加藤和彦

ページ名:加藤和彦

加藤 和彦(かとう かずひこ、1947年3月21日 - )は京都府京都市伏見区出身の音楽プロデューサー、作曲家、ギタリスト、歌手。かつて一時的に Donovan と交友があったことから「トノヴァン」(漢字表記では「殿番」)あるいは「トノ」と呼ばれることが多い。最初の妻は福井ミカ、作詞家の故安井かずみは前々夫人、オペラ歌手の中丸三千繪は前夫人。

目次

略歴[]

東京都立竹台高校卒業後、仏師だった祖父の後を継ぐつもりで京都市伏見区の実家に戻り、歩いて10分のところに位置していた仏教系大学龍谷大学に入学。アマチュアフォークグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」の解散記念に制作したインディーズアルバム「ハレンチ・ザ・フォーク・クルセダーズ」中のオリジナル曲『帰って来たヨッパライ』に対するリクエストがラジオ局に殺到し、プロデビューの話が持ち込まれる。加藤は難色を示したが、毎朝説得に来ていた[1]北山修の説得により「1年かぎり」との約束でプロの世界に入る。

  • シングル2作目に予定していた『イムジン河』が、政治的配慮から発売禁止にされた。これに憤慨し、イムジン河のメロディを逆回転させて作った曲が『悲しくてやりきれない』であるとする説もある。これについて端田は「加藤は逆回転させようと言った。確かに逆で聴いても良い曲だった」と1994年のテレビ朝日『驚きもものき20世紀』で証言している。加藤本人は「ホテルの一室に三時間ばかり閉じ込められ、残り一時間になった時、イムジン河の音符を逆さからたどっていったメロディ-をもとに曲を書いた。実質、十五分くらいでかけた」といっている。実際のところ楽理上から言うと、単純に旋律を逆にたどる、あるいはコードを逆にするだけで「イムジン河」から「悲しくてやりきれない」を生み出すのは不可能であり、相当以上のイマジネーションが必要だったはずである。

フォーク・クルセダーズ解散後、愛称「トノバン」に現されるように、ドノヴァンの影響を色濃く漂わせたソロ楽曲も垣間見える(初期のソロ活動では、イベントで当時はおろか20年近く日本で未発売だったドノヴァンのアルバム"H.M.S. Donovan"中の曲をカヴァーしたりもしていた)など、あらゆるジャンルを吸収。当時流行のFifth Dimensionばりのソフトロック風アレンジなどもさりげなく導入するなど先鋭的な音楽活動で注目を集める。このことからも加藤はフォーク、ロック、J-POPといったひとつのカテゴライズされた見方には収まりきらないミュージシャンであるともいえよう。

1971年には『あの素晴しい愛をもう一度』を、作詞を担当した北山修との連名で発売した。

その後、「サディスティック・ミカ・バンド」を結成。ロックバンドによくあるグループ編成の形態ではあるが、そのサウンドもロンドンポップ、グラムからワールド・ミュージックの導入など、実験精神に溢れたもので加藤の先取の気質がよく顕われている。
中でも琉球音階を取り入れるなど時代を二十年も先取りしていた。

日本のバンドとして初めてロキシー・ミュージックのオープニング・アクト(前座)としてイギリスツアーを敢行するも、福井ミカとの離婚をきっかけに解散。(ちなみにミカ・バンドは、1989年に、新ヴォーカリストに桐島かれんを迎え、解散コンサートを行った。)

その後、安井かずみ(故人)との作詞作曲コンビで数多くの作品を発表した。1980年代はリゾートサウンド全盛期であり、ポストモダンの時代性もあり、ノスタルジックでモダン、なおかつ近未来志向も漂わせた「あの頃、マリー・ローランサン」などを発表。「シンガプーラ」は歌詞を全面的に変え、『愛のハーモニー』というタイトルでフジテレビ系『なるほど!ザ・ワールド』のテーマ・ソングともなった。

1990年代からは歌舞伎音楽を手がけ、歌舞伎史上初めて洋楽による歌舞伎音楽を確立する。この縁から、後のフォーク・クルセダーズ再結成コンサートでは、市川猿之助 (3代目)と共に歌舞伎の口上で幕を開けた。

1996年、フジテレビ系『ポンキッキーズ』挿入歌として西田ひかるとのデュエット曲『メロディー』を発表。

『イムジン河』を日本で初めて歌った人物としても有名である。『イムジン河』が初めて日の目を見た2002年には、フォーク・クルセダーズを半年間限定で新結成(他のメンバーはきたやまおさむと坂崎幸之助で、はしだのりひこは不参加。)した。映画『パッチギ』にて、第60回毎日映画コンクール音楽賞受賞。

