃が懐妊できないのは皇太子側の問題などと示唆する、雅子妃の実家がソースとみられる雑誌記事が現れた。当時の宮内庁参与が「こんなことをしていたら国民を敵に回すことになる」と電話で諌めたこともある。
 しかし、その後も、「皇后から作法のことでひどく叱責された」「天皇が外国賓客への皇族紹介の時に雅子妃を飛ばした」とか、宮内庁や東宮職の元幹部らの実名を挙げて雅子妃がいかに酷い目に遭ったかと強調する記事が後を絶たない。誤解や事実関係の誤りも多く、ある元幹部は苦々しい表情で「児戯に類する」と吐き捨てた。



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