ランディ・バース

ページ名:ランディ・バース
ランディ・バース
Randy Bass
基本情報
国籍テンプレート:USA
出身地オクラホマ州ロートン
生年月日1954年3月13日(69歳)
身長
体重
181cm
95kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション一塁手、外野手
プロ入り1972年 ドラフト7巡目
初出場MLB / 1977年9月3日
NPB / 1983年
最終出場MLB / 1982年6月7日
NPB / 1988年
経歴(括弧内は在籍年)
  • ロートン高等学校
  • オクラホマ大学
  • ミネソタ・ツインズ (1977)
  • カンザスシティ・ロイヤルズ (1978)
  • モントリオール・エクスポズ (1979)
  • サンディエゴ・パドレス (1980 - 1982)
  • テキサス・レンジャーズ (1982)
  • 阪神タイガース (1983 - 1988)
この表について
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■Template  ■ウィキプロジェクト 野球選手

ランディ・バース(Randy William Bass , 1954年3月13日 - )は、アメリカ合衆国オクラホマ州ロートン生まれの元プロ野球選手(内野手)。阪神タイガース時代の背番号は44。

日本プロ野球の歴史上、「史上最強の助っ人」と評される。2004年からオクラホマ州議会の上院議員(民主党)。

目次

来歴[]

メジャーリーグ時代[]

アメリカメジャーリーグ時代はツインズ、ロイヤルズ、エクスポズ、パドレス、レンジャーズを転々としていた。

メジャー時代はその長打力から「ニューヨークからロサンゼルスまで飛ばす男」と言われたこともあったが、幼少時に足を複雑骨折していたことから全力疾走ができない状態であり、守れないということでレギュラーは獲得していない。さらに速球に弱いという弱点が重なりメジャー通算本塁打は9本に終わっている。エクスポズ時代のチームメイトには、後に巨人で活躍するウォーレン・クロマティがいた。

阪神タイガース時代[]

1983年~1984年

テンプレート:Byに来日し、阪神に入団。名字は正しくは「バス」と発音するが[1]、球団親会社の阪神電鉄がバス事業(当時は直営)を行っていることもあって、好調時に「阪神バス大爆発」、不振時に「阪神バスエンコ」「バス大渋滞」などとマスコミに揶揄されるのを嫌った球団側の配慮で、登録名を「バース」とした。

阪神入団当初は藤田平が一塁手として多用されていたこともあり、右翼手として守備に就いていたが、上記の通り全力疾走できないことと、藤田の年齢による衰えから、後に一塁手に固定される。体調不良でシーズン序盤を出遅れたにもかかわらず、1年目から打率.288、35本塁打、82打点と長打力を見せつける。また、同年のシーズン終盤には球団記録(当時)となる25試合連続安打も記録している(2001年に桧山進次郎が28試合で更新)。

今でこそ「史上最強の助っ人」とも評されるバースだが、この1983年に解雇の可能性があった。前年後半にチームが大躍進したこともあり阪神ファンは優勝との期待を募らせていたが、4月を2位で終了したものの、5月途中には1勝15敗と大きく負け越してしまう。調子の上がらないバースが不調の原因との批判も多く、同期入団でミートの巧いスティーブ・ストローターの方が、日本の野球に適合しているとの評価が高かった。そんな中、先発投手陣が手薄な阪神は投手のリチャード・オルセンを獲得。オルセンを一軍に昇格させるため、外国人枠の関係でストローターとバースどちらかを解雇する必要に迫られたが、このとき阪神が解雇したのはストローターの方だった。当時バースは外角に落ちる変化球をことごとく空振りしていたが、球団はバースのパワーのほかに、態度、努力、人格を評価しており、その期待通りバースは後半戦から一気に調子を上げた。また、テンプレート:Byオフにも先述の守備の不安から解雇の可能性があったが、それを吉田義男監督がフロントにバースの必要性を説いて残留させたという[2]

1985年

テンプレート:Byには掛布雅之、岡田彰布と強力クリーンナップを形成。同年4月17日の対巨人戦、槙原寛己からのバックスクリーン3連発は有名だが、この1本がバースのこの年の第1号本塁打である。この年は打率.350、54本塁打、134打点の成績を残して三冠王に輝き、阪神の21年ぶりのリーグ優勝・日本一に大きく貢献した。また、セ・リーグ初の外国人選手による本塁打王となった。

