「TKO」を含むwiki一覧 - 13ページ

稲垣克臣 - Bout Wiki

「The Road to bankrupt or yoyogi 第10戦 ~ターニングポイント~」2001年11月21日×高橋義生1:38 TKO(レフェリーストップ:肩固め)パンクラス PANCRASE 2001 PROOF TOUR2001年8月25日○松永裕央10分終了 判

吉本光志 - Bout Wiki

握るも、膝蹴りが下腹部に入り、長谷川がドクターストップとなり反則負け。しかし、両者の強い希望により5月30日に再戦が行なわれ、左ストレートでTKO勝ちを収め、決勝進出を決めた。7月27日に決勝で宮城友一と対戦予定であったが、宮城が引退したため不戦勝となり優勝を決めた。表彰式では前

船木誠勝 - Bout Wiki

ロレスラー)のマスクを被って姿を現した[9]。2008年4月29日、DREAM.2のミドル級トーナメント1回戦で田村潔司と対戦し、パウンドでTKO負けを喫した。2008年9月23日、DREAM.6でかつての弟子ミノワマンと対戦し、踵固めで一本勝ち。現役復帰後、初勝利となった。試合

北山高与志 - Bout Wiki

定勝ち。J-NETWORKウェルター級王者となった[1]。2008年4月11日、J-NETWORKウェルター級タイトルマッチで渡辺雅和に3RTKO勝ちで同王座を防衛[2]。2009年2月15日、WMAF世界ウェルター級タイトルマッチで王者水町浩に挑戦。判定勝ちでWMAF世界ウェル

卜部功也 - Bout Wiki

ちを収めた。2008年10月1日、K-1 WORLD MAX 2008 FINALのK-1甲子園準々決勝で坪井悠介と対戦し、タオル投入によるTKO勝ちを収めた。2008年12月31日、Dynamite!! ~勇気のチカラ2008~のK-1甲子園準決勝で日下部竜也にドクターストップ

遠藤大翼 - Bout Wiki

007年5月13日、モーターイベントMULTIPLEX 2007内で開催されたDEMOLITIONでプロデビュー。渡辺学と対戦し、パウンドでTKO勝ち[1]。2007年12月1日、CAGE FORCE初参戦となったCAGE FORCE 05のプレリミナリー・ファイトで桑原宏幸と対

大澤茂樹 - Bout Wiki

ち。8月2日、「戦極 ~第九陣~」でオープニングファイトとして行なわれた決勝では原井徹と対戦し、右ストレートでダウンを奪うとパウンドで追撃しTKO勝ちを収め、優勝を果たした。9月23日の「戦極 ~第十陣~」のオープニングファイトで行なわれた「戦極G!杯 日韓対抗戦」に出場し、キム

高瀬大樹 - Bout Wiki

、体重310kgのエマニュエル・ヤーブローを殴り続け、ギブアップによる勝利を挙げた。1999年7月16日、UFC 21でジェレミー・ホーンにTKO負け。この試合は川口健次の欠場に伴う出場となった。浮上のきっかけは、2002年にDSEが主催していたPRIDEへの登竜門的大会「THE

安永有希 - Bout Wiki

ンタム級に落とした[5]。2010年4月24日、修斗・2010年度新人王決定トーナメント・バンタム級1回戦で猿飛流と対戦し、タオル投入によるTKO勝ちを収めプロ5戦目での初勝利。7月4日、2回戦で西後祐樹と対戦し、3-0(20-17、20-18、20-16)の判定勝ち。10月16

毛利昭彦 - Bout Wiki

CT」で岸本泰昭と対戦し、0-3の判定負けを喫した。2010年4月25日、「吉田秀彦引退興行 ~ASTRA~」で長倉立尚と対戦し、パウンドでTKO勝ちを収めた。戦績[]総合格闘技 戦績18 試合(T)KO一本判定その他引き分け無効試合9 勝3141107 敗2140勝敗対戦相手試

永田克彦 - Bout Wiki

6年12月31日、2年連続参戦となった「K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!」で勝村周一朗と対戦し、グラウンドパンチによるTKO勝ちを収めた。2007年6月2日、「Dynamite!! USA」でイザイア・ヒルと対戦し、2-1の判定勝ち。7月16日、HERO'S

木村天鮮 - Bout Wiki

2の判定負けで王座獲得ならず[1]。2008年10月3日、J-NETWORKスーパーフェザー級王座決定トーナメント準決勝で赤羽秀一と対戦し、TKO勝ちで決勝進出を決めた[2]。この試合からリングネームを木村 天鮮に改めた[3]。2009年5月6日、J-NETWORKで全日本ライト

