太田窪の小字 - 埼玉県の小字
太田窪村→谷田村大字太田窪→浦和町大字太田窪→浦和市大字太田窪→(一部)さいたま市大字太田窪→さいたま市南区大字太田窪現在の地名:さいたま市緑区太田窪、原山、南区太田窪、大字太田窪小太田(こだいた):1967年に原山二・三丁目にな
太田窪村→谷田村大字太田窪→浦和町大字太田窪→浦和市大字太田窪→(一部)さいたま市大字太田窪→さいたま市南区大字太田窪現在の地名:さいたま市緑区太田窪、原山、南区太田窪、大字太田窪小太田(こだいた):1967年に原山二・三丁目にな
大字上野田にバス停「野田宝永」がある。中木崎:上木崎と下木崎の間にあることからの命名か。上木崎七丁目にバス停「中木崎」がある。二十三夜:大字太田窪にある二十三夜供養塔に由来する地名。大字太田窪に交差点「二十三夜」、バス停「二十三夜」がある。太田窪二十三夜自治会がある。 大島台:
字大谷口、緑区大字大谷口現在の地名:さいたま市緑区原山、大字大谷口、南区大字大谷口坊ノ在家(ぼうのざいけ):1967年に原山一・三・四丁目、太田窪三丁目になった。当地に大きな寺があり、坊さんと在家人(農民)が住んでいたことが由来。大字大谷口にバス停「坊の在家」、原山四丁目に坊ノ在
図凡例+ 旧浦和市- 旧浦和市浦和の小字針ヶ谷の小字本太の小字駒場の小字(木崎領)領家の小字上木崎の小字下木崎の小字瀬ヶ崎の小字大谷場の小字太田窪の小字原山新田の小字大谷口の小字広ヶ谷戸の小字円正寺の小字三室の小字道祖土の小字上山口新田の小字大牧の小字大間木の小字井沼方の小字中尾
うしろしんでん、あとしんでん):現存。飛地組替により一部が柳崎村に編入した。後谷(後谷町)(うしろや):北西に点在する飛地。1991年に大字太田窪字善前南、大字大谷口字明花、字明花南に編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500
原山新田→浦和町大字原山新田→浦和市大字原山新田現在の地名:さいたま市緑区原山西原(にしはら):1967年に原山一丁目、太田窪一丁目になった。原山西原遺跡がある。東原(ひがしはら):1967年に原山二丁目になった。原山東原遺跡がある。北原(きたはら):1967
西二丁目になった。大字芝に上谷沼調節池、上谷沼運動広場、上谷沼-2広場がある。 善前:明治14年の字届出書には記載がない。飛地組替により太田窪村に編入した。名称は編入先からの推測による。風間(かざま):大字柳崎字風間に隣接する飛び地。明治14年の字届出書には記載がない。191
- 旧浦和市浦和針ヶ谷 本太 駒場 領家 上木崎 下木崎 瀬ヶ崎大谷場 太田窪 原山新田 大谷口 広ヶ谷戸 円正寺大牧 大間木 井沼方 中尾 蓮見新田 下山口新田三室 道祖土別所 根岸 白幡 文蔵 辻 沼影鹿手袋 関 西堀 山久保 中島 南元宿 町谷 田島 栄和 道場 新開上大久
丁目になった。大谷場上町自治会がある。大谷場上町遺跡がある。下町(しもちょう):1964、1967年に大谷場一・二丁目、南浦和二・三丁目、太田窪四・五丁目になった。大谷場下町自治会がある。大谷場下町遺跡がある。中町(なかちょう):1964年に南浦和一~三丁目になった。JR武蔵野