空が何色かっての、あんたには大事なことかい?
─エースコンバット7より、エイブリル
空を飛びたい、と思ったことのある人は多いでしょう。私もその一人です。
1903年、アメリカのライト兄弟が有人動力飛行に初めて成功しました。
これが後に飛行機と呼ばれるものです。
空を飛ぶものの軍事利用
さて、そのもっと前、1794年、固定翼有人動力機、「飛行機」ではないものの空を飛ぶものが軍事利用されます。「気球」です。フランス軍が偵察に使用したこれが、人の作った空を飛ぶものが初めて戦争に利用された例です。
その後、1900年、ドイツのツェッペリンによって開発された飛行船LZ1が初飛行し、この後に発注されたドイツ軍の軍用飛行船がこの後猛攻を振るうことになります。
1910年、フランス軍が航空機運用部隊(運用されるのは「飛行機」)を発足し、それを皮切りにロシア、イギリス、イタリア、ドイツでも航空機運用部隊が設置されます。
第一次世界大戦
1914年、ついに第一次世界大戦(WW1)の火蓋が切られます。当初、各国軍の航空機部隊は敵情偵察、砲兵補助などに徹しており、直接的な攻撃は行われていませんでした。しかし戦争による技術の進歩は凄まじく、同じ年にすでに飛行機による爆撃が始まっています。
そして、爆撃に対抗するため、敵爆撃機を撃墜するために機銃などを搭載した飛行機、「戦闘機」が誕生します。
この頃の飛行機はまだ主翼が二枚重なっている複葉機が多数でした。
第二次世界大戦開戦と太平洋戦争
WW1終戦から月日は流れ、1939年、第二次世界大戦(WW2)が勃発します。
WW2開戦までの間に、航空機の技術も進歩しており、複葉機より高速性に優れる単葉機(主翼が1枚)がほとんどとなっていました。
1941年、日本は空母から出撃させた航空機300機超をアメリカ海軍の真珠湾基地に向かわせ、攻撃を実施します。真珠湾攻撃と呼ばれるものです。
攻撃は成功し、戦艦4隻を始め多数のアメリカ軍艦船を撃沈または損傷させ、航空機による攻撃の有用性を証明しました。
しかし、ご存知の通り、戦争が進むにつれ日本軍にとって厳しい状況となります。空母と航空機による攻撃の有用性を実感したアメリカ海軍は、多数の空母を建造し、航空戦力を増強します。しかし、対する日本は未だ戦艦の大艦巨砲主義にこだわっており、空母は2の次のように扱われることもありました。
太平洋戦争も終わりに近づく1945年4月、沖縄で坊ノ岬沖海戦が起こります。(日本軍が燃料不足で空母や航空機が運用できないことも相まって、)皮肉にも日本を代表する戦艦・大和がアメリカ軍の空母艦載機によって撃沈されます。この時、戦艦の時代は終わりを告げました。
第二次世界大戦終盤のドイツ軍
1941年、ドイツ軍が世界初のジェット戦闘機Me262を開発します。WW2終盤に実戦投入されますが、資源不足に陥っていたドイツ軍の戦局を打破することはできませんでした。
しかし終戦後、米ソ両国が戦利品としてMe262などジェット機の資料を持ち帰り、2国を中心にジェット機が発展していきます。
米ソ冷戦とジェット戦闘機の台頭
1947年、アメリカでF-86ジェット戦闘機が初飛行を行います。同年、ソ連でもジェット戦闘機MiG-15が初飛行しました。朝鮮戦争が勃発し、中国軍に供与されたMiG-15が猛威を振るうと、米空軍も最新鋭のF-86を投入し、ジェット戦闘機の空戦が起こるようになります。この時は優れた射撃管制レーダーを持つF-86優位でした。
その後のベトナム戦争では、新たに開発されたアメリカ空軍の最新鋭機F-4とソ連製の比較的旧式のMiG戦闘機による死闘が繰り広げられ、F-4は苦戦を強いられました。最新鋭機が苦戦を強いられた理由として、当時アメリカ軍では「ミサイル万能論(戦闘機はミサイルを発射して命中させれば勝てる)」というものがあり、F-4には機銃が搭載されていませんでした。旧式ながらも機動力のあるMiG戦闘機との至近距離での格闘戦においてはF-4は有利とは言えなかったのです。この教訓から、この後の戦闘機には基本的に機銃が搭載されるようになります。
現代の戦闘機
現代の戦闘機は、長射程ミサイルなどの高性能化した装備を持ち、空戦も視程内戦闘から視程外戦闘へと変わっています。しかし、ステルス機が登場した今、互いに捕捉できず視程内戦闘が起こらないとも言えません。またマルチロール=多役割化によって戦闘機は複数の役目をこなすようになりました。また、無人航空機の登場により戦場は大きく変わるかもしれません。
今後の技術発展と平和を祈りながら、未来の戦闘機を楽しみにしています。
執筆:紫の13
本日の訪問者数:
1
合計訪問者数:
369
コメント
最新を表示する
NG表示方式
NGID一覧