江幡塁 - Bout Wiki

を収めた[5]。その後、5月のランキングで正規王者となった。2011年7月24日、王座初防衛戦で古岡大八と対戦し、左肘打ちで眉間をカットさせTKO勝ちを収め王座防衛に成功した[6]。戦績[]プロキックボクシング[]キックボクシング 戦績17試合(T)KO判定その他引き分け無効試合

星野大介 - Bout Wiki

による一本負け。総合格闘技初黒星となった。2009年1月18日、初参戦となったJ-NETWORKでGO!と対戦し、跳び膝蹴りで額をカットさせTKO勝ちを収めた[5]。2009年6月6日、初参戦となった修斗で太田洋平と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[6]。2009年10月24日、

武井勇輝 - Bout Wiki

戦となった「THE OUTSIDER 第弐戦」で“博多爆裂 ひとり喧嘩祭”アパッチ小次郎と対戦し、右アッパー、右フックで2度のダウンを奪われTKO負けとなった[1]。2008年12月20日、「THE OUTSIDER 第4戦」で“本場 広島からの刺客”翔貴と対戦し、2-0の判定勝

日下部竜也 - Bout Wiki

トップ負けを喫した。2009年8月10日、K-1甲子園 ~FINAL 16の62kg級トーナメント1回戦で佐々木涼助と対戦し、右ストレートでTKO勝ちを収めた。2009年10月26日、K-1 WORLD MAX 2009 FINALで行なわれた準々決勝でHIROYAと対戦し、1-

須藤元気 - Bout Wiki

、『幸福論』で作家デビュー。2005年12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!にて、山本"KID"徳郁と対戦し、TKO負けを喫した。2006年9月4日、K-1 WORLD MAX 2006 ~世界王者対抗戦~でイアン・シャファーに右上段後ろ回し蹴りでダ

西島洋介 - Bout Wiki

日本人として初めてWBF世界クルーザー級王座を獲得した。その後、米国カリフォルニア州のクルーザー級タイトル挑戦にまで上り詰めたが、結果は2回TKO負け。日本ではライトヘビー級・クルーザー級・ヘビー級は競技人口がほとんどいない中、長きに渡り日本クルーザー級のパイオニアとして活躍して

青木真也 - Bout Wiki

ちし優勝を果たした。2005年11月6日、1年前に柔術マッチで対戦した弘中と修斗で再戦し、三角絞めで固めた上での鉄槌で左眉付近をカットさせ、TKO勝ちを収めた。2005年11月20日、「カンペオナート・ジャポネーズ・ジュウジュツ・アベルト」のアダルト黒帯アブソルート級1回戦で、階

富平辰文 - Bout Wiki

ヒロミ3R終了 判定0-2HEAT 17【HEATキックルール ヘビー級タイトルマッチ】2011年3月13日×プリンス・アリ3R 1:19 TKO(レフェリーストップ)HEAT 162010年11月6日○ムーン・ボーラム3R+延長R終了 判定3-0HEAT 132010年3月14

麻原将平 - Bout Wiki

1]。2008年4月27日、RISING ROOKIES CUP 60kg級でプロデビュー。仲江川裕人と対戦し、2RにドクターストップによるTKO勝ちを収めた。2008年9月28日、「R.I.S.E. 50」で高平大需と対戦し、3RにTKO勝ちを収めた。2008年11月30日、「

浅野篤司 - Bout Wiki

し、リングネームも本名に戻した。2007年5月26日、修斗 BATTLE MIX TOKYO 03でKODOと対戦し、ドクターストップによりTKO負け。2008年7月7日付けで兄・倫久とともに引退した。戦績[]プロ総合格闘技[]総合格闘技 戦績6 試合(T)KO一本判定その他引き

新美吉太郎 - Bout Wiki

ィン・ホルダスと対戦し、0-3の判定負けを喫した[12]。2009年9月20日、修斗のメインイベントで佐藤洋一郎と対戦し、右ストレートによるTKO負けを喫した[13]。2010年3月14日、HEAT 13で行なわれたHEAT総合ルール ウェルター級暫定王座決定戦でクォン・アソルと

山田学 - Bout Wiki

クラス PANCRASE TOUR 1996 TRUTH【ランキングトーナメント 3位決定戦】1996年4月7日×ガイ・メッツァー6:14 TKO(ドクターストップ:右肩鎖関節脱臼)パンクラス PANCRASE TOUR 1996 TRUTH【ランキングトーナメント 準決勝】19

坂田亘 - Bout Wiki

VOLUTIONを結成。DEEP、UFO LEGEND、U-STYLE、PRIDEへ参戦した。DEEP初参戦時にはパンクラス所属の窪田幸生をTKOで下し、リングス・パンクラス間のトラブルを招いた鈴木みのるを挑発。この時期にはマリオ・スペーヒー、ダニエル・グレイシーなどとの対戦経験

