「K-1 WORLD MAX」を含むwiki一覧 - 1ページ

魔裟斗 - Bout Wiki

ルバーウルフ魔裟斗(まさと、1979年3月10日 - )は、日本のキックボクサー。千葉県柏市出身。妻は矢沢心。シルバーウルフ所属。日本人初のK-1 WORLD MAX世界王者。2009年12月31日をもって現役を引退した。目次1 獲得タイトル2 人物3 来歴4 戦績4.1 キック

小比類巻太信 - Bout Wiki

3 来歴4 戦績5 出演作品5.1 テレビ6 脚注7 関連項目8 外部リンク9 Wikipedia人物[]愛称は「コヒ」で、キャッチコピー(K-1 WORLD MAX出場をきっかけにTBSがつけた)は 「ミスターストイック」。ストイック・ファイターとして紹介されるが、本人は「ミス

佐藤嘉洋 - Bout Wiki

o。目次1 獲得タイトル2 人物3 来歴3.1 K-1参戦後4 戦績5 脚注6 関連項目7 外部リンク8 Wikipedia獲得タイトル[]K-1 WORLD MAX 2006、2007 日本代表決定トーナメント 優勝WKA世界ムエタイウェルター級王座(防衛1回)WPKC世界ムエ

HIROYA - Bout Wiki

デューサーにそのことを報告、同プロデューサーがそのことをHIROYA本人に伝え、K-1参戦が決定した。2007年2月5日、アマチュアルールでK-1 WORLD MAX 2007 ~日本代表決定トーナメント~のワンマッチに15歳で参戦。20歳の高橋明宏を3Rにローキックでタオル投入

山本優弥 - Bout Wiki

グファイトを3試合経験。2006年1月、「BOOCH BEAT」から「青春塾」に移籍[3]。2006年2月4日、K-1本戦デビューとなった「K-1 WORLD MAX 2006 ~日本代表決定トーナメント~」では1回戦でTATSUJIと対戦するも、試合中に右肩を脱臼。しばらく戦い

城戸康裕 - Bout Wiki

チ6 脚注7 関連項目8 外部リンク9 Wikipedia獲得タイトル[]プロ第8代マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟日本ミドル級王座K-1 WORLD MAX 2008 日本代表決定トーナメント 日本王者アマチュア全日本学生キックボクシング連盟ウェルター級王座(2001年

長島☆自演乙☆雄一郎 - Bout Wiki

ikipedia獲得タイトル[]プロ[]ニュージャパンキックボクシング連盟初代スーパーウェルター級王座ダブルアール・ライト級トーナメント優勝K-1 WORLD MAX 2010 -70kg Japan Tournament 優勝アマチュア[]極真連合会全日本大会 高校の部 準優勝

TATSUJI - Bout Wiki

江 達二(たかえ たつじ)。福岡県出身。アイアンアックス所属。立ち技格闘技イベント「R.I.S.E.」の看板選手であり、K-1の中量級大会「K-1 WORLD MAX」のリングでも活躍した。目次1 人物2 獲得タイトル3 来歴3.1 アマチュア時代3.2 プロ格闘家時代4 戦績4

安廣一哉 - Bout Wiki

12回全日本新空手道選手権大会 中量級(75kg以下)に出場。決勝で永井次郎を破り優勝を果たした。2002年2月11日、K-1初参戦となったK-1 WORLD MAX 2002 ~日本代表決定トーナメント~の1回戦で後藤龍治と対戦し、2RKO負けを喫した。2003年3月1日、K-

才賀紀左衛門 - Bout Wiki

するも判定負けを喫した。2008年1月26日、中国で開催された「武林風大会」でK-1ルールの試合に出場し、3R引き分け。2008年2月2日、K-1 WORLD MAX 2008 ~日本代表決定トーナメント~で行なわれたオランダとの3対3対抗戦の中堅戦でロイ・タンと対戦し、判定勝ち

天田ヒロミ - Bout Wiki

天田 ヒロミ本名天田 広美通称JAPANの特攻隊長性別男性国籍日本誕生日1973年5月10日(50歳)出身地群馬県群馬郡群馬町(現・高崎市)身長185cm体重105kgリーチ階級スタイルボクシング所属フリー→TENKA 510→コシ・トラスト→フリーデジタルスピリッツ天田 ヒロミ

日菜太 - Bout Wiki

初代R.I.S.E.70kg級王者となった。2008年11月30日、R.I.S.E. 51のメインイベントでHAYATOと対戦し、判定勝ち。K-1 WORLD MAX 2008 ~日本代表決定トーナメント~で準優勝を果たしたHAYATOに勝利したことで、試合後には「R.I.S.E