この年は王貞治のシーズン55本塁打(1964年)の記録更新が注目されたが、54本目を打った段階で残り試合数が2試合になる。いずれも巨人戦で、その監督は王貞治。最初の試合で先発した江川卓は3打席ストライクで勝負し1安打に抑えるも、他の投手はバットの届く範囲には1球も投げなかった(事実上の敬遠攻め)。結局記録は達成できず、翌日の報知新聞には、「バース記録達成失敗」という見出しと、「自分はバースに敬遠を指示しなかった」という王のコメントが掲載された。当時巨人に在籍した外国人投手キース・カムストックは、後に自らの著書でこのことを振り返り、「バースにストライクを投げると、1球につき罰金100万円が課せられていた」と記している。指示を出したのは投手コーチだった[3]。当時バースは、最終戦を前に「記録達成は無理だろう、私はガイジン(外人)だから」と語っていたが、この敬遠攻めの影響でバースの出塁率が上昇し、それまで出塁率トップだった吉村禎章を抜いて、バースは最高出塁率のタイトルも獲得することになる(巨人ベンチはこの記録のことを忘れていたという)。結果的にバースは当時表彰タイトルだった最多勝利打点と併せ、打撃部門5冠に輝いた。ちなみにバースは、記録を恐れず真っ向勝負してきた江川を高く評価し、「日本の今のプロ野球で最高の投手だ。メジャーでも十分通用する」とコメントしている。

西武ライオンズとの日本シリーズでは第1~3戦で3試合連続本塁打を放ち、守備面でもファインプレーを見せる(後述)など攻守に渡る大活躍でチームを牽引。阪神を球団創設以来初(現時点で唯一)の日本一に導き、バースはシーズンと日本シリーズの両方でMVPを獲得する快挙を達成した。

1986年

テンプレート:Byのシーズンも、バースは打率.389、47本塁打、109打点の成績を挙げ、ロッテオリオンズ(当時)の落合博満と共に、2年連続三冠王となった。同年記録したシーズン打率.389は日本記録。バースは規定打席到達後、それまで張本勲が持っていたシーズン打率.383の日本記録を下回ってしまうと日本の投手がそれ以上勝負してくれないのではないかと考え、監督に直訴してそれ以降の試合を欠場させてもらうつもりでいたが、結局一度も下回ることはなく、最後まで打席に立ち続けた。また、阪神から本塁打王はこれ以降生まれていない(2009年シーズン終了現在)。

また、この年の6月26日には7試合連続本塁打の日本タイ記録を達成しているが(6月18日高野光、19日荒木大輔、20日郭源治、21日鈴木孝政、22日平沼定晴、24日桑田真澄)、記録となる打席は江川卓の直球を後楽園球場のライト場外に運んだものだった(それまでの記録保持者は王貞治)。このときは記録を達成したバースのみならず、真っ向勝負を挑んだ江川に対しても賛辞が贈られた。当時、江川以外でバースに真っ向勝負を挑んだのは、津田恒実(広島)が代表的。バースに対して全て150km/h超のストレートで挑み、3球三振に仕留めたこともある。この試合後、津田に対してバースは「ツダはクレイジーだ」とコメントしている。

他にも5月30日の6、8回と関根浩史から本塁打を放つと翌6月1日には1回と4回に欠端光則から本塁打を打って2日にわたって4打数連続本塁打、13試合連続打点や(前述の7試合連続本塁打からスタートし、7月4日まで)、シーズン長打率.777といった日本記録を次々に達成。OPSも王貞治の1.293(1974年)に次ぐ歴代2位となる1.258を記録した。しかしMVPには、優勝した広島の北別府学が選出された。優勝に貢献し、投手三冠を獲得した北別府の受賞は妥当という意見も数多くあったものの、2年連続で外国人選手にMVPを取らせることを快く思わなかった関係者が少なからずいたことが、MVPを逃した原因であるとも言われている。

1987年

テンプレート:Byには落合がトレードで中日ドラゴンズに移籍し「三冠王対決」と騒がれたが、前年から囁かれていた吉田義男監督との確執がエスカレートした。無冠に終わり、チームが低迷したこの年、雑誌のインタビューで吉田監督批判を行ったため、球団からペナルティとして罰金を科せられるという事件もあった。この罰金は最終的にうやむやになってしまい、実際には払われなかった。なお、インタビューを行ったロバート・ホワイティングは責任を感じてバースに同額を支払っている。