徹肌ィ郎 - Bout Wiki

CAGE FORCE 07」のバンタム級王者決定トーナメント1回戦で戸井田カツヤとの和術慧舟會同門対決となったが、開始16秒、パウンドによるTKO勝ち。入場時には、ゲゲゲの鬼太郎の目玉親父(セコンドは鬼太郎、ねずみ男、からかさおばけ)のコスプレで登場した[6]。2008年9月27

赤木敏倫 - Bout Wiki

修斗のメインイベントで生駒純司と対戦し、1-2の判定負けを喫した[7]。2007年6月2日、修斗で菅原雅顕と対戦し、スタンドパンチ連打によるTKO負けを喫した[8]。2007年10月20日、修斗で神酒龍一と改めて対戦し、0-3の判定負けを喫した[9]。2009年4月19日、1年半

ロボットバトル(日本テレビ) - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

たとか…笑いを取ることに特化したマルミネーターだが自動追尾の狐火には隙でしかなく情け容赦のない攻撃をもらい敢え無く敗退。狐火 1○ - 0●TKO マルミネーターBブロック第二試合 ReASS VS GANTON-52沼津工業高等専門学校・青木研究室チーム ReASS(リア

裕樹 - Bout Wiki

級)王座初代RISEライト級王座来歴[]2005年7月31日、R.I.S.E. XVIIで尾崎圭司と対戦し、左腕の骨折によりタオルが投入されTKO負け。長期欠場を余儀なくされた[1]。2006年9月24日、R.I.S.E. MIGHTY EIGHTY TOURNAMENT '06

山本篤 - Bout Wiki

JAPAN GP -2011バンタム級日本トーナメント-で開幕したバンタム級日本トーナメントに出場。1回戦で中村優作と対戦し、パウンドによるTKO勝ち。準決勝では所英男と対戦し、1-2の判定負けを喫した[1][2]。2011年7月16日、DREAM JAPAN GP FINAL

志田幹 - Bout Wiki

、D.O.Gでは門脇英基とドロー。2006年6月6日、パンクラス初代フェザー級王者決定トーナメント1回戦で前田吉朗を下したDJ.taikiにTKO負け。2006年12月10日、パンクラスで藤原大地に試合中の負傷によるTKO勝ち。2007年2月16日、DEEP初参戦となったDEEP

新田明臣 - Bout Wiki

ムエタイ世界スーパーウェルター級王座決定戦で、ステファノ・ストラディーラ(イタリア)を左ミドルキックの連打で戦意喪失に追い込み、3R2:50TKO勝ちで新王者になった。2000年11月1日、K-1初参戦となったK-1 J・MAXでラモン・デッカーと対戦。5R判定1-0で引き分けに

扇久保博正 - Bout Wiki

008年3月31日付けでクラスAに昇格した(修斗戦績:5戦4勝1分)[2]。2008年7月18日、修斗で田中ヒロユキと対戦し、パウンドによるTKO勝ち。11月29日の修斗では田澤聡と対戦し、0-1の判定ドローとなった。2009年3月20日、修斗で徹肌ィ郎と対戦し、3-0の判定勝ち

郷野聡寛 - Bout Wiki

レイ・グレイシー2R(10分/5分)終了 判定3-0PRIDE 武士道 -其の七-2005年5月22日○ティム・マッケンジー2R 2:53 TKO(右フック)パンクラス PANCRASE 2004 BRAVE TOUR2004年11月7日○栗原強1R 2:15 KO(右フック)パ

大石幸史 - Bout Wiki

クラス PANCRASE 2007 RISING TOUR【ウェルター級王座次期挑戦者決定戦】2007年5月30日○野沢洋之1R 4:53 TKO(右フック)パンクラス PANCRASE 2006 BLOW TOUR 第2回ism主催興行2006年12月10日○キム・インソク1R

大月晴明 - Bout Wiki

・オームノーイスタジアムでチョンレック・ゲオサムリットと対戦。2Rに肘打ちでダウンし、4Rには膝蹴りで2度ダウン後、レフェリーストップで4RTKO負け。プロ初黒星となった。大会後、「タイで自分の強さを知りたい。ボコボコにされて限界を感じたら教える側に回る」と話した。2008年7月

大渡博之 - Bout Wiki

7日、K-1デビューとなるK-1 WORLD MAX 2008 FINAL8でMASAKIと対戦。首相撲からの左膝蹴りで右目尻をカットさせ、TKO勝ちを収めた。MASAKIは試合後10針縫った。2009年2月23日、K-1 WORLD MAX 2009で我龍真吾と再戦し、判定負け

