中村和裕
中村 和裕 本名 中村 和裕 通称 カズ 吉田道場 大将 戦極の若大将 吉田道場の柔くん 吉田道場の一番星 性別 男性 国籍 日本 誕生日 1979年2月21日(44歳) 出身地 広島県福山市 身長...
ボビー・オロゴン | |
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本名 | 近田 ボビー カリム・アルハジ・オロゴン |
性別 | 男性 |
国籍 | 日本(ナイジェリア) |
誕生日 | 1973年4月8日(50歳) |
出身地 | ナイジェリア |
身長 | 182cm |
体重 | |
リーチ | |
階級 | |
所属 | フリー →チーム・オロゴン |
ボビー・オロゴン(Bobby Ologun、1973年4月8日 - )は、ナイジェリア・イバダン出身、日本国籍のタレント、格闘家。チーム・オロゴン所属。本名は近田 ボビー(こんだ ボビー)、旧名はカリム・アルハジ・オロゴン。
アンディ・オロゴンは実弟。
会社を経営する父親の33人兄弟の3番目の子(ナイジェリアでは一夫多妻制が認められているため、父親には6人の妻がおり、ボビーの上には兄と姉が1人ずついる。なお、兄・姉・ボビーは第一夫人の子である。)としてイバダン市に生まれた。
ナイジェリアの国立大学を卒業後、父親が経営する貿易会社の手伝いでドイツを始め世界各国を回り、1995年に糸の買い付けを目的に初来日。500万円とパスポートをバスの中に置き忘れる事件を起こしたが、幸運にも戻ってきて糸を買い付け帰国。
1998年にタイヤチューブ買い付けのため再来日するも、そのまま日本にとどまる。
1999年、居酒屋でナンパして出会った日本人と、ナイジェリアで挙式し、再び来日。1999年に長男誕生、2年後に長女誕生。さらに女児が2人おり、4児の父である。
2001年、代官山のカフェの厨房でアルバイトをしていたころ、TBSの『さんまのSUPERからくりTV』の「ファニエスト・ジャパニーズ」のコーナーに、素人として初めて出演。のち同番組の企画「セインのファニエスト外語学院」に学院生としてレギュラー出演するようになる。「ボビーと思います」「もす!」など無茶苦茶な日本語と天然ボケが評判となり、ファニエスト外語学院は『からくりTV』きっての人気企画となった。
2004年1月21日、ファニエスト外語学院の先生セイン・カミュ、生徒のアドゴニー・ロロ、アミールらとともにThe Studentsの一員として初CDシングルの『ハトマメ ~Say Hello To The World.~』をリリース。また、この年からは格闘家としても活動を始め、「史上最強の素人」「最強の初心者」とも呼ばれるようになる。
2005年からは本格的なタレント活動を始めた。
2006年1月、出演料などをめぐり所属事務所のアールアンドエープロモーションと対立し、事務所内で暴れジョン・ムウェテ・ムルアカに軽い怪我を負わせたとされる。以降、芸能活動の休止を余儀なくされていたが、同5月、アールアンドエープロモーションからの独立を宣言。同社は契約が2007年末まで残っているとして対立。マネージャーも事務所から解雇された。ところが7月に一転して新たな芸能事務所フェイスネットワークへの「円満移籍」が報じられた(2008年4月、フェイスネットワークから芸能部がプラチカに分社化するに伴いプラチカに転籍)。2011年1月にはアレムコプロダクションへ移籍した。
2007年、妻の姓「近田」と、ニックネームであった「ボビー」を個人名とし、「近田ボビー」として日本に帰化した。
事務所などの公式発表によると1973年生まれであったが、2006年1月の事務所での暴行事件の際、提出されたパスポートの記載内容から、「実際は1966年生まれで、1973年生まれという公式発表は年齢詐称である」とスポーツ紙などに報道された。ただし本人は「ナイジェリアでパスポートを取得したときに間違えられた」と否定している[1]。
2004年1月、前年大晦日に見た「K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!」におけるボブ・サップ vs. 曙に影響されたボビーが「ファニエスト外語学院」で柔道を体験する企画に挑戦。組み合った瞬間、古賀稔彦に「物凄い力だ」と言わしめるなど、ボビーが予想外に奮闘したVTRを見た同番組の司会者の明石家さんまが「年末の格闘技イベント出場も夢ではない」と冗談半分で言ったことから発展し、番組内でさまざまな格闘技の指導を受ける企画がスタート。同年2月には、格闘技ジムGRABAKAに入門。菊田早苗のもとで格闘技を学ぶ。3月にはディファ有明でホイス・グレイシーとのスパーリングマッチ(3分3R)で対戦し、2Rに腕ひしぎ十字固めで一本負けしたもののホイスを出血させる予想を上回る健闘を見せた(同年4月4日放送)。その後もさらに修行を続け、柔道では黒帯を取得した。