1988年

テンプレート:By、水頭症を患った長男への対応を巡り球団と対立し、シーズン途中で解雇された。契約では家族の疾病の際には球団が医療費を負担することになっていたが、球団は保険加入を怠っており、多額の医療費を負担することを恐れたための解雇だった(後に球団側が示談金を払ったことで解決)。この経緯については、退団後に発売された自伝『バースの日記』でも述べられている。なお、このバース退団後の7月19日、当時の阪神球団代表だった古谷真吾が東京都内のホテルで飛び降り自殺する事件が起き、バースの退団をめぐるトラブルで球団とバースの板挟みになったのではないかと報じられた。

退団後20年以上がたった現在でも往年の阪神ファンからは絶大な人気を誇り、バースの活躍以降、関西のメディアでは阪神の新外国人打者がキャンプやオープン戦で好調な場合「バースの再来」と報じることが恒例になっている。

アメリカ帰国後[]

テンプレート:政治家帰国後は本業の牧場経営の傍ら、イベントなどでたびたび来日。プロ野球マスターズリーグにも大阪ロマンズの選手として登録されている。かつてのライバルであった大野豊とは、直球とフルスイングでファンを沸かせているが、現役時代と変わらぬ体型と肉体を維持し、140km/hを超える大野の直球に、今のところ全打席三振を喫している。サントリーモルツ(モルツ球団)などCMにもいくつか出演し、また東京スター銀行大阪支店名誉支店長にも就任。2007年8月19日に放送された『24時間テレビ「愛は地球を救う」』で人生が変わる瞬間の“女子ソフトメダリストからヒットを狙う”コーナーにバッターとして出演した(結果は凡退)。

2008年8月28日の阪神対中日戦(甲子園球場)では始球式を行い、テレビ解説にも登場した。8月29日には『わくわく宝島SP』(読売テレビ)に登場。「10年に一度、来日している」と語っている。最近では2009年11月に来日し、奈良県で2010年開催予定の「平城遷都1300年祭」への支援として奈良県に100万円を寄付した。これはバースが阪神選手時代からイメージキャラクターを務めているユニットバス製造メーカー「日ポリ化工」が奈良県香芝市に本社があることから、「奈良への恩返し」の意味合いも込めているという。

米国内では故郷のロートン市議選に当選。1期務めた後、2004年11月2日(奇しくも11月2日は1985年に阪神が日本一になった日でもある)の大統領選と同日にオクラホマ州議会の上院議選に第32区から民主党公認で出馬。9,809票を獲得し、35票の僅差で共和党のイーストン候補を破り初当選した。2006年11月には63.34%の得票率で勝利し再選を果たしている。アメリカでは野球選手としての知名度は高くないが、地元オクラホマでは障害者へのボランティア団体や警察、消防関係者などから支持され、政治家としての手腕が高く評価されて、国政への参加を期待する声も高まっている。

私生活では阪神退団後に離婚するが、後に再婚して1児をもうける。幼い頃に重病を患った長男は結婚し、グッドイヤーに勤めているという。また、3人の孫にも恵まれている。

プレースタイル[]

バースが高い成績を残せた理由としては、苦手としていた速球投手が日本に少なかったこと、日本に順応しようと努力していたことが挙げられている(ただし、日本語は全く覚えようとせず、遠征中はチームメイトと別の高級ホテルに宿泊していた)。掛布雅之が浜風の強い甲子園対策として身に付けていた独特の流し打ちを伝授したこともバースの打撃の幅を広げ、持ち前のパワーと相まって驚異的な成績を残すことになる。狭い球場や左方向に強い風が吹いているときには軽く流しただけでレフトスタンドへの本塁打になるほどだった。1985年の日本シリーズ第1・2戦などはその典型である。

他にも、長崎啓二の打撃を徹底的に研究しており、長崎が打った日本シリーズ第5・6戦のホームランを指し、「ボクのホームランはたまたま風に乗っただけだよ。その点、ナガサキのホームランは本物だった」と絶賛していた。また川藤幸三に色々な面で世話になったことから、今でも「カワトウには感謝している」と語っている。ある特集番組では「三冠王を獲ることができたのはカケフのおかげである」と語ったこともある。

一塁手としての守備範囲は狭かったが捕球は堅実で、多くのファインプレーでチームのピンチを救った。1985年の日本シリーズでは、当初対戦相手の西武の広岡達朗監督が「阪神の弱点はバースの守備」と公言していたが、第2戦で辻発彦のスクイズを素手でつかみ、三塁走者の秋山幸二を本塁で封殺したプレーなどで日本一に貢献。広岡監督は「あの怪物にはアメリカに帰ってもらいたいですね」とコメントした。

