新百人一首(足利義尚撰) - いにしえwiki
ら みわたせば しほひのかたに たづなきわたる (聖武天皇)003.玉くしげ みむろどやまの さねかづら さねずはつひに ありとみましや (大織冠)004.山しろの いは田のをのゝ はゝそ原 みつつやきみが 山路こゆらむ (式部卿宇合)005.谷風に とくるこほりの ひまごとに
ら みわたせば しほひのかたに たづなきわたる (聖武天皇)003.玉くしげ みむろどやまの さねかづら さねずはつひに ありとみましや (大織冠)004.山しろの いは田のをのゝ はゝそ原 みつつやきみが 山路こゆらむ (式部卿宇合)005.谷風に とくるこほりの ひまごとに
A. 一言でまとめると、「大織冠は、647年から685年まで日本で用いられた冠位であり、またその標章である冠を指す」となります。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%B9%94%E5%86%A0
侍とぞ。年老て物見人も申侍し。昔黃帝鞠を造て武を鍊せしむ。さればを四夷を平げ一天をおさむる器なりといへり。我國には天智〔三十九代〕のすベらぎ大織冠に魚と水との約をなし。君と臣との躰をあはせしも。此道のなかだてなるとかや。延喜〔醍醐〕天曆〔村上〕のかしこき御代には。京中蹴鞠のものを
9 寒川入道筆記雑部 960 月刈藻集雑部 962 鹿島問答(破邪顕正義)雑部 963 旅宿問答雑部 964 後鳥羽院御霊託記雑部 964 大織冠像破裂集(先代破裂集)雑部 965 後宮略伝雑部 966 公宴部類記雑部 967 初任大臣大饗雑例雑部 967 任大臣大饗部類雑部 9
く成ぬるこそふしぎにおぼえ侍れ。難波の跡もなきがごとくに成ぬれば。雅經卿の一流のみいやましにさかえ侍る。いと有がたき事にこそ。又攝錄の家にも大織冠の御事は中々申に及ばす。後二條殿〔師道〕知足院殿〔忠實〕などすぐれたる上足にてまし/\ける。そのすゑ/"\には。岡屋殿〔兼經〕普光園殿
A. 11月13日(天智天皇8年10月15日) - 中臣鎌足に大織冠と大臣の位を授け、藤原の姓を与える。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/669%E5%B9%B4
各話タイトル第一 大織冠、始めて賜藤原姓語(ふぢはらのしやうをたまはれること)第二 淡海公を継げる四の家の語第三 房前の大臣、始北家語(ほくけをはじめたること)第四 内麿の大臣、乗悪馬語(あしきうまにのりたること)第五 閑院の冬嗣の右大臣并に子息の語第六 堀河の大政大臣基経の語第