吉野拾遺 - いにしえwiki
群書類従『雑部』に収録されている。吉野拾遺一、主上吉野の宮にて御歌の事二、天女の歌の事三、稻荷明神臨幸の道を照し給ふ事四、吉水法師歌の事五、勾當内侍歌の事六、内侍妹の方に返歌の事七、御歌の徳にて雨はれし事八、宗房卿秀句の事九、高師直辨内侍を奪び取る事一〇、伊賀局化物に遇ふ事一一、
群書類従『雑部』に収録されている。吉野拾遺一、主上吉野の宮にて御歌の事二、天女の歌の事三、稻荷明神臨幸の道を照し給ふ事四、吉水法師歌の事五、勾當内侍歌の事六、内侍妹の方に返歌の事七、御歌の徳にて雨はれし事八、宗房卿秀句の事九、高師直辨内侍を奪び取る事一〇、伊賀局化物に遇ふ事一一、
6日*36)廿八日(ユリウス暦1208年1月17日*37)院宣を下して、東大寺延暦寺戒壇勝劣の争を停む。*38院宣を以て、熊野三山検校、及び臨幸先達を永く円城寺に付せしむ。*39廿九日(ユリウス暦1208年1月18日*40)院御所御作文。*41不明是月、幕府、若狭国富荘地頭の新儀
の肴/220p〔毛利敬親〕内伝献(尊皇)/202p〔山内容堂〕方今の天子様は何も彼も御政事被遊御大事々々々/203p〔木戸孝允〕皇上、其邸に臨幸せらる/206p〔木戸孝允〕と西郷隆盛(十二年前の知友)/208p〔西郷隆盛〕命だけは御助け下さる様子/209p〔西郷隆盛〕流されしは前
うき 寛元 後嵯峨天皇 043 賀茂御祖皇大神宮御幸記 かもみおやこうたいじんぐうごこうき 建長 後嵯峨院 043 石清水臨幸記 いわしみずりんこうき 文応 深草院 043 両院石清水宮御参籠記 りょういんいわしみずぐうごさんろうき 弘長 後嵯峨
承元御鞠記記者未考承元二年四月十三日壬子。天晴。時屬淸和。世樂靜謐。太上天皇〔後鳥羽〕機務の餘閑に前大相國〔賴實〕郁芳里第に臨幸し給ひて蹴鞠の宴あり。盖是上皇神聰稟天。衆藝軼人たまひて。蹴鞠さらに妙をあらそふものなし。是によりて去七日。當世究功の人拜感の至にたへず。我道をしてその
月17日*36)廿七日(ユリウス暦1207年11月18日*37)廿八日(ユリウス暦1207年11月19日*38)上皇、園城寺長吏実慶の住房に臨幸し、特に同寺所司に赤袈裟を著用することを許し給ふ。尋で、延暦寺の訴に因りて之を停む。*39廿九日(ユリウス暦1207年11月20日*40
言,不堪怨恨辭職事168.御堂關白道長遊覽大堰川時詩歌二船事并公任乘和歌船事169.白河院行幸大堰川時,帥民部卿經信乘三船事170.後三條院臨幸住吉社時經信卿秀歌事171.能因法師詠歌祈雨事并白河關歌事172.待賢門院女房加賀伏柴詠秀歌事173.某女參籠石清水詠歌崇神德事174.