人物[]

ひげ

バースのひげは彼のトレードマークだったが、1986年のキャンプ前、ジレット社のひげ剃りの広告でひげを剃った姿を披露し、ファンを驚かせた。この広告は2日連続で新聞に掲載されたもので、最初の日が「明日の俺を見てくれ」というキャプションでひげ剃り前の写真、翌日がひげ剃り後の写真であった。開幕に備えて来日した時にはちゃんとひげは元通りになっていた。この“ひげ剃り料”は、当時として破格の1億円。なお、起用したジレット社の経常利益は約100億円になった。なお1983年の来日当初はあごひげがないなど、後年おなじみとなる顔立ちとは若干異なっていた。

好物

日本プロ野球球団、とりわけ関西に本拠地のある球団在籍経験がある選手のご多分に漏れず、神戸牛が大好物である。米国産牛肉の対日輸出問題について「日本人が牛肉にかける思い、情熱を私ほど理解している政治家はアメリカにはいない」「日本人が輸入にナーバスになる心情が良く理解できる」と語っている。

詳細情報[]

年度別打撃成績[]

1977MIN919190200020000000050.105.105.105.211
1978KC2220000000000000000.000.000.000.000
1979MON2110000000000000000.000.000.000.000
1980SD195749514013258000071170.286.386.510.896
1981692011761337414552001312011287.210.293.313.605
19821334301600198000120140.200.265.300.565
TEX165248510201156000210171.208.231.313.543
'82計29867861620224140003302111.205.244.308.552
1983阪神113420371691071503522783010539255713.288.360.612.971
198410440735657116160272137310043839648.326.400.598.999
198512657049710017421054357134100367536114.350.428.7181.146
19861265414539217631247352109200482182709テンプレート:Color.481テンプレート:Color1.258
1987123518453601451523727579100160134708.320.403.6071.011
198822947892520233800031300155.321.404.423.827
MLB:6年13036632524696291064201343024518.212.284.326.610
NPB:6年614255022083877431004202145748651020299412333757.337.418.6601.078
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 赤太字は日本記録

背番号[]

  • 44 (1983年 - 1988年)

タイトル、表彰[]

  • 三冠王:2回 (1985年、1986年)
  • 首位打者:2回 (1985年、1986年)
  • 本塁打王:2回 (1985年、1986年)
  • 打点王:2回(1985年、1986年)
  • 最高出塁率:2回(1985年、1986年)
  • 最多勝利打点:1回(1985年)
  • MVP:1回(1985年)
  • ベストナイン:3回 (1985年~1987年)

著書・関連著書[]

  • ランディ・バース著 平尾圭吾訳 『バースの日記。』(集英社, 1990年)ISBN 4-08-749685-6
  • 平尾圭吾著 『この一年バースが言いたかったこと: オレはオレのやり方でやった』(徳間書店, 1985年)ISBN 4-19-503172-9

関連項目[]

  • カーネル・サンダース - 1985年リーグ優勝時、ケンタッキーフライドチキン道頓堀店(現在は閉店)に展示のカーネル像をバースに見立ててファンが胴上げし、道頓堀川に投げ込んだ。このカーネル像は長らく発見されず、後にカーネル・サンダースの呪いという都市伝説を生むことになる。

この像は、2009年3月10日に道頓堀川より発見された。

  • シャノン・ヒギンス
  • 日ポリ化工(イメージキャラクターを務めている。キャッチフレーズは「バースのバス」)
  • 必殺仕事人V・旋風編 - 主演の藤田まことが当時ミュージカル出演のために髭を蓄えたまま出演しているシーンがあり、その回のサブタイトルが「主水バースになる」。
  • プロポーズ大作戦 (テレビドラマ) - ヒロインから主人公に贈られた誕生日プレゼントがバースのフィギュア。ハッピー“バース”デーと掛けている。
  • 岡山一成 - ベガルタ仙台におけるサポーターソングとしてバースの応援歌が使われている。おもちゃのバットを使ってコールを行う。
  • ミスタールーキー - 映画終盤、ピンチヒッターとして出演
  • ハンマープライス - 草野球で一打席代打をしてもらえる権利が出品された。
  • ナツメブラザーズ! - バースの名前にちなんだコーナーがあり、コーナー終了後もネタとして彼の話がたびたび登場。そしてコーナー復活。
  • インディアン - 血をひいている。

