「修理大夫」を含むwiki一覧 - 1ページ

新百人一首(足利義尚撰) - いにしえwiki

ぬよひを いとふかな 忍のさとの 秋の夜の月 (橘爲仲朝臣)045.しぐれつゝ かつちる山の もみぢ葉を いかにふくよの あらしなるらむ (修理大夫顯季)046.にはのおもは 月もらぬまで なりにけり こずゑになつの かげしげりつゝ (白河院)047.かもめゐる 藤江の浦の おき

新撰武家百人一首 - いにしえwiki

散る 音さへそひて 神無月 雲吹く風ぞ 四方に時雨るる (侍従菅原賢長朝臣)096.いづみ川 川風寒し 里人の いまぞ打つなる 衣かせ山 (修理大夫源吉武朝臣)097.風寒み 春とも知らぬ 閨の戸に 明くる日影ぞ 今朝は長閑けき (豊前守丹治直重朝臣)098.憂き人も なびくと見

続英雄百人一首 - いにしえwiki

かはらぬに 写れる影の などかはるらん (上杉安房守憲実)031.さらぬだに ほさぬ袖師の 浦千鳥 いかにせよとて 寝覚めとふらむ (大内修理大夫持世)032.藻塩草 かくとは誰か しら露の 消えしにつけて ぬるる袖かな (細川勝元)033.咲きにほふ 花たちばなも 君ならで

斯波勝義 - 日本通信百科事典

、斯波氏(奥州源氏)流尾張武衛氏(尾張源氏)一門の武将。官職は土佐守・修理亮。武衛勝義とも呼ばれる。越前国守護の斯波高経[1]の曾孫の義勝(修理大夫/武衛義勝)[2]の末裔で、久義(孫左衛門)の子[3]、柴田勝家室[4]の父。概要[]仔細は定かではないが、戦国時代に尾張国愛知郡上

群書類従(和歌部) - いにしえwiki

しゅすけちかきょうしゅう 大中臣輔親 244 大蔵卿行宗卿集 おおくらきょうゆきむねきょうしゅう 源行宗 245 六条修理大夫集 ろくじょうしゅりだいぶしゅう 藤原顕季 245 左京大夫顕輔卿集 さきょうのだいぶあきすけきょうしゅう 藤原

古今著聞集(巻第十六) - いにしえwiki

39;覽大臣賴長事512.中納言家成與黑馬于下野武正事并所領沙汰者馬眠事513.下野武士正領治山崎事并負競馬而供酒餚事514.修理大夫行通昇任大藏卿時或人返歌事515.或房上官于馬六葦毛承騎而落馬事516.二條中納言實綱家侍于風雨之夜試膽事517.秦兼國供奉松殿攝&

一般家集の一覧 - いにしえwiki

下野集経信卿母集桂大納言歌集(源経信)田上集(源経信)津守国基集讃岐入道集(藤原顕綱)在良朝臣集(菅原在良)権中納言俊忠卿集(藤原俊忠)六条修理大夫集(藤原顕季)散木奇歌(源俊頼)散木集註(顕昭)散木奇歌集標註(村上忠順)散木集類字抄(村田了阿)散木奇歌集異本行尊大僧正集前斎院摂

古今著聞集(巻第十二) - いにしえwiki

年列見朝所盃酌後圍碁事423.花山院依右大臣忠經侍妻墾志,于七半勝後出家事424.後鳥羽院御時伊豫國博弈者天筑冠者之事425.修理大夫時房前勝負雙六事426.法深房與刑部房付圍碁勝負而爭論事偷盜第十九427.盜賊者當受刑獄之法事428.琵琶名物元興寺事

禁門の変 - なんでもある Wiki

不廢替様盡力仕候。武門當然何分難黙止奉存に付、三藩在京之重役共一同申談奉歎願候事。 (元治元年)七月十七日               松平修理大夫内                   吉井幸輔(友實)               松平土佐守内                 

歌書(歌合) - いにしえwiki

臣家歌合無名和歌合師時卿家歌合山家五番歌合六条宰相家歌合或所歌合雲居寺結縁経後宴歌合実行卿家歌合内大臣忠通家歌合内大臣殿歌合関白内大臣家歌合修理大夫家歌合無動寺歌合摂政左大臣家歌合永縁奈良坊歌合西宮歌合南宮歌合住吉歌合奈良花林院歌合中宮亮顕輔朝臣家歌合家成朝臣家歌合或所歌合右衛門

足利義勝 - 日本通信百科事典

の子、東獄(僧侶)の兄、義照・義久の父。正室は遠縁筋の真里谷氏(上総源氏)の当主の真里谷信政の娘。斯波義勝 : 武衛義勝とも呼ばれる。官職は修理大夫。斯波氏(奥州源氏)の当主の斯波高経[3]の曾孫、武衛義将、あるいはその弟の大野義種の孫、久義(孫左衛門)[4]・勝義父子の祖といわ

武田信勝 - 日本通信百科事典

とともに自決して果てた。武田信勝 (安芸武田氏) : 安土桃山時代から江戸時代前期にかけての医師。安芸武田氏(安芸源氏)の一門で、武田信治(修理大夫)と杉原春良の娘との間の子、道安(信重)[2]の弟。兄同様に高名な医師で、後水尾天皇などを診察している。脚注[]↑信高の父。↑ 信良

武田信重 - 日本通信百科事典

代目の当主となる。武田道安 : 諱は信重、号は猟徳院。安土桃山時代から江戸時代前期にかけての医師。安芸武田氏(安芸源氏)の一門で、武田信治(修理大夫)と杉原春良の娘との間の子、信勝の兄、信良(のぶなが)・信成の父。彼が生まれたときはすでに本家の安芸武田氏が大内氏と毛利氏に滅ぼされ

承元元年八月 - いにしえwiki

(ユリウス暦1207年9月14日*39)平野社仮殿遷宮。*40五辻殿に御方違行幸あらせらる。*41宜秋門院、封戸を辞し給ふ。*42上皇、参議修理大夫藤原仲経の女を召し給ふ。*43廿二日(ユリウス暦1207年9月15日*44)廿三日(ユリウス暦1207年9月16日*45)廿四日(ユ

承元御鞠記 - いにしえwiki

ちの座に候す。此間公卿着座。正二位行陸奧出羽按察使藤原朝臣泰通卿。正二位行權大納言藤原朝臣公經卿。正二位行中納言藤原朝臣定輔卿。參議正三位行修理大夫藤原朝臣仲經卿等也。着座の公卿かねて人數を定らるといへども。期に臨て或はつかず。或は推參す。此外前皇后宮大夫實敎卿。左兵衞督敎長卿。

古今著聞集(巻第五) - いにしえwiki

歌於大納言實國事207.中納言實國贈和歌於三位中將實定事208.左衛門督實國家和歌事209.大納言實國感少將隆房車之風流,贈歌其父事210.修理大夫經盛贈和歌於大納言實國事211.仁和寺佐法印贈歌於著山吹童子事212.西行法師濯御裳歌合并宮歌合事213.解脫上人詠歌

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