尼崎のオサ島木

ページ名:尼崎のオサ島木

:島木(しまき)
通称:尼崎のオサ(あまさきのおさ)
肩書き:陽比国・西辺の統率者、肉鎧の将(にくよろいのしょう)
年齢:三十代後半〜四十代前半(詳細不明)
体格:身の丈八尺(約240cm)、肩幅一間(約180cm)という巨体
性格:豪胆にして朗らか、武と義を重んじる野生の智将

出自と伝承

島木は、「尼崎(あまさき)」の大山岳地帯で生まれたと言われる。誕生時には雷が三日三晩鳴り止まず、山の神が地を打って祝ったという。幼少より「山鬼の子」と呼ばれるほどの怪力を持ち、十歳で丸太を抱えて村を巡り、十五歳で熊を素手で討った。二十歳にして辺境の戦乱を鎮め、豪族たちをまとめ上げ、「尼崎のオサ」と呼ばれるようになる。

兵力と戦術

島木が率いる兵団は「肉武(にくたけ)」と呼ばれ、いずれも身体能力に優れた者たち。重装備を嫌い、皮鎧や獣骨をまとい、素早く、かつ豪快に敵陣へ突撃する戦法を取る。島木自身は、味方の士気を爆発的に高める「鬨の咆哮(ときのほうこう)」で知られ、その声は山を越えて響くという。

活動と立ち位置

現在、袋布国の西辺を治めながら、大長への忠誠を誓っているが、その野性味ゆえに中央からは「不穏分子」とも見なされている。
倭との小競り合いが続く中、島木の軍は西国防衛の要として期待されているが、時に命令を無視して「義によって動く」行動をとることもある。

逸話と伝説

  • 「肉の鎧」伝説:かつて敵の大軍に囲まれた際、島木は脱ぎ捨てた鎧のかわりに牛を三頭解体し、自身の筋肉に縫い付けて戦場を駆け抜けたという。以後、彼の身体は「肉の鎧」として神格視された。

  • 「鬼喰の戦」:山間に潜んでいた人殺しのチンピラを討ち取った戦。その際使われた鉞が「鬼喰(しばきあげたら)」と呼ばれるようになった。

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