イム・チビン - Bout Wiki

われたアジアトーナメントに出場。1回戦で鈴木悟、準決勝でオ・デュソク、決勝でK.MAXと3試合KO勝ちで優勝を果たした。2008年4月9日、K-1 WORLD MAX 2008 FINAL16のトーナメント1回戦で城戸康裕と対戦し、開始40秒右膝蹴りでKO負けを喫した。2009年

HAYATO - Bout Wiki

イトル2 来歴3 人物4 戦績5 脚注6 外部リンク7 Wikipedia獲得タイトル[]プロUKF世界スーパーウェルター級王座(0度防衛)K-1 WORLD MAX 2008 ~日本代表決定トーナメント~ 準優勝アマチュア第1回アマキック全日本選手権大会ミドル級優勝、最優秀賞受

武田幸三 - Bout Wiki

ボーウボン(4位:タイ)にTKO負け(3R終了、流血によるドクターストップ)し、王座防衛に失敗した。2003年3月1日、K-1にデビューし、K-1 WORLD MAX 2003 ~日本代表決定トーナメント~に出場。決勝で魔裟斗に判定負けし、準優勝に終わった。2004年7月11日、

卜部功也 - Bout Wiki

OF UNDER 18 ~FINAL16~のK-1甲子園1回戦で西日本地区予選3位の林恭平と対戦し、判定勝ちを収めた。2008年10月1日、K-1 WORLD MAX 2008 FINALのK-1甲子園準々決勝で坪井悠介と対戦し、タオル投入によるTKO勝ちを収めた。2008年12

アンディ・オロゴン - Bout Wiki

技デビューで格闘技に憧れを持ち、2005年に格闘技のトレーニングを開始する。2006年1月24日にK-1デビューが発表され[1]、2月4日のK-1 WORLD MAXにて飯伏幸太と対戦予定であったが、練習中に右手指間筋を断裂し、欠場となった[2]。2006年9月4日、K-1 WO

久保優太 - Bout Wiki

.3 立川隆史・引退記念興行~」で大月晴明と2分2Rのスペシャルエキシビションマッチを行った[6]。2010年5月2日、K-1初参戦となったK-1 WORLD MAX 2010 ~-63kg Japan Tournament 1st Round~でDJ.taikiと対戦し、判定勝

名城裕司 - Bout Wiki

.1 プロ1.2 アマチュア2 来歴3 戦績3.1 プロキックボクシング4 脚注5 外部リンク6 Wikipedia獲得タイトル[]プロ[]K-1 WORLD MAX 2011 ~-70kg Japan Tournament FINAL~ 優勝アマチュア[]WMFJ 日本アマチュ

嶋田翔太 - Bout Wiki

98回新空手道交流大会「K-2トーナメント」軽量級に出場。決勝で白神喜弘に勝利し、優勝を果たした。2008年2月2日、K-1デビューとなったK-1 WORLD MAX 2008で行なわれたオランダとの3対3対抗戦・先鋒戦でバピー"ベビーフェイス"テテローと対戦し、2RKO勝ちを収

大石駿介 - Bout Wiki

ンイベントでヴァヒド・ロシャニと対戦し、2-0の判定勝ちを収めた[7]。2008年7月5日、赤坂サカス・Sacas広場で開催されたイベント「K-1 WORLD MAX & DREAM Presents AKASAKA FIGHT FESTIVAL」で[8][9]、プロボクサーであ

ドゥエイン・ラドウィック - Bout Wiki

。目次1 来歴2 戦績2.1 キックボクシング2.2 総合格闘技3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]2002年5月11日、「K-1 WORLD MAX 2002 ~世界一決定戦~」の1回戦で魔裟斗と対戦し、0-3の判定負けを喫した。2003年4月25日、UFC初参

尾崎圭司 - Bout Wiki

ORKミドル級王者の寒川直喜を3R3-0の僅差の判定で破り優勝した。この優勝によって、K-1参戦を決定的なものとした。2007年2月5日、「K-1 WORLD MAX 2007 ~日本代表決定トーナメント~」に参加。テコンドーを思わせる独特のロングスパッツを履き、回転系の技を積極

須藤元気 - Bout Wiki

撹乱する変幻自在のファイトスタイルと、柔術・レスリングをベースとしたグラウンドテクニックを持つ。本職は総合格闘技だが、2002年から参戦したK-1 WORLD MAXにてトリッキーなファイトを見せ、人気を得た。リングネームは本名であり、父親がファンであった小山ゆうのボクシング漫画

角田信朗 - Bout Wiki

月3日に行なわれた「K-1 WORLD GP 2003 in LAS VEGAS」の武蔵戦をもって、2度目の現役引退。2004年7月7日、「K-1 WORLD MAX 2004 世界一決定トーナメント」で決勝戦で魔裟斗 vs. ブアカーオ・ポー.プラムックの審判員を務めた。ダメー