外部リンク[]

  • 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
  • Senator Randy Bass - District 32(英語)(The Oklahoma State Senateより)

脚注[]

  1. 2007年に東北楽天ゴールデンイーグルスに所属したアダム・バス(Adam Bass)と同じ名字だが、こちらは登録名を「バス」としている。
  2. 2008年(放送月日不明)放送ABCテレビ『虎バン』より。
  3. TBS「S☆1 Jスポ」2009年7月12日放映「阪神伝説の3連発トリオ・・・バース・掛布・岡田ぶち抜きSP!」での槙原寛己の会話より。
 
業績
・話・編・歴
日本シリーズMVP
1950年代
テンプレート:Nowrap begin50 別当薫テンプレート:!wrap51 南村不可止テンプレート:!wrap52 別所毅彦テンプレート:!wrap53 川上哲治テンプレート:!wrap54 杉下茂テンプレート:!wrap55 別所毅彦テンプレート:!wrap56 豊田泰光テンプレート:!wrap57 大下弘テンプレート:!wrap58 稲尾和久テンプレート:!wrap59 杉浦忠テンプレート:Nowrap end
1960年代
テンプレート:Nowrap begin60 近藤昭仁テンプレート:!wrap61 宮本敏雄テンプレート:!wrap62 土橋正幸, 種茂雅之テンプレート:!wrap63 長嶋茂雄テンプレート:!wrap64 J.スタンカテンプレート:!wrap65 長嶋茂雄テンプレート:!wrap66 柴田勲テンプレート:!wrap67 森昌彦テンプレート:!wrap68 高田繁テンプレート:!wrap69 長嶋茂雄テンプレート:Nowrap end
1970年代
テンプレート:Nowrap begin70 長嶋茂雄テンプレート:!wrap71 末次民夫テンプレート:!wrap72 堀内恒夫テンプレート:!wrap73 堀内恒夫テンプレート:!wrap74 弘田澄男テンプレート:!wrap75 山口高志テンプレート:!wrap76 福本豊テンプレート:!wrap77 山田久志テンプレート:!wrap78 大杉勝男テンプレート:!wrap79 高橋慶彦テンプレート:Nowrap end
1980年代
テンプレート:Nowrap begin80 J.ライトルテンプレート:!wrap81 西本聖テンプレート:!wrap82 東尾修テンプレート:!wrap83 大田卓司テンプレート:!wrap84 長嶋清幸テンプレート:!wrap85 R.バーステンプレート:!wrap86 工藤公康テンプレート:!wrap87 工藤公康テンプレート:!wrap88 石毛宏典テンプレート:!wrap89 駒田徳広テンプレート:Nowrap end
1990年代
テンプレート:Nowrap begin90 O.デストラーデテンプレート:!wrap91 秋山幸二テンプレート:!wrap92 石井丈裕テンプレート:!wrap93 川崎憲次郎テンプレート:!wrap94 槙原寛己テンプレート:!wrap95 T.オマリーテンプレート:!wrap96 T.ニールテンプレート:!wrap97 古田敦也テンプレート:!wrap98 鈴木尚典テンプレート:!wrap99 秋山幸二テンプレート:Nowrap end
2000年代
テンプレート:Nowrap begin00 松井秀喜テンプレート:!wrap01 古田敦也テンプレート:!wrap02 二岡智宏テンプレート:!wrap03 杉内俊哉テンプレート:!wrap04 石井貴テンプレート:!wrap05 今江敏晃テンプレート:!wrap06 稲葉篤紀テンプレート:!wrap07 中村紀洋テンプレート:!wrap08 岸孝之テンプレート:!wrap09 阿部慎之助テンプレート:Nowrap end
2010年代
テンプレート:Nowrap begin10 今江敏晃テンプレート:Nowrap end
・話・編・歴
セントラル・リーグMVP
1950年代
テンプレート:Nowrap begin50 小鶴誠テンプレート:!wrap51 川上哲治テンプレート:!wrap52 別所毅彦テンプレート:!wrap53 大友工テンプレート:!wrap54 杉下茂テンプレート:!wrap55 川上哲治テンプレート:!wrap56 別所毅彦テンプレート:!wrap57 与那嶺要テンプレート:!wrap58 藤田元司テンプレート:!wrap59 藤田元司テンプレート:Nowrap end
1960年代