松本芳道 - Bout Wiki

10年7月5日、K-1 WORLD MAX 2010 ~-63kg Japan Tournament FINAL~では、準々決勝で上松大輔にTKO勝ちを収めるも、準決勝で久保優太に左ハイキックでKO負けを喫した[5][6]。2010年9月11日、5か月ぶりの凱旋出場となった新日本

PC一覧 コサメ - mgrpgbdcampのうぃき

   プレイヤー名 ナリタ PCアバター名 コサメ PC名(匿名可) オオアシ コサメ クラス スーパー ストライカー コンダク

ファイヤー原田 - Bout Wiki

1:15 KO(3ノックダウン:右フック)全日本キックボクシング連盟「Krush.3」2009年5月17日×岩切博史3R+延長R 0:45 TKO(ドクターストップ:口内カット)全日本キックボクシング連盟「Krush.2」2009年3月14日○塚原光斗3R終了 判定2-0J-NE

アンドレ・ペデネイラス - Bout Wiki

注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]1998年10月25日、VALE TUDE JAPAN '98で佐藤ルミナと対戦し、パウンドでTKO勝ちを収めた。1999年7月16日、UFC 21で王者パット・ミレティッチとUFC世界ライト級タイトルマッチを行なうも、カットによりT

ユノラフ・エイネモ - Bout Wiki

月11日、4年7か月ぶりに総合格闘技に復帰。35歳6か月でのUFC初参戦となった「UFC 131」でデイブ・ハーマンと対戦し、パウンドによるTKO負け。敗れたもののファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[2]。当初はシェイン・カーウィンと対戦予定であったが、ジュニオール・ドス・サン

ソルデティグレ・ヨースケ - Bout Wiki

nt~に出場予定であったが、右尺骨骨折により欠場となった[4]。2009年7月24日、Krushライト級グランプリに出場。1回戦で梶原龍児にTKO負け[5]。2010年4月29日、Krush.6で野杁正明と対戦し、右跳び膝蹴りでKO負けを喫した[6]。2010年5月17日、自身の

アンドレ・ウィナー - Bout Wiki

Ultimate Fighterのシーズン9にライト級選手として参加。チーム・イギリス入りを賭けた1回戦ではガリー・ケリーに1RにパウンドでTKO勝ち[2]。2回戦ではサンティーノ・デフランコに1RにパウンドでTKO勝ち[3]。準決勝ではキャメロン・ダラーに1Rに三角絞めで一本勝

ソン・オンシク - Bout Wiki

GP in 幕張で矢野卓見と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2006年8月26日、MARS 04 New Dealで熊谷真尚と対戦し、2RTKO勝ちを収めた。2006年10月4日、MARS bodogFIGHT 01でマテウス・ラーデスマキと対戦し、1R3分38秒チョークスリー

ウエンツ☆修一 - Bout Wiki

次期挑戦者決定トーナメント準決勝で魂叶獅に3-0の判定勝ち[7]。6月1日の決勝では割澤誠と対戦し、割澤が右脛を負傷しドクターストップとなりTKO勝ちで王者・KENTへの挑戦権を獲得した[8]。2008年10月3日、王者・KENTが防衛戦を行なうことができなくなっためにJ-NET

マーシオ・クルーズ - Bout Wiki

06年4月15日、UFC 59でジェフ・モンソンと対戦し、判定負け。続いて参戦した12月30日のUFC 66ではアンドレイ・アルロフスキーにTKOで敗れ、UFCからリリースされた。2006年5月26日、グラップリング大会LA SUB Xでジェフ・モンソンと再戦し、引き分け。200

アンドリュース・ナカハラ - Bout Wiki

ックで一本負け[4]。9月23日、DREAM.6のミドル級GPリザーブマッチでユン・ドンシクと対戦し、パンチでダウンを奪いパウンドで追撃し、TKO勝ちを収めた[5]。2009年4月5日、DREAM.8で大山峻護と対戦し、右フックでダウンを奪いパウンドで追撃しTKO勝ちを収めた[6

イ・テヒョン - Bout Wiki

参戦となった『PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦』のワンマッチでヒカルド・モラエスと対戦し、左目周辺から出血しタオル投入によるTKO負けを喫した[2]。2007年10月28日、HERO'S初参戦となったHERO'S KOREA 2007で山本宜久と対戦し、ミドルキッ

リック・ストーリー - Bout Wiki

「UFC 112」でニック・オシプチャックに[8]それぞれ判定勝ちを収めた。その後8月7日の「UFC 117」ではダスティン・ヘイズレットにTKO勝ちを収め、UFCでの連勝を4に伸ばした[9]。2010年12月4日、「The Ultimate Fighter: Team GSP