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スネークマンショーは、桑原茂一が率いたコントユニットで主なメンバーに咲坂守こと小林克也、畠山桃内こと伊武雅刀がいた。また同名のラジオ番組、彼らのファーストアルバムのタイトルでもある。巳年生まれの小林克也が伝説のDJ、ウルフマン・ジャック (Wolfman Jack) のモノマネをしたことからユニット名が決まった。イエロー・マジック・オーケストラとも交流が深く、彼らの4枚目のアルバム『増殖』に参加し、曲間のコントを提供したことでも有名。
1970年代後半に桑原がエドウィンから店内用BGMの作成を持ちかけられる。そのとき、以前から交流があった小林と共にアメリカのDJウルフマン・ジャックをまねたキャラクター「スネークマン・ジョーンズ」(小林克也によるウルフマンの物まね、以下このページでは「スネークマン」と表記。まもなく「ジョーンズ」という名はライバルメーカーの称号を想起させることから削られた)を登場させたテープを作成、エドウィン店舗で放送された。しかし、店内用BGMとして使う場合に著作権使用の申請をいちいちしないといけないため、申請が要らないラジオでの放送を考える。これが1976年の春からラジオ大阪で放送された「スネークマン・ショー」となるが、番組では俳優として活動していた伊武雅刀が加わり、スネークマンのDJのみであったスネークマン・ショーは、曲紹介の合間に伊武雅刀とのショートコントを織り交ぜるという形になった。
やがてラジオ関東でも放送が開始され、1977年にTBSラジオの「一慶・美雄の夜はともだち」のコーナーとして、タイトルも「それ行けスネークマン」となる。
しかし、当時はほぼタブーとされていた同性愛者に関するコーナーを作ったり、反権力、社会的批判を込めたコント・過激な下ネタなどが社内で問題となり放送禁止になった。そして、一大イベント「写楽祭(小学館の雑誌「写楽」創刊イベント)」をプロデュースするも大失敗[1]し、TBS上層部の怒りを買った同番組は1980年にいきなり終了してしまうこととなる(終了までの間、坂本龍一の怒鳴り声は番組のジングルとして使用された)。 その直後にNHK-FM「サウンドストリート」で桑原をゲストに放送された特集では、コントはレコード化されなかった、TBSで放送された音源を使用したものがほとんどだった。
その後、YMOのアルバム「増殖」に参加。今までスネークマンショーを知らなかった世代に直撃し、大ヒットとなる。そして、1981年にファーストアルバム「スネークマンショー(通称「急いで口で吸え」)」を発売し、こちらも大ヒット。同年にセカンドアルバム「死ぬのは嫌だ、怖い。戦争反対!」を発売し、スネークマンショー人気は絶頂期を迎えたが、小林と桑原・伊武の意見が食い違うことが多くなり小林が脱退する。スネークマンショーはそれからしばらくアルバムリリースをしたが、自然消滅の道へと進んでしまう。
消滅した後は、小林が「スネークマンロックショー」、桑原・伊武が「ラジオヘブン」として活動して行った他、1986年にテレビ朝日で音楽情報番組の「クラブキング」を手がけた。また、桑原は1990年代半ばに「ブルーフィルム」というユニットも組んでいる。1999年9月24日に放送された「同窓会」(テレビ東京)という番組の中で3人が十数年ぶりに再会する。
2000年桑原、伊武、松尾貴史やYOUなどによる、ゲームの企画アルバム「シーマンと20世紀のポテチン」を発売。
その後は、桑原が「コメディクラブキング」などを結成するくらいの活動しかしていなかったが、2001年・2002年のナイターシーズンに、「e-NITE」(TBSラジオ)で、ラジオ番組としてのスネークマンショーを復活させた(2002年のナイターシーズンでは「S21 スネークマンショー21」と銘打って放送している。)。
前述のとおりYMOブーム、またそれ以前から桑原と交流のあったミュージシャン、さらにニューウェーブバンドとの関係から、後のラジオ番組・お笑い・ミュージシャンにも多くの影響を残した。
ニッポン放送のベテランアナウンサーであるうえやなぎまさひこは、大学時代に聞いていたオリジナル・スネークマンショーから多く影響を受け、のちに担当した「HITACHI FAN! FUN! TODAY」ではスネークマンをもじって「ウナギマン・ショー」と銘打ったコントを演じていた。現在でもラジオでプチコントをやる場合は小林のようなしゃべり方で話すことがある。
また、深夜ラジオ界の帝王である伊集院光もスネークマンショーに影響を受けた人物であり、彼の担当するラジオ番組では精巧に作りこまれたコントや言葉遊びをよく耳にする。
また、フジテレビの番組「オレたちひょうきん族」は「~海賊版」のスネークマンイントロデュースをそっくりそのままパロディし、テーマソングにウィリアムテル行進曲を使うなどした(ちなみに初期オープニングナレーションは伊武が担当していた)。第1回目のナレーションの冒頭は「たけのこ族よりもナウく、クリスタル族なんて目にしないオレたちひょうきん族」と、ちょっとだけ内容も類似している。(ちなみに、桑原はひょうきん族に対して「イジメから生まれる笑いは賛成できないため、いいものだとは思わない」と発言している)
アルファレコードは1988年に「スネークマン・ショー」と「戦争反対!」を2枚組で初CD化。その2年後の1990年に「ピテカントロプスの逆襲」と「海賊版」をそれぞれ単独で初CD化。「ピテカントロプス」と「海賊版」はどちらもカセット版と同内容のものだった。だがこれによって「海賊版」LP版のみに収録されていた差し替え分のコントは、長らく聴けない状態となってしまった。
アルファのスネークマンショーは幾度か再発売されたが後に廃盤となり、長い間CDショップからは姿を消していたが、2003年にソニーミュージックから初期オリジナルアルバム4枚がリマスター版として一挙に発売。「海賊版」はカセット版の内容に加え、LPのみに入っていた差し替え分のギャグもボーナストラックとして収録され、これでやっと「海賊版」用の全ての音源がCDで聴けるようになった。
2006年現在はソニーミュージックのリマスター盤4タイトルとユニバーサルの「アンソロジー」のみがCDショップで流通しており、それ以外は全て廃盤である。
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