テンプレート:Nowrap begin60 秋山登テンプレート:!wrap61 長嶋茂雄テンプレート:!wrap62 村山実テンプレート:!wrap63 長嶋茂雄テンプレート:!wrap64 王貞治テンプレート:!wrap65 王貞治テンプレート:!wrap66 長嶋茂雄テンプレート:!wrap67 王貞治テンプレート:!wrap68 長嶋茂雄テンプレート:!wrap69 王貞治テンプレート:Nowrap end
1970年代
テンプレート:Nowrap begin70 王貞治テンプレート:!wrap71 長嶋茂雄テンプレート:!wrap72 堀内恒夫テンプレート:!wrap73 王貞治テンプレート:!wrap74 王貞治テンプレート:!wrap75 山本浩二テンプレート:!wrap76 王貞治テンプレート:!wrap77 王貞治テンプレート:!wrap78 若松勉テンプレート:!wrap79 江夏豊テンプレート:Nowrap end
1980年代
テンプレート:Nowrap begin80 山本浩二テンプレート:!wrap81 江川卓テンプレート:!wrap82 中尾孝義テンプレート:!wrap83 原辰徳テンプレート:!wrap84 衣笠祥雄テンプレート:!wrap85 R.バーステンプレート:!wrap86 北別府学テンプレート:!wrap87 山倉和博テンプレート:!wrap88 郭源治テンプレート:!wrap89 W.クロマティテンプレート:Nowrap end
1990年代
テンプレート:Nowrap begin90 斎藤雅樹テンプレート:!wrap91 佐々岡真司テンプレート:!wrap92 J.ハウエルテンプレート:!wrap93 古田敦也テンプレート:!wrap94 桑田真澄テンプレート:!wrap95 T.オマリーテンプレート:!wrap96 松井秀喜テンプレート:!wrap97 古田敦也テンプレート:!wrap98 佐々木主浩テンプレート:!wrap99 野口茂樹テンプレート:Nowrap end
2000年代
テンプレート:Nowrap begin00 松井秀喜テンプレート:!wrap01 R.ペタジーニテンプレート:!wrap02 松井秀喜テンプレート:!wrap03 井川慶テンプレート:!wrap04 川上憲伸テンプレート:!wrap05 金本知憲テンプレート:!wrap06 福留孝介テンプレート:!wrap07 小笠原道大テンプレート:!wrap08 A.ラミレステンプレート:!wrap09 A.ラミレステンプレート:Nowrap end
2010年代
テンプレート:Nowrap begin10 和田一浩テンプレート:Nowrap end
・話・編・歴
セントラル・リーグ ベストナイン(一塁手)
1950年代
テンプレート:Nowrap begin50 西沢道夫テンプレート:!wrap51 川上哲治テンプレート:!wrap52 川上哲治テンプレート:!wrap53 川上哲治テンプレート:!wrap54 西沢道夫テンプレート:!wrap55 川上哲治テンプレート:!wrap56 川上哲治テンプレート:!wrap57 川上哲治テンプレート:!wrap58 川上哲治テンプレート:!wrap59 藤本勝巳テンプレート:Nowrap end
1960年代
テンプレート:Nowrap begin60 近藤和彦テンプレート:!wrap61 藤本勝巳テンプレート:!wrap62 王貞治テンプレート:!wrap63 王貞治テンプレート:!wrap64 王貞治テンプレート:!wrap65 王貞治テンプレート:!wrap66 王貞治テンプレート:!wrap67 王貞治テンプレート:!wrap68 王貞治テンプレート:!wrap69 王貞治テンプレート:Nowrap end
1970年代
テンプレート:Nowrap begin70 王貞治テンプレート:!wrap71 王貞治テンプレート:!wrap72 王貞治テンプレート:!wrap73 王貞治テンプレート:!wrap74 王貞治テンプレート:!wrap75 王貞治テンプレート:!wrap76 王貞治テンプレート:!wrap77 王貞治テンプレート:!wrap78 王貞治テンプレート:!wrap79 王貞治テンプレート:Nowrap end
1980年代
テンプレート:Nowrap begin80 谷沢健一テンプレート:!wrap81 藤田平テンプレート:!wrap82 谷沢健一テンプレート:!wrap83 谷沢健一テンプレート:!wrap84 谷沢健一テンプレート:!wrap85 R.バーステンプレート:!wrap86 R.バーステンプレート:!wrap87 R.バーステンプレート:!wrap88 落合博満テンプレート:!wrap89 L.パリッシュテンプレート:Nowrap end