2004年12月31日、「K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!」第0試合で、菊田と関根勤をセコンドにつけ、キックボクサーシリル・アビディと対戦。3-0の判定勝ちを収めたが、本人は再び試合に臨む気は当面ないと発言した[2]。当初はマイク・ベルナルドと対戦の予定だったが、ベルナルドが負傷したため12月25日に急遽変更された。[3]
2005年12月31日、2年連続となった「K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!」で曙と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[4]。
2006年7月30日、「K-1 REVENGE 2006」で藤本祐介と初挑戦となったK-1ルールで対戦。跳び膝蹴りをヒットさせるなどの身体能力を見せたが、K-1ルールでは禁止されている投げ技を仕掛けるなどの反則もあり0-3の判定負けを喫した[5]。
2006年12月31日、3年連続となった「K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!」ではチェ・ホンマンと対戦。1R16秒パウンドでTKO負け。ボビーは「再戦はもうない。普通のフリーターとして頑張っていきます」と引退宣言した[6]。
2007年12月31日、4年連続となった「K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!」でボブ・サップと対戦し、マウントパンチでKO負けを喫した[7]。
2011年、弟・アンディのボクシング転向に合わせ、平仲ジム所属としてセコンドライセンスを取得。8月31日のプロボクシングデビュー戦ではセコンドに付いた。
2011年8月19日に開催されたシュートボクシング「Girls S-cup 2011 日本予選 ~ツヨカワGirls真夏の祭典~」では総合プロデューサーを務めた[8]。
2011年10月15日、GRABAKAの自主興行「GRABAKA LIVE! 1st CAGE ATTACK」にてミノワマンとグラップリングルールで約5年ぶりに格闘技の試合を行ない、時間切れドローとなった[9]。試合後に日本ボクシングコミッション(JBC)から、同組織の定める規定に反し、他種格闘技のプロ興行で試合をしたことにより、セコンドライセンス取り消しなどの厳重処分が下される発表がされた。
総合格闘技[]総合格闘技 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
4 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
2 勝 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 |
2 敗 | 2 | 0 | 0 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | ボブ・サップ | 1R 4:10 KO(マウントパンチ) | K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!! | 2007年12月31日 |
× | チェ・ホンマン | 1R 0:16 TKO(パウンド) | K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!! | 2006年12月31日 |
○ | 曙 | 5分3R終了 判定3-0 | K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! | 2005年12月31日 |
○ | シリル・アビディ | 3分3R終了 判定3-0 | K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!! | 2004年12月31日 |
キックボクシング 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
1試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
0勝 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
1敗 | 0 | 1 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | 藤本祐介 | 3R終了 判定0-3 | K-1 REVENGE 2006 K-1 WORLD GP 2006 in SAPPORO ~アンディ・フグ七回忌追悼イベント~ | 2006年7月30日 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
△ | ミノワマン | 5分1R終了 時間切れドロー | GRABAKA LIVE! 1st CAGE ATTACK | 2011年10月15日 |
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