「同じ事は二度とやらない」をモットーとしており、サディスティックミカバンドやフォークルを新結成することがあっても過去とは全く異なるアプローチで臨んでいる(それを強調するためか、フォークルは「再結成」ではなく、「新結成」であると加藤は語っている。)。また、サディスティック・ユーミン・バンドなる企画もあった。

2007年に坂崎幸之助とのユニット、和幸(かずこう)を結成。アルバムリリース、ライブを予定している。

作品[]

  • 他人に提供した主要作品
    • 井上陽水(アンドレ・カンドレ)「花にさえ鳥にさえ」(作曲)
    • オフコースのデビュー曲「夜明けを告げに」(作曲)
    • ベッツィ & クリスのデビュー曲「白い色は恋人の色」(プロデュース・作曲・アレンジ)
    • 森山良子「遠い遠いあの野原」(プロデュース・作曲・アレンジ)
    • トワ・エ・モワ「初恋の人に似ている」(作曲)
    • チッチとサリー「チッチとサリー」(プロデュース・作曲。サリー役でデュエット。チッチ役は一般公募で選ばれた小野和子)
    • 小野和子「不思議な日」(作曲)
    • アグネス・チャン「妖精の詩」(作曲)
    • かまやつひろし「サンフランシスコ」(作曲)
    • 吉田拓郎「結婚しようよ」(プロデュース・アレンジ)
    • 泉谷しげる「春夏秋冬」(プロデュース・アレンジ)
    • 竹内まりやのデビュー曲「戻っておいで私の時間」(作曲)
    • 竹内まりや「ドリーム・オブ・ユー~レモンライムの青い風」(作曲)
    • 竹内まりや「不思議なピーチパイ」(プロデュース・作曲・アレンジ)
    • 岡崎友紀「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」(プロデュース・作曲・アレンジ)
    • 伊藤つかさ「夕暮れ物語」(作曲)
    • 沢田聖子「卒業」(作曲)
    • 沢田聖子「あなたへのバースディ・カード」(作曲)
    • 飯島真理「愛・おぼえていますか」(作曲)
    • いとうゆうこ「がんじがらめ」(プロデュース・作曲・アレンジ)
    • いとうゆうこ「フォークソング」(プロデュース・作曲・アレンジ)
    • Wink「いつまでも好きでいたくて」(作曲)
  • 自己名義(ザ・フォーク・クルセダーズ、サディスティック・ミカ・バンドを含む)の主要作品(シングル)
    • 帰って来たヨッパライ
    • イムジン河
    • 悲しくてやりきれない(サトウ・ハチロー作詞)
    • 青年は荒野をめざす
    • 僕のおもちゃ箱
    • おいでよ僕のベッドに/アーサーのブティック
    • あの素晴しい愛をもう一度
    • 家をつくるなら
    • 不思議な日
    • サイクリング・ブギ
    • タイムマシンにお願い
    • シンガプーラ
    • だいじょうぶマイ・フレンド
  • 自己名義(ザ・フォーク・クルセダーズ、サディスティック・ミカ・バンドを含む)の主要作品(アルバム)
    • 『紀元貳阡年』
    • 『ぼくのそばにおいでよ』
    • 『スーパーガス』
    • 『サディスティック・ミカ・バンド』
    • 『黒船』
    • 『Mika Band Live in London』
    • 『それから先のことは』
    • 『ガーディニア』
    • 『パパ・ヘミングウェイ』
    • 『うたかたのオペラ』
    • 『ベル・エクセントリック』
    • 『あの頃、マリー・ローランサン』
    • 『ヴェネチア』
    • 『マルタの鷹』
    • 『ボレロ・カリフォルニア』
    • 『天晴』
    • YOKOHAMAスーパーオペラ『海光』
    • 『戦争と平和』
    • 『NARKISSOS』

CM[]

  • トヨタ自動車・コロナ(8代目・T150系)(1983-1987)
  • オリンパス・BRAVE CIRCLE大腸がん撲滅キャンペーン(2006~)

ラジオ番組[]

  • YKK SOUND GALLERY 'AZ' (J-WAVE、1990~1998)
  • BRAVE CIRCLE presents CIRCLE of FRIENDS (TOKYO FM、2007~)

関連項目[]


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  1. 北山修の書籍「くたばれ芸能野郎」


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