野杁正明 - Bout Wiki

8月10日、主催者推薦としてK-1甲子園 ~FINAL 16に出場。1回戦で村越凌と対戦し、3RTKO勝ちを収めた。2009年10月26日、K-1 WORLD MAX 2009 FINALにて行なわれたK-1甲子園の準々決勝で宮元啓介に3-0の判定勝ちを収めた。2009年12月3

ピーター・グラハム - Bout Wiki

ピーター・グラハム本名ピーター・グラハム通称爆裂ローリングサンダー爆裂カラテ野郎戦慄の稲妻性別男性国籍オーストラリア誕生日1975年8月5日(47歳)出身地シドニー身長190cm体重113kgリーチ階級スーパーヘビー級(K-1)スタイル空手所属タイガーズ・デンピーター・グラハム(

新田明臣 - Bout Wiki

き分けに終わった。試合後のインタビューでは、デッカーに「最も強い日本人」と言わしめた。2001年12月9日、「全日本ミドル級タイトルマッチ/K-1 WORLD MAX日本大会出場者決定戦」で清水貴彦(同級1位)と対戦。5R判定1-1で、引き分けで防衛を果たし、K-1 WORLD

野田貢 - Bout Wiki

人戦空手道選手権大会 スピリットカラテAクラス重量級に出場し、優勝を果たすと共に技能賞を受賞した。2006年6月30日、K-1初出場となったK-1 WORLD MAX 2006のオープニングファイトで西脇恵一と対戦し、右フックでKO勝ちを収めた。2006年9月3日、第18回オープ

大野崇 - Bout Wiki

ールズでリチャード・スミス(王者:イギリス)と対戦し3RKO勝ちで下し、ISKAオリエンタル世界ミドル級王者となった。2002年2月11日、K-1 WORLD MAX 2002 ~日本代表決定トーナメント~でベスト4。2005年6月26日、正道会館所属としてシュートボクシングに初

山本徳郁 - Bout Wiki

ンピオンシップで対戦予定であったが、練習中に右手人差指を骨折し、全治2か月となり欠場した[4]。2004年2月24日、K-1初参戦となった「K-1 WORLD MAX 2004 ~日本代表決定トーナメント~」1回戦で村浜武洋と対戦。優勝候補と目されていた村浜を相手にK-1ルール初

大和哲也 - Bout Wiki

負けを喫し王座獲得ならず[14]。2010年3月23日付けでNJKFライト級王座を返上した[15]。2010年5月2日、K-1初参戦となったK-1 WORLD MAX 2010 ~-63kg Japan Tournament 1st Round~で優勝候補とも目されていた[16]

渡辺一久 - Bout Wiki

にて引退宣言を出し[1]、総合格闘技の練習を行っていた。K-1[]2009年1月21日、K-1参戦が発表された[2]。2009年2月23日、K-1 WORLD MAX 2009 ~日本代表決定トーナメント~で上松大輔と対戦。1R渡邉の左フックが入り、上松がダウンしたところにすかさ

松倉信太郎 - Bout Wiki

16」で行なわれた「K-1甲子園 70kg級日本一決定トーナメント」に出場。3試合を勝ち抜き、優勝を果たした[4]。2010年3月27日、「K-1 WORLD MAX 2010 ~-70kg Japan Tournament~」のオープニングファイトでYUUKIと対戦し、2Rに3

レミギウス・モリカビュチス - Bout Wiki

ミドル級トーナメント準々決勝で高谷裕之と対戦し、2RマウントパンチでTKO負けを喫した。2005年10月12日、K-1ルール初挑戦となった「K-1 WORLD MAX 2005 ~世界王者対抗戦~」で安廣一哉と対戦し、6度のダウンを奪い3-0の判定勝ちを収めた。2005年11月5

中島弘貴 - Bout Wiki

イトル2 来歴3 戦績4 脚注5 外部リンク6 Wikipedia獲得タイトル[]Krush 70kg Tournament 2009 優勝K-1 WORLD MAX 2010 ~-70kg Japan Tournament~ 準優勝来歴[]学生時代は野球部に所属。高校入学後、シ

谷山俊樹 - Bout Wiki

(たにやま としき、1988年11月27日 - )は、日本のキックボクサー。神奈川県出身。谷山ジム所属。谷山ジムの谷山歳於会長の次男[1]。K-1 WORLD MAX 2008 日本王者城戸康裕は同門にあたる。神奈川県立伊志田高等学校卒。国士舘大学政治経済学部経営学科卒。18歳の