1990年代
テンプレート:Nowrap begin90 落合博満テンプレート:!wrap91 落合博満テンプレート:!wrap92 J.パチョレックテンプレート:!wrap93 広沢克己テンプレート:!wrap94 大豊泰昭テンプレート:!wrap95 T.オマリーテンプレート:!wrap96 L.ロペステンプレート:!wrap97 L.ロペステンプレート:!wrap98 駒田徳広テンプレート:!wrap99 R.ペタジーニテンプレート:Nowrap end
2000年代
テンプレート:Nowrap begin00 R.ペタジーニテンプレート:!wrap01 R.ペタジーニテンプレート:!wrap02 R.ペタジーニテンプレート:!wrap03 G.アリアステンプレート:!wrap04 T.ウッズテンプレート:!wrap05 新井貴浩テンプレート:!wrap06 T.ウッズテンプレート:!wrap07 T.ウッズテンプレート:!wrap08 内川聖一テンプレート:!wrap09 T.ブランコテンプレート:Nowrap end
2010年代
テンプレート:Nowrap begin10 C.ブラゼルテンプレート:Nowrap end
・話・編・歴
セントラル・リーグ首位打者
1950年代
テンプレート:Nowrap begin50 藤村富美男テンプレート:!wrap51 川上哲治テンプレート:!wrap52 西沢道夫テンプレート:!wrap53 川上哲治テンプレート:!wrap54 与那嶺要テンプレート:!wrap55 川上哲治テンプレート:!wrap56 与那嶺要テンプレート:!wrap57 与那嶺要テンプレート:!wrap58 田宮謙次郎テンプレート:!wrap59 長嶋茂雄テンプレート:Nowrap end
1960年代
テンプレート:Nowrap begin60 長嶋茂雄テンプレート:!wrap61 長嶋茂雄テンプレート:!wrap62 森永勝治テンプレート:!wrap63 長嶋茂雄テンプレート:!wrap64 江藤慎一テンプレート:!wrap65 江藤慎一テンプレート:!wrap66 長嶋茂雄テンプレート:!wrap67 中暁生テンプレート:!wrap68 王貞治テンプレート:!wrap69 王貞治テンプレート:Nowrap end
1970年代
テンプレート:Nowrap begin70 王貞治テンプレート:!wrap71 長嶋茂雄テンプレート:!wrap72 若松勉テンプレート:!wrap73 王貞治テンプレート:!wrap74 王貞治テンプレート:!wrap75 山本浩二テンプレート:!wrap76 谷沢健一テンプレート:!wrap77 若松勉テンプレート:!wrap78 水谷実雄テンプレート:!wrap79 F.ミヤーンテンプレート:Nowrap end
1980年代
テンプレート:Nowrap begin80 谷沢健一テンプレート:!wrap81 藤田平テンプレート:!wrap82 長崎啓二テンプレート:!wrap83 真弓明信テンプレート:!wrap84 篠塚利夫テンプレート:!wrap85 R.バーステンプレート:!wrap86 R.バーステンプレート:!wrap87 篠塚利夫, 正田耕三テンプレート:!wrap88 正田耕三テンプレート:!wrap89 W.クロマティテンプレート:Nowrap end
1990年代
テンプレート:Nowrap begin90 J.パチョレックテンプレート:!wrap91 古田敦也テンプレート:!wrap92 J.ハウエルテンプレート:!wrap93 T.オマリーテンプレート:!wrap94 A.パウエルテンプレート:!wrap95 A.パウエルテンプレート:!wrap96 A.パウエルテンプレート:!wrap97 鈴木尚典テンプレート:!wrap98 鈴木尚典テンプレート:!wrap99 R.ローズテンプレート:Nowrap end
2000年代
テンプレート:Nowrap begin00 金城龍彦テンプレート:!wrap01 松井秀喜テンプレート:!wrap02 福留孝介テンプレート:!wrap03 今岡誠テンプレート:!wrap04 嶋重宣テンプレート:!wrap05 青木宣親テンプレート:!wrap06 福留孝介テンプレート:!wrap07 青木宣親テンプレート:!wrap08 内川聖一テンプレート:!wrap09 A.ラミレステンプレート:Nowrap end
2010年代
テンプレート:Nowrap begin10 青木宣親テンプレート:Nowrap end

テンプレート:セントラル・リーグ本塁打王テンプレート:セントラル・リーグ打点王

・話・編・歴
セントラル・リーグ最高出塁率
1950年代
テンプレート:Nowrap begin50 藤村富美男テンプレート:!wrap51 金田正泰テンプレート:!wrap52 千葉茂テンプレート:!wrap53 金田正泰テンプレート:!wrap54 与那嶺要テンプレート:!wrap55 川上哲治テンプレート:!wrap56 与那嶺要テンプレート:!wrap57 与那嶺要テンプレート:!wrap58 岡嶋博治テンプレート:!wrap59 長嶋茂雄テンプレート:Nowrap end
1960年代
テンプレート:Nowrap begin60 長嶋茂雄テンプレート:!wrap61 長嶋茂雄テンプレート:!wrap62 王貞治テンプレート:!wrap63 王貞治テンプレート:!wrap64 王貞治テンプレート:!wrap65 王貞治テンプレート:!wrap66 王貞治テンプレート:!wrap67 王貞治テンプレート:!wrap68 王貞治テンプレート:!wrap69 王貞治テンプレート:Nowrap end
1970年代
テンプレート:Nowrap begin70 王貞治テンプレート:!wrap71 王貞治テンプレート:!wrap72 王貞治テンプレート:!wrap73 王貞治テンプレート:!wrap74 王貞治テンプレート:!wrap75 王貞治テンプレート:!wrap76 王貞治テンプレート:!wrap77 王貞治テンプレート:!wrap78 王貞治テンプレート:!wrap79 山本浩二テンプレート:Nowrap end
1980年代
テンプレート:Nowrap begin80 山本浩二テンプレート:!wrap81 掛布雅之テンプレート:!wrap82 掛布雅之, 田尾安志テンプレート:!wrap83 山本浩二テンプレート:!wrap84 谷沢健一テンプレート:!wrap85 R.バーステンプレート:!wrap86 R.バーステンプレート:!wrap87 落合博満テンプレート:!wrap88 落合博満テンプレート:!wrap89 W.クロマティテンプレート:Nowrap end
1990年代
テンプレート:Nowrap begin90 落合博満テンプレート:!wrap91 落合博満テンプレート:!wrap92 T.オマリーテンプレート:!wrap93 T.オマリーテンプレート:!wrap94 T.オマリーテンプレート:!wrap95 T.オマリーテンプレート:!wrap96 江藤智テンプレート:!wrap97 R.ローズテンプレート:!wrap98 松井秀喜テンプレート:!wrap99 R.ペタジーニテンプレート:Nowrap end
2000年代
テンプレート:Nowrap begin00 松井秀喜テンプレート:!wrap01 R.ペタジーニテンプレート:!wrap02 松井秀喜テンプレート:!wrap03 福留孝介テンプレート:!wrap04 G.ラロッカテンプレート:!wrap05 福留孝介テンプレート:!wrap06 福留孝介テンプレート:!wrap07 青木宣親テンプレート:!wrap08 内川聖一テンプレート:!wrap09 青木宣親テンプレート:Nowrap end
2010年代
テンプレート:Nowrap begin10 和田一浩テンプレート:Nowrap end
1984年までは最多出塁数。1985年以降は最高出塁率。
・話・編・歴
セントラル・リーグ最多勝利打点
1980年代
テンプレート:Nowrap begin81 佐野仙好テンプレート:!wrap82 原辰徳テンプレート:!wrap83 原辰徳テンプレート:!wrap84 W.クロマティテンプレート:!wrap85 R.バーステンプレート:!wrap86 W.クロマティテンプレート:!wrap87 小早川毅彦テンプレート:!wrap88 落合博満テンプレート:!wrap89 落合博満テンプレート:Nowrap end
1990年代
テンプレート:Nowrap begin90 広沢克己テンプレート:!wrap91 J.パチョレックテンプレート:!wrap92 広沢克己, J.パチョレックテンプレート:!wrap93 落合博満テンプレート:!wrap94 R.ローズテンプレート:!wrap95 T.オマリーテンプレート:!wrap96 T.オマリーテンプレート:!wrap97 鈴木尚典テンプレート:!wrap98 山崎武司テンプレート:!wrap99 R.ペタジーニテンプレート:Nowrap end
2000年代
テンプレート:Nowrap begin00 江藤智, 鈴木尚典テンプレート:Nowrap end
2001年から廃止
テンプレート:日本プロスポーツ大賞


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