日下部竜也 - Bout Wiki

OF UNDER 18 ~FINAL16~のK-1甲子園1回戦で関東地区ベスト8の戸邊隆馬と対戦し、判定勝ちを収めた。2008年10月1日、K-1 WORLD MAX 2008 FINALのK-1甲子園準々決勝で佐々木大蔵と対戦し、左ハイキックでKO勝ちを収めた。2008年12月

アンドレ・ジダ - Bout Wiki

。2008年3月15日、DREAM.1のライト級グランプリ1回戦でエディ・アルバレスと対戦、マウントパンチでTKO負け。2008年7月7日、K-1 WORLD MAX 2008 FINAL8のスーパーファイトでレミギウス・モリカビュチスと対戦し、1RKO勝ち。2009年4月21日

白須康仁 - Bout Wiki

準決勝で裕樹に判定負けを喫した。2005年6月24日、MAキック興行で菊池浩一と対戦予定であったが、負傷により欠場した。2006年2月4日、K-1 WORLD MAXに初参戦。日本代表決定トーナメントのリザーブファイトで白虎に判定勝ちを収めた。2006年12月3日、MAキック興行

上松大輔 - Bout Wiki

してソルデティグレ・ヨースケと対戦。1, 2ラウンド共にダウンを取り3-0で判定勝ちを収めた。2008年7月7日、K-1初参戦となった[1]K-1 WORLD MAX 2008 FINAL8でエディ・ユアザパビュチスと対戦し、1R右ストレートでKO勝ちを収めた。2008年10月1

小次郎 - Bout Wiki

獲得した。2002年5月12日、スイット・ウォースティラ(タイ/同級6位)に左膝蹴りでKO勝ちし、同王座防衛に成功した。2003年3月1日、K-1 WORLD MAX 2003 ~日本代表決定トーナメント~の1回戦で武田幸三と対戦し、0-3の判定負け[1]。その後、ムエタイスタイ

宮元啓介 - Bout Wiki

年度ベスト8の平塚大士と対戦し、右ハイキックから左ハイキックの流れ技で1RKO勝ちを収め準々決勝進出を決めた[5]。2009年10月26日、K-1 WORLD MAX 2009 FINALにて行なわれたK-1甲子園準々決勝で野杁正明と対戦し、野杁の膝蹴りとパンチに終始圧倒され、0

イム・スジョン - Bout Wiki

10年3月28日、J-GIRLSのメインイベントで佐々木仁子と対戦し、2-0の判定勝ちを収めた[9]。2010年10月3日、韓国で開催されたK-1 WORLD MAX 2010 IN SEOUL -70kg World Championship Tournament FINAL1

松本芳道 - Bout Wiki

本ライト級王者朴龍に挑戦し、跳び膝蹴りでダウンを奪うなどして3-0の判定勝ちで王座を獲得した[3]。2010年5月2日、K-1初参戦となったK-1 WORLD MAX 2010 ~-63kg Japan Tournament 1st Round~で大月晴明と対戦し、3Rに右フック

龍二 - Bout Wiki

井佑丞に3RKO勝ちし、優勝を果たした。2007年の試合は勝っても負けてもすべてKO決着となった。2008年2月2日、K-1初参戦となった「K-1 WORLD MAX 2008 ~日本代表決定トーナメント~」の1回戦でHAYATOと対戦。互角の展開を見せるも判定負けを喫した。20

我龍真吾 - Bout Wiki

05年6月19日、R.I.S.E.で龍二と対戦。3R終盤には足を止めて打ち合いを見せるも、0-3の判定負けを喫した。2005年10月12日、K-1 WORLD MAXデビュー戦でサミール・ベルバーチにKO勝ちを収めた。2006年2月4日、「K-1 WORLD MAX 2006 ~

アマラ忍 - Bout Wiki

2006年1月9日、喜入衆と対戦し、TKO勝ち。12連勝を飾る。2006年1月14日、リングネームをアマラ忍に改名した。2006年4月5日、K-1 WORLD MAX 2006 世界一決定トーナメント開幕戦に「"SHINOBU" ツグト・アマラ」というリングネームで出場し、アンデ

藤鬥嘩裟 - Bout Wiki

ットさせるなどして判定勝ち。試合後のマイクアピールで、HIROYAへのライバル心を見せた。2008年3月、中学を卒業。2008年4月9日、『K-1 WORLD MAX 2008 FINAL16』で大晦日に対戦が流れたHIROYAと改めて対戦し、判定負け。試合前から舌戦を繰り広げた

チョン・ジェヒ - Bout Wiki

王座決定戦で駿太と対戦し、判定負けで王座獲得ならず。この試合でのリングネーム表記はチュン・ジェ・ヒュイであった[1]。2009年7月13日、K-1 WORLD MAX 2009 FINAL8で山本"KID"徳郁と対戦し、左フックで失神KO勝ち[2]。2009年10月26日、K-1